静かに崩れゆく日常③
庭に立つ助っ人の男を気にしないように立ち上がると、カイはアイリスとルゥのそばへ移動し、目線だけで外の男に注意を促した。
これまでの災厄で鍛えられた二人はすぐに意図を察し、四人は周囲の気配へと意識を研ぎ澄ませる。
父親が怪我をしていたのは事実だ。
だが、自分たちが山岳地帯から出てくるのを待ち伏せし、馬車の事故を装って、この家に誘い込んだ可能性も捨てきれない。
ミルシャの治療で目的は果たしたのだから、これ以上の長居は危険だった。
四人は小さく頷き合い、カイは警戒を悟られぬよう父親のそばに腰を下ろして口を開いた。
「それじゃ、俺たちはこれで行かせてもらう」
「もう、足は大丈夫だからねっ!」
ミルシャが明るく言い添え、さっさと座敷を出ようとした、その時――
「待ってくれ!」
恩を受けた父親が慌てて呼び止めた。
「せめて昼食だけでも食べてってくれ。
今は丁度収穫の時期で、旬の野菜でもてなすことができる。
こんなことでは礼にはならんかもしれんが、このまま返したのでは申し訳ない!」
――旬の野菜!?
その一言に、ミルシャとアイリスの目が輝いた。
王都からそう遠くないとはいえ、採れたてを味わえるのはここだけ。
食べたい気持ちが顔に出てしまっている二人を、カイとルゥが肩に手を置いてなだめる。
「折角だが、日の出ているうちにラングレイの町に着きたいんだ。
昼までゆっくりしていると、到着が夜になってしまう」
体を休めるという理由もあるが、町に着いたら念のために装備を整える必要がある。
防具屋が閉まってしまうと、それらの準備が滞ってしまう。
「そうなのですか……」
父親――そしてミルシャとアイリスが同じように肩を落とした。
その時、庭に立っていた男が声をかけてきた。
「それならば、俺の馬車で町まで送ってやろう。
昼から出ても、四の鐘までには着ける」
四人の背筋に緊張が走る。 策略か――
だが次の瞬間。
「えっ!? フェンイル様!!」
父親が驚きの声を上げ、起き上がろうとした。
「病人が起きるんじゃない。 そのまま寝ていろ」
「いや……しかし……ギルスよ、お前は何というお方に助けを求めたのだ」
「え?」
ギルスはぽかんとしている。
どうやら男の正体を知らないらしい。
「かまわん。 俺が通りかかったのは女神の導きだ。
気にせず傷を癒せ」
「……感謝いたします」
「うむっ!」
二人のやり取りに、ミルシャたちは呆気にとられる。
それを察したのか、男は胸に手を当てて一礼し、四人に向き直った。
「俺は……いや、私はこの領地を治めております、フェンイルという者です。
どうか、お見知りおきを」
「治め……る?」
「まさか……フェンイル・ド・ラングレイ男爵!?」
「はい」
緊張が一気に冷え、四人の血の気が引いた。
慌てて庭に出て膝をつこうとするが、フェンイルが手で制した。
「かしこまらないでください……いや、この喋り方ではそうなるか!
あっははは!」
敵かもしれないと警戒していた相手が貴族と知り、ミルシャは混乱する。
国王とは普通に話せるのに、貴族となると勝手が違う。
むしろ国王に対して軽すぎるのかもしれない――そんな考えがよぎる。
「仲間の様に普通に接してくれ。
男爵とはいっても、所詮は農家の出の成り上がりだ。
飾るより、クワを持って畑を耕す方が性に合っている」
フェンイルが豪快に笑うと、四人は顔を見合わせた。
「ここで会ったのも女神のお導きだ。
あと一箇所回れば視察も終わる。一緒に乗っていくといい」
「いや、しかしそれでは……」
「気にするな。 俺にお前たちの”身の上話”を聞かせてくれ」
「!?」
その言い回しに、カイはわずかに目を細めた。
精霊使いと気づいている可能性――だが、この場で暴くつもりはなさそうだ。
拒み続ければ、逆に何を言われるかわからない。
「わかりました。 お申し出に感謝いたします」
「うむっ!」
「カイ!?」
ミルシャが驚くが、カイは空を指した。
「折角のご厚意だ。
それに……空を見ろ。町に着く前に雨が降る」
「え?」
見上げれば、さっきまでの陽光は薄雲に遮られ、青空はほとんど消えていた。
一時間もしないうちに降り出すだろう。
「それでは、用事を済ませて戻る。
昼過ぎになるが、それまで待っていてくれ」
「はい」
「それから、崩れた荷車は配下の者が積みなおして出荷に行った。
終われば戻ってくるから、安心して休むがいい」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「わっははは! 気にするなっ!」
フェンイルは高笑いしながら庭を去っていった。
――女神の導きに感謝を……
最後に呟いたフェンイルの言葉は、誰の耳にも届かなかった。
四人は落ち着かない気持ちが残るものの、フェンイルの申し出により安全に町へ向かえることを喜んだ。
母親は昼食の準備に台所へ向かい、ギルスは畑へ野菜を取りに行く。
父親は汚れた体のままではもてなせないと、痛む足を引きずりながら着替えに向かった。
四人は外の見える場所に腰を下ろし、準備が整うのを待った。
「まさか、ラングレイ男爵だなんてね」
