4.学校にて
昼休みのチャイムが鳴る。
我先にと席を立つ生徒や、友人を見つけて机を動かして弁当を広げる生徒で教室は一気に賑わった。
鳴の通う高校は、ごく普通の進学校だ。男女の数に偏りもなく、田舎の県にしてはそこそこの在校数である。そのため、都会から来た鳴もコミュニティの輪に容易に入れたのだった。
(それにしても、この人数からいちいち探すのかあ)
近づけばわかる。
はたた姫はそう言っていたが、今のところわかった様子はない。本人はあたりをきょろきょろしているだけだ。休み時間こそ探しに行く絶好の時間と言って、どこからともなく飛び出てきたのだ。
はたた姫は空をふわふわと浮いてあちこち見て、目を白黒させたり興味津々に近づいたりしている。探すのではなく気が逸れているように見える。
周囲の目には触れないからいいものの、鳴に遠慮なくあれこれ話しかけてくる。話すのはいいが、辺りを気にしながらは流石に億劫だ。
(姫が見えていたなら、変な目で見られてただろうなあ……ん)
ぽん、と鳴の肩を誰かがたたいた。
はたた姫の様子を見ていたせいか、叩かれたことにまったく気づかなかった。
振り返れば、ふんわりとした可愛らしい印象の女子生徒が立っていた。鳴の友人、藤原蓬子だ。
「鳴ちゃん、どうしたの。今日は食堂に行くのでしょう?」
「蓬子ちゃん」
蓬子は鳴の肩に触れていた手を離すと、ゆっくりと上品に振ってみせた。
育ちの良いお嬢さんといえば彼女をいうのだろう。校則通りの格好に、よく手入れされた艶のある肩までの黒髪。化粧をばっちりしてもいないのに、女性らしさにあふれている。
まるで鳴とは正反対の少女だ。鳴と並ぶと『歌劇団の組トップみたい』とよく評される。
入学して、地方の右も左もわからない鳴に、いの一番に手を差し出してくれた。
家よし性格よし素行よし。ついでに成績もそこそこ良しの三拍子四拍子そろった、文句なしの優等生である。
「日替わりランチ、早くしないとなくなっちゃう。行きましょ」
蓬子の言葉に、鳴はうなずきながらちらっと斜め上を見た。はたた姫は目を細めて蓬子を観察しているようだ。
「そうだね、行こうか。ぼうっとしててごめん。ちょっと疲れが出ちゃってたみたいで」
「やだ、風邪気味? 朝晩寒い時があるからかもしれないわ。気を付けてね」
言いながら並んで歩き始める。心配そうに言う蓬子に笑って返すと、上からはたた姫が「わたくしのほうが人の子たちの体調に詳しいわ」と張り合っている。
一人多いだけで、ずいぶんと賑やかだ。鳴は蓬子に怪しまれないように愛想よく返した。
「ありがとう。さすがお優しい藤原姫」
「もう、なあに。ふふ、古曳殿にお褒めいただき光栄ですわ」
軽く言い合うと、はたた姫が息をのんだ。
なんだろう。はたた姫の方向を見ると、ぱくぱくと口を動かして驚愕の表情を見せている。
「め、めめめ、鳴! 鳴! ふじわら! ふじわらですって!?」
手をわなわなさせ、はたた姫が言う。
「かの殿上人の御子孫であらせられるのでは!? 恐れ多くてよっ、鳴」
「姫。彼女は普通の育ちのいいお嬢さんです」
「鳴ちゃん? どうしたの」
「ううんなんでもない」
まだ言いたげな様子のはたた姫を置いて、鳴が首を横に振る。はたた姫の動揺っぷりに思わず突っ込んでしまった。他の人には聞こえないのだから注意しなくてはならない。
はたた姫はすっかり蓬子に一目置いたらしい。しずしずと彼女の後ろに佇み、「そういえば気品が」だの「なるほど、これが都の」だの勝手な想像を働かせているようだ。
