10.亀裂
「鳴ちゃん、こういうのも似合うわ。ねえ、次の春になったら淡い色も着てみせてね」
蓬子はうっとりと言った。
秋の濃い色合いを手に取って、コーディネートを次々としてくる。鳴は普段着ない服をあてられては「似合うー!」と、きゃあきゃあ褒められた。
熱心に褒められれば、悪い気はしない。鳴がポーズを取ると、小さな拍手が飛ぶ。
鑑定家の叔父に繋ぐ代わりに。そう蓬子が申し出たのは、鳴との外出であった。休日に、一緒に買い物をして、試着した姿を眺めたいというのだ。
鳴が断る理由もない。一つ返事で請け負って、現在に至っている。
「むむむ、藤原の御方。美的センスは、さすがよろしいのね」
はたた姫は何を張り合っているのか、色に口を挟むもののすっかり買い物を楽しんでいた。今も昔も買い物は楽しいという感覚は同じようだ。
「姫も着られたらよかったのにね」
「まあ、鳴。わたくしが着るには大きすぎるし清めた着物でないと嫌よ」
自分の服の会計に行ってくると蓬子が離れた間に、鳴ははたた姫へと声をかけた。
大型モールの一角ではなく、町中にある服飾店ということもあって人でごった返すことはない。こそこそと話す分には怪しまれないので好都合だった。
「継も来ればよかったものを」
「弓道部はもうすぐ大会があるらしいからね。雨田、上手いんだって」
「そうね。あの長細い体でようく中てるのですもの」
「姫は見たんだ。どうだった?」
「競技としての腕前は、及第点といったところかしら」
「へえ、今度見に行こうかな。弓道部の活動見たことなかったし」
鳴は蓬子がレジで買い物をしているのを眺めた。気に入ったものがあったのだろう。追加であれこれと話している様子だった。漏れ聞こえる声に、お揃い、とか、推し色の、とかがある。楽しそうだ。
「家庭科部もいいけど、武道部も気になってたんだ」
蓬子に誘われて、同じ家庭科部に入ったのはいいが、運動部も気になってはいたのだ。もともと体を動かすことは好きだったし、兼部が可能だったらそっちに飛び込んでいたかもしれない。
「そうね。武道の……特に弓の音は護身になるし、良いことです。わたくしも昔鳴らしたものよ」
「姫も弓が射てるんだ?」
「わたくしはすごかったのですよ」
ふふん、と自慢気にしたはたた姫は、不意に隅のほうへと顔を向けた。
「どうしたの?」
「時期が近づいているからかしら。嫌なこと」
鳴が聞くと、はたた姫は手先で四隅を払う仕草をした。
隅に何かあるのだ。そう思って、はたた姫の手が払った方角を見れば、うっすらと陰っているようだった。光の加減というには、妙な暗がりがあるのだ。
はたた姫が両手の先で振る仕草をする度、煤が飛んでいくように明るくなった。
「姫、何かあったの」
「目にせぬほうが良いものです。穢れですからね」
はたた姫の言葉に、ふうん、と鳴は返した。
同時に会計が終わった蓬子が、駆け寄ってくる。
「鳴ちゃん、お待たせ。次の店に行ってもいいかしら?」
「大丈夫。今日はとことん蓬子ちゃんに付き合うよ。次も良いのがあるといいね」
「次こそ鳴ちゃんが欲しいと思うものを選んでみせるわ。門限までまだあるし、目いっぱい遊びましょうね」
買い物袋を両手に、蓬子が笑う。それに笑い返して、鳴は近くに浮いているはたた姫を伺った。はたた姫はどこか気にした様子であたりを見て、鳴と目が合うと何でもないように微笑んだ。
しかし、次の店。さらに次。
陰りらしきものがふとしたときに、鳴の視界に映り込んだ。そのたびに、はたた姫は清め祓いをしてみせた。
何気ない仕草に見えても、回数が重なれば疲れもあるのだろうか。元気よく手を振って別れた蓬子とは反対に、はたた姫は一息ついていた。
日が落ち始めて、影が濃くなっている。町から出るバスはまだ来ない。鳴はバス停のベンチに座って、ぼんやりした様子のはたた姫を見上げた。
佇んでいるだけだというのに、やっぱりだるそうだ。神様でも疲れはするのかもしれない。
「姫、大丈夫?」
「……ええ、大丈夫ですよ」
はたた姫はそういうが、姿はうっすら見えたり消えたりを繰り返している。
(そういえば、神様は穢れが駄目なんだっけ)
継とはたた姫にさんざん言われたので、図書館やスマホで日本神話を読んでみたのだ。やはり、はたた姫も神だというからには穢れは体に悪いのだろう。何回も祓うようなことをしていたのが、体に障ったのかもしれない。
禊をして身を清めて云々、といった文章を鳴は思い返して提案をした。
「姫のおうち、今から綺麗にしに行こっか。掃除くらいなら、私でもすぐできるよ」
はたた姫は、虚を突かれたように目を丸くした。
「清めのお手伝いにはなると思うんだ。ちょっとはマシになるんじゃないかな」
墓掃除は休日くらいしか行えていなかった。祖父が定期的にしていたらしいが、もしかするとそれだけじゃ足りなかったのかもしれない。
「姫のお墓、景色がいいから。姫に似合いの綺麗さになれるようにしようよ」
鳴の提案に、はたた姫はほのかに頬を染めた。
拒否はない。好意的な反応に、鳴は「じゃあ行こう」と言った。
「買い物のときに、姫に似合いそうな飾りがあったんだ。あ、お供えに花とかいる?」
「気持ちだけで十分です。花は咲いているものだけで良いの」
話している間に、バスが来た。
