8.西のイナリ様
秋晴れの空が美しい土曜の午後。
十月の早くも上旬が終わるが、まだまだ夏日の面影を残している。
小高い位置にある、はたた姫の墓所からの景色は格別だった。高い建物がない分、空がどこまでも広がっているように見える。おかげで幾分か暑さより心地よさが勝っている。
行楽がてらピクニックでもしたら、さぞかし気持ちがいいだろう。鳴は墓掃除の手を止めて伸びをした。
「ずっとこの景色ならいいのにね」
「わたくしもそう思うけど、そうもいかないのよ」
はたた姫が、憂鬱そうに否定した。自身の墓である大石に片膝を立てて座り、気だるげに髪を手先で弄っている。
「毎年必ず、荒れるものなのです。せめて今年は昨年より穏やかだといいけれど」
長年この地を見守ってきた者が言うと、説得力が違う。なるほど、と言って鳴は墓の近くに腰掛けた。
「お忌みさんまでに、どうにか見つけないと」
ため息混じりに、はたた姫が呟く。
鳴たちは、はたた姫の気配とやらを信じてあちこち聞いて回ってみたが、すべてなしの礫だった。はたた姫も期待が外れてしまって、土曜の朝から憂鬱な様子を隠しもしない。
「姫、調べたのもまだ学校だけだし。地域の人にも聞いてみたら情報が集まるかもよ」
「そうかしら」
「それに、雨田が思いもよらない案をくれるかもだし」
「継がねえ」
そう話していると、さくさくと草を踏み分ける音がした。
音のほうを見れば、ちょうど継が掃除道具が入ったバケツを持ってやってくるところだった。すでに自分のところの墓掃除もしたのか、青いバケツにつっこまれたゴミ袋が膨らんでいる。
平日終わりに明日はよろしくと再三言ったこともあって、ちゃんと来てくれたようだ。部活が終わって荷物だけ持ってやってきたのか、高校のジャージ姿だった。原色に近い緑は良く目立つ。
片手をあげて挨拶すれば、継ははたた姫を見てから軽く挨拶を返した。
「こんにちは雨田。なんかいい考えない?」
「ちは。話が急すぎ。説明くらいないんか」
「姫の神器を見つけるような、いい方法。なんかない?」
継は道具を置いてから、目を細めた。頭を掻いて、唸り、少ししてから口を開く。
「んなこと言われても……姫の力で、神器の位置はわからんのだっけ」
「わたくしの治める地になければ、無理よ」
頬杖をついて寝そべった、はたた姫が答える。継は続けて言った。
「じゃあ、他の神様は」
「うん?」
「はたた姫じゃない、探し物専門の神様に聞けば?」
「おおーっ、それだ! 雨田ナイス」
鳴が口を挟む。
「姫、そんな神様の知り合いがいないかな? 相談できない理由とかあったりする?」
たずねれば、はたた姫は視線を彷徨わせた。もじもじと指先が忙しなく動いている。
「ええとお、わたくし孤高の氏神でしたから……それに守りの役目もあるし、この地から下手に動けなかったのよ。仕方ないことです。知り合いと言われても、ねえ」
「ぼっちか」
「雨田、余計な事言わない」
小さくつっこんだ継を止めて、鳴は提案をしてみた。
「じゃあさ、姫。私たち二人がさ、姫の代わりに頼んでくることが、今ならできるんじゃないかな」
「鳴たちが、わたくしのかわりに?」
「神々の会議って、一大イベントなんでしょ?」
「ええ、もちろんそうよ。五穀豊穣と同じくらい子孫繁栄は大切なことです」
「それなら尚更、他の神様のところに行って頼めば、話は聞いてもらえるんじゃないかと思うんだけど。どう? 大変だーって協力してもらえない?」
「そうねえ」
はたた姫は体を起こして、考える仕草をした。
「じゃあ……ううん、この際仕方ないわ。話を通すなら、西のイナリ様が良いでしょうね。確か、失せ物探しで社が新たになったと話に聞いています」
「ああ、津和野の」
継には場所がわかったようだ。
「どこ?」
「こっから電車で三時間くらい。前に行ったことある」
「遠っ。同じ県?」
「この県、横に広いけん。そんなもん」
スマホ画面で地図を開いてみるが、確かに遠い。料金もそこそこで、痛い出費になりそうだ。
