ベアドール工場のふしぎ
これは、こどものころにきいた、わたしのすむまちで語りつがれているおはなしです。
わたしもはじめはわらってしまって、そんなことがあるなんて、と信じていませんでしたが、
大人になりつつあるうちに、だんだんとほかのまちの人にもきいてほしくなってきたのです。
それはこのまちにあるぬいぐるみ工場からはじまったできごとです。
そこでは毎日デザインのちがうクマのぬいぐるみが作られていました。
せかいじゅうの人々によろこんでもらえるように、せっせ、せっせと、お休みの日もありません。
わたしのまちのひとが気になっているのは、工場ではたらいている人をあまり見かけないのです。
工場の大きさのわりには人がすくないように感じていました。
それでも、たくさんのぬいぐるみができるので、だれもふしぎだけどあまり気にしていませんでした。
できあがったぬいぐるみも、ひとつひとつがかわいらしく、だれにでもやさしい顔をしていました。
ある日のことです。
この工場でつくられたクマのぬいぐるみが、「工場のはなし」をしたという人がいました。
だれもがそれはゆめを見たのだろうとわらいとばしました。
どうしてぬいぐるみが人にはなしだすのでしょう。
しかし、そのはなしをきいていくと、だんだんそれがゆめではないような気がしてくるのです。
クマのぬいぐるみたちは、工場のなかでひとつひとつじぶんたちのちからで作っているといいます。
あたまにはフェルトの生地にまるいボタンをつけて目にします。
からだには工場にある、その日に着る服をひとつえらんでそれをまといます。
おなかから下はさむくて冬眠をしてしまわないように、
あたたかくふわふわするぐらいにワタをたくさん食べるのです。
さいごにせなかのチャックを上げると、いちにんまえのクマのぬいぐるみになります。
そう、工場ではたらく人がすくないのは、ぬいぐるみのあたまをつくる人と、
服をつくる人、それとせかいにおくりだす人だけでじゅうぶんなのです。
そのはなしをきいて、みんながおもっていた工場にまつわるふしぎがわかったのです。
ただ、まだひとつのふしぎがのこっています。
どうして工場のはなしをするぬいぐるみがいたのでしょう。
「工場のはなし」をきいた人がいうには、おばあさまが小さいころにそのクマのぬいぐるみを買い、
まいにちはなしかけ、すこしよごれたらすぐにきれいにして、
服がやぶれたらていねいにてつくろってたいせつにたいせつにいっしょにくらしてきたそうです。
いまでは、まごにあたるその人がかわらずたいせつにリビングでみまもっています。
ひとつのものをずっとたいせつにしていると、たましいがやどるといいます。
きっとこのクマのぬいぐるみも、たいさつにされた「ありがとう」のきもちを、
ことばにしてはなしてくれたのでしょう。