210:今は打つ手無し(10日目・朝)
【第三層群10階応接】
第三層群10階南側の応接室。低い長机の廻りに8脚のソファが配されている。
長机には布団が敷かれマリーが寝かされているが、その青みがかった黒い目は何も見ていない模様。ダンジョンマスターとスーパー薄荷のミントと医者のサピエン先生は今後の方針を相談する。
「人間の医学は知識としてあるが、修羅、しかもダンジョンモンスターのことはよく分からぬ。」
医者のサピエン先生は自身も修羅だが、設定上の経歴に伴い持っている知識は異世界の人間用。異世界転生者では無いため、あくまでも設定上の話だが。
「ここからは憶測に過ぎないが、おそらくマリー書記はダンジョンの機能で脳を直接何かに論理的に繋げていたと推測される。そこに過大なダンジョンエネルギーが流入したため、脳が焼け切れたと思われる。」
「え~と、名馬に脳を焼かれたのでは無く、物理的に焼けたと?」
「樹木系の修羅には『本体』の樹木に記憶を分担させることができ、さらには意識を移すことができる者が居る。そうすることで脳の記憶容量を超える知識を忘れずに蓄える事が出来る訳だ。」
「世界樹か……。この屋上の世界樹が本体ということだな。昔マリーさんがそんなことを言っていたことがある。」
「おそらく世界樹と脳を直結させていたところに過剰エネルギーで回路が焼かれた。と思われる。」
「思われる、思われる……異世界に獣医は居ても修羅の医者なんかいないから仕方ないか。で、治療方法はあるのか。」
獣医だって牛馬のことは分かっても牛頭馬頭は全くの専門外だろう。
「分からぬ。ただ、ミント管制室長にダンジョンのシステムログを確認してもらったが、少し気になることがあった。」
「側近書記殿は、ダンジョンチュートリアルを飛ばし、正規のダンジョンモンスター召喚手続やオリジナルモンスター設定手順を踏まずマスターユーザー権限で無理矢理召喚されています。いわば『急造品』のため、いろいろと通常の修羅とも異なる不具合がある可能性が高くなっています。」
外見も服で隠れる部分は手抜きで存在しなかったりするが、内部構造も省略されている模様。道理で修羅としても体重が軽い訳だ。
「我輩の責任と言うのか。」
「館長殿がチュートリアルを飛ばした理由はあるでしょうから、誰かの責任と言う訳ではありません。」
工学修士なのに英語がよく分からなかった。というのが理由だが、当然それはシステムの記録には残らない。
「ミント管制室長と『ダンジョン大百科』をざっと確認したところ、方法はいくつかあるようだが、なにしろ特殊事例なので上手く行くとは限らない。」
「いくつか?」
「まず、このまま経過観察。ダンジョンコアまたは世界樹の近くなら、自然に回復する『かもしれない』。」
「かも。か。」
「修羅は光合成はしないが、適時日光に当てて、水と修羅用の液肥を与えて様子を見る。要は観葉植物と同じように扱えば良く、レオナルド看護師を貼り付ける必要は無い。」
「なるほど。」
「次に、名前付きモンスターの場合、死亡すればいずれ復活するため、ここでとどめを刺す。」
「え、……さすがに、それは……。」
「ただ、コアが多数ある『商都梅田』ダンジョンは全部のコアを制圧しないと制圧できない。この事例から考えると、『本体』の世界樹は残る。再度自然に体が再生されれば良いが、もし再生されない場合、樹木と意思疎通するという難題が生じかねないし、記憶は失われる危険が大きい。」
「難題というか、不可能ごとと言うか。」
「最期に、『ダンジョン大百科』には具体的な方法の記載がないため詳細は不明だが、この体に『死体憑依召喚』により異世界の人物の召喚を試みる。という案もあり得る。」
「方法が分からないのでは……。それに、中身が変わってしまう。ということだよな。」
「あくまでも選択肢の話だ。代役が務まる都合の良い死者が居るか。という問題もある。ただ、現状の制約を打破できる可能性はある。」
「館長殿、名前付きモンスターは特定の異世界人が輪廻転生したものでは無いため、あまり極端な経歴上の設定はできません。実在人物なら、医学部が無い大学卒の医師というのも実在しますが、図書館都市ダンジョンでは第三層群の複製元に司書課程が無いため司書は召喚できません。」
「死体憑依召喚なら、都合良くトラックに轢かれた司書が居れば呼んでくることは可能だし、転生みたいに一人前になるのに10年以上必要ということもない。あくまでも理論上だが。」
異世界転生でも子供の頭脳では脳の配線が未完成であり出来ることが限られてしまう。
「」
「あと、医学的なものではなくシステム的な対策です。現在名前付きモンスターは上限8名でもう増やせませんが、3枠空いている名前有り一般モンスター召喚枠で代替要員を召喚する方法です。ただし、組織運営などに向いた社会科学系は既に枠が無く、さらに名前有り一般は一般ユーザーとなりダンジョンのマスターユーザーどころか管理者ユーザーにもなれないため出来ることが限られます。」
営業を2人も召喚したのが誤り。なお、マスターユーザーは通常はダンジョンに1人だが、このダンジョンではなぜかマリーもマスターユーザーとなっている。
「権限が足りないか。今日明日で何とかは出来ないか。」
ミントとサピエン先生は黙って首を振る。




