5.稲佐の使い
なかなかに気の抜けない昼食が終わってから、すぐ。
鳴は蓬子に精一杯謝って別れてから、継を連れて急いで人気のないところを目指した。
なにせ、継は蓬子がうっとりする程度の見目のいい生徒だ。そんな人物と揃って並ぶと、視線がくるのだ。しかも訳ありの話をするとなれば、とてもではないができない。それに昼休みの時間も有限だ。
最初こそ、何故と疑問の眼差しで構えた継だったが、はたた姫が忽然と姿を消したのを見ると、さすがに驚いたらしい。加えて、はたた姫が見えないままブツブツ言うので、意外と素直についてきた。
「雨田……くんは、どこか静かな場所とか知ってる? 人目につかないとこ」
「雨田でいいよ。そんなら、弓道場行けば」
「じゃあ私も古曳でいいよ。で、弓道場? いいのそれ」
「昼練ないけん、いいんじゃない」
継が言うと、長いコンパスを動かすように歩いて移動した。
後をついて歩いていくと、校舎から出た武道施設が建ち並ぶところに出た。最近立て直したらしい武道館を通り過ぎて、少し行くと平たい建物が見える。その横にはプレハブ小屋と、吹き抜けの巻きわら場がある。その中央の建物が弓道場だ。
継の言う通り、弓道場近辺に生徒の姿はなかった。
慣れた様子で歩くのは、継が弓道部所属だからなのだろう。道場横に入ると、射場がよく見える道に出た。観客用なのか道途中にある古びた木椅子がある。継はそこに迷いなく座ると、座らないのかと言わんばかりに鳴を見上げた。
「お邪魔します」
一人分開けて座ると、その間にはたた姫がふわりと現れて腰掛けた。初対面の継の前にいるせいか、はたた姫は澄ました顔をして顎を逸らしている。
また急に現れた姿に、継はわずかに身を跳ねさせた。それから、まじまじと目を凝らした。まだ本当にそこにあるのかどうかと訝しむ様子だ。
「わたくしは、はたた姫。姫と呼ぶのです、我が子孫」
ツンと答えるはたた姫に、継は目を瞬かせた。少しの間を置いて、そうっと鳴に聞いた。
「古曳の妹?」
「普通の妹は急に現れないって。うちの管理する墓の姫様。神様なんだって」
「墓の姫で神様」
繰り返して継が言う。ますます、はたた姫は胸をそらした。
「俺が子孫って言った?」
「言った。雨田が姫の子孫の一人らしいよ」
意味が分からないといわんばかりの顔を、継がしている。はたた姫は機嫌がよいのか、にこやかに説明を始めた。得意げに人差し指をたてて振り始める。
「わたくしの神器を、我が子孫の誰かが持ち出したの。その行方を追っているのです」
「神器は雲とか描かれた銅鏡みたい。雨田知ってる?」
鳴が補足すると、継は否定した。
「いや、知らんけど……というか、その子の」
「姫とお呼び」
ぴしゃりとはたた姫に訂正されて、継は面倒くさそうに眉を寄せた。ぽやんとした表情が多いと思ったが、意外と表情豊かだと場違いに鳴は思った。
「……姫の墓を管理しちょうなら、古曳の家は? 俺ん家より古い屋敷だろ」
「鳴の家は真っ先にわたくしが調べています」
「えっ、そうだったの」
鳴が驚けば、はたた姫は呆れたように半眼にした。
「当たり前です。そも、わたくしの住処を管理する者の家ならば、探るなんて造作もないこと。それに、もしあの地にあるのなら、最初から鳴に頼んだりしないわ」
はたた姫が唇を曲げた。鳴たちより幼い容姿でそうすると、機嫌を損ねた子供みたいだった。
「だから、わたくしの子孫を鳴に手当たり次第に探ってもらわなければ。持ち出したなら、誰かしら知っているはずですもの」
改めて聞けば、なんとも途方もない行程に感じてしまう。
「何年前とか、その人の見た目がどうとか、手掛かりはない?」
「ううーん、そうね。鳴、鏡を出しなさい」
