地質調査の旅⑧
ガサガサという足音が耳障りに響き、目の前のアイリスに牙を鳴らし威嚇する魔族の群れ。
アイリスの姿を確認できない後方の魔族も、一緒に威嚇しているところを見ると、何かしらの意思疎通により、行動を共有していることがわかる。
本来であれば、全ての敵に情報が渡ってしまうと、直ぐに背後を取られ囲まれてしまう危険がある。
だが今回に限っては、その能力にアイリスは感謝した。
「これでしたら、私が生きて戦っているうちは、ミルシャの元に進むことは無いでしょう」
人ほどの知恵があれば、二手に分かれて敵を攻める考えも浮かぶが、常にアイリスに頭を向けていることから、複数の敵に対しての対処はできず、見えている敵に対して総攻撃の指令を出しているように見える。
アイリスは全速力で走ると、自分が通るのに邪魔な敵を剣で切り伏せ、他の敵はあえて素通りして、精霊の加護の攻撃に任せていた。
絶対防御は、加護が盾となるのではなく、その羽根の様に見えている風の塊が、アイリスに触ろうとする敵に飛んでいき、跡形もなく切り刻む。
真っすぐに走っているだけでも、その風の羽根は敵を倒し通路を確保するが、目の前の敵がズタズタになった時に、おぞましい血や臓器を浴びるのは考えたくもない。
そうならないように、正面の敵は逃さず切り倒していくアイリス。
(問題は加護の時間ですね……。
ルゥは滝についてしばらくしたら倒れました。
これは普段加護を使うよりも、とても短い時間です。
あの時、火の媒体はランタンの小さな灯火だけ……そう考えると、加護の時間は媒体となる元素の量でしょうか……。
となれば私も同じと考えるべきでしょう。
風の精霊使いは深緑の恵みから来る風ですから、ここの風では期待できません。
それに、ただ走っていたルゥと違い、こちらは戦いながらで進みが遅い……。
広間まで加護を解かずにいるのは危険すぎます)
アイリスは広間に到達する前に加護を解除することを決めた。
(広間の前、数十メートルは真っ直ぐな道になっていましたから、そこで加護を解いて、残りの通路にいる魔族を全て、広間に突風で押し出します!)
加護と同時に精霊術は使えず、風の突風を起こすには、道が真っすぐになったときに加護を解除して、精霊術を唱える必要があった。
それまでに加護が途切れないことを祈り、アイリスは体全体を使って、剣の舞を魔族に披露した。
「折角の剣舞を見ていただくのが、歓声をいただけない皆さんでは、とても残念です」
アイリスの剣舞は、風の囁き――二本の細き刃は流れる空気に寄り添い、舞うたびに世界は静かに息を呑む。
衣は風を抱き、優雅に揺れ、綿帽子が刃を避けるように彼女は攻撃をすり抜け、ただ美をその場に残す。
剣舞の装備は薄く儚く見えるが、その衣装を纏ってこその剣舞であり、アイリスの強さだった。
そして、見通せる場所へと辿り着くアイリス。
「……加護を消さねばなりません。 ……私、戻れるのでしょうか……」
脳裏によぎる不安と恐怖。
――パンッ!
「いいえ、前に進むだけです!」
アイリスは、震える両足を叩き、襲い掛かる恐怖を跳ね飛ばした。
「風よ――閉ざされた道を切り裂き、我が歩むべき運命を解き放て!」
加護を解除し、即座に精霊術を唱えたアイリス。
言葉は精霊術に必要な呪文ではないが、アイリス自身への決意のためだった。
精霊術は追い風を引き起こし、狭い洞窟を渦を巻きながら敵を切り裂き、一気に広間へ押しだそうとする。
おびただしい数の魔族は、風に押されて詰まり、出口で通路を閉塞させてしまう。
狭い洞窟は風の強い圧力により膨張し、魔物が出口を塞いでいることにより、風圧はどんどん上がっていった。
「多すぎて押し切れない!?」
アイリスは更に精霊術を重ね、魔族たちを広間に押し出そうとした。
――ボンッ! ズオオォォォ!!
