2.はたた姫の墓
古曳家の墓は、近所にある寺の背後にそびえる山の中だ。寺が管理する山間の一角が、霊園になっているのである。
管理されているとはいえ、草木は多い。人の手が入っていなければ、あっという間に緑にのまれそうな場所だった。
光生は親しい友人でも見つけたのか、立ち話が始まってしまった。自分の祖父の話が長いことを鳴は知っていた。
「おじいちゃん、先に墓の掃除しておくね」
「場所わかぁか」
「大丈夫。お母さんから目印を前に聞いてる」
光生に断りを入れて、鳴は先に進んだ。墓参り道具を手に、古曳家の名前を探す。
舗装された石畳を進んであたりを見回せば、側面に彫られた名前を見つけた。その隣の墓にも墓参りをする人物がいる。
年のころは同じくらい。というより、見たことがある。
(あの雨田も墓参りするんだ)
1年の21ルーム、雨田継。
整った面立ちに、すらっとした長い手足。物憂げな垂れ目が印象的な青年。
鳴とはクラスは違うが同じ学校に通う同級生だ。雨田継は顔がいいと友人から聞いていたが、こうしてみればと鳴は納得した。黙っていたら、透き通るような美しさがある。
(けど。手に持ってるの、なんだ)
間の抜けたカバのジョウロから、さあさあと水が降り注いでいる。墓参りにジョウロを、それも幼児が使うような物を持ってくるのはありなのだろうか。
鳴が思わず見つめていると、顔をあげた継と目が合った。
「……どうも」
「どうも」
思ったよりも低めの声に瞬きしつつ、鳴は会釈をした。
「雨田くん、だよね。同じ高校の」
「そうだけど……ええと、古曳さん?」
明らかに墓名から推量された。あまり人の名前に興味がないのかもしれない。それとも見た目の通り、ぼんやりとしている性格なのかもしれない。
ぶらぶらと水がなくなったジョウロが継の手で揺れている。
「そのジョウロは? どうしたの」
「ひしゃくがめげたから。代わりに持ってけって言われた」
「めげた?」
「壊れた」
「ああ、方言」
鳴が呟けば、継は今気づきましたとばかりに目を軽く見はった。
「そっか。アンタ、あの」
「あのって何」
「家が吹っ飛んで都会から来たゆう孫」
「なんで知って」
「アンタの両親のあいさつ回り」
言いながら、いつの間にか継は墓の手入れを終わらせていた。道具を入れたビニール袋を下げて、もう片手にはジョウロを持っている。
「田舎って噂まわんの早いけん」
「そうなんだ」
「そう。じゃあ」
ぼつぼつと呟くように言って、継はそのまま歩いて行った。
それと入れ違いになって、光生がやってくる。光生は軽く継に声をかけている。どうやら鳴の祖父と継は顔見知りらしい。
(まあ、家のことは笑い話にしないとやってらんないけどさあ)
同級生にいざ指摘されると微妙な気分になる。
仕事先でも、その話をネタに営業でも回っていそうな両親を思い浮かべて、鳴は自分も墓参り道具を広げて掃除を始めた。
供花の花弁や葉が落ちているのを拾い、水を入れ替える。墓参り自体は継や他の人がしているのを真似れば、なんとか鳴にもできそうだ。
作業の途中で光生も合流して、手早く一連のことは進んだ。線香を点け、手を合わせて拝む。
それが終わると、光生は道具を持って鳴を手招きした。
「ここからちょっこし登って行くぞ」
古曳家の大事な墓のことだ。
鳴は、黙って頷いた。
山間の霊園からさらに細道を抜けた先。
けもの道はほとんど草に覆われて、先導がなければたちまち見失ってしまいそうな風景だった。
さくさくと落ち葉を踏んで進めば、開けた場所に出た。緩い上り坂が続いていたが、鳴が思っていたよりも小高い位置にあったようだ。
背丈の低い藪のなかに、古びた墓がぽつねんと建っている。
(墓っていうより、記念碑みたいな感じ)
鳴は慣れた仕草で掃除を始める光生の背中を見る。背の高い光生の半分ほどもある平たい大石は、寂れている風景の中に溶け込んでいる。
定期的に掃除はされているのか、その石の周辺の草は取り払われており、墓石だろう大きな石自体もひどい苔はない。うっすら緑に変色しているところもあるがそれだけだ。
そこまで眺めていると、景色に不釣り合いなものが視界に入った。
「鳴、見ちょらんでお前もてごせえ」
「てご? あっ、手伝えか。うん」
光生に言われて返事をするが、鳴の視線はさまよってしまった。
平たい大石の上で寝そべっている少女がいる。明らかにただものではない。
平安時代のような着物を重ね着した長い黒髪の少女だ。鳴が見えているとわかっていないのか、裾をまくった状態で足をぱたぱたと動かしている。
(おじいちゃん! 墓でくつろいでる変な子が……見えて、ないなあ!)
