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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ブゲン様って知ってる?

作者: 雨井ハツネ

※いじめの描写があります。苦手な方は注意してください。


通学路。

挨拶の声。

学校の玄関。


目の前の下駄箱。


私は、下駄箱の前で深呼吸した。

そして、勢いよく下駄箱の扉を開いた。

視線を注意深く巡らせる。


カッターの刃、なし。

虫の死骸、なし。

悪口の書かれた手紙、なし。


(よし)


内心、胸を撫でおろすような気持ちで、私はようやく上履きを取り出した。

靴を床に降ろし、足を入れる。

そのときだった。


「いたっ……!」


反射的に足を引いて、痛みのあった指先を見ると、白い靴下に赤いしみができていた。

どこかで女子の下品な笑い声と、廊下を走る音が遠ざかっていく。


(ああ、油断した)


恐る恐る上履きのなかに手を入れると、指先に尖ったものの感触を感じた。

手探りでそれを引っ張り出すと、セロテープにまみれた画鋲だった。

セロテープでつま先に当たるよう貼り付けていたのだろう。

画鋲をその辺に捨てて、痛みなどないかのような振る舞いで上履きを履き直した。


私、水沢ミナミは、クラスメイトのいわゆるカースト上位の女子・日野さんと、その取り巻きにいじめられている。

いじめの原因は全く分からないが、思い当たることがあるとすれば……

日野さんがひそかに思いを寄せている、土田君と一言だけ喋ったことだ。

彼は男女分け隔てなく物腰の柔らかい性格で、誰にでも笑顔で接するので、私が特別何かされたというわけではない。

私は元々友達がいない方で、ターゲットにしやすかったのもあるのだろう。


土田君と話した次の日から、ただでさえ少ない友達は皆、話しかけても無視するようになった。

そして日野さんとすれ違うたびに、取り巻きたちに野次を飛ばされるようになり、下駄箱への嫌がらせも毎日やられるようになった。


私は藁にも縋る思いで、両親に相談した。


けれど。


「それくらい言い返しなさいよ。ヘラヘラしてるから目をつけられるんじゃないの?」

「そんなくだらない人、成績で見返しなさい」


私は担任の木島先生にも相談することにした。


「日野さんが? アハハ、あの子がそんな酷いことをするわけがないよ」

「水沢さん可愛いからさ、ひがまれてるんじゃない?」


木島先生は、日野さんを贔屓している一人で、まともに取り合ってくれることはなかった。


昼休みのチャイムが鳴った。

いつの間にか、授業が終わっていた。

私は、無責任な大人たちのことを振り払うように、トイレへ駆け込んだ。

私の昼休みは、あまり使われてないトイレの個室で一人購買のパンを食べるのが日課だった。

パンをかじりながら、学校の生徒が非公式に作った匿名グループチャット、いわゆる裏チャットのようなものを眺める。


『B組のY崎、大学生の女と付き合ってる』

『Y崎ってあの陰キャの?マジ?????』

『2年のM沢、出会い系アプリで男食ってる』

『M沢、毎晩パパ活してるらしい。繁華街歩いてるの見た』

『F野もやってるよ』

『おっさんとやるとかきったな』


M沢で該当するのは在校生徒の中でも水沢、つまり私しかいない。

またありもしない、自分の噂が増えていた。

この書き込みのどれかは、おそらく日野さんが書き込んだものだろう。

おそらく私自身が直接否定の言葉を書き込んだところで、噂が止むことはない。

それどころか私が書いたと分かれば、日野さんを余計に喜ばせ、いじめがエスカレートするだけだ。

けれどこのまま言わせておけば、根も葉もない噂ばかりが信じられていく。


八方ふさがりの地獄。

一生続くのだろうか。

それならばいっそ。


ふと。

トイレの床に落ちているメモを見つけた。

衛生観念よりも好奇心が勝った私は、それを拾い上げた。


そして、折りたたまれたメモ紙を開いてみた。


『うちのクラスのY崎、大学生と付き合ってる』


また下らない噂か。

けれど、ふと既視感を覚えた。

これは、学校裏チャットにも書かれていた噂だ。

誰かが紙とサイトの両方へ噂を流してるのだろうか。

それとも、紙を見た人がサイトへ書き込んだのだろうか。

私は、あるアイデアを思い付いた。

どうせ何をしても地獄の底なのだから。

それならばいっそ。


私は立ち上がると、職員室で早退届を提出し、その足で家へ帰った。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