「前に男爵の逸話を聞いたことがある」
「どんな?」
「男爵はもともと小さな村の出で、武闘家だったらしい。
今はランク制度が成立していて、個人の能力をギルドが見定めA~Eで示すようになったが、大昔は年二回の武闘大会で、個人の強さを順位で区別していたんだ」
「優勝したら、今でいうAランクっていうこと?」
「当時は英雄と言われたそうだ。
そして、優勝した者は次の武闘大会では審査員となり、大会の優勝者と試合をすることになる。
その試合で審査員を納得させることができれば、新しい英雄が誕生することになる」
「英雄の称号を貰っていいことあるの?」
「今でいうAランクのように、信頼を得て国からの依頼を受けることができる」
「ん~、よくわかんない。 あたしからみると、苦労して勝ち上がって、辛い仕事をさせられるようにしか思えないわ」
「ははは、違いない。
まあ、それが名誉と考える時代の話だ。
暫くはランク制度と並行して、武闘大会も続けていたが、裏で賭け事の対象になり廃止が決まったという。
そして、その大会がなくなる最後の英雄が、先ほどのフェンイル・ド・ラングレイ男爵だ。
さらに、辺境の小村に過ぎなかったこの地を、一人で切り盛りし、今のラングレイ領へと築き上げた偉大なる人物だ」
「どうりで、気配なく近付いてくるわけだわ……」
「昔の話、よくご存じですな」
着替えて戻ってきた父親が、カイの知識に称賛し、逸話の続きを語り始めた。
「その功績から、フェンイル様は男爵の地位を授かったのです。
もっとも、先ほどのお話でお分かり頂いた通り、あのお方は爵位など欲しくはなかったのです。
ですが、この町の事を考えれば、爵位を拝命し、王国からの支援を頂いた方が後の為になると考え、我々の為に男爵になられたのです」
「そうなんだ。 思いやりのある人なんだねっ!」
「はい」
思わぬところで、ラングレイ男爵の話を聞くことができた。
それから町の様子や生い立ちなどを聞いていると、暫くして母親とギルスが昼食を持ってきてくれた。
出された食事は、農家でしか食べられない、完熟まで木で育てた野菜ばかり。
通常そこまで育ててしまうと、食卓に届くまでに痛みが出てしまうらしく、売り物の場合は完熟の一歩手前で収穫するという。
それに比べ、完熟野菜はとても甘くて美味しい。
四人は思わぬご馳走に、口に運ぶ手も軽快だった。
落ち着いて食事をとっていると時間の過ぎるのはとても早く、気付けばお昼時を大きく過ぎていた。
外を見れば僅かに小雨が降っていて、秋も始まったばかりだというのに、辺りの気温がぐっと下がっている。
屋根からの雫が音楽を奏で始めたころ、遠くから馬の蹄の音が近づいてきた。
先ほど出荷に向かった牛の荷車が見えてくると、その後ろに装飾こそ少ないが、黒塗りの立派な馬車が後をついてきていた。
最初に到着した荷車をギルスが迎え、牛の手綱を受け取ると、家の奥にある納屋へと誘導し、手際よく世話を始めた。
そのすぐ後を追うようにして入ってきた馬車は、皆の見える庭先で静かに停まり、中からフェンイル男爵が姿を現した。
「やあ、待たせてしまったかな。
用事が片付いたので、すぐに出発しよう!」
「フェンイル様、お食事はいかがですか?」
すぐに出発しようとするフェンイルに、父親が昼食を勧めた。
「最後の視察でご馳走になってきたから大丈夫だ。
今度来た時は、ぜひ美味い野菜をいただこう!」
「そうでしたか、喜んでお待ちしております」
「うむっ! では、参ろうか!」
「はい。 よろしくお願いします」
「おうっ!」
カイが深く頭を下げると、ミルシャ、ルゥ、アイリスの三人も揃って礼をした。
「それじゃ、お父さん!
もう大丈夫だと思うけど、いきなり無理はしないでね」
「ああ、お嬢さんには感謝しとるよ。
みんなも、また近くに来たら寄ってくれ」
「うんっ!」
ミルシャは明るい笑顔で返事をし、フェンイルのエスコートを受けながら馬車へと乗り込んだ。
「フェンイル様……」
皆が乗り終え、最後にフェンイルが馬車へ足をかけたところで、父親が小さな声で呼び止めた。
「どうした?」
「寄り合いで耳にしたのですが、ご子息様がご病気になられたとか……」
「もう、ここまで話が回っておるのか」
「なんでも、治療の難しい病と……」
「案ずることはない。 きっと良くなる!」
力強く言い切るフェンイルの視線は、馬車の中でルゥと談笑するミルシャへと向けられていた。
「そうですか……あのお嬢さんに」
「……何故だろうな。 一目見た瞬間、胸が高鳴った。
この娘なら、良い方向に導いてくれるのではないか――と。
そう思わせてくれる何かを持っている」
「私も、そう思います」
「治療を受けた者に言われると、期待が確信に変わるな。
では、また会おう!」
「お気をつけて」
フェンイルは父親の肩に軽く手を置き、御者へと短く命じる。
「よしっ! 帰るぞ!」
「ハッ!」
そのまま馬車へ乗り込み、扉が閉まる。
四人を乗せたフェンイルの馬車は、雨に煙る麦畑の中を、軽やかに駆け出していった。
今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




