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NIGHTLINE  作者: 高嶺玲
18/20

十八 小さな約束


 雨はすっかり上がり、柔らかな夜風がアパートの壁を撫でていた。誠と悠真、紗希、そして新しく加わった仔猫。家の灯りは淡いけれど、その光は確かに家族の輪郭を映し出していた。


 いつものように食事を終えたあと、紗希は仔猫の名を考えていた。


「名前、どうしよう……」


「好きに付けりゃいいさ」悠真が、おすすめの名前を真顔でいくつか並べる。

「ボスとか、タイガーとかどうだ」

「かわいそうだろそりゃ」誠が吹き出す。


 紗希は静かに仔猫を抱き上げ、小さな顔をのぞきこんだ。その毛並はまだところどころ汚れているが、瞳は不思議なほど澄んでいた。


「……ミルク、ってどうかな。白いし……」


 紗希がそうつぶやけば、ちいさく「にゃあ」と声がした。

「おお、猫様も納得だとよ」悠真が言う。


 三人と一匹の新しい夜が、静かに始まった。


 翌日、誠は朝早くから出かけていた。休日でも油断はできない。町の一角で、闇に引きずりこまれそうな子どもたちがいるという話を耳にしたからだ。


 悠真は紗希と仔猫のミルクの面倒を見ていた。


 「おいミルクー、こっちだこっち」


 紐を作って振ってやると、ミルクは見事な身のこなしで飛びつく。

 紗希はそれを見て、ほんの少しだけ家の扉を開く勇気を持てた。


 昼下がり。

 縁側に腰かけ、紗希は言った。「……昨日、りりかさんが教えてくれたの。誰かをちょっとだけ助ける勇気があれば、世界が変わるかもしれないって」


 悠真はそれを茶化さず、まっすぐに紗希の顔を見た。


「確かにな。俺も誠も、頭良くねえし、昔みたいになんでもぶっ壊してれば楽だった。でも今は、お前がいるから踏みとどまれる」


 紗希はうつむき、猫の背中を撫でる。


 その日、家の扉の前で、小さな泣き声がした。

 近所の女の子が、転んで膝をすりむいて泣いていた。

 紗希はミルクを腕に抱いたまま、おそるおそる扉の外に出た。


「大丈夫、痛い?」


 女の子はだまって涙をぬぐい、紗希の姿を見ると表情が和らいだ。

 紗希はポケットからハンカチを取り出し、女の子の膝をやさしく拭いた。


「この子はね、ミルク。昨日、わたしのところに来てくれたの」


 女の子は興味津々で仔猫を撫でる。


「ありがとう……お姉ちゃん」


 小さな言葉が、紗希の胸をあたためた。

 ふいに背後から悠真の声。「紗希、やるじゃねーか」

 紗希は顔を赤らめて、でも、はっきりとうなずいた。


 夕暮れどき、誠は戻ってきた。掌には飴玉がいくつか。それは今日、町の子どもたちからお礼にと貰ったものだった。


「お、町のヒーロー様お帰り」悠真が声をかける。

「悪かったな。暇そうだな」

「紗希が初めて、近所の子を助けたぞ」


 冗談めかした悠真の報告に、誠は一瞬驚き、すぐに紗希の頭を撫でた。


「無理しすぎんな。だけど……お前も、もう立派な“みんなの仲間”だな」


 紗希は照れくさそうに「うん」と頷き、ミルクを抱きしめた。

 こうして少しずつ、家の中と外の境界線が消えていく気がした。

 夜、晩ご飯を囲みながら、三人と一匹は、どこか高揚した気持ちで笑いあっていた。


「紗希、次は家の前の公園まで冒険してみろよ」悠真が言えば、「まだ少し怖いけど何かあったら守ってくれるでしょ?」と紗希が返す。


「当たり前」


 誠も、そのやりとりを静かに見守る。

 食後、ふいに携帯が鳴る。楓からだった。


「誠。どうだ、変わりはないか?」

「何もないっす。みんな元気です。それだけで十分です」


 電話の向こうで楓が笑う。「名前が広がった分、厄介事も増える。だけど、お前らみたいな奴らが一人でもいる限り、この町はきっと転がり落ちないよ」

「守りたいもんがあるから、俺らはやめませんよ」

「……それが“お前が選んだ正義”ってやつだな」


 通話は短く、でもどこか温かかった。

 紗希はその会話を聞きながら、家族とは何か、居場所とは何かを自分なりに考えていた。


 夜、布団の中で紗希はミルクを抱いたまま、兄たちにそっと尋ねた。


「お兄ちゃんたちは、こわくないの……? こんな風に世の中に名前が広がって、戻れなくなるの……」


 誠は静かに答える。


「怖くないわけない。でも、“ここ”がある限り、どう生きたって怖さよりも大事なもんができたんだ」


 悠真も、膝を立てて天井を見上げた。


「俺たちはもう、前にも後ろにも進むしかねーんだよ。けど、お前の笑顔見てりゃ間違ってなかったって思える」


 紗希は小さく微笑みながら、ぽつりとつぶやいた。


「私も、ここで生きてみたい。もっと誰かの役に立てるように」


 誠は手を伸ばし、紗希の頭を包み込む。


「あぁ、約束しよう。俺たち家族にならきっとできるさ。俺も悠真も、お前がいたからここまでこれた。お前の一歩が、誰かを助けることになる」


 三人と一匹の夜は、春の微かな風を感じながら、ゆっくり流れていった。

 朝が来る。ミルクは紗希の足元で小さく丸まり、柔らかく寝息を立てている。

 誠と悠真は、それぞれ今日も町へ出かけ、時に声をかけ、時に小さな事件から誰かを救う。


 紗希は、昨日出会った女の子の涙を思い出しながら、“自分にもできること”を探してソワソワしていた。

 ガラクタだらけの家で、紗希はりりかのような強い女の子に憧れて、桜色のリボンを探し始める。


 小さな家、ささやかな家族――そして、守るべきものがあることが、紗希を今日も強くした。


 町のざわめきと猫の鳴き声。

 事件が去った今も、三人と一匹の冒険は静かに続いていく。

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