085:田植えの時
【西門外、鴨川西岸】
ダンジョンから供給される豊富な水が水路を伝わって水田を満たす。
「千里の道も一歩から。百万町歩も一反から。」
マリーの挨拶により田植えが始まる。とはいえ、苗作りに約30日必要なので、今日は第三層群の池用に用意していた苗を練習を兼ねて植えるのみ。
稲が桶で栽培する高級品で、農民が水田での稲の育て方など知らないのを良い事に、定規を使ってきっちり並べる正条植を行うが、砂漠で雑草や害虫は少ないので、わざわざ正条植する利点は乏しかったりする。試験的に乾田直播も試すが、この地域の条件に合った方法は未知数。
「やることは桶に植えるのと同じだな。」
誰かが言う。
「桶が3つか4つで茶碗1杯分。俺達の口に入ることは無い。」
「今年は千町程も田を作ると聞いた。いずれは百万町だとか。」
「百万とは、また大きく出たな。百万人分か。」
反収1石の下田でもそれで済まないのが稲作の生産力。
【第三層群玄関前広場】
「トラクターどころか牛馬すら居ない。」
「仕方ありません。埼玉は人口過剰で役畜が少ない地域でしたから、こちらの世界も文化的に影響を受けているのでしょう。ついでに、この地域は砂漠なので家畜用の餌が足りないという問題もあります。でも、動力を持たない農機具なら、このダンジョンに無いだけで大抵は既に世の中に存在しますから、作りさえすればみんな使うでしょう。」
家族経営の自作農(本百姓)が多彩な農機具を保有するのが江戸時代の特徴。これはこの世界でも同じ。大抵の民俗資料館に千歯扱と唐箕があるのは、これらが高価で大型の農具だったため捨てられずに残ったため。
「作りさえすれば?」
「ええ、効果は既に知られていて、単に入手出来ないだけですから。これが全く未知の技術だと、大抵の世界では民衆はなかなか受け入れません。」
「農業技術的には江戸時代はかなり進んでいたということか。」
「動力が無く機械化されていだけで、技術的にはかなりの水準でした。農作物でも、この世界でも江戸時代同様に、馬鈴薯・甘藷・南瓜・玉蜀黍・落花生は普及はともかく知られては居ます。唐柿は不味いので観賞用ですが。」
「この世界にも新大陸があるってことか。海すら無さそうに見えるが。」
「どうやら海は無さそうですね。昔は海があったのか、異世界から持ち込まれたのかは知れませんが。」
「ただ、芋系は異世界の優れた品種を取り寄せられないんだよな。」
「芋は雑誌の付録に付けにくいですし、このダンジョンでは本しか召喚出来ませんからね。厳密には図書館の備品とダンジョンモンスターの衣食住関係も召喚出来ますが生物は含みません。」
もしダンジョンモンスターが人間で、新鮮な野菜を食材として召喚しても、それらは生きていない。
「ホームセンターダンジョンが欲しいな。あるいは百貨店ダンジョンとか無いのかな。越後屋とか。」
「マスター、越後屋は東京市民専用です。わたし達は入店できません。……なんてことは無いでしょうが、そんな便利なダンジョン、あまり期待できませんね。先日話したように、北海道に温室を併設した図書館がありますから、召喚しておけばそのうち植物も入手できるかもしれませんが。」