継が言うと、はたた姫は鳴に手のひらを向けた。ふわりと勝手に鳴の制服ポケットから手鏡が飛び出す。手鏡がはたた姫の手に収まると、小さく光った。
鏡面に映像が浮かび上がる。
暗がりを走って遠ざかる後ろ姿は不鮮明だ。背格好はかろうじて現代服っぽいとだけわかる。しかし、誰だと断定する情報はそこにはなかった。
「えっと、これだけ?」
鳴が思わずつっこむと、はたた姫は頬を膨らませた。
「しょ、しょうがないでしょう! 神様だってうたた寝くらいするもの。これでも早く気づいたほうなんですからね!」
「居眠り中に持ち出されちょうって? てか、何年前」
「ほんの少し前です。たしか……四、五十年前くらい」
「半世紀も前? そんなら、その人が学校におるわけないし、知らん人が多くて当たり前なんじゃないの」
継の冷静な指摘に、はたた姫はぐうっと唸った。
「姫、それで神器はどんなものかわかる?」
機嫌を損ねたら祟り。さっと過ぎった記憶に、鳴は取りなすように声をかけた。
とたん、手鏡の映像がぶれて変わった。
鏡面には青緑の彫り物がされた丸い鏡が移っている。玉飾りがついた立派なものだ。鏡面はピカピカに磨かれており、丁寧に扱ってきたのだろうと思わせた。
「これが……」
「これ、写真とってSNSに投げるのはいけんの」
継の言葉に、はたた姫はサッと顔色を悪くした。
「だ、だだだ駄目! 絶対駄目よ! ああいうところは、危ないのよ!」
何がいけないのかわからない。鳴は首を傾げた。
「え、でもさ、姫が困ってるってわかってもらえていいんじゃないかな」
「だめだめだめ!」
「上司みたいな神様がいたら助けてもらえたりとか」
神様は慈悲深いものでは。鳴がそう思いながら言えば、はたた姫の細い首が派手に振られた。長い黒髪がばらばらと浮いて回る。
「神々に知られるより前に、まずいことがあるの! 人の欲や悪意が集まりやすい場所には、災禍や厄が溜まるのです。そこにわたくしの神器が衆目に出されたら……っああ、恐ろしい!」
「ええと、悪い奴に神器を周知させてしまうから駄目ってこと?」
「そう! 悪鬼が寄り集まって反応して、誤って雷が落ちてしまうかも……お前たちの安全のためにもおやめ。ほら、外つ国では秘宝を暴くと……とあるでしょう。ともかく、そういうことが起きますからね」
「うかつに情報を漏らすと、呪われちゃう?」
「わたくしが庇おうにもどうにもならないものです。今風に表すとセキュリティが厳しいのです」
鳴の言葉に、勢いよくはたた姫は肯定した。
「ですから、地道に辿るのです。わたくしの子孫の誰かが持ち出したのを、誰かは知っているはずなのですから!」
「行き当たりばったりすぎ。というか、これ、俺も頭数に入れられちょうの」
ふと思い返したみたいに、継が言う。鳴はすかさずうなずいた。もちろん、貴重な戦力だ。逃がすわけがない。
「雨田のさ、さっきの冷静な分析はすごく助かったな。男手もあるといいと思う。ね、姫」
「まあ、そうね。鳴もいくら若君似とはいえ、女の身では難しいこともあるでしょう」
「いや、俺は」
「お前は確か……雨田継。そう、継という名ね。ええ、もちろん手伝ってもらいますとも。わたくしの姿を見、声を聞ける者は歓迎します」
断ろうとする継を遮って、はたた姫は有無を言わせず言葉を締めた。鳴を巻き込んだときとまったく同じように、継も手伝いの人数に入れたのである。
「なんで俺まで」
文句をこぼす継に、はたた姫は目を吊り上げた。
「一族の不始末は、お前たちの不始末でもあるのです」
「それこそもともとは姫が寝ちょったせいで、俺が尻ぬぐいする必要ないし」
継が冷たく断ろうとすると、はたた姫はますます機嫌を悪くした。まずいと鳴が腰を浮かせたところで、パチッと音がした。
