504:無数のロストテクノロジー
【第三層群屋上庭園】
「この、『服を買いに行くための服が無い』現象、厄介な問題ですね。これ、英語だと Need scissors to open scissors、ハサミを開封するためのハサミが無い。と言います。」
「確かグリーンランドの崩壊だったか。」
「グリーンランドは、航路の途絶で教皇に任命された司教が派遣できず、司教がいなければ神父も養成できず、神父がいないと結婚式が出来ず、挙げ句社会が維持出来なくなったため。つまり交易に依存していた不可欠な『資源』の途絶です。少し違いますね。」
「このダンジョンの問題は、何かをするためにそれ自体が必要。か。」
「はい。1つの技術には前提となる多数の技術があり、その全てが揃わないと次の技術は開発できません。そして、このダンジョンでは書籍や論文などに記録された『知識』は、概ね入手可能ですが、文書化できない技能は存在しません。なお、技術は複雑に絡み合っているため、『何が欠けているか』の特定も困難です。」
「『技術ツリー』みたいに分かりやすくは無いか。」
「そして、何かの前提技術に、現在存在しない『ロストテクノロジー』が挟まっていると、そのルートでの開発は止まってしまいます。『車輪の再発明』は容易ではありません。まだ『四角い車輪の再発明』で何とかなれば良い方です。」
「四角い車輪って、用を為すのか。」
「道路自体を連続したカマボコ型にすれば使用可能です。無茶な力業ですが。これは分かりやすくしたたとえ話ですが、欠落の多い技術体系で前に進むには、こういう無茶もやむを得ません。」
「マリーさん、もし、属人的な技能『だけ』の問題なら、名前付きモンスターを大量に召喚出来れば解決するが……。」
「召喚枠の制約がありますし、ダンジョンモンスターからはダンジョンエネルギーは得られませんからね。このダンジョンが工場ダンジョンなら、名無しの産業用ロボットモンスターを大量に召喚するという選択肢もあるでしょうが……。」
「まるでゴーレムと言う訳か。」
「広義にはその一種ですね。なお、魔力で動き額に『しんり』と書かれた、いわゆるゴーレムはそれに対応したダンジョン影響圏内でしか動きませんが、工作機械は電力を供給すればダンジョン外でも動作できます。」
「額の文字はヘブライ語でも良いが命令を間違えると暴走するんだったな。」
「本来はヘブライ語ですね。イディッシュ語を母語とするユダヤ司祭がヘブライ語を間違えてゴーレムが暴走する。というのは伝説の定番です。なお、truthの一部を消してもdeathにならないので、この世界のゴーレムに対応したダンジョンであっても、英語では制御出来ません。」
「人工知能では感情エネルギーは得られないんだな。」
「実際に知能がある訳ではありませんからね。そう見えるようにアルゴリズムを組んでいるだけです。あと、わたしは『人工知能使用士』の国家資格は持っていませんから、人工知能は使用できません。そもそも、このダンジョンには人工知能を運用出来る大規模サーバーはありませんが。」
世界によってはインターネット自体が免許制で、メールは国家資格を持った代書屋に頼む異世界もあるが、マリー達が良く知っている異世界は法制度が追いついていない。
「生物であっても普通の動物ではダメと。」
「はい。具体的な線引きがどこかは不明瞭な所がありますが。普通の動物で良いのなら、それこそ豚でも大量に飼育すれば容易にダンジョンエネルギーを入手出来ることになります。なお、豚は相当に知能の高い動物ですが、同族が出荷されたとき『次は自分の番だ』と考える能力がないため家畜に甘んじています。」
「確か家畜化の絶対条件だったか。」
「犬みたいに飼い主に殉じる例外を除き、家畜には必須の性質ですね。他にも好ましいとされる性質はいくつかありますが。」
「人間牧場で人間を殖やしても出荷する訳には行かないわけか。」
「容易に叛乱の原因になりますからね。宗教的動機付けなどで少数の生贄を差し出させることは可能ですが、おそらく永続的ではありません。大抵の場合、いずれ退治され、妖怪として後世に伝えられることになるでしょう。この世界の昔話だと、ダンジョンが生贄を要求してダンジョンごと討伐される。という話はよくあります。」
「自然に寿命で死ぬのを待つわけにはいかないのか。」
「大抵のダンジョンは居住には向きませんからね。ダンジョン前に出来た村を後から影響圏に組み込むのも不可能です。」