この学校には、噂話を教えてくれる「ブゲン様」がいる。

学校に落ちている「噂が書かれた紙」を拾って読んだら、自分の知っている噂話を書いてブゲン様に返さないと、嫌なことが起きる。

場所は、3階の中央トイレ。

2階の東側トイレと西側トイレ。

1階の東側トイレと西側トイレ。

トイレの場所を繋げば、五芒星になる。これがブゲン様を呼ぶ出入口になる。

噂を絶やしてはいけない。絶やせばブゲン様の怒りを買う。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


私は自室でこれを書き終えると、イスにもたれかかり、胸にたまった達成感を溜息として吐き出した。

無論、ブゲン様などという噂はこの学校にはない。

様々な伝承を集めたサイトを読み漁り、私が作り上げたものだ。

ブゲンとは、誣言と書き、事実をわざと偽って言う、という意味だそうだ。

まさに私が流されている噂そのものと言っていい。

つまり私は、意地悪なクラスメイトにこっそり仕返しするため、自分も噂を流すことに思い至った。

しかし裏チャットに流すのは得策ではない。

カースト最上級の人間に対して急に嫌な噂を立てても、私の匿名アカウントが消されるか、うまくもみ消されるのが関の山だ。


そこで、噂を流すための仕掛けから作り上げることにした。

メモ紙に日野さんのあることないことを書いて、あらゆるトイレにばら撒く。

それを見た他の生徒複数人に、裏チャットへ書き込んでもらえばいい。

それにこの仕掛けの一番の目的は、何よりも「他の人にも噂を書いてもらう」ことにある。

他の人の噂と一緒に混ぜれば、自分が流したということはバレにくくなる。


紙の表には、

「これを読んだら、自分も噂を残してください。でないとブゲン様の怒りを買います」

その裏には、

「2年の日野ホノカはブランドバッグを買うために売春している」

と書いた。


内容は下品で嫌だけど、私自身が書かれたことの仕返しのつもりだ。

筆跡での特定を避け、噂を書くのは利き手でないほうの、左手で書いた。

ミミズのうねったような字が、なおさら滑稽だった。


この調子で、他にも日野さんにまつわる噂を書き溜めていった。

また、その取り巻きである女子たちの噂もついでに色々とでっち上げた。

もちろん彼女たちだけターゲットにすれば、私がやったと推理するのが容易くなってしまう。

そこで、他の生徒の噂も書いておくことにした。

「生徒会長は横断歩道を渡る時白線しか踏まない」など。

今時、こんなの誰が信じるだろうか。


(いいんだ、どうせ暇つぶしだから)


実際、裏チャットは今日も私や他の生徒の噂で、新着通知が絶えない。

誰かしらに引っかかることを信じて、私はせっせと噂を量産した。

悪いことをする前のワクワク感が、私に行動力を与える。


(明日……学校楽しみだな)


そう思えるのは、実に久しぶりのことだった。


次の日。

早めに登校した私は、いつもの下駄箱チェックはしなかった。

上履きをあらかじめ家から持ってきていたからだ。


(最初からこうすれば良かった)


