始まりの夢①
(ここは・・・?)
(ああ・・・ここはいつも見る・・・草原の夢・・・
柔らかな若草のベッド・・・暖かな日差し・・・頬を撫でる柔らかな風はヒンヤリ冷たく、日に当たる体の火照りを優しく気遣ってくれている・・・
とても心地いい・・・)
(そして・・・)
『・・・いつか・・・きっと・・・また合える・・・』
(そう、どこからか聞こえるとぎれとぎれの言葉・・・優しく暖かい・・・なのに寂しそうな声・・・
あたしはその声に問い掛けたい・・・なのに、いつも・・・)
『今は・・・ゆっくりと・・・おやす・な・い・・・』
(ああ・・・待って・・・あなたは・・・誰?)
静かに薄れゆく意識と、声にならない想い・・・
母に抱かれ眠る子供の様に、心安らぐ微睡みに身を包まれ・・・スッと想いが途切れていく・・・
--- チチチチ チュンチュン・・・
小鳥の目覚ましが一日の始まりを告げ、朝の日差しに温もりを感じ細くした瞼を窓に向ける。
ベッド越しに白く揺れるレースのカーテンが少女の頬を優しく撫でている。
暫くは動けず風に踊るカーテンを静かに見つめる少女。
「昨日暑かったから、窓開けっ放しで寝てしまったのね・・・」
一人呟き、少女はベッドから上半身を起し寝起きの乱れた髪を触る。
「久しぶりに見たな・・・あの夢。
見なくなったの何時の頃からだろう・・・ああ、学院を卒業してから一度も見てないわね。
もう卒業してから三年か・・・
皆と分かれた寂しさ紛らわすのに、毎日何も考えずに走り続けてきたからかな・・・」
少女は机の上に置かれた髪結いの2本の黒いリボンを見つめる。
それは椿の刺繍を施した不思議なリボン。その生地はシルクがほのめく光の様に揺らぎ、夜空に瞬く星の様に不思議な虹色を奏でている。
幾多の宝石アクセサリーよりも目を引く美しさを纏わせていた。
「でも・・・」
小刻みに震える少女・・・
「・・・ねっ!
気持ち良く吸い込まれた眠りの後に直ぐ起こされるなんて、たまったもんじゃないわ~~~!
起きる間際にこんな安らかな夢見せるんじゃないわよっ!」
唐突両手を上げると奇声にも似た大声を出し、その声は窓の外にある大通りを歩く罪の無い人の心を混乱させた。
突然声だけ降り注ぐのだから男性の誰もが自分の事と勘違いし、動転しながら傍にいる女性に慌てて謝っている。
謝られている側の女性達も動揺を隠せず、暫くの混乱が道行く人の心を惑わした。
しかし、それと知らぬ少女は・・・
「はぁ・・・」
振り上げた両手を静かに下げつつ大きなため息をつく。
窓からの優しい風に押され体の向きを変えると、ベッドから両足を床に下し、いつもの場所にある履物に足を入れ静かに立ち上がると、出入口の近くにある姿見の前へと進んだ。
少女は寝間着を脱ぎドレッサーの椅子に掛けると、傍に畳んであった黒のお気に入りワンピースを手に取り着なれた手つきで身に着ける。
更に隣に畳んであるエプロンを手にとり解くと、頭から太目の紐を通し腰の後ろで大きく結んだ。
そして最後に綺麗な光沢を放つ黒いリボンを手に持ち寂し気に見つめる。
「皆、元気にしているかな・・・」
一言呟き暫く見つめていたが、急に頭を振ると手にしたリボンを口にくわえ、ブラシを片手に長い少し癖のある金髪を丁寧に纏め虹色を奏でるリボンで留める。
普段から着け慣れているのか、すぐに左右に二つ纏まりボリュームのあるツインテールが完成した。
「これでよしっ! っと」
鏡に映る自分にポーズを取りウインクすると、元気よく部屋を出て行った。
--- グツグツ・・・トントン・・・カチャ・・・
少女が廊下に出ると少し離れた角からお決まりの朝のリズムと、廊下全体に広がった焼きたてパンの香り、それに甘いスープの香りが起きて間もない少女の唇に笑みを与える。
「お母さん! おっはよ~~!」
