1.明滅する視界
うだるような真夏のある日。
古曳鳴の家は、消し飛んだ。
肌を震わせるほどの雷鳴がいくつも起こり、黒雲から放たれた光が鳴の家に向かって落ちていく。
「えっ」
路地に佇んで、ぽかんと鳴は口を開けた。
帰宅直前。鳴の目の前で、新築木造の家が炎上していた。
近所から慌てて人が出てくる音。騒ぎを聞きつけた野次馬のどよめき。救急車両のかけつける音。
そんなたくさんの音を置き去りにする激しい雷鳴がする。さらに一度、二度。
瞬間。
白い閃光を奔らせて、ダメ押しとばかりに大きな雷が落ちた。
今度は、木っ端微塵に火ごと鳴の家は吹き飛んだ。轟音と共に建材の一部が勢いよく鳴めがけて飛んできて、ようやく鳴は動くことができた。
「わあっ!?」
声をあげて、身じろぐ。
そうこうしているうちに、もう目前に迫っていた。
だめだ。
鳴はたまらず目をつぶった。
ドン。
したたかに打ち付けられて、喉をくぐって息が逆流する。
ひゅうと肺まで空気が入りこんだところで、しびれるような痛みが全身に広がった。
呻きごと胃の中に飲みこんで、鳴は咄嗟につぶってしまった目を開いた。
(……あれ?)
屋外ではない。古い木造の天井が見える。
ついで、首を横に向けると床に落ちていたとわかった。
流行りの歌がスマホから流れている。寝る前に設定していた目覚ましアラームだ。時折、けたたましいドラムの重低音が雷のように響く。
「夢」
口にすれば、さっきまでの光景が遠ざかった気がした。
(この音楽のせいかあ)
息を吐きながら、鳴は体を起こした。
体はいつのまにか、ベッドから床へと落ちていた。
一緒にずり落ちたシーツをつかんで、のそのそとベッドに這い上がる。スマホの画面にタッチしてアラームを止め、ようやく鳴は一息ついた。
今日は休日。秋の彼岸の入りである。
高校の振替休日で、部活も何もない完全なオフ。だというのに目覚めからついていない。
鳴は仕方なしにベッドから起きると着替えて部屋を出た。
二階の自室から階段を下りる。
由緒正しい古屋敷。そう言えば聞こえはいいが、実態は築年数ばかり経った古家である。階段も移動のたびに、ぎっ、ぎっ、と音を立てるのでいつか抜け落ちやしないかと心配になってしまう。
鳴は洗面所で顔を洗って、それから台所のほうへと顔を出した。パンの焼ける匂いがする。
「おはよう。えらい音、立てとったな」
土間のある台所で祖父の光生が振り返った。フライパンには二枚パンが並んでいる。それと一緒にウインナーと野菜も転がって、香ばしい食欲をくすぐる湯気をあげていた。
「おはよう、おじいちゃん。ベッドから落ちちゃって」
「鳴は寝だらだけんそうなる」
「ちょっと寝過ぎただけだよ」
「それが寝だらよ」
大きく口を開けて、光生がからから笑う。
「俺に似て、がいに格好よくなっちょうに。もったいないわなあ」
「おじいちゃん、私、女の子」
「わかっちょうわかっちょう。鳴は美人だ。えにょばだで」
方言混じりでおかしそうに言う光生に、鳴はもはや慣れた調子で「はいはい」と流してテーブルに向かう。
四人掛けのテーブルには、片づけた跡がある。すでに鳴の父母は食事を済ませて仕事に出かけたのだろう。
「おじいちゃんはお茶でいい?」
「ええよ。ついでに、そこの箸も並べといてごいた」
「わかった」
鳴の中学卒業を待ってから、家族総出で母方の祖父母の家に引っ越して半年が経過した。
最初こそ慣れない環境に戸惑ったが、最近は勝手もわかってきた。鳴は冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、用意されていたコップに注いだ。それから言われた通り箸を並べたところで、洗い場のところにおかれた水色のバケツを見つけた。
バケツには季節の花とつやつやとした葉をつけた枝が入っている。
「彼岸だけん」
鳴がバケツに注目しているのに気づいたのだろう。光生がフライパンから皿に料理を移しながら言う。
(ああ。おばあちゃんの墓参り)
鳴の祖母は、鳴が幼いころに亡くなったと聞いている。写真でしか見たことがないが、優しそうな面立ちの老婦人だった。
春は引っ越しのどたばたで、以来、鳴は行けずじまいだった。
「私も行こうかな。夢見が悪かったから、おばあちゃんのご利益もらいたい」
「ばあさんにそんな力あるわけないに」
「孫可愛い力で出るかもしれないよ」
おどけて鳴が言えば、光生は呆れたように笑ってから鼻を鳴らした。
「まずはその寝ぐせをなんとかせんとな。人前に行くんだけん」
さっと頭に手を当てて直す。短い髪になかなか頑固な癖がついている。そうこうしているうちに、目の前には料理の皿が並んだ。
「そんなら、食べ終わったら行からか。鳴、挨拶はしっかりせえよ」
「大丈夫大丈夫。いただきまあす」
鳴は軽く請け負って、食事を始めた。
光生は自分でお茶を丁寧に淹れながら、なおも鳴に注意を続ける。
「近所の人もだけどなあ、うちには代々世話しちょる特別な墓があるけん。礼儀はちゃんとしとかんといけんのだわ」
「おばあちゃんの墓だけじゃなくて?」
「はたた姫の墓っていうもんがあるんよ」
鳴は食事の手を止めて光生を見た。光生は茶葉を蒸らしてなんでもないように言う。
「大事にせんと祟られえ言われちょう墓らしい」
「らしいって」
言葉尻をとって言えば、光生は眉をしかめて返した。
「俺は入婿だけん、ばあさんに言われたことしか知らん。他にやるもんもおらんし、やっちょけ言われたけん。しょうがないわあ」
「それ、いつかは私も世話するやつ?」
「凛子の子が鳴しかおらんから、そうなる。鳴はうちの本家跡取りになってもらわんと」
凛子は鳴の母だ。働くのが好きなタイプで、同じように働くのが好きな父と意気投合して結婚した。
しかし鳴はどういうわけか、そんな両親には似ずにほどほどに緩い性格に育ってしまった。母の凛子曰く、鳴は外見も中身もともに祖父似らしい。確かに、目の前の光生の容姿は鳴とも似ている。
くっきりとした二重に、通った鼻筋。若い頃はしゅっとした美形と言われた祖父と、鳴は女ながらそっくりだった。
そんな美貌は老いても名残を残して健在だ。光生は大らかに笑って話を締めた。
「まあ、気負わずに覚えちょけ。鳴、頼んだぞ」
「うーん、わかった」
再び食事の手を進めながら、鳴は深く考えずに返事をした。