急いで上履きに履き替えて、私は廊下を駆け出した。

1階の東側トイレと西側トイレ。

2階の東側トイレと西側トイレ。

3階の中央トイレ。

トイレの花子さんになぞらえて、3番目の個室に置く。

トイレタンクの上に2枚や3枚、ランダムで置いていく。

3階のトイレを出た頃には、もう校門に人がたくさんいる頃だった。

私のクラスは2階にある。

こんな時間に3階をうろついているところを見られたら、疑われてしまう。

慌てて2階に戻り、何食わぬ顔で出席したふりをした。

そしてその日は一切トイレに寄らず、食事は校舎裏で手早く済ませ、授業を受けて帰った。

帰り道、うっかり日野ホノカと目が合った。


「こっち見んなブス!」


「ギャハハハ! ホノカひっどー」


私はすぐ目をそらして、一切無視して帰った。

そして、待ちに待った次の日の放課後が来た。

まずは、日野ホノカが絶対に来ることのない図書室にしばらく身を隠す。

トイレに入るところを目撃されないよう、生徒がある程度下校するのを待って、紙の回収に向かう。


まずは3階のトイレに向かった。

廊下に人がいないことを確認し、3番目の個室に入る。

トイレタンクの上に、紙きれが置いてあった。

それも、明らかに自分が置いた時より多い。

自分が用意したのとは違うものが置いてあるということだ。


(やった!)


私は嬉しくなって、折りたたまれた紙きれを開いた。


「3年のN田くんは、男が好き」


「K谷先生はすけべ」


どちらも私が書いたものではない。字もそれぞれ別の人が書いたものだと分かる。

そもそも、これは本当だろうか。

勝手に周りが言っているのか、自分でカミングアウトしたのか。後者でなければ可哀想だ。

ましてや2枚目など、まさに便所の落書きのような、根拠もない内容。

私はすべて回収し、新しい噂に置き換えた。

設定では、噂を絶やしてはいけないのだ。絶やせばブゲン様の怒りを買ってしまう。

買ってしまったらどうなるのか、まだ決めていないけど。


他のトイレも見て回った。

1枚も新しくなっていない所や、いくつか無くなっているだけで新しいものが置かれていないのもあった。

全て回収し、新しい噂を置き直した。


そして次の日も、その次の日も。

それを繰り返した。


やがて噂に乗ってくれる人が増えていった。

全ての紙きれが新しい噂になっていることもあった。

その間も日野ホノカからのいじめが止むことは無かったが、私は相手にする気が失せていった。

日野ホノカがそうしている間にも、じわじわと私の反撃は続いているから。

例え筆箱を隠されても、体育着をトイレの便器に沈められても、私は誰にも言わなかった。

だって、これから地獄を見るのはあっちの方だから。


二週間ほど経って。

ホームルーム前の騒がしい時間。

私はいつものように噂の紙の交換を済ませ、いじめの後片付けを淡々と行い、本を読んでいた。


「ブゲン様って知ってる?」


クラスメイトの女子が、その名前を口にした。

ついに来た!

女子は、妙に興奮した様子で話している。


「私あれ拾っちゃったんだけど! ホノカちゃんってさ……」


「しっ!」


聞いていた友人が慌てて止めた。

2人の視線が教室の入り口へ向いた。

私もこっそり視線を追うと、日野ホノカが登校してきたようだった。

明らかに不機嫌そうな表情だ。

日野ホノカはふんぞり返った足取りで、まっすぐ私の席に来ると、勢いよく机を蹴った。

思わず、驚きに身体をすくませた。

周りのクラスメイトも静まり返った。


「あのさあ、お前がやったの?」


「な、何が?」


「とぼけんなよ!」


追いかけてきた取り巻きが、唾を飛ばして叫んだ。

ようやく自分の悪い噂を流されていることに気づいたらしい。

口調からしても、証拠を押さえたとは考えにくい。

となれば、いじめの報復として私がやったという推理にたどり着いたのだろう。


「ごめん、本当にわからない。何の話?」


私は精一杯演技した。

日野ホノカの表情が、みるみるうちに歪んでいく。

今度は手が出るか。そう思ったときだった。


「みんなおはよう。どうしたの?」


土田君の声。

日野ホノカは舌打ちした。

そして私の席を離れていった。


教室中の緊張の糸がほぐれていくのが、私にも分かった。

教室の仲が騒がしさを取り戻す中、私は笑いをこらえずにはいられない。


(ダメージ、受けてる受けてる)


ああ、交換ノートみたいで楽しい。

あの女の悪い噂を流すと、面白い話が返ってくる。

一石二鳥の交換ノート。


「2年B組のM沢、T田のことが好き」


これは絶対私のことだ! T田……土田君かな?