そこに居るであろう母親に気付かれるようワザと軽快な足音を立て、ヒョコっとキッチンに顔を出し笑顔一杯に挨拶をした。
「おはよう、ミルシャ。 今日はとっても調子よさそうね!」
朝食の準備を終えた母が、いつも最後に淹れるハーブティーをカップに注ぎながら、貰った笑顔を一杯にして返すように朝の挨拶を投げかけてきた。
「うんっ! なんだか体が軽いの! わかる?」
そう答えながら洗顔をさっさと終わらせる少女。
「ええ、もちろん! 貴方の朝の発声練習久しぶりに聞いたんだもの。
何故かあの声を聞くと安心するのよ」
「あっ!?」
この家は3階建て。 それが大通りにまで聞こえる声だったのだから、キッチンに聞こえないはずが無い。
「えへへへ・・・。 いただきまぁ~す!」
ミルシャと呼ばれる少女は顔を赤面しながら、いつもの自分の椅子を引き静かに座り、満面の笑みで焼きたてのパンを頬張った。
「でも不思議よね。 ミルシャは寝不足になる夢だから嫌だっていつも言うのに、どう診ても何時もより健康そのもの。
どうなっているのかしらね?」
「自分でもそう思う~。
今回もそうだったけど、何か心に響く話があると見る気がするのよね~」
入れたての紅茶をミルシャの前に滑らせ、母はもう一人の足音に気付きティーポットへと手をかける。
「ほう? 何か気がかりな話でも有ったのかい?」
「お父さん! おはようっ!」
突然の問い掛けに振り向きながら挨拶をするミルシャ。 声を掛けられる前から気配に気付いていた事もあり驚く事は無く、母にプレゼントした笑顔を父にも余す事無くプレゼントする。
「ああ、おはよう」
父は第一ボタンを外した状態でネクタイを緩く縛り、手にした白衣を椅子の背もたれに掛けると、スッと滑り込むように椅子へと腰かけた。
それに合わせる様に紅茶を父の前に滑らせる母に微笑みを返す父。
「ありがとう」
お礼の言葉に微笑み返すと、母も自分の席へと座り二人のやり取りに耳を傾けた。
父は職業がら体調に対してはとても敏感で、このルーファス王国の王都でも指折りの薬医師だった。
薬医師とは主に薬の調剤と、その薬で完治が見込まれる範囲内での診察が認められている職業。
外傷に対しては軽い裂傷程度までは可能だが、骨折や手術が必要となる怪我は治療師の領域と定められている。
母もまた薬医師であり夫婦で薬医院を開院していて、母は主に薬の調剤を専門としていた。
そして、その娘であるミルシャもまた両親から手厚く薬医師の教育を受け、学院を見事な成績で卒業し薬医師としての資格を立派に得ている・・・のだが、薬医院の方は他に助手が居ることもあり、本人は学院卒業後独学で裁縫師の勉強をし、僅か一年で資格を得て薬医院の隣に自分のアトリエを構えていた。
両親も裁縫師になる事は反対せず、急患の場合は手伝う事をお願いしつつ、進んで娘の為にアトリエを建ててあげていた。
「昨日、ヘルパーギルドで無茶な依頼が有ってね・・・」
「ほぅ、それは興味深いね。 話せる内容かな?」
ため息交じりに話すミルシャに熱心に問いかける父。
「うん。 でも、最初リーダーが口頭で受けた話だけでメンバー集めたから、きちんと依頼書を見たわけじゃないのよね。
それが了承できない内容だったから差し戻しちっゃたし・・・」
「それなのに気になって発声練習する程の話だったという事なのかい?」
「グホッ!」
あわや口にした美味しいスープを吐き出しそうになり、その頬を再び赤くしてしまうミルシャ。
慌てて口をハンカチで拭うと、美味しい紅茶を一口飲みゆっくりと話し始める。
「実はね・・・」
赤面した顔を右手でパタパタ仰ぎながら、昨日ヘルパーギルドであった事を話始めるミルシャだった。
最後まで読んでいただきまして有難うございます。
挿絵の入ったバージョンもXにて紹介しております。
@Ocarina_Quartet