13.目覚めの決意
ぽた。
頬が冷たい。手をあててぬぐって、ぼんやりと開いた目で見る。
眠りながら泣いていたらしい。瞬きをすると、また筋を作って涙が流れた。
「……うん」
腕で目元をこすって、鳴は起き上がった。スマホで時間を確認する。まだ朝も早い。けれど、十月の末日の日曜を示していた。
おかしい。鳴が眠ったときはまだ十月の下旬に入るかというころだった。
慌てて立ち上がる。体を触るが不調はない。むしろすっきりしている気さえする。
スマホに何か残っていないかと、電話の履歴やSNSの履歴を探してみる。すると、鳴の見覚えのないやりとりがあった。
メッセージツールに雨のロゴがある。そこに、こう書いてあった。
『念のためメッセ飛ばしとく。なんかあったら』
続けて電話番号が書かれている。鳴はそれを見て、迷わずタップして電話をかけた。
部屋をうろうろしながら、コール音を聞く。しばらくすると、明らかに寝起きだとわかる継の声が聞こえた。
『……はい、もしもし』
「もしもし、おはようモーニングコールでごめん雨田!」
『朝からうるっさ……ええと、古曳?』
「そう古曳。古曳鳴。あのさ、雨田。私の記憶が十日くらいぶっ飛んでたんだけど、知らない?」
『いやわけわからん……ん、あー、ああ、だけんか。アンタ変だったけん、やっぱなんかあったんか』
「変って何」
『やたら口数少なくて大人しくなっちょった』
「ええっ、周りに心配かけてなかった?」
『誰も何もなかったと思う。それと、潔斎だって神社を回りまくって……あと距離感がおかしかった』
眠気が取れてきたらしい。いつもの調子で話し出した継に、鳴は「ええー」とうろたえた。具体的にどんな距離感だったのだろう。継は納得した様子だが、鳴にはさっぱりだ。
しかし聞くより先に、継がたずねてきた。
『そんで、なんでそうなったん』
「夢で、鹿になってた」
『はあ?』
「いや、白い鹿で男の人で、なんか過去の追体験っぽいのをまたしてて。そうして起きたら時間が経ってたんだって。わけわかんないけど」
『聞いちょうこっちがわけわからん』
「もう本当わかんないことだらけだよね。わかる。でもさ、それでさ。今すぐにでも動いて姫の助けをしなきゃって決意が漲って。だから雨田に電話かけた」
そこまで話すと、継は一瞬黙ってから返事をした。
『俺に何せえって?』
「もう一度、はたた姫の墓まで行くのに付き合って。それから考える」
『考えなしじゃん』
「あれから全然お墓に行けてないから、様子も見たいんだ。お願い雨田」
スマホに向かって頭を下げる。今度の間は少しだけ長かった。
『……八時にばあちゃんのリハビリ、見送りするけん。その後な』
「ありがとう! そっちの家行く!」
『いや、来んでいいし。てか、早いんだわ』
「じゃあ、後で!」
勢いよく通話を切って、鳴は急いで着替えを探した。
窓を開けて手を出し、気温を確認してから動きやすい服を選ぶ。オーバーサイズのトレーナーと細身のパンツがいいだろう。
それから戸締りをして着替えをすますと、簡単な荷物を腰のポーチに入れて、鳴は階下に降りた。
「おはよう」
言いながら台所に行くと、光生が朝のニュースを見ていた。両親はと席を見るが、不在だ。どうやら日曜出勤の日らしい。昨日の記憶は鳴にはないが、両親の仕事ぶりには覚えがある。
光生は鳴が入ってくると、挨拶を返した。
「おはよう。鳴、今日は早いなあ」
「ちょっと、雨田さんとこ行ってくる。それから一緒にお墓参りに」
「雨田の?」
「そうそう。墓参り友達」
「なんだや、それは」