「2年B組の水沢ミナミが土田のことが好きなのはうそ」


思わず吹き出してしまった。

いったい、どっちの噂を信じればいいの?なんて思ってしまう。

紙きれはいつの間にか数を増やしていた。

この悪ふざけに乗ってくれる人がどんどん増えたのだ。

私はその期待に応えるべく、見つけた紙はすべて自分の書いた日野ホノカの噂と交換した。

私は久しぶりに、裏チャットを覗いてみることにした。


『ブゲン様って知ってる?』

『なにそれ?』

『知らないの 遅れてるー』


こっちもブゲン様のことでもちきりだ!

こんなに流行るなんて、高揚感を覚えずにはいられない。

言ってるそばから、目の前で新規書き込みが増えた。


『ここにまとまってるよ http://……』


メッセージと共に、URLが貼られていた。

世界的に有名な、ネット百科事典サイトのURLだ。

ついに世界的に有名なサイトにまで載せられてしまうなんて。

私はURLをタップして、中身を見てみることにした。


『ブゲン様とは:

語源は誣言(ぶげん)からだと思われる。

U県U市に伝わる伝承で、噂にまつわる神の通り名。』


おお。それっぽく書かれている。

U県U市はまさにこの学校がある市のことだ。

でも学校の人が書いたのなら、特に驚くことでもない。


『学校に落ちている「噂が書かれた紙」を拾って読んだら、自分の知っている噂話を書いてブゲン様に返すこと。』

『噂を置く場所は、地点を線でつないだ時、五芒星になるように置かなければならない。』


うんうん。そこに気付いてくれたなんて嬉しいなあ。


『噂を見たら、自分も噂を書かなければならない。』

『噂を絶やした者はブゲン様の怒りを買う。』


それでそれで?


『ブゲン様の怒りを買った者は、次の日に首を絞められて死ぬ』


……え?


『U県では実際に死人が出ている。』

『ブゲン様とはJ県の山奥に伝わる言い伝えが現代で変化したものであり……』


ナニコレ。


どういうこと?


死人なんか出てないし、J県の言い伝えなんて知らない。

自分は「嫌なことが起きる」としか設定していない。

ましてや、それを友達に話せるなんて、自分ができるわけない。

親に見られた……いや、それはない。

鍵付きの引き出しに閉まっているし、何よりあの人たちが私に興味を持つわけがない。

噂に尾ひれがついたんだろうか。

それなら、いったいどこで?

