12.去来する変化
蓬子への電話はすぐに繋がった。挨拶もそこそこに鳴が詳しい事情を聞くと、待ってましたとばかりに蓬子は話し出した。
『その人のこと、伯父さんはよく覚えていたみたいなの。売買に熱心だったらしくって』
「好事家だったのかな」
『そういう感じの方ではなかったみたい。ただ、すぐにでも買ってもらえないかとか、高く売れるところを紹介してくれとか、しつこかったそうよ』
「でも、蓬子ちゃんの伯父さんは買ってないんだよね?」
『うん。でね、ある日突然、ぱったり連絡が来なくなったんですって』
「それで、亡くなったって知ったんだ」
『それも変わった死に方だったみたい。雷に打たれて入院した後に、重い病気になって、そのまま……ひどい苦しみ様で』
声を潜めて、怪談のように蓬子が話す。
(雷に病気って)
思い当たることがある。雷は厄を祓うもので、病気は悪鬼が噛むとなるというものだ。
もし、罰が当たったのだとしたら。
(姫が祟って、神器は行方不明になった? でもそれならそうと姫は話すはず。祟ってやったーって自慢しそう)
これだけでは、まだわからない。頭の中で考えを整理しながら、鳴は礼を言った。
「そう……聞きにくいことだったよね。蓬子ちゃん、ありがとう」
『いいのいいの。鳴ちゃんのお役に立てたなら嬉しいわ』
「もう亡くなられていたなら、連絡は無理そうかな」
『多分、もう繋がらないんじゃないかしら。ご家族さんがあの後全部引き取ってそれきりみたいで。きっと電話も契約を切ってしまっていると思うわ』
「そこまで聞いてくれたんだ」
『ふふ、実はね。詳しく聞いて調べないとって夢で見たの。変わった夢だったのよ』
それから、蓬子は話題を変えて話し出した。
夢占いや予知などをしたのかもという蓬子の話は、聞けば聞くほど鳴のよく知る人物が関わっていると思えた。十中八九はたた姫が夢を見せたのだろう。
(神様パワーの使い過ぎで、姫のおうちがこれ以上壊れないといいけど)
いまだ姿を見せない、はたた姫へと心配が募る。
『――じゃあ、また今度お買い物行きましょうね』
「うん、是非。楽しみにしてる」
長めの通話が終わって、スマホをポケットにしまう。
新しい情報は得られたが、その後の進展は今すぐ望めそうにない。せめて持ち出した人物の家族の情報があれば神器に繋がるかもしれないのに。
「姫、がっかりするだろうな」
言いながら洗面台を見上げる。鏡面がついた洗面台は、眉根を下げた鳴の姿を映している。
ふっと、数度瞬きしたように電気が明滅した。
すると、後ろ側に鳴が思い描いた通りのはたた姫の姿が見えた。鳴と目があうと、困ったように微笑んで、それから軽く手を振った。ぱちん、と音がする。
すぐさま振り返ったが、そこにあるのは通路だけだ。はたた姫の影の形もない。
「姫?」
また洗面台の鏡面を見るが、鳴の姿しかない。見間違えだろうか。あまりいい話でなかったから、鳴の予想で空見しただけかもしれない。
けれど、そのまま背を向けることに気が引けた。鳴は周囲をきょろりと見回してから、声をかけてみた。
「姫、帰ってきたならちょうどご飯の時間だよ」
しん、と静かな間があるだけだ。
鳴は肩を下げて、今度は思いついたように玄関に置きっぱなしの荷物から手鏡を取り出した。やはりこちらも普通の鏡のままだった。
「先に食べているね。ええと、気を付けて、頑張りすぎないでね」
鏡を優しく撫でてみる。特に反応はないが、何もしないよりは気持ちがマシだった。
あの表情が、緩やかな諦めのようなものだったらどうしよう。しんとした空間のなかにいると、悪い方向に考えそうになる。
「めーい、ご飯冷めるよ」
母親の声がする。これ幸いに、鳴は「今行く」と返して、手鏡を丁寧に服のポケットにしまった。きちんとそこにあるのを確認してから、台所に足を向けた。
台所では、すでに食事が始まっている。
湯気の立った鍋が食卓の中心に置かれ、母親がせっせと取り分けている。父親はテレビを飲みながらお茶を飲んでいる。鳴が台所に入ってくると、目じりにしわを作って父親が声をかけてきた。