停車して乗降口が開く。タラップを上がって席を探すと、長細い袋を抱えた継の姿を見つけた。
継も乗り込んできた鳴を見つけて、緩く瞬きをしている。鳴が軽く手をあげれば、少し間をおいて手をあげて返してきた。
(ちょうど雨田の後ろが空いてる)
そのまま継の後ろの席に座って、鳴は「お疲れさま」と声を掛けた。うん、とも、ああ、ともつくような曖昧な返事がくる。
「それ、弓? 学校の持ち帰り?」
「俺の」
「自分用の弓あるの、すごいね。熱心だ」
「別に。そうすごいもんじゃない」
継はそう言うが、弓の入った袋は手作りのようだった。何年も使っているのか、ほつれを端切れで直したところもある。上の紐にはお守りが結わえられていて、銀糸の刺繍で厄除けという文字が書かれてあった。
(弓に厄除けって、なんか不思議)
じいと見上げているうちに、バスは緩やかに発進した。
自然と会話が途切れる。車内でおしゃべりをするのも躊躇われ、鳴は景色を眺めることにした。
夕間暮れの空は筋雲が浮かんでいる。橙色になった薄く伸びた雲を横切るように鳥が編隊を組んでいる。都会ではあまり見なかった山間と広い空は、不思議と郷愁をあおった。
窓ガラス越しに、一瞬、はたた姫が映ったがすぐに消えてしまった。鳴と同じようにな遠くを見ていたようだったが、何があったのだろう。
パチッと小さく音がした。この時期だから、静電気かもしれない。けれど、なんとはなしにそのせいだけではないと鳴には思えた。
「姫?」
声をかけても反応はない。
鳴が首を傾げていると、数度ちかちかと空が瞬いたように光った。また空を見上げるが、鳴の目には何も見えない。
そうこうして眺めていれば、あっという間にバスが目的地に到着した。
目的の停留所名が車内アナウンスで響くのを聞いて、下車をする。
この停留所で降りたのは鳴と継だけだった。どちらの家も同じ方角で、ただ帰るだけならば向かう道は同じだ。
ただ、これから鳴は、はたた姫の墓に向かう。秋の夕方は短い。あっという間に暗くなってしまう。
(なんとなく、暗いのは嫌だし。早く行こう)
鞄を握りなおして、鳴は先をゆっくり歩いている継に声をかけた。
「私、姫のとこに行くから先行くね。じゃ、また」
「これから?」
「そう。ダッシュで掃除しに」
お疲れ、ともう一度言ってから、鳴は小走りに家へと走った。
道中、はたた姫の姿は現れなかった。鳴が思った以上に疲れて、手鏡で休んでいるのだろうか。もしくは、一足先に自分の住処に戻ったのかもしれない。
走って家の玄関へ入ると、鳴は上がり框にある墓参り道具一式をつかんだ。奥に向かって大きく呼びかける。
「おじいちゃん、ちょっと墓に行ってくるー!」
返事を待たずに、鳴は踵を返して家から走った。
空の色は薄紫が混じり始めている。
見上げれば小さい星を見つけることができた。もうじき夜になってしまう。
家から山の墓地までは少しの距離があるのだ。足を回して駆けていると、後ろからベルの音がした。
二度、チリンと短い間隔で鳴ると、鳴の横に自転車が並走した。
「山の墓地に一人はありえんだろ。荷物持つけん、渡せ」
「雨田……ありがとう、助かる。やっさしーい」
「茶化すな」
言いながら、鳴の持つ道具を自転車籠に乗せて、継は緩く漕ぎ始めた。背中には継の身長くらいある長さの弓袋がある。バスで見たときと同じものだ。
「なんで弓?」
「護身」
鳴が聞くと、短く答えが返ってきた。変わった護身があるものだ。弓袋はあっても矢筒らしきものはない。
背中に背負ったまま、継は器用に自転車を漕いでいる。
「山の麓に入るまでは走れ。田井さんに見つかったらうるさいけん」
「田井さんって誰」
「交番のお巡り。この時間は巡回しとる」
「詳しいね」
「俺んとこの伯父だけん、知っとる」
軽く話しながら進むと、寺が見えてきた。
そこを通り過ぎれば山に登る道がある。今の時間から墓に参る人はいないのか、静かだった。
山道に入る直前にある、地図が描かれた看板のところで継が自転車を止めると鳴を促した。
「うまいこと立って乗れ」
「オッケー。ありがとう」
継の肩に手を置いて、自転車の後輪部分へと伸びるフレームに足をかける。鳴が乗ったのを後ろに見て、継はまた漕ぎ始めた。
緩やかな傾斜だが、すいすいと山間の墓地まで登っていく。ずいぶんとスムーズだ。
おかげで鳴が思っているよりも早く、目的地までたどり着くことができた。
「姫はおらんの?」
「バスを降りてから、どうもいないっぽくて。掃除の約束したから、先に来てるのかも」
自転車を墓地の入り口前に停めて降り、中へと進む。
墓地には誰もいない。薄暗くなり始めると、不気味に見えるから不思議だ。
せっかくここまで来たからと古曳家と雨田家のお参りをしてから、早足ではたた姫の墓へと向かう。
ずいぶんと暗くなってきた。鳴はスマホを取り出し、あたりを照らしてみる。
「姫ー。約束通り綺麗にしにきたよ」
言いながら、あの大石の墓まで行ったところで、鳴は体の動きを止めた。後ろから継が声をかけてきた。
「古曳?」
「ひび、増えてる」
スマホを動かして、大石を照らす。後ろの継に見えるよう、鳴は体をずらした。
前に掃除をしたときにはなかった亀裂が、大石についている。
はたた姫の住処である墓は、元からそうだったかのように古びて大小の亀裂が複数できていた。