勢いよく光生を見るが、黙々と掃除をしているばかり。
とてもくつろいだ様子の少女は、だらけた姿勢のまま頬杖をついて光生を眺めている。完全に誰も見えていない気の抜け様だった。
「鳴、なにしちょうかや」
光生の再度の声かけに、少女も鳴に気づいたらしい。
はた、と目が合った。合ってしまった。
「あ」
声をあげたのはどちらだったろう。少女の反応は劇的だった。
カッと見開いた丸い目が鳴を捉え、わなわなと震えた白い指が鳴に向けて蠢いていた。
そして大きく開いた口から甲高い悲鳴が飛び出した。
「きゃああああ!」
どこに潜んでいたのかわからないくらいの鳥が一斉に飛び立った。
つんざく叫びを放つ少女に、思わず鳴は耳をふさいだ。
「急になんだや。猪でも出たんか。おい、鳴。早や早や」
「あー、ああー。うん、今やる」
鳴は慌てて視線を外して、なるべく光生に近づいた。不審そうな祖父の視線を無視して、掃除道具を手に取る。
平石を持ってきていた雑巾で拭き始める。長い年月で風化しないほど、立派な石なのだろう。ただ、中央あたりに不自然な割れ目があった。
「去年、がいな雷が落ちたらしくてなあ。落ちた衝撃で欠けちょったんだわ」
「雷で石も割れるんだ」
「なにぶん、古い石だけんヒビから割れたんかもしれん」
視線をできるだけ石に留めて他を見ないようにするが、肝心の少女は鳴のすぐ傍にやってきていた。姿がぶれているようだったが、どうやら宙に浮いて全身震えているせいだ。
「わ、若君ィ! ああ、若君! わたくしを……いえ、違うわ。ですが、ああっ若君にそっくりでは!?」
少女がぶつぶつと呟く。頬は紅潮して、目は爛々と光っている。
「ああっ、まあ、見ればみるほど若君の面影が! あなや。これまで見たどの者より、顔がっ、顔が一段と麗しゅうございます!」
黄色い声が真横で響く。鼻息荒く近寄っては、きゃあ、と叫んで離れていく。
(おじいちゃんには見えてもいないし聞こえてもいない。じゃあ、無視しなきゃ、だけど)
もしかして、彼女がはたた姫ではないか。そうだとしたら。
鳴の脳裏に、大事にしないと祟られるという言葉が蘇る。
この言葉を思い出さなければ、変な対応をしてしまっていたに違いない。
(あまり怒らせないようにしないと)
掃除をしながら懸命に少女を無視をするが、気になってしょうがない。
少女は古風な身なりなのに、まるでアイドルを前にしたような反応をする。
「この! この角度! まあ、これが映えというもの!?」
「ぐっ」
「はあ、これが尊み。八幡様、御仏のご加護があると言われても信じてしまうかも」
思わず突っ込みそうになって、鳴は声を殺して頬を噛んだ。
(映えとか尊みとか、どこで知ったんだ)
しかし少女は思った以上に目ざとかった。鳴の反応を見止めて、まとわりついてきた。
「……若君。いえ、お前。わたくしが見えているの?」
「鳴。そろそろ戻らか」
同時に話しかけられて、鳴は迷わず光生のほうを見てうなずいた。
「帰ろう。すぐ帰ろう、おじいちゃん」
「お前、見えているでしょう! 絶対、絶対見えているでしょう!」
「あと、お塩とかお酒とか買って帰ろう。お寺とかにないかな」
さっさと片づけをして、荷物を集める。光生が奇妙な表情をするのも気にせず、鳴は急かした。
「寺に塩や酒なんて売っちょらんわ」
「いや、清めた感じの。ほら、ね」
「あなやーっ! 何をする気です!? わたくし、怨霊悪霊の類じゃあないわっ」
ずいぶんといきの良い幽霊もいたものだ。鳴はきんきんと響く声に目をすぼめて、さりげなく距離を取った。
「神様ですよ神様! そりゃあ、ちっぽけな氏神とはいえ、わたくしはれっきとした神様なのです! もっと敬ってしかるべき!」
「……ねえ、おじいちゃん。このお墓の人って神様だったっけ?」
鳴が問いかければ、光生が「なんだ」と答えた。
「はたた姫はここらの氏神様だ。ばあさんの親戚が昔管理しちょったが、そこが断絶してなあ。うちが世話を引き継いじょう」
「氏神様……」
鳴の視線の先で、少女、はたた姫が宙に浮いたまま胸を張った。
「恐れ多くもかしこみなさい。わたくしは、はたた姫。お前たちの神様です!」
「まあ、ここらといっても、町に行けば天満宮もあるけん。大きい神様ではないわなあ」
はたた姫の頬がひくついている。
光生には見えていないためか、何食わぬ顔で話が続く。
「ここはなかなか、人の手も入らんとこにあるけん。お詣りする者も俺と鳴だけなもんだ。だけん、わかっとる者で手入れしちょかんと」
「ここはすぐに草とかで荒れそうだもんね」
「そげだ。大事にせんといけん。神様は見ちょうもんだ。礼儀はしっかりとな、鳴」
「ああと、うん。そうだね」
心なしか煤けた様子のはたた姫とその後ろの墓石に向かって、手を合わせておいた。光生もそれを満足そうに見てから、手を合わせる。
(祟られませんように……鎮まりたまえ、鎮まりたまえ)
心の中で呟いてみたが、果たして効いたのだろうか。はたた姫は、じとりとこちらを見つめているままだ。目を合わせないように、光生が歩くのに任せて、鳴もその後ろをそそくさと着いて行った。
後ろからの視線がまだ刺さっている気がしてならない。
「めい。鳴というの。よおく覚えた」
不穏な声が聞こえても、鳴は目をぎゅっとつぶって早足で進んだ。