「おかえり、鳴」
「ただいま。お父さんもお帰り。お母さんも」
「おかえり。鳴、適当に分けてるわよ」
椅子を引いて座る。食卓の向かい二席は両親の、鳴と祖父の光生は隣の席がいつものことだった。ただ、はたた姫が家に来てからは光生の席は側面に椅子を移動していた。鳴の隣ははたた姫の席だったのだ。
だというのに、今日は席が以前のように戻っている。食事もそうだ。
はたた姫は料理を口にすることはほとんどないが、果物やお茶や水をよく口にしていた。だから、はたた姫の分の湯呑が出ていないことに鳴は違和感を抱いた。
「お母さん、姫の分は?」
「姫?」
炊飯器からご飯をよそう手を止めて、母親が鳴を見る。何を言っているのといわんばかりの表情で視線を動かすと、光生に話しかけた。
「もう、お爺ちゃん。いくら可愛いからって、ちょっと鳴を甘やかしすぎじゃない?」
「いやそうじゃなくて」
「はいはい。言い間違えたんでしょう。お父さん、お代わりいる?」
「じゃあもらうか」
鳴の言葉は流されて、再び食事が始まってしまった。何かがおかしい。
用意された食事をとりながら、横の光生にそっと声をかけた。
「おじいちゃん、はたた姫の墓ってわかる?」
「なんだや、鳴。よう知っちょうなあ」
光生はまるで初めて話すような素振りだ。鳴の言葉に感心した様子で、目を細めた。
「昔なあ、肝試しで有名だったとこだわ。墓の向こうにあーが。野生の獣が出えけん、よう近寄らんようにせえよ」
「え?」
言っていることが違う。
古曳家が管理する墓だったはずだ。まるで、近寄るなとばかりに光生が話すと両親も追従して同じことを言った。
「ああ、あそこ。私のころも肝試しスポットだったわ。懐かしい。でも今は荒れてそうだからねえ。行くのはやめときなさいよ」
「野生の獣って、猪のほかに鹿も出ると聞いたなあ。可愛いだけじゃないから、気を付けるんだぞ」
ごくん、と食塊が喉を通った。じっと三人が鳴を見ている。
(絶対、姫が何かしたんだ)
そう思いながらおずおずと鳴がうなずく。すると、また和やかに食事は再開するのだった。
日が明けて、次の日。さらに次の日。
三日も過ぎると、鳴はそわそわと落ち着かなくなった。もうすぐ十月も終わってしまう。
それに、はたた姫と別れてから、天気の悪い日が続いている。そのことも鳴の心配を増やしていた。
天気予報もしばらく曇りが続くとあった。もともとこのあたりの土地は、晴れの日が少ないらしい。一週間先まで雲のマークがあり、突然の雷雨に気を付けるようとのコメントが流れていた。
(姫、帰ってこないなあ)
山に行ってみようにも、何かしらの邪魔が入るのだ。目の前で倒れた人を助けたり、急な助っ人を頼まれて学校の手伝いをしたりと、奇妙なほどに急な予定が入る。
家族も姫の話を振ってもなんだそれはと言わんばかりだった。
(雨田は覚えてたみたいだけど、注意されただけだったし)
この時期の山はやめろだとか、特に鳴一人はやめとけだとか。他にも小言交じりにあれこれ言われたが、総括すると大人しくしとけと苦い顔で言われた。継は部活の大会選手に選ばれたのと、入院していた祖母が帰ってくるので忙しいらしい。
ううんと腕を組んで唸る。
今日も大人しく帰るしか選択肢がない。放課後にあれこれ頼まれごとをして、下校時間がすっかり遅くなってしまった。
校門を出てすぐのバス停にいる生徒は、鳴しかいない。
車が時折通るだけの道は、なんだか寂しい。ぼんやりと外を眺めてバスを待っていると、鈴のような音を耳が拾った。
遠くからシャン、シャン、と響いている。
ひそひそとささやき合いながら、楽しそうに噂ばなしをするような物音もする。音の方向に目を凝らしてみると、うっすら場違いな格好をした集団が練り歩いている。
その集団の一番前は、白い着物の小さな人物だった。
顔まではわからない。面をしていて、あたりを跳ねるように進みながら後ろを率いている。その人物が進むたびに、シャン、シャン、と囃子が響いた。
集団は東の方向にぞろぞろと進み、すうっと消えていった。
(……今のは?)
