地質調査の旅⑨
耳を澄ませば、僅かに聞こえる洞窟に滴る雫の音。
心をかき乱すざわめきがなくなり、静寂が戦いの終焉を告げる。
「……みんなは……大丈夫でしょうか……」
言葉に力はなく、洞窟の闇に消えてゆく。
アイリスは立ち上がろうとするが、足の震えが力の均衡を乱してしまう。
静けさが耳に悪戯を始めたころ、遠くから聞こえるかすかな声――
「……リス……どこ…だ」
その声は自分の名前を呼んでいるように聞こえた。
「カイ……?」
この場に響くカイの声は、彼がすでにこの世の存在ではないと錯覚させるほど、幽玄に揺れていた。
「フフフ……あの状況で魔王が助けに来るなんて、私にもそんな夢見る心があったのですね。
私はもう死んでしまったから、寂しくないように大切なお守りを渡してくれたのですね……」
両手に伝わる確かなお守りの感触。
アイリスは静かに目を閉じ、黄泉の門を守る案内人を待った。
「アイリス無事か!」
目を閉じ祈るアイリスに、カイは急いで駆け寄り肩に手をかけた。
「魔族はどうなった!?」
アイリスの体を気遣いながら、奥の広間に視線を送る。
「な、なんだこれは!? 床が無くなっているじゃないか!!」
激しい惨状に、想像を絶する戦いがあったのだとカイは解釈した。
「………」
突然肩に手を置かれ、驚きのあまり目を見開くアイリス。
「お、おい、大丈夫か!?」
「………」
現実と夢が交錯し、言葉すらも頭に浮かばない。
心臓の鼓動だけが、現実を確かめようと高鳴った。
「やはり殺意にやられたか……仕方ない!」
カイは剣を背に納め、両腕でアイリスを抱きかかえると、出口に向かって走り始めた。
アイリスは走るカイの腕にゆすられ、少しずつ現実へと意識を戻されていく。
「……本物の……カイ?」
涙を滲ませながら、震える声で問いかけるアイリス。
「ああ、そうだ! 記憶障害は無いようだな!」
「………」
カイの口元にそっと手を伸ばし、頬を優しく撫でるアイリス。
そして――
――ギュウゥゥゥ!
「いててて!」
アイリスは渾身の力を込めて、カイの頬をつねった。
「ほ、本物なの!?」
「当たり前だ!
そもそも、自分の頬をつねらなきゃ夢かどうか判断できないだろう?」
カイは、戸惑うアイリスに怒っていいのか分からず、ぎこちない笑みで言い返した。
そんなカイを見て、また涙が止まらなくなってしまう。
「よく……助かって……うっ…うっ…」
「ああ、ミルシャが助けてくれたんだ。
だが、安心するのはここを出てからだ!」
「はい……」
「ルゥは無事だが、ミルシャは倒れて意識がない!」
「……え!?」
「理由は分からないが、俺に回復薬を飲ませた後、すぐに倒れてしまった」
アイリスは、手の中にある拡大鏡を握りしめ、あの時の魔王の姿を思い出した。
(全て現実……この拡大鏡を持ってきてくださったということは、私が渡していた時に傍にいてくださったのですか?)
見守っていてくれているという想いに、体が熱くなるものを感じ、失いかけていた生きる希望が湧き上がってくる。
「あそこだ! ……!?」
ルゥのところまで戻ってきたカイは、ミルシャとルゥが話しているのに驚いた。
「ミルシャ!」
「カイ! それに……アイリス!……よかった……」
ミルシャの前に、そっとアイリスを下ろすカイ。
無言のままアイリスに抱き着くミルシャ。
「おかえりなさい……帰ってきてくれて嬉しい……」
「心配させてしまいましたね」
「うん……戻ってきてくれたから……いい」
「はい」
「ついさっき目を覚ましたんだ」
二人を見ていたルゥが優しく話した。
「アイリス、これを飲んで」
ルゥは手にした小瓶を差し出す。
それは、ミルシャの意識と共に消滅したと思われた回復薬だった。
「どうやら、ミルシャは眠っていただけみたいなんだ。
カイが向かった後、しばらくしたら目を覚ましたよ」
「そうか、何よりだった」
アイリスはミルシャに寄り添いながら、ルゥから渡された回復薬を口にした。
すると、吐き気や頭痛、全身の痛みが消えていく。
戦いは三十分にも満たない僅かな時間だったが、四人にはとても長い戦いに感じていた。
ミルシャはアイリスに顔を埋め、決して泣き顔を見せない。
だが、その肩は小刻みに揺れていた。
「俺がアイリスと会った時には、もう魔族は居なかった。
あの殺意で逃げたのかもしれんが、いつまた襲われるとも限らない。
すぐにここを出て町へ行こう」
「うん、わかった……」
ミルシャは涙を見せないように顔を拭うと、アイリスから離れ立ち上がった。
「アイリス、立てる?」