静電気がぱちぱちと鳴っている。はたた姫を中心として小さな雷鳴が渦巻いていた。次第に低い唸り声のような音までしたと思えば、上空に黒雲が現れ始めた。
ばっと距離を取ったのは、鳴だけではなく継もだ。継は鳴よりも機敏に動いて離れている。顔は真っ白だ。
「わたくしは氏神の末席とはいえ、雷を祓う神。継、お前に拒否ができるとでも」
ドン、と紫電が奔った。
それは空から落ちて、寸分も逸れずにはたた姫へと落下した。
はたた姫はいつの間にか、鳴の手鏡を掲げている。ぴたりと鏡面に紫電の先が向かい、跳ね返った。
「あっ、私の鏡!」
鳴の叫んだ通り、はたた姫が憑りついていた手鏡は黒焦げになっていた。
同時に、はたた姫の姿も薄れていく。
「姫、それ私の鏡」
途端、はたた姫はしまったと表情を動かした。しかし、継を見て拗ねた顔のまま姿を消した。
「えええ……ちょっとお」
しかし異変はそれだけで終わらなかった。
鳴たちが座っていた椅子のちょうど向かい。弓道場をぐるりと囲む木々がざわめいたかと思うと、ひょっこりと鹿が現れた。
鹿は軽やかに前足で草を人間のように分けると、モデル歩きで鳴たちの前に佇んだ。
そして、不思議と落ち着くような若々しい声で話し出した。
「お初にお目にかかる。青々しい人の子。稲佐から使いで参った」
「稲佐……?」
どこのことだろう。鳴が呟くと、まだ白い顔のままの継が小さく言って教えた。
「たぶん、稲佐の浜だと思う。国譲りの場所」
「国譲りって、何それ」
「知らんの? まじか」
鹿は継の言葉を肯定するように長い首をゆっくりと動かした。
「左様。今年もまた、速玉様がご活躍あそばされるお忌みが近づいた。ゆえ、今年の祓いも頼むとのお言葉を伝え参った次第。霹靂姫命がこちらにおられるとのこと、如何か」
「それは、ええと」
鳴と継の視線は、椅子の間にある黒こげの手鏡に向かう。鹿はそこに近づくと鼻先を寄せて、静かに目を閉じる。黙礼のような仕草だ。
そうして数秒ほどして、やがて頭があがった。
「其方らは、神使として下働きをする者であろう。清らかなれば咎めはせぬ。よく務めるよう」
思わず鳴は継と見合ってしまった。鹿は鳴たちの様子を眺めて、数度首をかしげるとまた口を開いた。
「よく務めるよう……よく、務めるよう」
繰り返しの言葉を黙って聞くと、また同じように鹿が繰り返した。カツカツと何度も蹄を鳴らしている。
(あっ、返事しないといけないんだ)
鳴は咄嗟にうなずいてしまった。
「あっ、は、はい。善処します」
「ちょ! おい」
継が後から止めようとするが、次には鹿は優雅に前足を曲げてお辞儀をした。
そのまま踵を返して、後ろの木々にまぎれて軽やかに遠ざかりすうっと姿を消した。
それを見送っていると、どすん、と椅子が揺れる。継が、脱力して椅子の背にもたれたのだ。
「最悪……うかつに返事したらいけんって思わんの、普通」
「普通って。だって、返事待ってたし」
「こっちの神話も地名も全然知らんし、まじありえん。本当……」
ため息交じりに言う継に、鳴はむっとして言い返した。
「まだ来て半年だし、地元のローカルルールとか詳しいわけないじゃん。大体、雨田の言う普通って他に誰が言ってんのさ」
「だれって、ばあちゃんとか、地元の年寄とか」
そこまで言って言葉を止めて、継は気まずそうに口をもごもごとさせた。
「田舎もんだって思ったろ」
「いや、ばあちゃんっ子なんだなって思った。あとは、結構しゃべるんだなって」
「……別に、違うし」
小さく否定をして、また継は大きくため息をついた。
「ねえ、稲佐の使いってなに? あとお忌みもなに」
「スマホあるじゃん。調べれば」
「目の前に知ってる人がいるんだから、聞いたほうが早い」
鳴が言えば、継はだるそうに視線を向けた。早く、と急かせば仕方ないといわんばかりに話して聞かせた。