静かに崩れゆく日常②
出発から一時間。
山裾を縫う細い道はいつしか姿を変え、視界いっぱいに広がる農地へと続いていた。
ラングレイの町へ向かう農道は、秋の陽光に照らされて黄金色に輝く麦畑の中をまっすぐ伸びている。
風が吹くたび、麦の穂は波のように揺れ、遠くまで続くそのうねりが季節の豊かさを物語っていた。
実りの秋。
あちらこちらで農民たちが朝早くから収穫に励んでおり、その姿が麦の間からちらりと見え隠れする。
山岳地帯へ向かう道に、整備された街道などない。
馬車の車輪で固められただけの荒れた農道を、カイ、アイリス、ルゥ、ミルシャの四人は並んで歩いていた。
「少し肌寒いね……アイリス寒くない?」
畑を渡る風に身をすくめながら、ミルシャが問いかける。
四人の衣装の中でも、アイリスの服はデザイン重視で、正面からの風をまともに受けてしまう。
「それほどでもありません。 普段から薄着ですから」
三人は思わず、いつものアイリスの姿を思い浮かべた。
彼女はパーティ会議にすら踊り子のような衣装で現れる。
つまり、普通の服装を見たことがない。
「いつも踊り子の服なの?」
「皆さんと会う時だけです。 普段は、このミルシャの服のような感じですよ」
「………」
どうやら“普通の服”という概念が、彼女にはあまりないらしい。
鍛冶職人や医師にはそれぞれ作業着があるが、魔道具師は彫金師に近く、エプロンと手袋、保護眼鏡だけで作業するのが一般的だ。
「今日は穏やかだね。 この調子なら、陽の高いうちにラングレイへ着けるかな」
荷物を担ぎ直しながらルゥが言うと、隣のカイが空を仰いだ。
「天気が崩れなければいいけどな。 雲の流れが少し速くなってきてる」
まだ青空は覗いているが、流れる雲は徐々に厚みを増していた。
「雨が降ったら、アイリスの風で雨を飛ばして、カイの土でぬかるみを固めてくれれば大丈夫だねっ!」
「いやいや、遠目に見たら“異様な空間が移動してる”って思われるぞ」
「雨降ってたら誰も気にしないんじゃない?」
「そ、そうか?」
面白い発想をするミルシャだが、周りにどう見られるかは頭に入っていない。
三人は思わず笑い合った。
そんな穏やかな空気の中、最後尾を歩いていたミルシャがふと立ち止まり、遠くを見つめた。
ルゥが気づいて振り返る。
「どうした?」
「……あそこ。 荷車の様子が気になるの」
「ん?」
三人も視線を向ける。
「積み荷が崩れてるのか?」
遠目にも、荷車が大きく傾いているのがわかった。
その傍らでは、農民らしき人が右往左往している。
「誰か……積み荷の下敷きになっているわ!!」
言うが早いか、ミルシャは畦道を駆け出していた。
「お、おい! 待て!」
カイが慌てて呼び止めるが、ミルシャの耳には届かない。
「罠だったらどうするんだ……」
「私たちも行きましょう。
崩れた荷物をどかさなければなりませんし、罠ならなおさらミルシャ一人では危険です」
「そうだな、行こう!」
三人も走り出す。
近づくほどに状況は深刻さを増した。
荷車の車輪はぬかるみにはまり、傾いた荷が崩れて男の足を押しつぶしている。
かたわらの女は震える声で叫んでいた。
「だ、誰か……夫が、夫がこのままじゃ……!」
「大丈夫、すぐに助けるわ!」
ミルシャは膝をつき、男の状態を確認する。
重い袋が両足にのしかかり、男は苦痛に顔を歪めていた。
呼吸は荒く、汗が額を流れていた。
「カイ、ルゥ! 袋をどかして!」
「了解!」
三人はすぐに動き出したが、袋は想像以上に重く、持ち上げるのも難しい。
しかも、足を押さえている袋の上にはさらに崩れかけの袋が寄りかかっていて、無理にどかせば一気に崩れ落ちる危険があった。
「上から取っていくしかないな!」
カイとルゥは荷台に乗り、上から順に袋を取っていく。
だが、不安定な積み方のせいで、別の袋が男の足へとずり落ちてしまった。
「ぐあっ!」
男の悲鳴にミルシャが顔を上げる。
沈んだ車輪で傾いた荷台は、押さえがなくなると男の方へゆっくりと滑り始めていた。
カイとルゥは慌てて袋を押さえ、崩れを止める。
だが、二人が押さえている以上、袋をどかす者がいなくなってしまった。
「このままじゃ危ない……カイ! 術で壁を作って支えを――」
その時だった。
「親父!!」
麦畑の向こうから、野太い叫び声が響いた。
振り返ると、若い男が全力で駆けてくる。
その後ろには板や棒を手にした男たちが三人、息を切らしながら続いていた。
「助けを呼んできたぞ!」
「よし、全員で荷台を浮かせて車輪に板を挟むぞ!
