7.落雷仲間
どしん。ぱきん。
またベッドから落ちて、鳴は目を覚ました。
ぼやけた視界で数度またたきをして、のそりのそりと起き上がる。夢で見た部屋と違って、ちゃんと自分の部屋であることに胸を撫でおろした。
(なんか、割れたような音したけど、寝てる間に壊したかな……)
時間はいつもより遅く起床してしまったようだ。薄暗い部屋の中で手探りで目覚ましを探して確認する。ついで、明かりをつけて部屋を見るが、鳴が落っこちたくらいでなんの変哲もなかった。体に異常もない。
そのままぐっと伸びをしていると、階下から声がかけられた。
「鳴、起きてる?」
母親の声に、鳴は短く「うん」と返してから早足に部屋を出た。
台所では、昨日と同じようにスーツ姿の母親が鞄片手に出かける準備をしていた。
「おはよう。お父さんは夜勤帰りでまだ寝てて、お爺ちゃんは公民館の寄合だって。鳴、鍵よろしく」
「おはよう。わかった、いってらっしゃい」
いってきます、と短く言って忙しなく去っていく後ろ姿を見送る。それから、鳴は台所にいたもう一人の先客に目を向けた。
「姫もおはよう」
「おはよう」
はたた姫は、優雅に湯呑を傾けてほう、と息を吐いた。そしておもむろに、期待に満ちた眼差しで鳴を見返してきた。
「すごく……ガッツある夢だった」
「誉め言葉と受け取ります」
はたた姫は、満足そうだ。
その顔を見て、感傷的になってしまった。夢に引きずられているのだ。
ただ、あまり同情的なのは、はたた姫に失礼だろう。鳴は夢の話は夢の話でも、内容を選んで声をかけた。
「姫が探している神器って、偉い神様に直してもらった鏡だったんだね。ということは、失くしたらめちゃくちゃまずくない?」
「う゛ァッ」
聞いたこともない濁った声をあげて、たちまちはたた姫はしょげかえった。
「……実は、そうなの。あまり……大分、結構、かなり芳しくない状況なのです」
「五十年くらいも、よく誤魔化せたね」
「それは気合と根性です。速玉様はできるならよかろうと仰せでしたし、探しながらそこはまあ……ですが、協力者ができた今年こそ、きっと間に合うはず! 神器も見つかるはずです!」
「まあ、うん。できる限り頑張ってみる。姫の大事なものだって知っちゃったし、協力するよ」
「鳴~ッ! 素直で良い子ね! 良い子良い子してさしあげましょう!」
小さな手のひらが頭を撫でてくる。感極まったらしいはたた姫は着物の袖で目じりを拭った。
(雨田もあの夢を見たのかな。私よりこういうの詳しそうだし、なんかあるといいけど)
実際に昔生きていたとわかる光景を見ただけに、少なからず情も湧いてしまう。一人で頑張ってきたのだなと思えば、いたわりの気持ちも抱く。
鳴は時間を見て、まだ余裕があることを確認しながら冷蔵庫から果物を出した。
「姫、リンゴ切ったら食べる?」
「あら、美味しいものは歓迎します。鳴、あなたの良き行いはきっと返ってくるでしょう」
にこにこ言うはたた姫に、そうかなあと軽く返す。一番大きくて綺麗なリンゴを選んで、鳴は早速切り分けて差し出したのだった。
しゃく、とリンゴを噛む。
朝に切ったついでに弁当へ入れていたが、横着をしたからか茶色く変色してしまった。歯触りは悪くないが、見栄えは少々いただけない。
残すのはもったいないからともごもご咀嚼をしていると、一緒に昼食をとっていた蓬子が駄菓子を一つ差し出した。
「鳴ちゃん、よければリンゴ交換して」
「私はいいけど、いいの?」
「私、リンゴ好きなんだ」
そう言ってリンゴを一切れ取ると、口に入れて蓬子は目を輝かせた。「おいしい」と言うと、勢いよく食べて飲み込む。
「やだあ、鳴ちゃんこれすっごくおいしい! 一つだけじゃ申し訳ないわ。これもあげる」
「えっ、蓬子ちゃん、でもこれ新発売だけど」
「私の気持ちが収まらないの。いいから受け取って」
