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8話

悔し涙と共に叫ぶイザベル様。怒れる侯爵様。娘を宥める奥様。オロオロしだす伯爵様。

立ち尽くす私。食べ続けるレンちゃん。


レンちゃん!?

平然と食べないで頂戴。


「話は以上だ。すまない、もう食事を摂る気分ではない」

侯爵様は少し間をおいて、私に近づいてくる。


何事かと身構えると、片手を握り締められて引っ張っていかれた。

若干強引ではあったが、不思議と嫌な気分ではない。なんだろう、こういうのに実はちょっと憧れがあったりする。


「行こう。こんな場所にいつまでも居させたくない」

「え、あ、でも」


まともに言葉も出ないまま、伯爵家の外へと連れていかれた。


待機していた馬車に乗せられ、すぐに走り出す。


窓からレンちゃんが追いかけてくるのが見えた。ずっと食べていたから私が連れていかれたのに今更気づいたらしい。


「ルカねえ、また会えるよね!?」

レンちゃんのものとは思えない大きな声だった。


「当然でしょ。すぐにまた会えるわ」

「うむ、うむ」

立ち止まるレンちゃん。

いつものおっとりとした表情に戻り、手を振ってくれる。


「ルカねえ、いっぱい食べてね」

侯爵家ではいっぱいご飯を食べさせて貰ってね、の意味だ。


最後まで私のことを気遣ってくれるレンちゃんが可愛らしい。

伯爵家のご馳走は食べ損ねちゃったけど、侯爵家のご馳走はきっともっと素晴らしいものに違いない。

姿が見えなくなるまで、お互いに手を振りあった。


馬車に揺られながら、室内では私と侯爵様が沈黙の時を過ごしていた。


イザベル様に激怒し、伯爵様からは債権を買い取ったと豪語し、勢いよく私の手を引いて馬車に乗せたというのに、二人きりになった途端借りてきた猫のようにおとなしくなってしまわれた。

視線すら合わせようとしない。

私とは反対側の窓をずっと眺めている。


なんだろう。手に入れたいものを手に入れたら、冷めちゃうタイプなのかしら。

それだったら残念だ。


なぜか私のことを大事な人と表現していたけど、私は彼を知らない。初めて会ったときに変な懐かしさは覚えたけど、こんなにすごい人と過去に会っていたら忘れるわけもない。


それに、この10年は伯爵家の侍従として働いていた。誰かと出会うようなイベントなんてなかった気がするんだけれど。


「あの、侯爵様」

「ふっふぉい!?」

「ふぉい?」

慌ててこちらを見てくる侯爵様の顔は真っ赤だった。

イザベル様に怒った時は、冷徹な顔をしていたが、今はなんだろう。

とても初心な少年に見えてしまう。


まさか、緊張しているのだろうか?

この私に?

30歳を過ぎて、借金まみれのただの侍女に緊張する侯爵様なんて普通ではあり得ない。

侯爵様は確か20歳だと聞いている。


18歳の私が8歳の少年をボコボコにしてトラウマでも植え付けたか?


うーむ、そんな残念すぎる記憶は持ち合わせていないので違うだろう。

なんだろう。どれだろう。最近似た感じの夢を見た気がするが、夢の記憶なんて1時間ですっかり忘れるタイプだからね。何か大事な記憶がある気がしたが、どうしても思い出せなかった。


「ど、どうした?寒いのか?であれば、俺の上着を着るがいい」

上着を脱いで私に着せようとしたが、断った。流石に恐れ多い。


「いえ、そんな。恐れ多いです。私と侯爵様は知り合いなのかと思いまして」

「やはり覚えてはいないのか」

「失礼致しました。なんとか思い出そうとしているのですが、侯爵様のような素敵な方なら思い出せる気がするのに。うーん、出てこない」

「いや、いいんだ。あの頃の俺は何者でもないただのガキだったからな。思い出せなくても大丈夫だ」


はっ、やはり18歳の私が8歳の侯爵様をボコボコにした説が!?

流石にないだろうけど、ドキドキしてしまう。

私も素行の良い令嬢ではなかったので、余計に不安だ。


また会話が途切れてしまった。

沈黙は心地よいものと、心地よくないものがある。


レンちゃんと二人して庭に寝転んで、日を浴びるお昼の沈黙は極上の静けさだ。

しかし、正体のわからない侯爵様と馬車という密室の中での沈黙はこの上なく疲れる。

何か話てよ!とか思うが、顔を真っ赤にしてオドオドしているこの人には任せられないだろう。

私から話しかけてみよう。


「あの、侯爵様。何点か確認してもよろしいですか?」

「もちろんだ」

ちゃんと返事はしてくれるので、会話の意思はあるみたいだ。ただ単に話題がないだけか。

ちょっとだけ可愛らしくも思えた。


「私はあと2ヶ月間伯爵家で働けば自由の身となれるはずでした。その後は引き続き正規の侍従として雇われてもよかったし、街に出て仕事を探しても良い契約と聞いています。その条件は変わりませんか?」

