始まりの夢③
三人が朝食を済ませ、ミルシャの話がひと段落した頃合いに、母のレリーナは食器を手に台所へと向かった。
それを見てミルシャも立ち上がり、残っている食器を手に取り後を追う。
父のゼルは、いつものように読書用の本を手に取り、ページをめくった。 ゼルは食後のひと時に読むお気に入りの本を、いつでも読める様にと自分の席へ置いてあった。
今はまだ教会の一の鐘が鳴ってからさほど時は経っておらず、薬医院の開院は二の鐘と共に始まる。
一の鐘が朝の六時に鳴り、二の鐘が九時に、その後は十二時・十五時・十八時と一日に五回の鐘の音で時を知らせている。
懐中時計を持つ者もいるが、高価な魔道具であり、貴族でもなければ所有する事はかなわない。 ルーファス王国では国民の為に、各教会に時計を備えさせ「時の鐘」を徹底していた。
ゼルは心安らぐ香りに読書の手を止め、開いたページを裏返してテーブルに置いた。
香りの元はミルシャが準備している乾燥した葉や花から漂っている。
「ミルシャは、その依頼が気になるってことかい?」
レリーナと一緒に後ろ姿を見せるミルシャに、邪魔をしない様ゆっくりとした口調で問いかける。
ミルシャは母の手伝いを続けながら、父に背を向けたまま答えた。
「ん~、それもあるんだけど・・・、やっぱり一番気になったのはカイの事かな」
「何か今回の依頼で思う所があるのではないかと?」
「うん。 一年間一緒にやってきて、あんな迷った顔は初めて見た。
カイって何も考えず力任せで飛び込むタイプじゃない? だから、ちょっとね・・・」
その言葉に、ゼルは思わずクスクスと笑ってしまう。
「何よぉ~」
「すまないね。 昔のカイを思い出してつい」
「昔の事? カイとパーティを組んでいた時に何かあったの?」
そう尋ねるミルシャ。 目線をハーブの入った瓶に映し、硝子で出来たティーセットをテーブルに並べる。 ハーブの入った瓶は十二本あって、手慣れた手つきで選びティーポットに入れお湯を注ぐ。
ミルシャの生まれる十五年前までは、今のミルシャと同じ目的でヘルパーギルドに入っていたゼル。
その時に同じパーティメンバーだったのが、当時十七歳のカイだった。
ゼルは結婚を機にヘルパーギルドを休止、レリーナと二人で薬医師としての力を振るうことになる。 その後直ぐにミルシャが誕生し家族の生活が始まった。
「僕とカイが一緒だったのは僅か一年だけだよ。
彼が学院を卒業してギルドに入り、その後一年の経験を経て僕達のパーティに加わったんだ。 だから一緒に旅した期間は、ミルシャと変わらないくらいだ。
休止後も、頼まれて何度か同行したけどね」
「そうなんだ・・・」
ミルシャはハーブティーを淹れてトレーに乗せ、再びゼルのもとへ戻る。 それは彼女の日課であり、学院時代から薬草を学びながら作っていた。
ミルシャにとって薬草は、薬であり、染料であり、心を癒す飲み物だった。
ゼルは受け取ったハーブティーを口元へ運び、香りをゆっくりと味わう。
その日その日でハーブを選ぶミルシャの細やかな気遣いが、ゼルはとても好きだった。
「依頼がヘルパーギルドに来たってことは、ハンターギルドでは人手が足りなかったのかもしれないね」
「そうなのかな? ルゥの話によると、高ランクハンターには頻繁に依頼が来てるらしいとは言ってた」
ゼルは一口ハーブティーを含みながら、考え込んだような表情を見せる。
「変だねぇ・・・」
「何が?」
「高ランクハンターの依頼は危険度が高いから、そんなに依頼が多いと怪我人が増えるはずだ」
「治療院に行っている訳ではなくて?」
「重傷なら行くだろうけど、軽傷だとこちらに来る。 治療院に行くと依頼達成していても失敗と噂され、指名依頼に響くらしいよ」
「面倒くさいね、ハンターって」
「雇う側も、怪我してる人を指名しにくいからね」
「ふぅ〜ん。 あ、でも仕事自体は簡単で、ほとんどが遠方への物品の移送みたい」
「物品移送か・・・」
ゼルは深く思考する。
