209:撤収(9日目・夕方)
【第三層群・管制室】
管制室に不快な警告音が鳴り響き、モニターに映ったコアルームではダンジョンコアが英語で何か言っている。
「ミントさん、コアが上位王がどうとか言っているが。」
「overlordではなくoverload、過負荷です。コアに過大なダンジョンエネルギーが流入しています。コアは自動的に予約済みの図書館召喚を行っていますが、流入速度が速すぎ処理しきれない分はダンジョン影響圏の拡張に廻しています。」
と、ミントが言っている間に、一瞬ダンジョンが揺れると、コアが再度英語で警報を発する。
「今度は何だ。1グロス・ハロンのブレークダウンでパージがどうたら、とか。」
「館長殿、落ち着いてください。1グロスは144、ハロンは201m、要するに半径29kmのダンジョン影響圏が過負荷で崩壊したのでダンジョンから切り離した。ということです。コアに蓄積しきれない過剰なダンジョンエネルギーは塔の増築と影響圏拡張に消費しているため、この塔が崩壊する危険はありません。」
「ああ、144ハロンか。え、144? そんなのステイヤーでも無理だぞ。え~と、29kmということは?」
「戸田より少し先から遠方、無名橋や付城が失われました。この範囲の道路も水道もダンジョン構造物は全て粉々に崩壊してると思われます。ダンジョンモンスターも名前付き以外は消えますが、幸いこのダンジョンでは元からエサのネズミしか居ません。自動車など召喚した備品は残っていると思われますが、影響圏外になってしまったため状況は不明です。」
「何もかも吹き飛んだ、とか無いよな。」
「ダンジョンコアのエネルギーが直接放出されたならそういう可能性もありますが、こちらのダンジョンで吸収し損ねての崩壊ですから、それは大丈夫でしょう。」
【ソンビダンジョン隣・付城跡】
砂がクッションになったためか、砦の崩壊に巻き込まれた岸播磨介達は砂まみれになったものの何とか無事。墜落した五位鷺も翼をパラシュート代わりにして軽症で済んだ模様で、半分砂に埋まってもがいている。
「なんてことだ、全てが砂になってしまった。」
「播磨介様、ダンジョンは無事です。」
兵士が指さす北西の方角、立ちこめる砂塵の向こうには、かなり背が高くなったような気がするが、図書館都市ダンジョンが見えている。
「図書頭殿!」
「……だ、大丈夫、わたしは……ら。」
そう言うとマリーは再度意識を失った。
「生きてはおられる。急いで撤退するぞ。どこまで崩壊したか。が問題だな。無名橋が無事ならそこまで歩くことは出来るが、戸田が失われていたら遭難してしまう。」
「惣領、まずは平塚に向かいましょう。まだ少しは首無し亡者がいるかもしれませんが。もし無名橋が無くなっていても、武蔵の府中経由で入間代官所霞ヶ関までは道があり、途中に休憩できる村が点在しています。」
「いや、それでは10日ほど必要になり図書頭殿が保たない。何とかダンジョンに救援を要請せねばならぬ。それで、全員居るか。もし砦の中に居たら生き埋めになっていたな。」
「惣領、ここに居る岸団は2名のみですから全員無事です。他の武士団は……1、2、3、4……。」
「播磨介様、五位鷺を掘り起こしました。こいつ偉そうなので埋めたまま行方不明と報告した方が良かったかもしれませんが。」
「ならぬ。あれでも正五位、しかも自称では無く本物だ。朝敵と見なされかねない。」
はたして朝廷が所在するか自体も不明だが。
【第三層群・管制室】
「ダンジョン影響圏外では状況も把握できないな。ミントさん、無名橋あたりを再度ダンジョン影響圏に組み込むことは出来るか。」
「やってみます。……問題ありません。なぜか無人の平塚や近隣の村も問題無く影響圏に入りました。」
「ダンジョンの影響圏だけで無く、町や村の『影響圏』みたいなものも解除されたのか。もしかして、既存の町の住民を避難させ、その近くで意図的にダンジョンを破壊すれば、町ごと影響圏に組み込めるのか。」
「さすがに危険すぎる発見なので秘匿します。そんなことが可能なら近隣諸国全てを敵に廻しかねません。既に先ほどの暴走でダンジョン影響圏が無秩序に、おそらく現在の限界まで拡大しています。」
「無秩序に?」
「全方向に渡って、既存の町や村や他のダンジョンが無い場所はほぼ半径480km、ヤード・ポンド法でおそらく100リーグ、つまり300マイルと思われますが、そこまでダンジョン影響圏が広がっています。西の武蔵方向は村が多いためか、まだ影響は少ないですが、東と北は村やダンジョンと思われる場所とその背後以外、軒並み480km圏まで影響圏です。」
「我輩の手に負える状況では無いな。マリーさんが戻ってきたら収拾をお願いするしかない。」
「幸い、ダンジョン影響圏は誰でも見ただけで分かる物ではありませんが、過剰エネルギーによる急激な拡大により強い青い光が観測されていますから、近隣諸国も何かただならぬ事態が起きたことは分かるでしょう。」
「確か、チェレンコフ光だったか。」
「ダンジョンからのエネルギーで空気が電離して光ったものです。チェレンコフ光は物体が光速度を越えた場合に発生しますが、何であれ真空中の光速度を超えることはありませんから、例えば水中など光速度が真空よりかなり遅い環境でしか観測できません。」
「分かったような分からないような。」
「あ、映像と音声が入りました。岸団長殿は無事ですが、側近書記殿が意識不明の模様です。」
「なんだと。でも、こちらから岸団長への連絡手段が無いな。ミントさん、何とかならないか。」
「平塚まで大至急暫定的に道路を延ばしつつ、戸田から車で伝令を走らせます。」
【ソンビダンジョン隣・付城跡】
「惣領、迎えが来たようです。」
岸播磨介の部下が、道路を延ばしつつその上を走ってくる小型車とバス各1台の車列を見つける。なお、正確には道路を延ばしているのは管制室のミント。
「戸田都濃大領です。お迎えに参りました。ラージャ将軍は事態収拾のため戸田に残られております。」
「車は2台だけか。」
「戸田には車を運転出来る眷属が2人しかおりません。皆さんを回収後、バスに乗ってきた捜索部隊はこちらで救助にあたります。」
「幸いその必要は無い。無事とは言えないが全員居る。すぐに図書頭殿を医者に。」