呼吸を忘れていたみたいだ。あたりが再び静かになったところで、塊になった息が鳴の口から出た。ぱちぱちと瞬きをしていると、今度は目の前に鹿がいた。
白い立派な体躯の牡鹿だ。
ひゅっと息を慌てて吸って、むせそうになる。そんな鳴に気にせず、白鹿は前足を曲げてお辞儀をした。
その仕草に見覚えがある。鳴は目を丸くしながら呟いた。
「稲佐の使い」
「お忌みがいよいよ近づいた。霹靂姫命はお上りになったか」
「ええと、はい。多分。でもまだ神器の行方が」
鳴の答えに、白鹿は右足で数回地面を掻いた。
「あじきなし」
それはどういう意味だろう。鳴に言ったのか、それとも状況なのか、白鹿から表情は読めない。
「あじきなし」
もう一度言うと、白鹿は礼をして跳ねるように駆けて溶け消えた。
「なんだったの、今の……」
思わず口にして、鳴は鹿が消えた空間を見ることしかできなかった。
*
その夜。鳴はまた変わった夢を見た。
夜に眠っていたのを覚えていて、夢だとわかる夢。
ふっと気づいたときに、鳴は両手を見つめていた。自分の手ではない、男の手だ。どうやら荒事や畑仕事をしていない、綺麗な白い手だった。
服は地味な色合いの狩衣姿で、この男にとっては慣れ親しんだ衣装であるようだ。それをぐしゃぐしゃに袖に皺をつけ、涙で濡らしている。
曇天の下、草地にうずくまり身も世もなく男は嘆いた。
――あじきなきこと。
男は後悔していた。
すべては己の浅慮であったと、嘆いていた。男の中で、忘れようにも忘れられない情景が何度も映し出された。
国益のためと人柱になった姫。大衆の憂さ晴らしに選ばれた姫。豪雨、火事、すべての厄を祓えとささげられた姫。
――己が、はじめから姿を現さねばよかった。
嗚咽はおさまらず、そのまま男はうずくまり丸まった。やがて、男の姿は衣服を脱ぎ捨てるように獣へと変化した。
鹿だ。輝かんばかりの白鹿が、男だった。
自分が出会い、珍しい白鹿だと交流をもったせいで。
白い鹿は神使だといわれ、雷神様の御使いだといわれ。
山で出会い、愛情をもって接してくれた姫。己が命の尽きた時、姫に恩を返そうと思った。始まりは、それだけだった。
はたた姫の生まれがよくなかった。雷雨と共に生まれ落ち、見鬼の才があった。異能をもつ姫を、だれが普通と認めてくれるだろう。
――姫。姫よ。
遠くで、雷が落ちた。
か細く鳴いて、白鹿は地を蹴って駆けた。駆けて、駆けて、遠い小高い丘へと登っていった。
けれども、そこにあったのは、最早ただの抜け殻だった。




