344:穴地獄
毛の国の北西部、吾妻郡の奥地には、草津温泉ダンジョンをはじめ複数のダンジョンがあり、迷い込んだ不幸な旅人を待ち構えている。
影響圏が直径1里かそこらと狭いダンジョンなら何百年も生贄無しで耐えることは可能だが、知性の無いダンジョンはエネルギーの浪費など様々な原因で容易に崩壊するため、この付近にはダンジョンの残骸である干上がった窪地や硫黄に覆われた大地なども点在している。
「地図によると、ここが『穴地獄』ダンジョンとのことだが。ここからでも臭いな。何だこの悪臭は。」
冒険者の右馬太夫は、図書館都市ダンジョンから支給された地図を見ながら言う。マリーがわざわざ転送陣に作った乗降場で降り、熊倉の廃村を経由し西へ4~5里ほど歩いた場所。泉から水が流れ、東西2町・南北半町程の土地に一面、緑の絨毯のように植物が生えているが、あたり一面に硫化水素の刺激臭がする。
地形は全体的に西が高く東が低くなっており、泉の水は東の方へ流れて砂漠に消えている。
「右馬太夫、一見、平和な泉に見えるが、これもとびっきり危険に違いない。ここの南に位置する『草津温泉』の話は聞いたことあるだろう。」
左衛門太郎が問う。
「ああ、温泉とは名ばかりの高温の熱湯だろ。しかも釘が7日で溶けるとか言う。盟神探湯って言って、悪いことをしていない者だと問題無く入浴できるそうだが。」
異世界の草津温泉も高温の酸であり火傷必至であり、外気に晒したり掻き混ぜたりして冷やしている。(水を加えたり循環させると「源泉100%かけ流し」の定義から外れてしまうため)
「あ~、俺達には絶対無理だ。今回の依頼主様はもっと無理だろうけどよ。」
兵衞次郎が返す。
「何でも、毛の国自体は六道のうち畜生道に近いが、この付近は地獄の影響が強いということだ。」
「左衛門太郎よ、確認するが、図書頭様の依頼は、石をいくつか拾ってくることだったな。」
「違いない。なんでも、30億貫の鉄がある『かもしれない』とのことだ。それで、この規模だとおそらく知性は無いので、鉄があるなら、可能なら『飼い慣らす』。無理なら討伐して鉄を採掘するとの話だが、ダンジョンなんて飼い慣らせるのか。」
「飼い慣らせるなら、総の飯沼ダンジョンで遭難が頻発したりしないだろうな。那須塩原や図書館都市ダンジョンは『飼い慣らしている』とは言えないし。」
飯沼は多量の魚介類を産するダンジョンだが、時として人の命を奪い、さらに300年かそこらに1度は1,000人程も命を落とす大規模遭難が起きる。ダンジョンの維持だけならこれほどの犠牲は必要無いが、大量の魚を産するためには多大なダンジョンエネルギーを要するため。
「右馬太夫、そいつは俺達人間様がダンジョンに飼われているって言うんだ。図書頭様、犬と呼んで下さい。って。」
「ま、兵衞次郎よ、俺達は飼われることを選んだんだ。あの小判拾いの日にな。」
「慎重に行くぞ。低い場所は悪い『瓦斯』とやらが溜まっているから避けるように。とのことだ。」
右馬太夫たちは、マリーから貰った紙を見ながら、穴地獄ダンジョンの緑色の場所に近づく。鮮やかな緑色の植物は、おそらくコケだろう。冒険者達に断言できる知識は無いが。
「まず、石を一つ確保。奥の水が流れてくる方へ行ってみるか。」
「右馬太夫、どうもいやな感じがする。深入りしない方が良いのでは。」
「左衛門太郎、妖怪変化でも出るか。でも、コケの沼で出る怪物って狐狸では無いだろうし。」
「沼っていったら、普通ならいろいろ居るだろうが、ここは毒水だから何とも。ただ、俺は、もう少し様子を見るべきと思う。水がどこから出ているかも知っておきたい。」
「兵衞次郎は行く。か。左衛門太郎は戻ってダンジョンの外で待機でも良いが。俺達が戻らなかったら石を図書頭様に届けて欲しい。」
「縁起でもないことを言うな。こんな所で議論しているだけ時間の無駄だし危険だ。そして、単独行動はもっと危険だ。ダンジョンに喰われるかもしれない。」
「すまぬ。確かにここはダンジョンの中だ。いきなり落とし穴を開けて火をかける。なんて事は普通は無いだろうが、慎重に行動すべきだったな。ろくな装備も持たず地底湖に挑んで喰われた、どこぞの間抜けな冒険者みたいにはなりたくない。」
そう言うと、右馬太夫は引き返そうとした。