「どうしたの?」
ミルシャの話に考え込むゼル。
「危険物の移送・・・かもしれないね。
普通は荷物の移送には冒険者ギルドを介して行うだろ?」
「うん」
「それは世界各地に行く冒険者に、移動のついでに荷物を持たせて運ばさせて、冒険する為の収入元とさせる仕組み。 その場合、安全の為に中身の確認は絶対に行われる。
でも、わざわざ高額依頼になるハンターに頼むという事は、中身が分からない物ってこともある」
冒険者ギルドの主な役割は情報収集にある。 冒険者が各地に赴き、手に入れた情報をギルドが買い取り、それをギルドの情報として他の冒険者や必要とする者に売る。
もし、詐欺情報等をギルドに売り込むと、大陸中の国々で存在する冒険者ギルドに指名手配され、ハンターやヘルパーから狙われる事となる。
そんなリスクを抱ええてまで騙そうとは誰もしない為、ギルドの情報は非常に信頼度が高い。
その他には、物品の配送と貨幣預かり業務など、冒険者に都合の良い仕組みが樹立されている。
「何か危険な物の可能性も・・・」
「もしかすると、その辺りの違和感をカイも悟っていたのかもしれないね」
会話が続く中、片付けを終えたレリーナが戻ってくる。
ミルシャはレリーナが座る前に、笑顔でティーを注いで差し出す。
「ありがとう。 ミルシャ」
「うん!」
この瞬間こそ、この親子の日常。 いつまでも続いてほしいと願うほどの穏やかな風景だった。
すると突然──
「でもミルシャ。 これは僕の憶測だから気にする事は・・・」
ゼルはコップを静かにテーブルに戻すと、視線を玄関の方に向けた。
それにつられるようにミルシャも玄関を見る。
「誰かな?」
先に口を開いたのはミルシャだった。
「この気配はルゥ君だね」
「ルゥ君が上がってきたの? どうかしたのかしら・・・
いつもならこの時間、待合室の掃除をしている頃だと思うけれど」
ゼルの言葉に不思議そうに聞きかえすレリーナ。
「開院までにはまだ時間があるし、それに随分慌てているようだね」
ミルシャ達三人の居るこの居住区は、薬医院の三階に位置している。 一階は待合室と診療室、それに処置室があり、二階は調剤室と相談室になっている。
住居へは院内の階段を上がってくると、三階に着いた場所に扉があり、一応それが玄関の役目を果たしている。
実際は一階の薬医院入口が玄関であり、夜間などは呼び鈴に手をかける事で、三階にも聞こえるようになっている。
夜間は一階も戸締りしているが、ルゥが合いカギを持ち早く来て裏口から入り、早朝の掃除を心がけていた。
今、下から上がって来る人物がルゥであれば身構える必要はないのだが、その動きに動揺が見えるとしたらただ事ではないだろう。
ーーー コンコンコン!
「ゼル先生、ルゥです! 朝早くにすみません、急患です!」
最後の言葉にガタッと立ち上がる三人。
ミルシャは急いで扉を開け、息を切らしているルゥに問いかける。
「患者は下に!?」
ルゥはゼルの顔を見て安堵しながら説明した。
「いえ、学院に近くに住むホルフさんのお婆さんです!
今ホルフさんが一階に来ていますが、高熱が下がらず、咳が止まらないそうです!」
「!!」
ゼルは瞬時に表情を険しくしたが、それを悟られないよう冷静に指示を出す。
「ミルシャ、ルゥと先にホルフさんの家へ行って容体を診てくれ。
レリーナはお婆さんの診断書を確認して、効果のありそうな薬を全て持って来てくれ。
僕は鞄を用意して薬を受け取ったら直ぐに後を追う!」
「わかったわ!」
ミルシャの返事に頷くルゥとレリーナ。
ミルシャは一度自分の部屋に戻り、クローゼットにある白衣を手にして羽織り直ぐに一階へ。
一階の待合室に来ると頭を抱えたホルフにルゥが寄り添っていたが、ミルシャの顔を見ると二人は頷き合い、ホルフの手を取り話もしないまま外へと飛び出していった。
最後まで読んでいただきまして有難うございます。
挿絵の入ったバージョンもありますので、ご興味が有りましたらXにて紹介しております。