四 夜の底を歩く
夜の雨が、東京のアスファルトを冷たく叩いている。逃亡生活四日目。誠と悠真は、人気のないビルの軒下で身を寄せていた。
もう今更学校にも家にも帰れない。息をひそめ、冷たいパンを分け合いながら、ふたりは自分が「世界の除け者」になったことを実感していた。
「なあ、どうする? このままじゃ、金が尽きるぞ」
悠真が声をひそめる。彼の服はすでに泥だらけだった。それでも、力強さだけは失っていない。
誠は小さくうなずく。「今日のパトロールは夜十一時に薄くなる。その隙をついて西側の古い市場まで行って仕事を探す」
悠真は「やっぱ、おまえは頭が回るよな」と笑う。誠は「体力だけのやつよりマシだろ」と返し、ふっと一瞬だけ二人の間で空気が抜けた。
どんな境遇に落ちても、ふたりで支え合えれば、どんな寒さも痛みも乗り越えられるような気さえしていた。
夜が更け、路地裏を抜けると、裏社会の“におい”がより濃くなった。
闇市で働く老人。「やめとけ、外で眠るのは危険だぞ、ガキども」と、缶コーヒーを投げてよこす。ただの善意とは思えない温度の言葉に、二人は当然ながら「何者だ?」と警戒心を持った。
だが誠にも悠真にも、もう生きるための選択肢がなかった。
「仕事がある。荷物を運ぶだけだ、ただし住所も名前も何も聞くな。知ろうとすれば消される。それでいいなら受け取れ」
男が差し出した封筒。報酬は今夜の食費と明日の寝床がどうにかなる程度。明らかにヤバい匂いがするが、背に腹は代えられなかった。
「おれ、やっぱ体力だけがとりえかな」
悠真が封筒をリュックに差し込む。「おまえはどうやって、こういう場所で強くいられるんだ?」
誠がそう言えば、悠真はどこか遠くを見るようにして答えた。
「いまこの状況で、弱いままでいるほうが、こわい。今は考えるより動いたほうがいいんだ」
そんな二人のすぐ近くの路地裏から、裏社会の噂が流れてくる。
「最近、関西最大の極道一家、夜凪組が動きを見せたらしい。若頭の夜凪楓って奴はまだ高校生なのに、裏社会でものすごい切れ者らしい――」
「顔は穏やかだけど、何考えてるかわかんねぇ。目だけが、まるで全部を見透かしてるみたいなんだと」
「しっかし、なんで関西のが東京に?」
聞きながら、誠はどこかでその名前にひっかかりを覚える。しかし今の自分には関係ない世界――そう割り切った。
日が変わり、二人は深夜の倉庫街で、中身の分からない重たい箱を抱えて歩く仕事を始めた。誠はマップアプリの古いデータや間取り図を頭にたたき込み、壁際を進み、警備カメラの死角を瞬時に判断する。悠真は力自慢の大人にも引けを取らない体格と勢いで、危険な現場で運搬の主役となる。
それでも、彼らは“ただの犯罪者”にはなりたくなかった。
しかし今の自分達に出来ることなど限られている。この世界は糞だ。正義なんて、ありはしない。家族は自分達の正義で守らなければならない。
誠は「頭で勝つ」、悠真は「前に出る」――二人だけの最強タッグは、互いの限界を超えて力を発揮することができた。
夜が明けると、報酬はほんのわずかだったが、二人にとっては「社会に負けなかった」勲章のように思えた。
だが裏社会の不条理も、じわりと近づいてくる。
昼寝をした公園で、ホームレスたちが囁きあう。
「東京の裏側は、もう昔と違う。昔以上に腐ってる。だから関西の怖いもんたちが動いたんだ」
「夜凪組の若頭、夜凪楓――直接見たやつはいないけど、そいつが動くと状況がひっくり返るそうだ」
誠は無意識に、そんな噂でしか知らない夜凪楓に僅かに嫉妬していた。それだけ噂される程の実力者なら、守れないものなど無いだろうと。
しかし自分が未だに母と父との温かく幸せな家族の時間に未練があるなど思いたくなかった誠は、そんな感情には気付く前に蓋をした。
そして夜になると、彼らは小声で語り合った。
「誠、もう後戻りできねぇな。もし明日、突然捕まっても、おれは後悔しない」
「死ぬ気でやってみるしかない。おれたちは絶対自分たちの居場所を作ってやる」
ふたりは、夜の隙間で笑い合う。
次第に、裏社会の仕事は危険度を高めていく。二人に目をつける輩も現れ始めた。便利屋や手下のような仕事も「こいつら、筋がいいな」とささやかれ出す。
裏路地のバイク便、無許可のマーケット、違法な倉庫作業。警官の気配がすれば誠が進路を決め、追われると悠真が全速力で切り抜ける。高級車強盗で悠真が運転、誠が指示出しなんてした時は最高だった。思ったより悠真がスピードを出すものだから、次第にパトカーも追い付けず風さえ置き去りにして、夜空をバックに流れ星のように駆けた。それには指示出ししていた誠も笑い、二人で笑い合いながら束の間のドライブを楽しんだ。
ある時は喧嘩をしかけられそうになったが、誠が機転を利かせていち早く逃走路を作り出し、悠真が身体を張って相手をひるませた。
日に日に、二人の息はぴったりとあう。いつしか二人は夜を疾走する者「NIGHTLINE」と呼ばれるように。
「NIGHTLINEだって。俺ら、なんか最強タッグっぽくね?」
悠真が照れくさそうに言うと、誠は真剣な顔で「その通りだ」と答えた。
そんな夜、ふとしたタイミングで荷物渡しの口を紹介された際、その“荷”が警察か、もしくはもっとヤバい組織に狙われていると感づいた。
「悠真、こっちの裏路地抜けろ――番号八番の倉庫の先だ。向こうは張ってる、移動ルート変更」
「はいはい、参謀さまの言う通り!」
苦しい中でも、確実に自分たちの「強さ」「生き方」を掴み取ろうとしていた。
夜の東京で、ふたりきり。金も家も未来もない。
ただ、「自分に恥じない生き方」と、「相棒を絶対に見捨てない」という約束だけが、かすかな灯火になった。
そして今日もどこか遠くで、誰にも見つからぬように夜凪楓という若き“怪物”の視線が、ほんの一瞬だけ彼らの運命の線が指す先を確かめたような気がした。険しい闇に、必ず光が差すとただ信じて。