鳴の知る限り、蓬子はちょっと裕福な実家の太い娘で、有名人の子孫という話は聞いたことがない。彼女の性格や歴史の授業の有名人と苗字が同じだから、『藤原姫』とあだ名で呼ばれるのだ。
仮に学校の有名人をあげるとするなら、卒業生で有名なスポーツプレイヤーが出たくらいである。
(あとは……うーん、どうやって情報を集めるかなあ)
調べるとなれば、聞き出すのは鳴の仕事なのだろう。話しやすい人ばかりだといいと祈るばかりだ。
そうこうするうちに、食堂に着いた。
食堂は今日も賑わっているが、ひときわ騒がしく感じるのは気のせいではない。
「あら、鳴ちゃん見て。今日は野球部がいるみたい」
「ほんとだ」
蓬子の言葉に鳴もその集団を見つけた。ぞろぞろと坊主頭の集団が券売機前に並びながら立ち話をしている。鳴の学校でも一番部員数の多いところだ。
「鳴、あの中の大男が怪しいわ。わたくしの勘が告げています。子孫っぽいわ。わたくしの兄上の血筋に似て立派な体躯ですもの」
「中野かあ……」
「中野くんがどうしたの?」
「あっ、いや、大きいから目立つねって」
鳴が言うと、蓬子はおっとりと「そうねえ」と同意した。
「鳴。早く中野とやらに探りをいれてみるのです」
はたた姫の言い分に、わずかに鳴は戸惑った。だが仕方ない。視界の端で、まるで励ますようにはたた姫が腕を振っている。
(よし、男も女も度胸一番、愛嬌二番)
母親の口癖を頭の中で真似して、足を進めた。どちらにせよ、券売機に並んで食券を買わなければならないのだ。隣の蓬子もいることだし、一人で話しかけるよりはまだましだろう。
ちょうど話しかける相手は最後尾に並んでいる。順番待ちのついでだとばかりに、鳴は話しかけた。
「よ、中野。何頼むの」
「ああ、なんだ古曳か。あ、藤原さんも。ども」
巨体をかしこまらせて、中野長貴は軽く頭を下げた。委員会が同じなため、比較的話しかけやすかったのは幸いだった。
「今日はカレー。そっちは日替わり目当てなら、まだあるみたいだぜ」
「だって。蓬子ちゃんよかったね」
「うん、よかった」
蓬子がにこにこして微笑むと、ぎこちなく長貴も微笑んだ。どうやら蓬子に気があるらしいという噂は本当のようだ。鳴は素知らぬ顔をして、話題を振った。
「ところで中野。家にさ……」
「家になんだよ」
言いかけて、はたた姫の神器がどんなものかわからないことに気づいた。さっと目線で助けを求めると「鏡よ。雲と雷光の模様があるわ」と回答があった。
「あー、古い鏡とかない? ええと、最近鏡に興味があって」
「なんだそりゃ」
怪訝な顔をした長貴に曖昧に笑う。蓬子が手を打って、ああ、と口を開いた。
「それって和鏡のこと? 鳴ちゃん、結構レトロ趣味なところあるものね」
「そうそうそう。そんな感じ」
「へえ」
予期せぬ助け舟に、鳴が適当に合わせる。すると納得したのか長貴は「ふうん」と声をもらした。
「それで、あるかな。あるなら見せてほしいかなーって思って」
「んなこと急に言われても。うちはそんなもんないぞ」
「まあまあ、もし見っけたら教えてよ」
鳴が食い下がって言えば、蓬子も興味を抱いたらしい。
「鳴ちゃんがそこまで気にするなんて、私も気になるかも。中野くん、私もあったら見たいわ」
「えっ。まあ、いいけど」
蓬子が一言添えれば、まごまごとして長貴はうなずいた。
その直後、長貴は部活仲間に小突かれた。順番が回ってきたのと、蓬子と親しく話しているのが気に入らなかったのだろう。からかわれながら、蓬子をちらちら気にしながら食券を買って、長貴は部活仲間と歩いて行ってしまった。
「蓬子ちゃん、なんか気を使ってもらっちゃったよね。ありがとう」
