第七話
注:作品中に登場する「共感覚」という言葉について。
以下はWikipediaからの引用です。
共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。
検索していただければ「共感覚」についての情報を掲載したサイトはたくさんありますし、「共感覚」についての書籍も出ていますので、詳しく知りたい方は調べていただきたいのですが……
作品中に出てくるマリの感覚は、実際の「共感覚」とは全く異なるものです。「共感覚」の持ち主が、音楽が上手いから綺麗なものを見る、感情が音に表れているからその感情を映像としてみる、などということはあり得ません。これは作者が「共感覚」にヒントを得た架空の能力であり、完全なる創作です。あくまでこの作品は「ファンタジー」ですので、架空の物語、現実には有り得ない話としてお読みください。
不快に思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、あくまで素人の習作ということで、ご了承いただければと思います。
国立美術館の二階にホールがあるなんて知らなかった。
行ってみると、ホールとは名ばかりの、小さなステージと客席を持つ、ごくささやかなものだった。
まばらな客に混じって、マリが静かに座っていた。
僕は声を掛けることも出来ず、その後ろの席に腰を掛けた。
マリは振り返りもしない。
入り口で配られたパンフレットを見ると、地元の大学のサークルらしかった。
ステージ上には、ピアノと、ベース、ドラム、ギター。ジャケットとシャツ、と言うような、わりとかっちりとした服装を着た男の人達が楽器のセッティングを行っている。
パンフレットはすごくお洒落なのだが、プログラムとして載っている曲は、知らない曲ばかりだった。
洋楽?いったい、どんなジャンルの音楽なのだろう。
まもなく、十数名の若者がぞろぞろと現れてステージ上に列をなした。
音楽が始まる。
イントロは軽やかなピアノの旋律。そこにふわりと歌が乗る。
美しいハーモニーだった。ピアノの伴奏にのせて、男女混声の合唱。
やがてドラム、ベース、楽器が重なり、ぐっと音圧出る。
かっこいい。足のつま先から頭のてっぺんまで吹き上げるような音の壁に、鳥肌が立った。
これが、マリが僕に聞かせたかった音楽か。
僕に合唱の造詣はなかったが、曲も洋楽の知らない曲ばかりだったが、何も分からないが、すごく惹かれた。
マリではないが、寄せては返す波のようだった。楽器の音と人の声と、何本もの糸が寄り集まって、一つのうねりとなって押し寄せる。
「これは、夏の風にそよぐ向日葵畑。一つ一つが力強くて、でもそれぞれが一つになって、同じようにそよいでいる。」
マリが言った。
「シュン、ほんとうなの。ほんとうに見えるの。音楽を聴くと、目の前に映像が広がるんだ。だからね、ばらばらの音楽を一度に聴くと、ばらばらの色がごちゃ混ぜになって、混乱しちゃうの。」
「シュンくん達のこないだの演奏は、一人一人が別々の物を主張していた。まったく一つになっていなかったの。だから、私には耐えられなかった。みんなが同じものを目指して寄り添いあっていれば、そこに一つの形を成して、ぼんやりと立ち現れる。だから、この人たちの音楽が私は好き。」
僕はどきっとした。
あなたのピアノ、すごく素敵。
初めて会った日のマリの言葉を思い出す。
そして、僕のピアノでは夏の海が見えると言うのか。
「“共感覚”って知ってる?音や数に色を感じたり、文字に味や匂いを感じる人がいることを?」
僕は首を振った。
「その一種なのかもしれないらしいんだ。変だよね。」
その日の夜、僕は“共感覚” という言葉をインターネットで調べてみた。
確かにそれは存在した。
知覚したものが、通常の感覚に加えて別の種類の知覚情報としても感覚される。文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。
そういう人が何千人かに一人の割合で存在するのだそうだ。
マリの場合は、音楽が頭の中で映像に変換されてしまうと言うのか。
でも、僕には到底想像が付かなかった。
音楽を視覚情報としてとらえる?
じゃあテレビを見るときはどうするんだ?映画を見るときはどうするんだ?
音楽を耳にするたびに、違うイメージが目の前にちらつくのだとしたら……。
吹奏楽とか、コーラスとか、やりたかったけどやれなかったのだと彼女は言っていた。
練習のたびにめまいがするような視覚情報の洪水、イメージの洪水に飲まれるのだとしたら、音楽の授業はどうするんだ。
僕は途方もない気持ちになった。
彼女はいったいどんな世界に生きているのだろう。
彼女のあの不思議な目にはどんな世界が映っているのだろう。