急に、冷や汗が出てきて、とにかくこの場を離れたくなった。

けれど、噂を絶やしてはいけない。

とにかく早々に配るだけ配って帰ることにした。


次の日の放課後。

またいつもと違うことが起きた。

いつも通り噂を配りに行こうとすると、クラス担任の木島先生が目の前を塞いだ。


「水沢さん。時間ある?」


木島先生はとても怖い顔だった。

「いいえ」と言える雰囲気じゃなく、私は仕方なく首を縦に振ると、指導室まで来るよう言われた。

指導室に入ると、木島先生は不機嫌な様子を露わにして、一人だけ椅子に座ると、ポケットから1枚の紙切れを取り出した。


「これは昨日の放課後、先生が見つけたものだ。なあ、これはお前が書いたのか?」


「知りません。何の紙ですか?」


嘘ではなかった。なぜなら、見慣れない水色の柄が見えたからだ。

私は罫線入りのルーズリーフを破って使っていたから、中を見なくても言い切れる。

しかし木島先生は、私を睨みつけたまま言った。


「いいや、お前がやったんだよな。学校の生徒が何人も傷ついてる。すぐにいたずらをやめなさい」


まただ。

また私の話を聞いてない。

また、私の主張を無視している。


でもその反面、この遊び自体を始めたのは自分だという自覚もある。

それに、よく考えれば私が噂を流されて嫌な気持ちになったように、私が噂を流した人たちも、どんな噂であれ嫌な気持ちになったかもしれないのは確かだ。

そういう意味では、先生の言う通りかもしれない。

調子に乗りすぎたのだろうか。もうやめようか。こんな馬鹿馬鹿しいこと。


そう思った時、外でクスクスと笑う声が聞こえた。あいつらの声で間違いない。

大方、外から盗み聞きをしてるんだと思う。

先生に言いつけたのも日野ホノカだろう。

木島先生は怖い声で言った。


「日野さんに謝りなさい」


その瞬間、私の中の何かがはじけた。


「嫌です」


あっちから寄ってたかっていじめてきたくせに。


「謝りなさい」


誰も私を助けてくれなかったくせに。


「嫌です!」


私は思い切り叫んだ。

先生が怒りに目を見開いたのが分かった。


「このっ、」


先生が手を振り上げた。


(殴られる!)


そう思って反射的に目をつぶった。

しかし、衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。

そして、うめき声が聞こえた。

思わず目を開けると、先生が苦しそうな顔をしていた。

喉からかすれた音を出して。


ガリガリガリガリ。


先生は首をひっかいている。


ガリガリガリガリ。ガリガリガリガリ。


まるで後ろから何者かに頭を引っ張られているような、不自然な体勢で。


「こ、ォ、あ……、ご、な、ぁぶ、げ」


ガリガリガリガリガリガリガリガリ。


何かをしきりに言おうとしているが何を言っているか分からない。

喉の奥から絞り出す異常な呼吸の音が、教室に響いている。

先生の目が白目をむいて、そして最後に、絞り出すようにこうつぶやいた。


「ごめ、な、さ、ぶ、げん、さ……」


ぶげんさま?


