静かに崩れゆく日常④
出発してしばらくすると、先ほどまで馬車の屋根を叩いていた雨脚がいつのまにか弱まり、雲の切れ間から淡い青空がのぞき始めた。
湿り気を帯びていた路面も次第に固さを取り戻し、御者はそれを見計らったように手綱を軽くしならせる。
馬たちは応えるように蹄を速め、車輪は滑らかに大地を駆けた。
雨で慎重に進んでいた先ほどまでとは違い、馬車は来たときよりも明らかに速い。
それでも揺れは驚くほど少なく、座席には柔らかな振動が伝わるだけだった。
「体に優しい馬車ですね!」
「本当に素晴らしいです」
ミルシャとアイリスは思わず感嘆の息を漏らす。
二人の頬には雨上がりの光が淡く差し込み、表情をさらに明るく照らしていた。
「最初は帆の付いた荷馬車を、自分で操って視察していたんだが、町の者にダメだと言われてな。
こんな豪華な馬車を献上してくれたんだ」
「ずっと馬車に乗って視察して回ったり、公務のために遠出するわけでしょうから、みなさんフェンイル様のお体を気遣っての事でしょう」
アイリスが優しい微笑みで返した。
「ありがたいことだ」
フェンイルは相槌を打ちながら感謝を言葉にする。
領主としての誇りよりも、町の人々への深い想いがにじんでいた。
「さて、雨音でうるさかったが、これで落ち着いて話せるようになった。
改めて自己紹介をしよう。
俺はフェンイル・ド・ラングレイで、この領地を任されている。
以前は農業のかたわら、町の政治に関与していたが、今は大きくなった町の運営で農業からは離れてしまった」
「今やこの町の農産物は国を支える規模ですから、気が休まることもないでしょう?」
笑いながら話すフェンイルにカイが訪ねた。
「そうだな。 だが、こうして上手く回らない土地を視察して、対策や要望を聞いて回るのも悪くない。
俺の知識を生かせるし、知らないことを教わることもできる。
充実した毎日を過ごさせてもらっている」
フェンイルは外の景色を眺めつつ、本心を語っていた。
「そうですか。 あ、今度は我々の自己紹介を――」
「不要だ。 お前はカイというのだろう?
それに、アイリスとルゥ、そして……ミルシャ・マリンベルだ」
名を呼ばれた瞬間、馬車の空気がわずかに張りつめ、ミルシャの背筋に冷たいものが走った。
「あっははは、そんな警戒をするな!
というか、お前達全員Aランクではないか!
Bランクは割といるが、Aランクは数えるほどだぞ?
同じAランクの俺が知らないとでも思うのか?」
「お見それいたしました……」
豪快な笑い声が馬車の中に響き、張りつめた空気を一瞬だけ和らげた。
「とはいっても、知ったきっかけはそこの嬢ちゃん――ミルシャの存在が大きい」
「え?」
「十五歳の女がAランクなんて、どんな小細工をしたのかと疑ったのが始まりだ」
「う……」
「ま、実際に会ったのは今回が初めてだが……なるほど、Aランクの実力だ」
「え?」
「カイとミルシャは、俺が向けた視線に気づいただろう?
成人の儀を受けて間もないやつに気づけるものではないからな」
「庭の時の……」
「そうだ。 人が感じる気配には三つの種類がある。
一つ目は、その気配と言われるものだが、歩く音や匂い、僅かな風の揺らぎなど、一般に感じられるものからくる。
二つ目は殺気だ。
これは、殺したいほど恨んでいる相手に対して、無意識に魔力が漏れているという見解が濃厚だ」
「人が魔力を放出しているのですか?」
「あくまで推測だが信憑性は高い。
そして三つ目は、さっき二人に言った視線だ。
これは、心力が関係していると言われている。
簡単に言うと願い祈る力だな。
聖職者の神力と同じものと考えられていて、気になる人物を強く注視すると発せられると言われている」
「知らなかった……」
「まあ、あくまで推論だからな。 学院の教えにはまだ無い。
それをミルシャとカイは、俺が視線を送った瞬間に悟り、警戒態勢で振り返ったのだ。
わざと仕掛けた俺だったが、あまりの反応の良さに内心笑ったわ!」
フェンイルは談笑しながら話していた。
ミルシャとカイは顔を見合わせ、苦笑いともため息ともつかない表情を浮かべた。
そんなフェンイルだったが、突然笑いを治めると、真剣な目でミルシャを見つめた。
「おかげで確信ができた……水の精霊使いミルシャ」
――ガタッ!