鳴の手に無理やり菓子を握らせて、蓬子は頬に手をあててうっとりした。幸せそうである。
(なんか、ちょっとついてるかも)
手のひらの菓子は、SNSで発売前の広告を見ていいなと思っていたものだ。買いに行く手間も省けたし、口に入れれば予想以上に美味しかった。
(うん。ラッキー)
それだけでなく、今日の鳴はちょっとばかり運がいい。
朝の登校してから時間があったので、軽い復習がてらノートを眺めていたら、それが朝の小テストに出た。体育では急きょ教師が休みになったため鳴の好きな球技で時間つぶしになった。
そして、昼は蓬子からもらったこの菓子だ。
鳴はなんとなはなしに、自分の鞄に視線を向けた。
(姫のご利益だったりして)
はたた姫の本日の出張依り代は、鳴のコンパクトミラーだ。大量生産の化粧用鏡であることにいい顔をしなかったはたた姫だが、仕方ないと選ばれたものである。
ただし、前の手鏡に比べると小さいためか、はたた姫は長い間外に出ることは難しいようだ。曰く、「安物なのが駄目。歴史も浅いのも駄目」らしい。媒体選びの条件はシビアなようだ。
「そういえば鳴ちゃん。この間の雨田くんとなんのお話をしたのか聞いてもいい?」
「雨田と? いや、えーっと、地元と歴史の話をしたくらい。うちのお爺ちゃん家が、雨田の家とも近いから」
「ふうん、そうだったの。それに、歴史? ええー、なんだか意外だわ」
きゃいきゃいと蓬子がはしゃいで言う。
「ほら、雨田くんってクールで物静かでミステリアスじゃない。そういうところが良いっていうか。そうなんだあ、歴史かあ。ますますそう感じちゃう」
「クールで物静か、ミステリアスぅ? うーん?」
はたしてそうだろうか。昨日の様子を見る限りでは、そう思えない。だが、蓬子は「そうなの」と言う。
「もちろん、凛とした鳴ちゃんもとっても素敵で大好きよ」
「はいはい、ありがと。蓬子ちゃんも可愛いよ」
ふと、鳴の鞄が揺れ動いた。足が当たっただけのように周りには見えただろうが、鳴にはわかる。はたた姫だろう。
「姫?」
呟くとまた小さく揺れ動いた。
鞄を開けてコンパクトミラーを取り出す。パチッと静電気が走った。
何か言いたいことがあるのかもしれない。蓬子に「ちょっとトイレ」と伝えて、鳴は教室を抜け出した。
廊下を進むと、にわかに騒がしくなった。進む先で何かが起きているらしい。人を避けながら進めば、前方で見知った姿を見かけた。
「雨田……なんであんなふらふら」
足元がおぼつかず、体が揺れている。明らかに具合が悪そうで、今にも倒れそうだ。鳴以外にも、女子生徒が声をかけようとささやきあっていた。
しかし見ている間に、とうとう体が傾いた。
咄嗟に体が動く。
鳴は勢いよく駆け寄って、滑り込むように継の体を押しとどめる。意識のない体は、いくら細身だとしても重たい。だらんと垂れた片腕を首に回して継の顔を覗き込む。息はしているが、反応がない。
「雨田、雨田ー? やば、意識なくない?」
「古曳さん、雨田くん大丈夫?」
「あの、先生呼ぶよ」
廊下の生徒たちは次々に声をかけてくる。ひどい騒ぎになりそうだ。
「ごめん、先生に誰か言っててくれるかな。保健室つれてく」
鳴が声をかけると、数人が小走りに去っていった。それから、鳴は一呼吸置いて、継を担ぎ上げた。俗にいうファイヤーマンズキャリーだ。父親から過去に教わったことがここで生きるとは思いもしなかった。
周囲のどよめきにものともせず、鳴は「どいてどいて」と声をかけて、保健室へと直行した。
保健室は、間の悪いことに養護教諭が不在だった。ドアのあたりに、ホワイトボードがかかっており、職員室にいますとある。
「しまった。鍵がかかって」
鳴が言い終わらないうちに、カチッと音が鳴った。まさかと思ってドアノブを回すと、呆気なく開いた。はたた姫の仕業に違いない。