姉ちゃん、車輪が浮いたらこの板を入れてくれ!」
「はい!」
手にしていた板を傍にいたアイリスに渡す。
「それじゃ浮かすぞ! せーのっ!」
男たちは迷いなく荷台の沈んだ側へ回り込み、六人がかりで持ち上げた。
できた隙間にアイリスが板を差し込むと、荷台は安定し、崩れかけの袋は助っ人たちが支えた。
「崩れそうなところは俺たちが押さえる! あんたらで親父さんを引き出してくれ!」
「わかった!」
カイとルゥ、それに息子の三人は力を合わせ、足を押しつぶしていた袋を急いでどかした。
どかした袋が地面に落ち、鈍い音が響く。
「大丈夫か、親父!!」
必死に袋をどかす息子が、心配そうに声をかける。
「だ、大丈夫だ……よく呼んできてくれたな……」
男は苦痛に顔を歪めながら答えた。
「今だ!」
最後のひとつをカイが持ち上げると、ミルシャに叫んだ。
「うん!」
カイの声にミルシャとアイリスは、怪我をした男の肩に腕を回し、息を合わせて引きずりだした。
それを見ていた助っ人の三人は、目で合図して一斉に荷台から離れる。
助っ人たちが一斉に離れると、袋はドドドッと崩れ落ち、男がいた場所を埋め尽くした。
「親父!」
息子が駆け寄るが、ミルシャが制した。
「ダメっ! 足が折れているかもしれない!」
父親は痛みに顔を歪め声を出すこともできない。
「なんだお前は!」
「医師よ!」
「!?」
ミルシャの鋭い眼差しに、息子は息を呑んだ。
「わ、わかった……頼む」
「もちろんよ!」
ミルシャはすぐに診察を始める。
右足は膝から不自然に曲がり、激痛の原因は明らかだった。
「関節が外れているだけなら対処できるけど……折れていたら大変だわ!」
その場の空気が張り詰める。
「家はどこ!? ここでは処置ができない!」
「あ、あの竹林の奥だ……」
「カイ、お願い!」
「まかせろ!」
カイは男を背負い、息子の案内で走り出す。
ミルシャとルゥが続き、アイリスは動揺する母親を優しく支えながら後を追った。
残った助っ人の三人は、向かい合って話をすると、二人の男がもう一人に頭を下げ、すぐに袋の片付けを始めた。
頭を下げられていた男は、先を走るミルシャ達を鋭い視線で見つめ、すぐに追って走り始めた。
先を行くカイも、怪我人を背負っているだけに全速力では走れず、父親の足を庇いながら走り続ける。
それでも数分で竹林まで到着すると、その竹を避けるように続く道へと息子が入って行った。
竹が密集して道幅が狭く、カイは背負った男を傷つけないよう慎重に、それでも急いで駆け抜けた。
竹林の道に入ってしばらく進むと、広い庭を持つ大きな木造の平家が現れた。
周囲を囲む竹林は防風林の役割を果たしているらしく、手入れの行き届いた竹は筍の収穫もしているのだろうと伺わせた。
息子は家へと駆け込み、土間から駆け上がると座敷の引き戸を開いた。
そして、縁側からカイたちを座敷に招き入れた。
家の構造が不思議な雰囲気を出していて、王都で見る家々とは異なる建築様式となっている。
だが、そんなことに興味を示す余裕はなく、入った座敷に父親を寝かせ、ミルシャとルゥはすぐに治療に入る。
遅れて入ってくる、アイリスと母親。 だが――
(この二人がいると精霊術が使えない……)
骨が折れているかを調べるには精霊術が不可欠。
ミルシャは、ルゥとアイリスに目で合図を送る。
二人はミルシャの考えを読み、息子と母親に言葉をかけた。
「息子さん? えっと……」
「ギルスです」
「僕はルゥ。 すぐにお湯を沸かしてほしいんだけど」
「わ、わかった! すぐに準備する!」
「お母さんは、綺麗な布を準備していただけますか?