その言葉は、静かな馬車の中に鋭く落ち、ミルシャの心臓を強く締めつけた。
痛烈な一言に、ミルシャは立ち上がり、馬車の中に異様な空気が流れる。
「……な、なんのことですか?」
声は震え、喉が乾いて言葉がうまく出てこない。
否定するつもりが、明らかに肯定の仕草になってしまうミルシャ。
フェンイルは手を前に出し、言葉なくミルシャを落ち着かせる。
ミルシャはゆっくり椅子に座ると、疑惑の目をフェンイルに向けた。
ミルシャだけではない。
カイを始め、ルゥとアイリスもフェンイルに対して警戒を強めていた。
「頼みたいことがあるんだ……」
「………」
「ああ、すまん。 精霊使いであることを公表することはしない。
それに、俺には風の精霊使いの友がいる」
その話に、ミルシャはアイリスを見てしまう。
「ほう。 アイリスは風の精霊使いなのか」
「……はい」
「そして、ルゥは火の精霊使いか? 昼間なのにランタンが灯っている。
という事は、カイは土の精霊使いという事だな」
正体がバレてしまい、車内には気まずい雰囲気が立ち込めてしまう。
「案ずるな、傍に精霊使いが居るのは、俺にとっては普通の事だ。
……そうか、少し前に友から聞いた話だが、四属性が揃ったSランクパーティがあると言っていたが……お前達が、そのSランクパーティだったのだな」
「Sランク?」
ミルシャが不思議そうな顔をフェンイルに向けた。
それを見たカイが口を開いた。
「Sランクは、ミッシェル陛下がパーティを組んでいたころ、冗談で自分達のことをSランクと称していたらしい。
その時のパーティにもう一人、風の精霊使いが入っていたと聞いた」
「そう、その精霊使いが俺の友だ。
俺とそいつは子供の頃からの仲間でな。 精霊使いの立場も承知している。
今はこの国にはいないが、会えば飲み明かす仲だ」
「……何故、あたしが水の精霊使いと分かったのですか?」
警戒心はそのままに、ミルシャは疑問を口にした。
何かしらの情報が回っているのなら、これからの身の振り方を注意しなければならない。
「ああ、それはさっき父親に薬を飲ませたときに気づいた」
「え?」
「カイが鞄から取り出したカップを、ミルシャは何も注ぐことなく飲ませていたからな。
まさか、鞄の中に薬を注いだまま入ってないだろう?」
「うぅ……」
言葉が出ないミルシャ。
父親に精霊術を見られないようにと、カップに手を被せて、生成される瞬間は見えないようにしていたが、注ぐという仕草を失念していた。
「あたし、まだまだだわ……」
完敗のミルシャだった。
「それで……あたしに頼みたいことというのは何ですか?」
フェンイルは少し瞑想し、ゆっくりと話し始めた。
「俺の息子が病気でな、ミルシャに診てほしいんだ」
普段は豪胆な男の眉間に、深い影が落ちていた。
「えっ!?」
「体調が悪くなったのは十日ほど前なのだが、突然苦しみだして倒れてしまったのだ」
「お医者さんには!?」
「町の医者では病名がわからず、王都の宮廷治療院にお願いした。
だが、痛みこそ和らいだようだが、治療院ですら治すことはできなかった」
「そんな……それじゃ、あたしなんかじゃとても……」
「精霊術で作った薬は、他の薬よりも効くと友から教えてもらったことがあったのだ。
どうか、精霊使いの薬を作ってほしい」
「確かに精霊術で作る回復薬――ポーションは、市販のものより強い効果があります。
ですが、あくまで自然治癒を早める効果でしかありません。
骨折や病気などの、自然治癒が望めない場合には……」
「そう……なのか」
フェンイルは大きな期待を抱いていただけに、落胆の色が隠せない。
「エリクサーなら……」
考え込んでいたルゥがポツリと呟いた。
その小さな声は、馬車の揺れに紛れそうなほど弱々しかったが、確かな希望を含んでいた。
「それはどんな薬なんだ?」
わずかな期待にフェンイルが訪ねた。
「浄化の秘薬と言われる薬で、ポーションが傷に効くのに対して、エリクサーは毒や病気などを浄化できると言われています。 ただ……」
「珍しい薬なのか?」
「はい。 原料の赤い薬草が、どこにあるのかわからないのです」
ルゥの話に首をかしげるミルシャ。
「ルゥ? それって、何で知ったの?」
「え? 知らなかったかい?」
「う、うん……。
エリクサーなんて聞いたことなかったけど……」
「おかしいな。 僕が学院に入ったとき基礎知識で習っ……」
そこまで言うと、突然青い顔をして手で口を閉ざすルゥ。
「ルゥ?」
「あ……いや……どちらにしても、エリクサーは秘薬ですので、簡単に手に入る薬ではなくて……」
「そうなのだな……」
「申し訳ありません。 いらぬ発言をしてしまいました」
「気にするな。 どんな些細な情報でもありがたい」
ルゥは青い顔をしたまま俯いてしまった。
それを見ていたアイリスが、一つの確信を得ていた。
(エリクサー。 そのような薬は私も知りません。
でも、ルゥは確信を持って話していた……そして、今の焦った表情。
この時代では発見されていない薬を言ってしまったのですね。
ルゥのいた未来で存在する薬――赤い薬草から作るエリクサー。
薬草を見つけることができれば、ミルシャなら生成できるのかもしれませんが……)
「赤い薬草なんてあるんだね。
もしかしたら、割れた山の森で見つけられるんじゃない?
あ、でも、あたしの精霊術じゃ、植物の色って識別できないなぁ」
ミルシャは山裾に沢山の薬草があったことを思い出し、もしかしたらあるかもしれないと考えた。
「何っ!? 今、割れた山といったか!?
