十 夜明け、白銀の誓い
工場の外には、まだ薄暗い夜気が漂っていた。その静けさのなかに、さっきまでの殺気と怒号が幾らか残っている。
夜凪組の手練れたちが手際よく工場内を整理し、高校生たちは安全な場所へ誘導されていく。その顔はまだ恐怖が僅かに残っているものの誠たちのおかげで柔らかさを取り戻していた。
誠は悠真と肩を並べ、無事に助かった高校生たちの数をざっと数えている。ほとんど全員、ケガひとつなく保護できていた。それを確認し、ふたりはようやく深く息を吐いた。
「……なんとか、収まったな」と誠が言えば、悠真が再びヘナヘナと地面にへたりこむ。「なあ、あれ全部夢じゃねぇよな……。夜凪組の若頭本人と共闘したってマジ?あんなに噂ばっか聞いてきたのにいざ目の前にすると訳わかんねぇよ」
誠も苦く笑う。「俺の頭ん中でも、まだ全然整理ついてないよ」
そのふたりの少し離れた場所で、楓は組の幹部たちに次々と指示を飛ばしていた。その声音は、さっきまでの高校生らしい軽さから一気に「若頭」としての権威を帯びている。
「証拠物品は燃やせ。出入りしていた車は全部回収、監視カメラは順路ごと潰しておけ。人払いは徹底的にな」
溺れるような暗がりの中で、彼だけが灯りのように場を制していた。抗いがたい威圧感、だがそれ以上に澄みきったまなざし。
年齢だけで判断できない猛者――それが誠には痛いほどよく分かった。
しばらくして、楓はやや押し殺した表情で近寄ってきた。
その白髪と青い瞳は、先ほど暴れたときに乱れたまま、大人びた艷やかな光を放っている。
「それにしても今回といい、あの時といいお前ら、本当に無茶するんだな」
そう言ってふたりの前にしゃがみ込む。
「助けたいって思うのは理想だけど、この街――裏の世界だと、それだけで死ぬ場合が多い。……今日、お前らが後悔しないなら、少しは本物になれる素質があるよ」
誠は目を伏せて微笑む。「あんたこそ、危ない橋渡ってまで自分で片づけたのは何でだ? 若頭ともなれば命令だけでも回るだろ」
楓の表情が、わずかに和らぐ。
「俺はさ、自分達なりの正義を貫く奴が好きだ。だけど、今回みたいなクズはそれを平気で壊していく。そういう奴がのうのうと生きてる限り、裏社会自体が腐っていく。だから……他人任せじゃどこかでまた同じような犠牲者が出るかも知れない――それだけは、俺が許せないんだよ」
冷たい言葉の奥に、子供のような純粋さと強烈な責任感が燃えていた。
悠真は驚きの眼差しで見ている。「あんたホントに高校生なのか?」
楓は肩をすくめる。「高校も組も両方やってる。大変だぞ意外と」
やがて夜凪組の幹部が再び楓の元へ来て、小声で報告を始めた。「若、現場の片付けと証拠隠滅、完了しました――被害者の子たちはひとまず組で保護所まで運びます。警察筋にも根回しは済みました」
それに「お疲れ、全部頼むね。神崎には伝えるなよ、あのジジイに知られると厄介だからな」と楓が返す。
楓は組の若頭として事務的な指示を出し、それが終わるとまた誠たちへ微笑を向ける。
「今日は見事だった。誠、悠真――、お前たちが後ろに引かないのなら、俺はお前たちの頼みであれば手を貸すよ。気を負わなくていい、これは組としてじゃない、俺個人としてだ」
楓から手渡されたのは連絡先が記されたメモ。
「……ああ、いつか頼るかも」と誠たち。
誠と悠真、そして楓の間に、言葉の少ない信頼が育ち始めていた。
ふと、誠が問う。「さっきオークションのこと、俺たちの勇気がどうとか言ってたけど、どこで見てたんだ?」
「司令室だ。あのオークションの主催は関西でも派手に暴れて、ウチの手から逃れようとして関東に来たみたいだから、こっちもこっちで手を回して奴らを捕える為に手を回してたんだ。それより早くに、お前たちは自分の正義を貫いて女の子を救った。救いの手を伸ばすのは勇気の要ることだ。その手を、離さず守ってやってくれ」
少しの沈黙が落ち、そのすき間を夜風が吹き抜けた。
工場の暗闇はすでに夜凪組の管理下にあり、敵の残党は跡形もない。救われた高校生たちが怯えつつも外の空気に深呼吸している。
その中の一人が涙ぐみながら誠たちのもとへ来て、小さな声で「……ありがとうございました」と言った。
誠はぎこちなくうなずき、その背を軽く叩く。「ゆっくり休め。今日はよく頑張ったな」
悠真が冗談まじりに、「これで俺たちもダークヒーローか?」と笑いを漏らし、疲労困憊した顔で立ち上がった。
――その時、楓がぽつりと口にする。
「この街で真っ当に生きるって、キツいかもな。でも今日みたいな夜がたまにあると、意外と生きてみるのも悪くないと思える」
誠はその横顔を忘れないだろう、そう思った。
「また会おう、誠、悠真。それと、あの時の女の子。彼女も元気でね」
楓は夜凪組幹部に守られながら、夜の彼方へ戻っていく。黒塗りの車列の中、その白と青は暗闇の中でなお鮮やかだった。
*
始発電車の走る音がかすかに聞こえ始める頃、誠と悠真は静かに工場跡を離れた。
歩きながら、お互い無言のままだった。やがて悠真がぽつり。「……俺たち、何もんになっていくんだろうな」
誠は短く答える。「まだ分からない。でも、もう戻れない気がするな。あの若頭と会って、何かが変わった気がする」
悠真が空を指差す。「ほら、朝だ」
東の空が、白く滲み始めている。
誠は背筋を伸ばし、夜明け前の冷気を吸い込んだ。自分たちの手で守った命と、怖さと、不可解な誇らしさと、これからの不安と――
すべてが胸の中で静かに渦を巻いていた。
(あの白銀と青の瞳は、きっと、もう一度俺たちと交わる。その時に俺たちは、どう変わるんだろう)
ふたりはそれぞれの家路へ向かった。
地下鉄のむこう、駅前の人波の中へ。
だが、夜の闇で芽生えた三人の奇妙な絆は、確かに消えることはなかった。
――こうして、新たな幕開けの予感を孕みつつ、不思議な夜が明けていった。