「もちろんだとも。それにしても、あなたは随分と痩せているね。伯爵家ではまともに食事が出なかったのか?」

まともに食事は出ていたけど、個人攻撃でご飯を食べられなかっただけだ。

おかげで中年太りとは全くの無縁だが、人一倍に食への欲求が強くなってしまった。


「ははっ、いろいろありまして。あの、豪華なものとか結構ですので、安定した食事だけ頂ければそれで結構です」

「あたりまえだ!くそ、ハーパー伯爵め、なんて酷いことを。許さん!」

いや、もう過ぎたことだし、私は良いんだけどね。


「いえ、別にそんなに大した話じゃありませんから」

「いいや、俺の気がすまん!」

緊張が怒りに変わってしまったことで、侯爵様は舌がよく回るようになった。


あの家にはレンちゃんもいるからほどほどに怒りを鎮めてほしい。

今夜侯爵様がイザベル様に激怒した時、私は恐怖を覚えた。しかしそれと同じくらい、いいや、もっともっと、とてつもなく胸がスカッとしたのだ。

いやっほー!!舌を氷づけにしてやろうか!!いやっほー!!あれを聞いたときはテンションがあがったものだ。


「激怒した侯爵様の言葉で私はスッキリしましたよ。頼りなく、ケチで、無礼な人と思っていましたが、あの瞬間はカッコよく思えました。あっ」

めちゃくちゃ言い過ぎた。

身分の差を忘れて思っていたことを全て口にしてしまった。


「そ、そんな風に思われていたのか」

項垂れて落ち込む侯爵様が少しだけおかしかった。笑いを堪えきれずに吹き出した。

ケラケラと笑う私の顔を、侯爵が嬉しそうに眺める。

ちょっとだけ気恥ずかしい。


「やはりあなたは笑顔が似合う」

「は、恥ずかしいことを言わないでください。とにかく、私が言いたいのは。今夜のことで伯爵家にたまっていた鬱憤はほとんど解消できました。侯爵様のおかげです。ありがとうございます」

「そうか。あなたがそう言うなら仕方あるまい」


どうして私にここまで気遣いをするのだろうか?

不思議だ。この人が分からない。


まさか私に惚れているわけでもあるまいし、うーん、命を助けてあげた過去でもあったか?

謎は深まるばかりだ。しっかりしてよ、私の記憶!


「そろそろ着いたみたいだ」

侯爵様の別邸だ。

侯爵様は戦功によって、その地位と侯爵家の土地と領民も受け継いでいるはずだ。

ここは王都で仕事をする際に利用する建物らしい。


別邸にしてはとても立派なお屋敷が目の前に見えた。

ハーパー伯爵家と変わらぬ広さだ。建物は少し古いが、意匠の凝らされたこの建物は付近のどの屋敷にも見劣りはしない。

こんな場所で働けるなんて光栄だ。

少しだけ、ワクワクしてきた。


「ここが我が別邸だ。2ヶ月間、ここでゆっくりしていくがいい」

「ありがとうございます」

ゆっくりしていく?少し引っかかる言い方だった。


「あの、一つお願いがありまして、侍女として働く合間に教え子を呼びたいのですが、よろしいですか?レンカ・ハーパー様で、聖女になれるかもしれない才能を持っている子です。試験も2ヶ月後なので毎日稽古をつけてやりたくて」

「もちろんだ。あなたには何もして貰うつもりはない。レンカ殿の教育に専念するといい」

何もして貰うつもりはない?


そんな馬鹿な。

働かざる者食うべからずではないの?

私は何もしなくてもご飯が食べられると?

ここは天国ですか?


屋敷の中へと案内された。

今は既に時間が遅く、広い屋敷内は静まり返っていた。

ここに仕えるものは年老いた侍女が3名と、庭師が1名。その4人で侯爵家の別邸を支えているらしい。

王都の要人たちが日々通ってきて、侯爵と仕事の話をしたり、軍部の者も頻繁にここにやってくると聞いた。


来客は多いが、ここに住む者は侯爵様と私を含めて、6人しかいないわけだ。

自室へと案内されて、年老いた侍女から食事も用意して貰えた。

個室に、食事が運ばれた。温かいスープ(肉入り)、パン、メイン料理まで。やはりここは天国か。


「急に連れ出してしまってすまなかった。この屋敷は自分の家だと思って過ごしてくれていい。あなたがこの10年苦労したことは知っている。ここではその疲れを癒す場として利用してくれれば何よりだ。夜も遅いし、ではおやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」


馬車から降りて屋敷で別れた侯爵様が、夕食後にちょこっと優しく声をかけてくれて、去っていった。

ここは天国で、侯爵様は天使様なのかもしれない。ということは、私はとうとう餓死して死んでしまったか。

頬をつねるとしっかりと痛かった。まだ死んでいないようだし、夢でもなさそうだ。


たった一日にして私の運命は大きく変わってしまった。

これからどうしていこうか。ゆっくりとしていいと言われたけど。


私は自室の窓辺へと歩く。

広い庭が見えたが、それを見たかったわけじゃない。

嫌味なご令嬢のごとく、指でそっと窓辺を撫でた。


指先にまとわりつく、少し灰色まじりの埃。

「ふふっ」

伯爵家でこんな埃を残そうものなら、何日ご飯を抜きにされることやら。


こちとら10年厳しい環境で育ち、毎日のように課された大量の掃除洗濯炊事をこなしてきた。

侯爵家の使用人は少なく、自室に来る途中にも気になった汚れがちょくちょくあった。

「ただ飯?」

そんなもの、食べても美味しくないのよ!


私が侯爵家でやることは決まった。


袖をまくり、明日からの計画を立てる。

ふふふ、待っていろ侯爵家別邸。

10年培ったこの器用な手先と魔法で、とことん綺麗にしてやるんだから。

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[気になる点] 侯爵邸で、レンちゃんと何をやらかし始めるのかワクワクしますね
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