お前達、そんなところに何しに行ったのだ!」
「えっ? それは……依頼で……」
「そこは二百人を超える盗賊団の縄張りだぞ!」
「………」
ミルシャ達は、フェンイルの話に体が熱くなる感覚を覚えた。
フェンイルは縄張りと言っているが、アイリスの索敵に人影はなかった。
もし、普段からあの周辺に潜伏している盗賊が、今回の依頼の直前にその場から離れていたとしたら、あの森に獣が全くいなかったことも合点がいく。
それだけの人数の食料調達となれば、当然狩りつくしてしまうからだ。
そして何より、今回の罠に盗賊団がかかわっていることは確実となった。
「ねぇ……カイ」
「ああ、人助けはするものだな。
思いがけないところで手掛かりを得られた」
「どういうことだ?」
「………」
「どうやら訳ありのようだな……。
正直にいうと、その装備も気になっていた。
いったい何があった?」
二人の話にフェンイルが割り込んでくるが、依頼の話をしていいものか慎重になっているカイ。
「カイ。 フェンイル様には話していいと思います。
私たちの素性もご存じですし、盗賊団のお話も聞けますから」
「そうだな。 実は――」
カイはアイリスに同意すると、今までの出来事を順を追って話した。
「話の内容も驚きだが、魔族の存在を知れたのは有難い」
「信じてくださるのですか?」
「もちろんだ。
お前たちの顔色や疲労度を見ても、大きな戦いをしたのではないかと感じていた。
この町の民は、あまり戦い慣れをしていない。
だから、魔族相手となれば、今の防衛体制では大変な被害を出してしまう。
山岳地帯に監視塔の設置は急務だ」
フェンイルは腕を組み、今後の対策を考え始めた。
「カイ、あの場所に戻ってみる?」
「戻るにしても準備は必要だ。
町に行って十分な準備をして向かおう」
「うん。 そうだね」
ミルシャとカイの話に、ルゥとアイリスも頷いて同意をする。
「残念だが、俺の町にAランクが使えるような装備は売ってない」
「え?」
「農業の町でそんなものを売っても需要がない。
職人はいるから依頼はできるが、製作期間を考えたら王都に買いに行った方が早い」
「そうなんですね……」
精霊術だけでも戦えるが、人間を相手にするには手加減をしなければならず、それが二百人となると盗賊に死者が出てしまう。
盗賊を殺しても罪には問われないが、人を救う医師の二人を考えると、たとえ盗賊でも命を奪うことはするべきではない。
「ならば、その装備は俺が準備しよう」
「いいのですか!?」
「今回のことでお前達は町を自由に動けないだろうから、このまま俺の家に泊まるといい。 すぐに必要な装備を準備してやる。
それに、一度ミルシャに息子をみてもらいたいしな……」
「はい」
長いと思っていた町までの馬車旅も、色濃い話に時間を忘れ、気づけば町の中へと馬車は入っていた。
街中はとても賑わっていて、各地に向かう荷馬車や、新鮮な野菜を目当ての旅人など、その装いは様々だ。
ミルシャ達を乗せた馬車は静かに街道を抜け、町に入ってきた北西側から真っすぐに南東側の方角に馬車は進む。
そして、町を抜けてしまうかと思われたころ、馬車の前方に一際大きな建物が見えてきた。
「あれが俺の家だ」
貴族の館なのだから大きいのは驚くことではないが、その建物は町のどこからでも見えるほどに、高くそびえ立っていた。
フェンイルの性格からは考えられない豪華な館に、ミルシャは少し残念に思えてしまう。
ところが、館の敷地内に入ると、その思いは吹き飛んでしまった。
「これって……お野菜が一杯!?」
「ここは俺の館でもあるが、一階は集荷場になっていてな、遠くに運ばれる野菜は一度ここに集められる」
「すごい……」
「位置的にも町の王都側にあるから、流通にも便利だ。
このまま馬車で玄関前に行けるのだが、今はまだ混み合っていてな、悪いが野菜でも見ながら歩いて館に向かってくれ」
「うんっ!」
一番に飛び出し、沢山の野菜が並ぶ集荷場に入っていくミルシャ。
色とりどりの野菜が木箱の中に綺麗に並べられ、今か今かと旅立ちを待っている。
見たことのない光景に、わくわくしながら歩いていく。
――ゾクッ……
突然の悪寒に、ミルシャは立ち止まり辺りを見渡す。
(……今の、何?)
まるで背中に氷の指を這わせられたような、説明のつかない寒気だった。
そして誰かに操られるように、館の右側の二階を見上げる。
「どうした?」
後ろに居たフェンイルが、急に立ち止まったミルシャに声をかけた。
ミルシャは、今から向かう館の一点を見つめ、青ざめた顔で震える指をその一点へ向けた。
「………」
そこには薄っすらと霧のようなものが舞い上がり、火事が起きているように見える。
だが、その霧には無数の人の顔が浮かんでは消えていて、それはまるで、苦しみを訴えている死霊のようだった。
「……あれ……何なの……?」
今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