呆気に取られているうち。

いつの間にか職員室から先生が何人か来ていた。

そして救急車の音。騒ぐ声。怒鳴る教師たちの声。

白目を剥き、口から泡を吹き出して動かない木嶋先生が、担架で運ばれていく。


「……さわ。水沢!」


私はようやくハッとした。

気づけば私は警察の人に囲まれていた。

名前と住所を聞かれると、もう帰っていいと言われた。

現実味がないまま家に着いた。


自分の部屋のベッドに座って、ようやく拳をギュッと握っていることに気がついて、力を抜いた。

手の間から、紙きれが落ちた。

木島先生の持っていた、水色の柄の紙きれだ。

広げると、女子らしき丸い字で「木島先生はホノカと体育倉庫でヤッたことがある」と書かれていた。


次の日。

授業は中止になり、全校集会が開かれた。

木島先生は、あの時もうすでに亡くなっていたらしい。病死ということになっていた。

私が一緒にいたことは伏せられていた。1人ずつ献花をして、先生にお別れするよう言われた。

献花をした人から今日はまっすぐ帰宅するように言われ、私は花を置いて数秒目を閉じると、体育館を出た。

ただし、帰るわけではない。


私は下駄箱までの道を逆走して、急いで3階のトイレへ向かった。

もうこれでやめよう。

噂の交換も終わりだ。

全部、私が片付けなくちゃ。

いつもの場所に置いてあるものはもちろん、道中見つけたものも、全て回収していくことにした。


3階の中央トイレ。

2階の東側トイレ。2階の西側トイレ。

1階の東側トイレ。

そして、この1階西側トイレが最後。


タンクの上には、大量の紙が置いてあった。

水色の柄が透けて見える。どこかで見覚えがあったような……。

そう思い、つい中身を確認した。


『バカ』

『水沢はバカ』

『自首しろ』


トイレの外から、下品な笑い声が聞こえた。

やられた。

私が回収することを、あいつらは気づいてたんだ。

慌ててトイレを出ると、すでに日野ホノカと3人の取り巻きがにやにやと笑って立っていた。

頭の悪そうな取り巻きが口を開く。


「何寄り道してんの〜?」


「何って……」


取り繕う言葉を探そうとすると、他の取り巻きが喋った。


「しらばっくれんのやめたら?」


「お前がやってんのも、置き場所も、ぜんぶ知ってたんだよバーカ」


そして、日野ホノカが得意げに鼻を鳴らした。


「あんたが先生を殺したんでしょ。これで証拠つかんだから。警察に言いつけてやる」


すると取り巻きがげらげら笑いだした。

私は隙を見つけて、その間を抜けようと走り出した。

……が、多勢に無勢だ。


「どこ行くんだよ!」


「ぐぅっ……」


頭に衝撃を感じた。髪を掴まれたらしい。

たじろいでいる間に、囲まれて逃げ場を失う。

私をさげすむ目が、8つ。


「お前さ、早く自首しろや」


「そうだよ! 自首しろ!」


「じーしゅしろ! じーしゅしろ!」


「じーしゅしろ! じっ……」


ふいに、取り巻きの一人が苦しみ始めた。


「えっ……ぁ」


「ちょっと、どうし、ぅ」


もう一人、また一人、首をおさえていく。


そして。


「ごほっ、ぶ、げ、」


ガリガリガリガリ。


「ごめ、ぁ、」


ガリガリガリガリ。


「たす、け、ほの、ぁ」


「いやっ!?」


日野ホノカは、伸ばされた手を避けるように後ずさった。

3人分の激しく首を掻きむしる音が、響き渡る。

やがて誰もが「ブゲン様」か「ごめんなさい」だけを喉から搾り出し始める。


先生の時と一緒だ。

私はずっとそれを見ていた。

日野ホノカも、ただ何もせず呆然と見ていた。


そして3人は、のたうち回り、白目を剥き。

苦しみ切ったのだろう。

しん、と静まり返った。


「なに、こ、れ」


私と日野ホノカだけが、ここで生きている。


「は……? おい、お前の仕業なの、これ? どういうこと、何をしたの!?」


私の胸ぐらを掴んでゆすってくる。

甲高い喚き声が反響する。

私は苛立ちと共に振り払った。


「自分は書かなかったんだ」


「なにを」


「ほんと卑怯だね。卑怯者」


「う、うるさいっ!!」


殴ろうとする手を乱暴に振り払った。

なんだ、最初からこうすれば良かった。


「救急車は自分で呼んだら?」


私は呆然とするクラスメイトに捨て台詞を吐いて、学校を出た。

青空の下の通学路。

私は、下駄箱を見向きもせず、校門を走り抜けた。

通り抜ける風が気持ちいい。

学校の帰り道がこんなに清々しいなんて。

もう、学校が終わったそばから明日に怯えなくていいなんて!


「私は勝った! ざまあみろ!」


これは勝利の雄叫びだ。私はいじめっこに勝ったんだ!

私は走り続けた。

大きな声で笑いながら。

呼吸が荒くなってくる。

ああ、苦しい!

息が苦しい!

息が吸えない。

息が吐けない。

首に何か。

締まって。

解けない。

ぶしゅう、ぶしゅう、ぶしゅう。

怒り狂った、猛獣のような呼吸音。

ブゲン様に謝れ。ブゲン様に謝れ。

ガリガリガリガリガリ。

苦しい。首が。

取れない。取れない。

ガリガリガリ。

ぶげんさまにあやまれ。


声が。


ガリガリ。


「ぶ、げ、さ、ごめ、な、ぁ」









おわり

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