精霊の加護⑦
突然立ち上がった水柱は、広範囲に波紋を広げ、ミルシャたちの足元にまで、小さな波を届かせた。
水柱はすぐに流れ落ちて、その場に同じ高さの生き物が現れた。
「あれ何? 蛇?」
ミルシャが手をおでこにあて、遠くを見るように細目で呟いた。
「ウナギ……かもしれないね」
「うそっ! 大きい~っ!
晩御飯のおかず、ご近所様にいっぱい配れるね!」
人の三倍もあれば十分大きいが、水面に出ている長さから考えると、目の前のウナギはあり得ない長さということになる。
それをおかずと断定しているミルシャに、ルゥは立ち眩みを感じていた。
「ど、どうするのですか?」
『まさか戦いませんよね?』という言葉を飲み込み、恐る恐るゼルに聞いた。
「そうだね、どうしようか。
あの巨大ウナギが現れたのは、間違いなくルゥの火の玉の威力がすごかったからだね。
自分のものにできれば、最高の護身術になるぞ!」
「そ、そうですか?
それは嬉しい……、じゃなくてっ!」
的外れな返事を返すゼルに、嫌な予感が増すばかりのルゥ。
「幸い大ウナギは、何があったのか分かっていない様子だから、こちらに気づく前に行動を起こそう」
「そうですよね……、ここは一刻も早くここから離れて……」
「ミルシャ、どうする?」
「もちろんっ!」
「えっ?」
ルゥの話は耳に入っていないゼルは、ミルシャに何か確認をしていて、その問いに即答している。
ミルシャはスカートの裾を掴むと、ふわっとまくり上げ、左右の足に付けている短剣をみんなに見せた。
普段から護身用に持ち歩いている短剣で、二本の短剣を両手で構え戦う、双短剣士用の武器だった。
師匠はゼルで、精霊使いの覚醒と共に、必要になると予想して教え込んでいた。
手先の器用なミルシャは、すぐに短剣を使いこなし、ゼルと剣を交えられるほどになっていた。
用意周到な自分を褒めてほしくて、スカートをめくったまま、得意げに胸を張るミルシャの顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「あらあら、ミルシャったら、とっても大胆ねっ!」
「……え?」
レリーナがクスクスと笑いながら、さっきから目のやり場に困っているルゥを見た。
「え? ……きゃあ! 見ないでぇ!」
――ドンッ!
ずっとルゥに見せていたことに気付き、慌ててスカートを下げると、その勢いのままルゥを力任せに押した。
「うわっ!」
――ドボーン!
ルゥは目をそらして立っていたために、突然ミルシャに押され体勢を崩し、そのまま湖へと落ちてしまった。
「きゃあー! ご、ごめんなさいっ!」
落ちた場所は浅く、倒れた状態でも腰まで水につかる程度だった。
ミルシャは慌てて手を差し伸べ、ルゥの手を取ると岸へと引っ張り上げた。
「いや、いいよ。 どうせ濡れていたし、気にしなくていいから」
「本当にごめんなさい……」
ルゥは笑顔を見せながら、申し訳なさそうなミルシャを励ました。
「打ち解けたところすまないが、こちらに気づいてしまったようだよ?」
二人が話していると、湖を見たままのゼルが言った。
ミルシャとルゥが振り返ると、そこには、こちらに気づいた大ウナギが、凄い速度で泳ぎ向かってきていた。
「どうするのですか!?」
「岸に居るこちらに向かってくるのだから、地上でも蛇のように動けると考えた方がいい。
陸の上の方がこちらに有利にも思えるが、泳ぐ必要のなくなった尻尾で、どう攻撃してくるか見当もつかない。
だからといって、このまま放置して逃げるのは、他人を巻き込みかねない」
「うふふ……」
ミルシャは笑いながら、さっき見せていた足の短剣を鞘から抜き、急いで短剣の柄についているリングに、両手の人差し指を通した。
そして、両手首をぐるぐると回して準備運動すると、短剣を手から離し、道糸を使って体全体で振り回し始めた。
短剣は軽く、力のないミルシャでも扱いやすいが、剣身が短く、普通の剣を持つ相手には分が悪い。
その対策としてゼルが考案したのが、道糸で伸び縮みする短剣術だった。
構造はシンプルで、短剣の柄に自動糸巻きが仕込んであり、糸巻きの反発力で、振っているときは離れていて、何もしないと手元に戻ってくる仕組み。
この道糸のおかげで、剣士相手でも間合いで不利になることがなくなった。
「ミルシャ。 大ウナギの攻撃はわからないから、間合いを取って様子を見るんだ」
「はぁい!」
「一人で戦わせるのですか!?」
「ミルシャの戦い方を見ているといい」
「そんな!」
「じゃ、いってきま~す!」
ルゥの心配をよそに走り出すミルシャ。
その方向はまっすぐ湖に向かっていて、止まる気配もなく加速していった。
「ミルシャ! 何をするつもりなんだ!」
「これが『水の精霊使い』の――いや、ミルシャの戦い方だ」
「戦い方って……」
大ウナギ相手に水中で戦いを挑むつもりなのか、走ったままなんの躊躇もなく湖へジャンプしてしまった。
「ミルシャ!」
青ざめるルゥの肩に手をのせるゼル。
「さっき、色々と応用ができると言ったこと、覚えているかい?」
「え?」
ミルシャの足が水面に触れるたび、彼女の体を押し上げる。
湖は彼女の舞台となり、精霊術が奏でるリズムに合わせて、軽やかに駆け抜けていく。
「一体……どういうことですか?」