「はい。 ミルシャの回復薬のおかげで、体に力がみなぎってきました」
「そっか、よかった」
アイリスはミルシャの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
――ピチャ
「ん?」
アイリスが立ち上がると、足で水溜まりを踏んだような音が洞窟に響いた。
「水?」
暗くて気づかなかったが、今までは無かった水が足元に小さな川を作っている。
「えっと……どういうこと?」
水はチョロチョロと流れていて、出口に向かってゆっくりと伸びていく。
「……あっ、わかりました!」
「な、なにを!?」
少し考え込んでいたアイリスが、パッと閃いたような表情になり、人差し指を立て言った。
「さきほど、私の精霊術で奥の広間の床が抜けたのです。
それで、滝の水が行き場を失って溜まり始めたのだと推測できます!」
「そうなんだ」
解明できてすっきりした顔をしているアイリスに、ホッとしたように笑みを返しているミルシャ。
そんな二人を見ながら、顔が青ざめているカイとルゥ。
「お、おい……もし滝がここだけじゃなく、あちこちにあったらどうなる?」
「ん?」
――ゴゴゴゴゴ……
カイの質問と同時に、遠くから不吉な音が近づいてくる。
「えーっと……」
四人は引きつった顔を見合わせ、音の方に振り返った。
洞窟全体が唸りを上げるように震えはじめる。
「に……逃げろっ!」
突然水位が増え始め、一瞬にして膝まで沈んでしまう。
水は獣のように牙を剥いて襲いかかってきた。
四人は大急ぎで、出口に向かって走り始めた――が、時すでに遅く、激しい濁流に四人は飲み込まれてしまった。
――ザアァァァ!
精霊術を考える間も与えない速度で水は流れ、四人を洞窟の外へと放り出してしまう。
それはまるで、山が体に溜まった異物を洗い流すようだった。
「な、なんなのよ、もうっ!」
外に出た四人は、入ってきた山の亀裂まで流されてしまったが、幅が広い空間に救われ、反対の壁に叩きつけられることなく止まることができた。
四人は無事に外へと脱出できた。
「とにかく、ここまで来ればもう安心だ。
だが、この低い場所はすぐに水が溜まるだろうから、急いで馬車まで戻って……」
――コツンッ!……ゴゴゴゴゴ!
何やら亀裂の上から落ちてくる小さな小石。 四人は恐る恐る上を見上げた。
小刻みに揺れる山は、その地響きを段々大きくしてゆく。
「ま、まさか!?」
「じょ、冗談じゃないぞ! 走れ!!」
突然降ってくる、大小さまざまな岩や石。
水流の振動が共鳴し合い、山の亀裂が崩れ始めた。
アイリスは咄嗟に精霊術で風を起こし、四人に降りかかる落石を吹き飛ばす。
「もう、いやぁぁぁ!」
悲鳴を上げつつ、一目散に逃げる四人。
縦に垂直に切れている亀裂は、一度崩れ始めると次々に剥がれ始め、激しい崩壊を始めた。
四人は必死に走り、亀裂の端まであと少しの所で、今度は左の岩盤が剥がれ倒れ始める。
「カイィィィ!」
「まかせろ!」
カイは精霊術で倒れてくる岩盤に、同じ質量の岩盤を生成し、三角形の形でギリギリ支えた。
「あと少しだ、飛び込めっ!」
四人はその岩盤の下を、全速力で駆け抜けた。
今にも潰れそうな岩盤下を通るのは、気が狂うほどに恐ろしい。
埃にまみれながら亀裂を駆け抜けると、そのまま森の中を走り抜けた。
来たときに作った道が、走るべき方向をはっきりと示している。
四人は雑草に足を取られながらも、来るときには六十分かかった深い森を、わずか十分で走り抜けた。
「はぁはぁはぁ……」
――ゴゴゴゴゴ――ドォォォォン!
森を抜けきった瞬間に、轟音と共に崩れはじめる山。
大地が悲鳴を上げるように、亀裂は激しい砂煙を巻き上げて閉ざされ、二つに割れていた山は一つとなっていく。
その光景は信じられないほどに恐ろしく、自然の恐怖を思い知らされる。
「……もう少し遅かったら、俺たち全員あの下敷きだったな……」
カイの言葉にゾッとする三人。
それ以上は誰も言葉が出なかった。
「馬車に戻ろう……」
「うん……」
力なく歩く四人。
地質調査は完遂できず、魔族に襲われたと報告しようにも、その証拠は山と共に崩れてしまった。
四人は何のために来たのか分からなくなり、体に残る疲労だけが、魔族との戦いが現実であったことを告げていた。
馬車を降りた場所に戻ってきたころには、日はすっかり落ち暗くなっていた。
そして四人はその場に立ち尽くしてしまう。
「馬車が……ない……」
今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