私がお手伝いします」
「は、はい!」
二人はミルシャに目で合図を送ると、その場を後にした。
「カイ! カップをお願い! 回復薬を飲ませるから!」
「わかった!」
野宿で使ったカップやケトルは、邪魔になるので全て消滅させていた。
カイは鞄から取り出すように見せるため、背負っていた鞄の中に手を入れると、精霊術を使って同じカップをひとつ生成した。
その間にミルシャは、精霊術を使い父親の足を診察している。
家の中ということもあって座敷は薄暗く、ミルシャの周りに舞う水のオーラがはっきりと見えるため、人払いは必須だった。
だが、もし足が折れていたなら、薬医師のミルシャには処置ができない。
折れていないことを祈りつつ、両足を隅々まで調べた。
「良かった……関節が外れているだけだわ。
お父さん、これから外れた関節を戻すから、痛いけど我慢してね」
ミルシャの言葉に、男は薄く笑みを浮かべ頷いた。
「やってくれ……」
「それじゃ、処置をするわね。
カイ、体が動かないように抑えて!」
「任せろ!」
ミルシャは少しでもケガ人を治したい一心から、ゼルの指導のもと関節術も習得していた。
カイが抑えるのを確認してから、外れている足に腕を回し、力を込めて足を正しい方向に曲げた。
――ゴキッ!
「ぐあっ!」
だが次の瞬間、父親は叫びを最後に激しい痛みが消え、荒い息だけが残った。
「よかった……カイ」
「これだ」
足が元に戻ったことを精霊術で確認すると、ミルシャはカイからカップを受け取った。
そして、そのカップの上に右手をかぶせると、隠すようにして少量の回復薬を生成した。
「カイ、お父さんの体を起こして」
「よしっ!」
カイはミルシャの反対側に座ると、父親の体を起こした。
「ありがとう、カイ。
お父さん、これ回復薬だから飲んでね」
「そんな高価な物は……」
「聞こえてなかったかな? あたし、薬医師なの。
いくらでも作れるから大丈夫よ」
「すまんね……」
「じゃ、ゆっくり飲んでね」
ミルシャはカップを父親の口に持っていくと、むせないように注意して飲ませた。
すると、その効果はすぐに表れ、父親の体が淡く光り出す。
「おお……初めて飲んだが、こんなにも楽になるのだな――ありがとう」
「まだ、治療したばかりだから、今日はゆっくりと休んでね」
「感謝するよ。 何か礼をしたいのだが……なにぶん、財の無い農家なものでな」
「あたしたちが偶然通りかかったのは、女神さまのお導きよ。
お供え物をいつもより増やしてあげてね」
「ふふふ……あっははは!」
ミルシャの話に突然笑いだす父親。
「親父!!」
笑い声に驚いた息子が慌てて飛び込んできた。
その後ろには母親も寄り添い、驚きのあまり口を押さえている。
「……親父?」
「もう大丈夫だ。 この先生が治してくれた。
心配かけたな、二人とも」
呆然と立ち尽くす二人。
「もう歩けると思うけど、今日は大事を取ってゆっくり休ませてね」
「ありがとう……ございます」
二人は何度もミルシャに頭を下げた。
ミルシャとカイは、顔を合わせて微笑んだ。 その瞬間――
「!?」
背後からの鋭い視線に、二人は反射的に振り返った。
強い日差しに目が眩む中、庭には先ほどの助っ人の一人が立っていた。
真剣な眼差しで、じっとこちらを見つめている。
(嘘……いつからそこに……? 精霊術、見られた!?)
(俺が気配を感じなかった……まるで突然現れたように……)
あまりに近い距離で気づけなかったのは不自然だった。
彼が意図的に気配を消していたとしか思えない。
(でも、この距離なら……大丈夫よね)
座敷で舞っていた水のオーラは、強い日差しの中では見えないはずだ。
ミルシャとカイは小さく頷き合い、自然な動作を装った。
今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