「『水上歩行』とミルシャは命名していてね。
足の着地している水面に、水中から水を回転させて、足を押し上げているんだ」
「!?」
「何もしなければ当然沈んでしまうが、水を回転させることで浮力を発生させている。
簡単に言えば、細く噴き出している噴水の上に立っているような感じだね」
「すごい……」
「でも、私には無理でね。 ミルシャだけが使える精霊術なんだ。
体が重いからなのか、ミルシャの精霊術のセンスが優れているのか。
同じ現象は起こせても、私は水面の上に立っていられない」
「それでも一人で、大丈夫なのでしょうか……」
水上歩行は理解できたルゥだったが、ミルシャが一人で戦うことには変わらず、嫌な予感が頭をよぎった。
ミルシャは、まっすぐに大ウナギの元には向かわず、大きく左に弧を描いて近づいて行った。
すると、大ウナギはミルシャに向きを変えて泳ぎ、双方が弧を描くように接近していく。
ミルシャは迂回しているが、大ウナギは常にまっすぐにミルシャに向いているため、背後を取るのは難しい。
「背中は見せてくれないね。
お父さんの方に向かってくれていれば、背後に回り込めたけど。
まあ、背中に短剣が刺さるとも思えないな」
ミルシャは短剣の道糸が届く位置まで迂回を続ける。
そして、その時がきた瞬間に、膝を大きく曲げしゃがみ込むと、体の向きは変えずに後方に飛んだ。
陸上で後ろに飛んでも見失うほどではないが、ミルシャは水上歩行の術を利用して、後方に飛ぶ瞬間に水の圧力を上げた。
大ウナギは、その瞬時の方向転換に目がついていかず、ミルシャがその場から消えたように錯覚する。
どこに行ったのかわからない大ウナギは、泳ぐのをやめてミルシャの姿を追おうとした。
「そこっ!」
隙を見せた大ウナギの真横から短剣が伸びてきて、大きな頭を剣身がかすめた。
「うっそ! 刺さらないの!?」
刺さらなかったことに驚くミルシャ。
狙いは頭であり、間違いなく頭に短剣が刺さるはずだった。
だが、短剣は頭を少しへこませただけで、まるで氷の上を滑るように、角度を変えて短剣は弾かれてしまった。
ミルシャは短剣を手元に戻すと、浮かせている水圧を強め、後方に大きく飛んで後退し距離を取った。
「皮膚が硬くて短剣が通らないのもあるけど、相当ヌルヌルしているわね」
手元に戻した短剣を見て、粘液で物理攻撃を滑らせているのがわかった。
「あの膜が、鱗のような役割をしているのかな。
困ったなぁ~、どうしよう」
ひとまず距離を取ろうと、湖の中央に向かって走るミルシャ。
怒った大ウナギがミルシャを追いかけるが、水上歩行からの反発力を利用するミルシャの走りは、地上よりも軽やかで速く移動でき、大ウナギに追いつかれることはなかった。
「まっすぐに刺しにいった短剣が通らないんだから、あたしの力で斬るのはもっと無理よね。
それじゃ、あれやってみようかな?」
そう呟くと走るのをやめて、その場にとどまり、短剣を指から外して鞘に納めた。
そして、大ウナギを目前に引き寄せると、一気に水上歩行の水圧を上げて、自分の体を高く浮かした。
ミルシャは水上歩行を解除し、その場で一瞬の浮遊状態となった。
空中に浮かぶミルシャの手から、水がリング状の円を描いて広がる。
その輪は回転しながら薄く鋭く変化し、まるで月光を纏った刃のように煌めいた。
ミルシャが『水輪刃』と名付けたこの技は、投擲で敵を切り裂く技だった。
「いっけー!」
その水でできた刃を、真下に居る大ウナギに向かって全て投げ落とした。
大ウナギは回転する水の輪に、体を切り裂かれていく。
ミルシャは、苦しむ大ウナギの背を蹴って、背後の水面に着地した。
「う~ん、空中だと正確に狙えないなぁ」
精霊術は、同時に二つの術を維持することができない。
仕方なく上空に体を飛ばして浮遊状態にし、精霊術の水上歩行を解除してから、不安定な体勢ながらも、鋭く水輪刃を投げ放った。
陸上では百発百中の命中率も、空中では狙いがぶれ、頭には一発も命中しなかった。
水輪刃の術は高度な集中力を要するため、空中で姿勢を意識している状態では、制御が難しかった。
「これはもう、お父さんに助けてもらうしかないわ」
そういうと、ゼルのいる岸に向かって走り始めようと、背を向けた次の瞬間。
――ザバァーン!
「あ、しまっ……」
水面が激しく弾け、衝撃が足元から突き上げた。
それは大ウナギの尻尾による攻撃で、今までは泳いでいたことで尻尾の攻撃はしてこなかったが、ミルシャの水輪刃により水面にとどまったことで、ミルシャの隙を見逃さず尻尾で弾き飛ばした。
ミルシャは大ウナギの長さを、誤認してしまっていた。
ミルシャの体は宙に舞い、空と湖の狭間で、時が息を潜めたように彼女は空中に止まった。
「あれ……あたし、どうなっているんだろう……」
強烈な衝撃に意識を失いそうになるミルシャ。
雲の上にいるような、重さを忘れた感覚が彼女を優しく包む。
だが次の瞬間、重力が彼女を引き戻し、世界は再び音を取り戻した。
「ミルシャァッ!」
水面が目前に迫り、彼女の体が叩きつけられる寸前、ゼルの叫びが空気を切り裂いた。
最後まで読んでいただきまして有難うございます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