事情をきちんと話しても信じてもらえるはずがない。鳴が雑な説明ですますと、光生が笑った。
「そういえば、雨田のおばあちゃんが帰ってきたんだって」
「ああ、タケ姉さん。そげか、元気になったんか」
「おじいちゃんのお姉さんだったの?」
「いんや。タケ姉さんはなあ、そりゃあもう、えらい女番長でなあ。ここらの俺ら世代の男衆は舎弟みたいなもんだったんよ」
懐かしいと言う光生は、膝を打った。
「花札賭博がうまくてなあ、あと喧嘩もめっぽう強かった。うちのばあさんが憧れちょったわ」
「へええ」
「また挨拶しにいかんといけんな」
「あ、今日はリハビリなんだって。もし会ったら、代わりに挨拶するね」
「おお、そげか。あのタケ姉さんがリハビリとは、年には勝てんかったか」
「おじいちゃんも気を付けてね」
「任せちょけ」
会話をしながら冷蔵庫を覗いて、昨夜の残りものを探す。めぼしいものがなかったので、適当な材料をとって台所に立った。
テレビのニュースから、天気予報が流れてくる。今日は久しぶりの晴天で行楽日和とキャスターが話している。ますますちょうどいい。やる気がさらに増した。
鳴が簡単な食事を済ませると、光生に声をかけて家を飛び出した。
単純に走るだけなら、人通りも車通りも少ない理想的な道を駆け抜ける。
鳴たちの家が並ぶところはほぼ一直線で、住宅街のように入り組んでいない。継の家は道なりに進んで分かれ道あたりだったはずだ。記憶を頼りに走ると、鳴の家と負けず劣らずの日本家屋があった。一部立て直しをしているのか、半分だけ綺麗な洋風の家になっていた。
その家の前に、継ともう一人小柄な老人が立っている。杖を持って、可愛らしい色のセーターを着たふくよかな老婦人だ。
鳴が小走りに近寄ると、先に継が気づいた。見るからに、まじか、という顔をした継に鳴は手を振った。
「おはようございます」
「ほんとにすぐ来よるし……おはよ」
鳴が前に立ってしっかりとお辞儀をすると、老婦人は目を瞬かせて継を見上げた。
「あんら、まあ! まあ、けえ。継ちゃん、あんた彼女さんおったの。ばあちゃん知らんかったわ。教えてくれてもよかったがね」
「全然違うけん。こいつ」
「そぎゃん言葉はいけん」
「……この人は、古曳さんとこの、ただの知り合い」
継の「こいつ」呼ばわりに、継の祖母、タケ子が目を吊り上げる。すると、継はもごもごと言葉を選びなおした。祖母にはめっぽう弱いようだ。
「古曳光生の孫で、継さんの墓参り友達の鳴です」
鳴がそう言うと、タケ子は「ああ」と納得した声をあげた。
「あの光生さんの! はあ、そう言われえとよう似ちょう」
「うちのおじいちゃんが、また挨拶に行くと言ってました」
「まあまあ、ようこそようこそ。だんだんねえ」
にこにこと笑い皺を作った優しい顔だ。とても光生が言っていた女番長には思えないほど、柔和で大人しそうなご婦人だった。
「お嬢ちゃんも、いつでもうちに来てええけんね。継ちゃんと仲良くねえ」
「ばあちゃん、いらんけんそういうの」
「今日はどこ行くんかね」
継の言葉を綺麗に聞かないふりをして、タケ子が言う。
「あ、そこの山のとこのお墓を参りに」
「墓地山かね。そげか、ミヨちゃんの墓もあーだけんねえ」
ミヨというのは鳴の祖母の名前だ。タケ子はミヨを良く知っているのだろう。懐かしむように続けて言った。
「昔は肝試しで悪さしちょう奴がおって、よう叩きのめしたもんだわ」
「そういえば、母も肝試しで有名だったって言ってました」
「凛子ちゃんのころはねえ、えらいはばしいいけず子がおったんよ。学校が荒れちょって、光生さんとこも苦労しちょったもんだわ。確かねえ……」