鳴はちらっと、はたた姫を見た。再び期待を抱いたのか、いそいそとどこからともなく書状を取り出して書き始めている。乗り気のようだ。
「雨田も行く……よね?」
「古曳は、その場所よう知らんのだろ。それに、拒否できいと思っちょう?」
「いや、思わないけど。けど、よっぽど嫌だったら私から取りなしてみるよ」
「いいよ、もう。後から何も知らんで、えらいことになるよりなんぼかマシ。悪い思うんなら、感謝しちょいて」
「ありがとう。お世話になり、誠に感謝申し上げます。雨田様」
「へりくだりすぎ」
鳴が勢いよく頭を下げる。それに継は小さくこぼすように笑った。
失せ物探しの依頼に向かうのは、十月中頃を過ぎた連休となった。
ちょうど祝日が重なって三連休になるためで、それなら部活も用事も都合がつくからという継の言に従った結果だ。
そして一番の懸念だった金額は、急な収入によって解決した。
鳴も継も、ある日突然はたた姫に急かされて公民館に行かされることがあった。すると、あれよあれよと手伝いに巻き込まれ、お礼にとバイト代をもらったのである。しかも旅行代がきっかり。思わず互いに顔を見合わせてしまった。
頼まれごともされず、ちょっと遠出すると家族に声をかけても、あっさり問題なく許可が下りた。鳴の家に至っては、姫の代わりにがんばっておいで、とまで言われた。
ずいぶんと姫は、気合が入っているようだった。
鳴たちの学校での捜索が振るわないからこそ、望みをかけているのだろう。
「鳴、よいですか。わたくしからの嘆願状をこの鏡に入れました。こちらを供えてくるのです」
出発日の早朝。
鳴の手にコンパクトミラーを握らせて、はたた姫は言った。
「姫は行けないの?」
「この地から遠すぎるのです。今は神器も手元にないし、わたくし自身が他所の縄張りに飛び込むのは難しいの」
「神様界にも色々ルールがあるんだね」
「生きても死んでも規則はあるのです。この世もあの世も世知辛いものよ」
しみじみと、はたた姫は含みのある言い方をする。
「わたくしもせめて、こちら近くにあるイナリ殿にお願い奉ってみましょう。今までしたことはなかったけれど、しないよりかは良いかもしれないもの」
「それはいいね。あっちで姫のお土産もみてくるね」
「観光気分じゃないの、まったく! 継のほうにもしっかり言っておかねば」
ぷりぷり怒ってみせて、はたた姫はすうっと姿を消した。もしかしなくても継のほうへ顔を出しにいったのだろう。
そして数分と経たずに、はたた姫は戻ってきた。なぜか口に何か入っていて咀嚼している。
「何食べてるの?」
「継は継で心得ていたので、よしとします。では、鳴、気を付けていってくるのですよ」
「え、何食べてるの姫」
嚥下をしてから取り繕って言うと、はたた姫は消えていった。手元に何やら包みも持っていたのが見えた。
どうやらはたた姫は、継のほうで何かもらったのだ。ふんわりと出汁のいい香りが残っている。
「弁当作ってんのかな……」
鳴はぼんやり呟いた後、腹に手を当てた。それから時計を見る。時間はあるにはあるが、一から作ると考えると余裕はない。必要なものを確認してから、おざなりに鞄に菓子をつっこんだ。
*
都会の新幹線と比べると、大分趣の違う特急に揺られて三時間。
二両編成の電車は、時間帯もあってかぎゅうぎゅうに混んでいない。自由席もいくつか空きがある。紅葉し始めた山間や閑散とした家々を眺めて、暇つぶしに音楽でも聞いてうとうとすればあっという間だった。
鳴たちが駅に到着したのはおよそ九時半ごろ。昼過ぎまでにまたここに来れば、夕方までに戻ることができる。
「古曳、こっち」
スマホを片手に、継が先を進む。
だだっ広い駅のホームには、神社にあるような赤い灯籠がぽつぽつと並んでいる。駅自体も最近新しくなったらしく、ぴかぴかと綺麗な造りとなっていた。
駅から出てすぐには、黒々とした立派なSLがある。それを前に観光客が写真をとっているようだった。
迷いなく進む継の後ろを、鳴は小走りについて並ぶ。
「神社ってどこだろ」
「もう見えちょうわ。あっち」