鳴が言えば、野球部連中に軽く手を振っていた蓬子は小さく微笑んだまま答えた。
「だって、なんだか困ってたみたいだったもの。鳴ちゃんのお役に立てたならよかった」
「すごく助かった。先、買っちゃっていいよ。なんならジュースおごる」
「わあ、そんなつもりなかったのに。でも、折角だからもらっちゃおうかしら」
「もちろん」
蓬子が先に買い始めたのを確認して、鳴ははたた姫に小さく呟いた。
「どうでした、姫」
「さすがの気配りだわ、藤原の御方……はっ、そうね。気配はそれほどなかったかもしれません」
「えええ、曖昧」
「しょうがないではないの。この地にないからこそ、探りをいれねばならないのよ」
「この地にない?」
「そうよ。持ち去られたと言ったでしょう。この地ではない遠くに行ったの。まったく、不届きな子孫もいたものです」
初耳である。
鳴は思わず、はたた姫を見上げた。はたた姫は鳴の視線を受けても、何か、と言わんばかりの様子だ。むしろ鳴のそんな表情も観賞に値するとばかりに目を細めた。
「さあ、この調子で励むのですよ」
文句を言いそうになって、飲み込む。蓬子から「買わないの?」と言われたせいもある。
慌てて券売機の前に立って、目当てのランチメニューとドリンクを購入した。ドリンクは二枚出して蓬子に渡し、鳴は昼食に向かった。
昼食には、はたた姫は口出ししないらしい。ただ、物欲しそうにランチにある果物を見ていたので、こっそりと見えないように隅に置いて隠すと、喜んで食べた。半透明姿でも食事はできるようだ。
そのまま食事をしていると、不意に隣からつつかれた。
(蓬子ちゃん?)
しかし、蓬子を見ると視線は鳴の奥に固まったまま、指先で小さく反対方向を示している。
鳴は不思議に思って反対方向を見ると、目を丸くした。
「うわ」
思わず声が出た。
(雨田継がいる。なんで。それに、どこを見て)
眉を寄せて、不思議そうな表情の継が隣に座っていた。さらには、視線を追うと明らかにはたた姫を捉えている。
鳴を挟んで、はたた姫と同時に蓬子が声をあげた。
「あっ、雨田くん」
「まあ! わたくし似で麗しい子!」
蓬子がわずかに頬を赤らめてもじもじとした。
はたた姫は自分が見られているとまだわかってないのか、何やらご機嫌である。
(あーあー。蓬子ちゃん、面食いなんだよなあ)
蓬子はよく、綺麗ですらっとした好みの容姿を目で追うのだ。観賞して愛でて推す気持ちらしい。
鳴を最初に声をかけたきっかけも、「高校初めての一目惚れなの」ということからだった。なお、小中でも一目惚れは別口であったのは余談だ。
友人のそんな正直なところも素直でいいと鳴は思う。だが、今の状況的に説明できるわけがない。
見えないはずのはたた姫のことから説明したら、さすがの蓬子でも鳴の頭を心配するに違いない。
「なあ、ええと……古曳さんだっけ。さっきは何しちょったん」
継がふわりと浮いているはたた姫の様子を目で追って、聞いてきた。
呆気にとられたような、やや間が抜けた表情でも容姿が良ければ観賞に値するようだ。蓬子が嬉しそうに眺めている。
(まずい……いや、これは逆にチャンスかも)
一人ではたた姫の手伝いをするより、人手が増えたほうが断然いい。
それに継の反応や、墓参りでの様子を見て引き入れても大丈夫そうではないかと期待を抱いた。
(なんかあっても、姫がどうにかしてくれるかもしれないし。無理やり私を引き入れたみたいに、雨田も気に入ってそうだし)
鳴はそこまで咄嗟に考えると、雨田に向かって言った。
「このあと、ちょっと時間ある?」