506:ナポレオンに笑われる
【第三層群屋上庭園】
「マリーさん、ダンジョン影響圏の端から、転送陣の最高速度、時速600kmで偵察機を打ち出したら、どれくらいの高さに到達できるだろうか。」
「真上で空気抵抗を無視すれば、1.4kmですね。サイタマイルタワーを加えて3km。こんな雑な計算ではナポレオンに笑われますが。」
「ナポレオン?」
「砲兵ですから、空気抵抗はもちろん流体力学も考慮して弾道を計算しないと大砲は当たりません。このダンジョンみたいに鉄パイプと肥料で自作した命中精度に難のある火箭を釣瓶打ちする。なんてやり方なら弾道計算は不要、というか無意味ですが。」
「あれも技術的には原始的なので、他の勢力に真似される危険がありそうだ。」
「このダンジョンには火気使用禁止の固有法則がありますが、それ以外だと製造中に爆発するでしょう。とはいえ、この世界にも花火はありますし、異世界でも既に江戸時代には秩父でロケットを打ち上げていますから、いずれ技術が広まるのは避けられないでしょうね。火箭がこのダンジョンに対して使用されたのなら対処可能ですが、第三者同士の戦争で使われたら手は出せません。」
「新技術の実用化は困難。だが、実用化出来たら、あっという間に広まって悪用される。か。」
「物理的な現物は関所で止めることが出来ても、アイデアは止められませんからね。それに密輸だって完全に止めるのは困難です。この世界は江戸時代並なので、識字率は比較的低いとは言え、読み書き算盤はそれなりに普及していますから、明治維新のように新技術が急速に広まる下地はあります。」
「確か江戸の識字率は同時代のロンドンより高かったとか。」
「それは、産業革命の副作用でロンドンの教育・衛生水準が極端に低下したためですね。国全体だと当然英米や北欧の方が日本より識字率は高くなります。英米だと読み書き算盤の算盤が算数となり3R's、これは18世紀のロンドン市長が誤ってReading,Riting,Rithmeticと言ったのが語源のようです。」
正しくは、Reading,wRiting,aRithmetic。
「ただ、このダンジョンに限れば識字率は2割かそこらに見える。」
「移民は3種類。まず武家の次男三男や商家・自作農の分家。彼らの多くは読み書きは出来ます。ですが、人数的には、言い方は悪いですが余剰人口が多くなります。最期は修羅など民族的理由の移民ですね。修羅は識字率が高いので、全体で見たら3割程度でしょう。」
「高くは無いな。」
「でも、異世界日本では明治時代の識字率は4割ですから、江戸時代は3割でしょうね。武士と商人はほぼ全員、商品作物が普及した地域では自作農の男性も多くは読み書きが出来ました。ですが、正式な公文書である漢文の読み書きが出来る人は少なかったですね。」
「それで、このダンジョンでは公文書を口語体として漢文を使わないわけか。かなりの反発はあったが。」
「右筆にとっては営業妨害ですからね。でも、そもそも、わたしも中国語の読み書きは一応できますが、漢文はせいぜい入試レベル、つまり『無筆者』ということになります。だいぶ勉強したので読む方はだいたい覚えましたが。」
「そして、ダンジョンの獲得エネルギー最大化のために、識字率を上げると。」
「『機能的非識字』の問題もありますから100%は不可能ですが、以前にも話したとおり、将来的には7~8割が目標ですね。ナポレオンには目標が低いと笑われそうですが。」
「フランスは識字率髙かったか。」
「はい。教育制度が優秀なのか、遺伝的に……、フランスは人種差別や民族差別ではなく同化政策の国なので無関係でしょう。フランス語自体は全ての名詞に性別があるとか、数字の数え方が教科書投げ捨てたくなるとか、かなり難しい言語ですが。」
同化しないドイツ人とイギリス人が差別対象。個人主義で何かあると躊躇なく実力行使する修羅の国。
「マリーさん、なら逆に、簡単な言葉となると?」
「マレー語やスワヒリ語は交易言語なので難易度が低くなっていますね。英語も正規の英語は難易度高いですが、実際には相当出鱈目でも一応は通じます。」