記憶を探るように、ううん、と唸りながらタケ子が視線をさ迷わせた。
「ばあちゃん、迎えきちょうで」
継が言うと、道の向こうから白いバンが走ってくる。車体にリハビリセンター名が書いてある。継の家近くで止めると、車から揃いのポロシャツとズボンの男女が出てきた。
きびきびとした動作でタケ子と鳴たちに挨拶をすると、車へとタケ子を案内する。
数歩足を進めて、タケ子はふっと鳴のほうを振り返った。
「物盗り。その子、墓を暴いたんよ」
ぎょっとしてリハビリ職員が「何があったんです?」と聞くのを、タケ子は「孫との昔話よ」と笑う。そしてこちらに手を振りながら、車へと入っていった。
去っていく車が見えなくなるのを待たずに、鳴はスマホを取り出した。履歴から目的の番号を探して、電話をかける。
「古曳、どうしたん」
「うちのお母さん、知ってるかもしんない」
しかし仕事に出ている母がでるはずもない。鳴は、留守電にかわる画面に焦れたように通話を切った。継は、それを見て、鳴に声をかけた。
「……そこで、待っちょって」
そういうと、継は玄関に引き返していった。玄関口から、継の声がする。
「母さん、ちょっと用がある」
「なにぃ、あんた出かけるんじゃなかったん。ばあちゃんになんかあった?」
「いや、聞きたいことあって。ちょっと出てきて」
少しして、継と一緒に綺麗な女性が出てきた。継と顔が似ていることから、母親だとすぐにわかった。継の母親は、鳴を見つけると目を丸くして継と鳴を見比べた。
先んじて「違うから」と早口で言ってから、鳴を紹介した。
「古曳が母さんに聞きたいことあって」
「私に?」
「母さんのころの学校にいた、はばしい人」
不思議そうにしていた継の母親は、継の言葉にすぐさま顔をしかめた。
「ああー……おったねえ。でも、なんで聞きたいん」
「古曳の家が管理しちょう墓から物盗ったっぽくて」
「うーわーあ。そげかね、やっちょう思ったけど、ほんにやっちょったんだ」
思わずといった風に言うと、継の母親は鳴に気遣うような視線をやった。
「あの、それが大事なものかもしれなくって。うちのおばあちゃんが元々管理してたそうなんですけど……もういないし、私は当時あったことがわからないので。もしご存じだったら教えてほしくて」
「凛子さんにはもう聞いた?」
「いえ、仕事中で」
「ああ。そうね。うーん、まあ、もう故人だからあんまり悪口は言いたくないけど。まあ、うちも関係するといえばするから……ええと、名前ね。姫宮。姫宮篤子だったわ」
継がそれに口をはさんだ。
「姫宮って、兄貴の奥さんが」
「そげだわ。その姫宮。あの母親からよくもまあ、あんないい子が育ったわねえ」
「まじか……」
継は小さく「効果すげえ」と言った。鳴がどういうことだと顔を向けると、継はスマホを出して軽く振った。じゃらじゃらとお守りのキーホルダーがある。どれも違う神社名だ。
感心して眺めている様子を遮るように、ぽん、と継の母親が手を叩いた。
「そうだ。連絡先なら、継が知っちょうから、教えてもらうといいわ。あ、うち上がる? お茶でもよばれんさい」
「あ、いえ。墓参りも行かなきゃいけないので」
「そう? あの墓地山に? なら、継、あんた送ってあげない。明るくても、一人で墓地山はいけんわ」
継の母親は見た目にそぐわず、強引なようだ。継の肩を強めに叩くと、鳴のほうに差し出した。
「気を付けていってらっしゃい」
「……いってきます」
「ありがとうございました」
にこやかに継の母親は見送ってくれた。継はそこから早足で先に進むので、鳴は礼をしてそのあとを小走りに追った。