「きゃあああ!」
詰まりに詰まった魔族が抜けた瞬間、圧縮された空気は一気に広間に流れ、その風速にアイリスは広間へと吸い込まれてしまった。
――ゴゴゴ……ドスーン……
突然の激しい地響きが洞窟を襲った。
アイリスは強い風に吸われ、魔族と共に一気に広間へと放り出されてしまう。
「――え?」
広間に投げ出されたアイリスは言葉を失った。
そこには叩きつけられるはずの地面がなく、最初には存在しなかった大きな穴が、全てを飲み込もうと口を開けていた。
吸い込まれた魔族ともども、穴へと落ちていくアイリス。
広間の下に空洞があることを知らず、強すぎる精霊術が広間の気圧を一気に上昇させ、脆い地盤を崩壊させてしまった。
精霊使いは空を飛ぶことができず、アイリスは穴に引き寄せられるままに落ちていく。
「ああ……こんなところで……」
走馬灯のように、静かに落ちゆく自分に諦めの言葉が漏れる。
たくさんの魔族が一緒に落ちている中、壁に張り付いている魔族が、今出てきた通路に入ろうとしているのが見えた。
「だめです! このままではミルシャ達の所に行ってしまいます!」
アイリスは、自分に対して強い風を起こし、穴の側面に向かって移動を試みた。
――ブオォォォッ! バンッ!
「ぐっ……」
精霊術を唱える余裕のなかったアイリスは、願いにも似た思いで精霊術を使ってしまう。
風の制御は効かず、乱暴に発生した風に体を押され、アイリスは壁へと叩きつけられてしまった。
「う……あ、息が……」
なんとかわずかに残った地面に戻れたが、体を強く叩きつけられてしまい息ができなくなってしまった。
そこに容赦なく魔族が襲いかかってくる。
――ズサッ!
アイリスは両手の剣を突き立て、魔族の頭を刺し倒した。
「はぁはぁはぁ……痛い……苦しい……」
もう、立ち上がることはできなかった。
床の崩落で散り散りに逃げていた魔族が、アイリスの居る場所に頭を向けた。
「……ここまでですね。
広間の天井を落とせれば、魔族たちを一網打尽にできるかと思ったのですが、床が抜けてしまったのでは、それも叶いません……」
アイリスは押し寄せてくる魔族を見て、最後の精霊術を唱えようと目を閉じた。
出口の壁に最大の精霊術を与え崩落させるために。
「ミルシャ……もし、拡大鏡に刻まれた家紋に気付いたら、どうか届けてください。
お母様から頂いた……大切な物なのです……」
静かに目を開け、当てるべき壁に手をかざし、最後の精霊術を唱えようとした。
――ズシンッ……ゴゴゴゴ……
突如として、見えぬ力が肌を焼くように走り、膝が激しく震えるアイリス。
「あ…あ…あ…」
激しい威圧に大地が低く唸り、胸の奥まで響く重圧――。
殺意などとは程遠い、魂を掴まれ喰われるような恐慌――。
アイリスは心を掴まれ、精霊術を唱えられなくなってしまった。
「嫌……嫌……怖い……あああ……」
耐えられない心の重圧に吐き気を感じ、激しい頭痛がアイリスを襲う。
――フッ
突然消える殺意。
アイリスは恐怖に飲み込まれ、虚ろな目で敵の気配をたどる。
(私の後ろに誰か……)
振り返ることすらできず、過ぎゆく時間すら止まって感じる。
放心状態となってしまったアイリスは、辺りの異変に気付かなかった。
さっきまで居たおびただしいほどの魔族が、その姿を忽然と消していた。
――コッ…コッ…コッ
足音がアイリスの真後ろまで来て止まる。
アイリスは、何かに体を囚われてしまったように、ゆっくりと体の向きを変え顔を上げた。
「あ……あ……」
あまりの恐ろしさに声が出ない。
そこに立っていたのは、赤く光る瞳に、吊り上がった鋭い目。
背中いっぱいに広がる長い赤い髪に、薄いロングドレス。
そして、頭部から出ている漆黒の二本の角。
それは文献のみで語られる『魔人族』そのものだった。
「魔王……」
その姿に、思うままの言葉がアイリスの口から発せられる。
魔人族は、何かを握った右手を、アイリスの前に差し出した。
アイリスは震える両手を差し出し、魔人族の手から受け取る。
「……これは、私の拡大鏡!?」
手にした物を見て驚くアイリス。
それは紛れもなく、ミルシャに渡したはずの拡大鏡だった。
「どうしてこれを――!?」
魔人族に聞こうと顔を上げたアイリスだったが、もう魔人族の姿はどこにもなかった。
辺りを振り返り魔人族の姿を探すアイリス。
その時はじめて魔族が居ないことに気付いた。
「……助けてくださったのですか?」
アイリスは拡大鏡を握りしめると、大粒の涙が頬を濡らした。
「……怖かった……死にたくなかった……旅を続けたかった……
……ありがとうございます……ありがとうございます……うっ……うっ……」
静寂を取り戻した洞窟に、アイリスの想いが木霊した。
今回も最後までご覧いただき、心より感謝申し上げます。
風の便りのような気まぐれな更新を、そっと見守っていただけますと嬉しいです。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