継が指をさす。遠くに赤い鳥居がいくつも連なっているのが見える。鳥居は町のあたりから山のほうまで続き、山に赤い線が引かれているかのようだった。
灯籠を頼りに道中を歩けば、赤と白の境内が見え始めた。はたた姫の墓と比べると、なんともな違いである。
鳴より慣れた様子の継は、一礼して境内に入ると迷わず手水へと進む。見よう見まねで手を清めているうちに、継は荷物から包みを取り出した。
「なにそれ」
「お供え。こういうのは用意しちょくといいって、昔言われたけん」
「ろうそくと……タッパー? 煮物? 私、姫の鏡しか持ってきてないや」
「別にいいんじゃない。俺のがあるし」
朝にはたた姫がもらっていたのはこれか、とタッパーからの匂いをかいで鳴は納得した。
「雨田がそれ作ったの」
「煮ただけだけん、そんな大したもんじゃない。ほら、前見て歩かんと」
「うわっ」
話しながら歩いていたら、足に何かが引っかかってしまったらしい。がくんと鳴の体が揺れる。継が手を伸ばしてくれたのか、どちらともなくたたらを踏んだ。
「ごめん。よそ見してた」
「だけん言っちょうが」
「ごめんって……あれ」
石畳の地面から鳴が顔をあげると、どうにも先ほどまでの景色と違って見える。
木々の間にある参道を歩いていたことは確かなはず。だが、何かが違う。
青々とした竹藪と等間隔に続く赤い灯籠があるばかりで、人気がまったくない。異様に鮮やかな自然が目にまぶしい。それに、木々の天蓋ができて空を見ることもできなかった。
ぐるりと辺りに目をやってから横を見れば、継はいるようだ。鳴はほっと一息ついた。
「雨田、この先であってる?」
継は難しい顔をして、ポケットからスマホを出して操作する。
「古曳、スマホ」
「なになに」
鳴も自分のスマホを開いてみると、時刻のところがぐるぐると目まぐるしく変わっていた。
「なにこれ。バグ?」
「知らんけど。そっちもなっちょったんなら、違うんだろ」
「うーん……とりあえず進もっか。後ろに道、ないみたいだし。たぶん、西のイナリ様が呼んでくれたんじゃないかな」
「んな楽天的な」
すると、継が言い終わらないうちに鳴き声が一つ響いた。継の口が閉じる。
「行こう、雨田。雨田のお供え効果もあるんだよ、きっと」
なんとも言えない顔の継の背中を鳴が押す。二人して進むたびに、藪からかさかさと音がした。まるで鳴たちの進む速度に合わせているかのようだ。
(変な道。少し進むと周りが早送りしてるみたい)
それからしばらく歩くと、赤い鳥居が目の前に現れた。
その先には社があり、奉納台らしきものもある。また、鳴き声が遠くから響いた。
「雨田、置けって言ってると思う」
「……古曳の度胸、おかしいって」
言いながら、継は包みを広げて台に置いた。鳴もコンパクトミラーを一緒に載せる。
すると、ひとりでにろうそくは宙に浮き上がって火が灯った。そして、ふわりふわりと動く様子を目で追っていたわずかな間に、タッパーとコンパクトミラーは忽然と消えていた。
受け取ってもらえたのだ。
ふとそう思えた鳴は、二拍手を叩いて拝んだ。目をつぶって祈っていると隣でごそごそと音がする。おそらく継も同じようにしたのだ。遅れて二拍の柏手がした。
少ししてから目をあければ、近くをろうそくが飛んで、まるで指し示すかのように同じ位置へと誘導してきた。
「雨田」
「もう、なんがあっても知らん」
「うんうん。付いていこう」
継を呼んで、鳴はろうそくの後を追いかけた。ろうそくは藪の獣道らしきところを通っていく。導かれるままに、足を向けて入り込み進む。
あたり一面が藪まみれだ。
いつのまにか前後左右も青々強い緑に包まれて、それでも前の光を目指して進む。
がさがさと草の根を掻き分けて行くと、鳴たちはいつの間にか境内の横道に出たのだった。
「狐に化かされるって、こういうのを言うのかな」
「神隠しじゃないの……あ、古曳。おい、時間やばい」
スマホを確認していた継が慌てたように言う。見れば、時間は昼の二時を過ぎようとしていた。
このままでは時間通りに帰れない。
慌てて走り戻る二人の背に、けん、と数度高い鳴き声がかけられた。