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NIGHTLINE  作者: 高嶺玲
12/20

十二 勇気と日常と、その裏


 夜明け前のアパート。

 薄紅色のカーテン越しに差し込む朝日が、三つの寝顔を優しく照らしていた。

 前は、紗希だけが隅っこで小さくなって眠っていたが、今では誠と悠真――二人の兄の間で、安心しきった顔を見せている。


 目覚ましのアラームが鳴ると、紗希がもぞもぞと布団から顔を出した。「…おはよう」

 眠そうな顔でそう言う彼女の声は、なんだか毎日少しずつ、柔らかさを増している。


「よし、今日は俺が朝飯だな。パンかご飯どっちがいい?」悠真が台所で張り切って声をかけた。

 紗希が「うーん…ちいさいパン」と少し考えて答え、誠が「朝はしっかり食べろよ」と笑う。

 こんな当たり前のやりとりすら、この家族にとっては宝物だった。


 紗希にとっても新しい日常が、本当に“日常”として染み込んできた気がした。


 *


 この日の昼下がり――誠たちは紗希の手をひいて、スーパーに買い物に出かける。

 かつては周囲の視線を気にしてばかりだった紗希も、今は手を離そうとしない。


「これ欲しい……」


 指差すのはちょっと高い菓子パン。誠は「今月ピンチだけど……特別だな」と苦笑いしながらカゴに入れる。

 レジを出た後、紗希が小さな声で「ありがとう」と言う。その言葉に、胸が誠と悠真の心がふわりと温かくなる。


 商店街には秋の風が吹いていた。

 軒先で走り回る小さな子どもたちの姿を、紗希がじっと見つめている。


「……羨ましい?」と誠が尋ねる。

 紗希はふるふると首を振る。「ううん。わたし……もう、寂しくないから。わたし……あのね、紗希はね!お兄ちゃんが一緒だから寂しくないよ!」


 勇気を出して振り絞った声は紗希の感情が乗り、いつもよりも大きくて真っ直ぐだった。

 誠と悠真の胸に、じわっと何かが染み込んだ。「そっか。ありがとう、兄ちゃんに名前を教えてくれて」

 以前の紗希では、きっと言えなかったであろう言葉だ。


 *


 帰宅後、みんなでカレーを作った。

 悠真も加わって「ああー、玉ねぎ辛い!」と涙をこらえながら笑い合い、紗希が人参を星型に切ってくれる。


 そうしてカレーが出来上がってテーブルを囲む。


「お兄ちゃんたちと一緒に食べるの、一番好き」

 

 紗希のその言葉は、彼女にとっても、小さな決意の発露だった。


 だが、その日の夜。

 貧しいながらもあたたかな日々は、静かに波立ち始める。晩ごはんを食べ終わった頃、誠の携帯が小さく震えた。画面には“夜凪楓”の名。


「ごめん、少し出てくる」誠は二人に声をかけ、ジャケットを羽織って外へ出た。

 川沿いの人気のないベンチで、誠と夜凪楓は落ち合った。楓は素顔では無い黒髪ヴィッグに黒いカラーコンタクトの姿で明るい街灯にも背を向けている。


「……耳に入れといてほしい情報がある」


 誠は緊張しつつも、まっすぐ楓の目を見返す。「どうしたんですか?」


「最近、この近辺で夜逃げする家族が増えてる。不可解な借金や、子どもだけが残される置き去り案件も多い。どうやら人さらいまがいの連中がうごめいているらしい」


 誠の呼吸が強張る。「まさか……また、子どもを――」


 楓が目を細めて頷く。「今度は表沙汰になれば、街も変わる。だが関西に影響したわけじゃ無い関東の問題だ。うちの組は勝手に動けない。…お前らの“しがらみのなさ”は今は一番力になるんだ。しばらくは周辺に注意しておけ」


「……分かりました」誠は即座に答える。

「お前のやり方で動け。だが危なくなったら必ず俺に連絡しろ。それが条件だ」

「はい」


 短いやり取りだった。それだけで充分だった。

 この“街の裏側”と関わるたび、誠は思い知る。

 守りたくても、一人じゃ足りないものがある。だからこそ、時には楓の手も借りながら、自分たちの正義を貫くしかない。


 *


 夜、アパートに戻ると、紗希はソファでうとうとしていた。

 悠真が「楓さんだろ、今日は何があった?」と小声で尋ねる。

「ちょっとな……また騒がしくなるかも。だが、俺たちで守れるものは守る」

「ああ。お前が前を向いてると、紗希も俺も強くなれる気がする」

 二人で短く頷き合った。


 薄暗いライトの下で、紗希が目を覚まし「……おかえり」と囁く。そのまま誠の服の袖をきゅっと掴んだ。

「今日、夢を見たんだ。世界が真っ暗になって、一人ぼっちだった。でも……お兄ちゃんたちの声がして、手を伸ばしたらすぐに見つけてくれたの」


 誠は優しく頭を撫でた。「夢じゃなくて、本当に俺たちがいるから大丈夫」


 紗希は涙をこらえきれず、小さな声で「ありがとう」とだけ呟いた。


 *


 数日後。

 誠と悠真は相談して、近所の公園やスーパー周辺を見回り始めた。

 紗希が「わたしもできること、やりたい」と言い出し、誠や悠真から聞いた情報をもとに簡単な地図を作って危なそうな場所をノートに書いてくれる。


 夕暮れ、アパートの前の公園のベンチに座りながら、誠が紗希にそっと尋ねる。


「紗希、今は少しは安心できてる?」


 紗希はうなずく。「でも、ずっと普通の家族でいたいよ」

「俺たちは、ずっと家族だよ。たとえどんなことがあっても、紗希が帰る場所はここだから」


 紗希は初めて誠に自分から腕を絡めた。そんな妹の小さな勇気が、悠真だけでなく誠にも大きな勇気を与えてくれる。


 *


 帰宅して、みんなでカレーの残りを温めて食べる。ごく当たり前の夕食の時間が、何よりの安らぎだった。


「これから先、怖いこともあるかもしれない。だけど……ちゃんと全部、三人で話そうな」


 誠のその言葉に、紗希は目を潤ませて頷き、悠真も真剣にうなずいた。


 *


 深夜。寝静まった部屋で、誠は一人、台所の小さな明かりの下で楓にメールを送った。


『必ず妹たち守ります。何かあったら遠慮なく連絡します』


 そうすればすぐに短く返事が来た。


『命優先、それだけ守ればあとは好きにしろ』


 誠は微笑み、窓越しにうっすら明けかけた空を見上げた。明日も、それぞれ不安も恐れもある。

 けれど必ずここに戻ってきて、またささやかな朝が始まる――。


 三人の家族の物語は、眠れぬ静かな夜の中で、静かに力をたくわえていた。


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