このまま継を担ぎ続けるわけにもいかず、鳴は保健室のベッドに継を運び込んだ。どうにか空いているベッドに継を転がして、大きく息をつく。
ベッドサイドに椅子を置いて、目が覚めるか養護教諭が来るまで待とうかと考えたところで、呆れたような声がした。
「まったく情けない男だこと。鳴を見習わなせないと」
「姫、見てたの」
「見えずとも傍にいたのだから、お見通しです……むんっ」
言いながらはたた姫は、気合をいれた声を出して姿を現した。うっすらと透けているのは、姫曰くの『ちゃんとした鏡』でないからだろうか。
「鳴はこのとおり元気なのに、どうしてかしらねえ。相性かしら。ううん、ひとまず起こすのを手伝います。では、あとを頼みましたよ、鳴」
「手伝うって何を」
「そおれ」
軽い調子ではたた姫が継の額を叩いた。
同時に、軽い破裂音がしてはたた姫の姿が透けたかと思えば、息をのみ込んで継が跳ね起きた。
「ッだ!」
そのまま荒い呼吸を数回して呆然としている。やがて、鳴がいることに気づいたのかゆっくりと顔を向けてわけがわからないという顔をしてみせた。身に覚えがないのだろう。
鳴が簡単に経緯を説明すると、継は天を仰いだ。
「あー……どうも、ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。大丈夫?」
「寝不足なだけだけん。寝たけど寝れんかったというか……」
そこで、鳴は夢のせいかと見当がついた。
確かに現代人の鳴たちにとって刺激が強い場面もあった。何より雷に打たれた瞬間など、凄まじいはたた姫の根性と執念を通して体験していなければ、気をおかしくしていただろう。
「夢、見た?」
それだけで継も鳴が何を言っているのかわかったようだ。目を丸くして、まさか、と呟く。
「姫の仕業?」
「雨田と私にすごいところ見せるためだって」
「すげえ迷惑」
低いテンションで言う継は、眉間を揉んで唸った。
「雷の夢なんて最悪もいいとこだ」
「まあ、そうだね。私も雷にあたったことはあるけど、ああも直撃はなかったし」
「……古曳もあったん? 雷」
「え、うん。ほら家が消えた時、ばーんって。額が派手に切れて大出血」
「よう普通に語れんのな、お前」
呆れた声で言って、継は脱力して寝そべった。
「雨田もある?」
鳴が聞き返すと、背中を向けて転がった継がぼそぼそとした声で答えた。
「子どもんとき。結構強く打たれたっぽい」
それから左腕を掲げて、右腕で左肘のあたりを指さした。
「腕に火傷ができて、それが結構派手だったのは覚えちょう。今はなんもないけど」
「治ったんだ。よかったね」
「かわりに、雷は嫌なもんって感覚だけ残っちょう」
「見るのもダメだった?」
「ここらで暮らしちょうなら、嫌でも慣れえ。打たれるのは別」
腕をおろして、背中を丸めた。
「そっか……あっ、ねえ、じゃあさ。姫が見えるのってさ、子孫だからってのもあるけど、雷に打たれたからってのもあるんじゃないかな」
「何なん、急に」
顔だけこちらを向けた継がだるそうに口を開く。まだ体調は思わしくないようだ。秀麗な顔立ちに眉が寄っている。
「いや、どうして私たち以外に見えないんだろって、ずっと不思議だったから。あの夢、姫が雷に打たれてたし、それとも繋がって縁ができたとか……そんなオカルトっぽい感じ、ないかな」
「俺に聞かれても知らんけど。だけん、何」
「これも縁なのかなあって。まあ、行きずりだけど、落雷仲間ってことで。土曜はよろしく」
「よろしくって言われても」
「じゃ、私先生に事情話してくるから。それと、さっきより顔色ましになったじゃん。ゆっくり休みなよ」
何か言いかけて、結局口をつぐんだ継が、視線をそらしてまたベッドに沈んだ。
お大事に、と言って保健室を出る前に、後ろから小さく「どうも」と声が投げかけられた。