5話
なんと先日いらした侯爵様がまたも伯爵家にいらっしゃるらしい。
そうとうここが気に入ったのかと思ったが、そうではないらしい。
どうやら伯爵様はレンちゃんにメロメロのご様子。
先日は夜会へのお供に誘われ、それを断れた翌日に今度は直接会いに来るほどの情熱っぷり。
なんとも熱い人だ。
私、熱い人は好きよ。暑苦しいのは苦手だけど。
侯爵様の件で一通りレンちゃんを茶化したあとに仕事に戻ると、イザベル様に捕まった。
彼女も侯爵様がいらっしゃるのを知っている。相手がレンちゃん目的なのももちろんご存じだ。
そういう訳で癇癪を起しまくっている。
感情が乱れに乱れたとき、彼女は決まって私に当たる。
「いい?徹底的に綺麗にしてちょうだい。汚れ一つ残っていたらご飯を二日抜くから」
毎度聞き馴染んだ脅し文句を言ってのけて、イザベル様は立ち去った。
今日押し付けられたのは大浴場の清掃だ。
10人が入ってもまだスペースに余裕あるこの浴場を私一人に押し付けるだなんて、なんと性格のよろしいこと。
しかも彼女は本当にご飯を抜きにしてくるので質が悪い。
この家じゃ誰も彼女に逆らえないので仕方ない。
「やるしかないわね」
私は袖をまくった。
全ては飯のため。
二日なんて我慢できないわ。レンちゃんがまた自分のご飯を分けてくれるだろうけど、ずっと教え子に甘えているわけにはいかない。
こちとら、器用に魔法を使うのよ。
見てなさい、イザベル!ピッカピカにしてやるんだから!
◇◇
レンカは侯爵を迎え入れる準備をしながら、アルカの姿を探していた。
侯爵には本当に毛ほども興味がないが、自分の尊敬するアルカと会わせてみたら面白い学反応があるんじゃないかと思っている。
しかし、その姿を見かけない。
もしやと嫌な予感が頭をよぎる。
イザベルに捕まってまた無茶な要求を受けているんじゃないかという不安だ。
しかし、アルカならまた器用にその難題をクリアしそうな気もするから、大丈夫だという気持ちもある。
たまに失敗してご飯を抜かれることはあるけど、あの人は逞しいから自分が心配するのは余計なお世話かもしれないという思いもある。
いろいろ考えて頭がグルグルしだしたころ、侯爵を乗せた馬車が屋敷に到着した。
昨日見た通り、女好きしそうな風貌だ。
自分はあまりこういう男性には興味がないと感じてしまう。
かっこ悪いとは感じないけど、どうも夢中になれない。もっと素朴な人がいいなと思ってしまう。
レンカは侯爵に向かって挨拶をした。
「ようこそおいでなさいました」
「あまりうれしそうじゃないな。表情に出ているぞ」
嬉しそうじゃないのがばれたらしい。無表情だったから隠す気もないが。
アルカの帰りを迎える際は気持ちが上がり、表情も豊かになっている気がする。
しかし、普段他人にもそれをやれといわれると上手にできない。
「また来たのですか?」
本音で話してみた。どうせ気持ちがないのはバレている。
「ああ、君に頼みがあってね。中でゆっくり話せるか?」
「んー、ここまで来た侯爵を追い払う訳にはいきませんので」
ここでレンカのスイッチが切れた。
貴族っぽい話し方はなりをひそめ、いつも通りの無口な少女に戻る。
「こっち。天気いい。外」
こっちにきて。天気がいいから、外でお茶しましょう。
アルカならこう翻訳するであろう文章だ。
ロイにはちょっとわからなかったみたいだが、彼女に黙ってついて行った。
中庭に用意されたテーブルとイスは、日よけ用の大きな傘に守られて、涼しく景観を楽しめるようになっていた。
紅茶と茶菓子が用意された席へと座る。
二人は食事に手を出すこともなく、謎の沈黙が流れる。
お互いに男女として興味もないので、話が弾むはずもない。
「いきなり夜会に誘うなんて不躾なことをしたな」
ロイが話し始めた。
「うむ」
レンカはそっけない態度をしているように見えるが、そうではない。これが素なのだ。
「レンカ殿は俺を異性として意識していないだろう?そんな相手が、私は欲しかったのだ」
「だる」
「だる!?」
歯に衣着せぬ言い方なので、ロイも流石に驚く。
まるで男の友人と話しているかのような感覚だ。
「協力を願う身だ。無茶を言っているのはわかるが、まずは事情を聴いて欲しい」
「うむ」
だんだんとレンカのペースに慣れてきたロイ。
そのまま話し続ける。
「俺には思い人がいる。どうしてもその人と会わねばならんのだ。そのために、レンカ殿を利用したい。あなたが傍にいれば、必要以上に女性に囲まれる心配もなく、私は思い人を探すことに集中できる。協力してくれれば、絶対に恩は返すと約束する」
「うーん」
話は理解できた。
理解はできたが、侯爵には恩も義理もない。
恩を返して欲しいほどなにか大きな困りごともない。となると、答えは一つ。
「だる。却下」
「なっ!?」
一刀両断だった。
こうまではっきりと断れたら、流石のロイも諦めざるを得ない。
もともとかなり失礼な頼み事だ。
断られて当然。自分にばかり都合のいい話だ。
「すまない。時間を取らせたな」
「うむ。思い人、諦めたら?」
他人に、特にロイにあまり興味のないレンカから、踏み入った言葉が出てきた。
諦めろ?
ロイには無視できない言葉だった。
「なぜそんなことを言う。俺には諦められないんだ。未だにあの人のこと忘れられない」
「目の前に良い人いっぱい。我が家にも極上のボンキュッボンいる」
「昨日言っていた人か。その人がどれだけ魅力的でも、俺はあの人に心を捧げているんだ。わるいな」
「ちょいと待ってて」
「いや、別に……」
ロイの言い分など無視して、レンカが席を立った。
その足はアルカを探しに向かっている。
◇◇
レンちゃんの声がしたと思ったら、本当に側に来ていて私のことを呼んでいた。
風呂場を泡だらけにして浴場をきれいに洗っている最中だった。
魔法で水の流れを作り、そこの洗剤を投入することで大量の泡を発生させて自動的にきれいにする作戦だ。
これから泡を流して清楚完了という段階まで来ている。
イザベル様からの意地悪は、器用な魔法でかわす!これが私のやり方。マイスタイル。
「ルカねえ、またあいつ」
「余裕、余裕」
これだけ綺麗にしたら流石にご飯抜きとか言い出せないだろう。
言われたことは徹底的やり通す。これがマイ……さっき語ったからいいや。
「侯爵来てるけど、会ってく?」
そんな馴染みの友人が来てるから会ってく?みたいな感覚で会って良い方なのかしら!?
ちょっと返事に困った。
興味はあるが、レンちゃん曰くそれほどイケメンってわけでもないし、それならいいかなーとか思っちゃう。
特に縁のある人でもないし、私としてはどちらでもいい。
「会っとこう。相性、いい気がする」
相性と言われましても。
困っている私の手をレンちゃんが引いて歩き出す。
わわっ、まだ清掃が。
連れて行かれた先は中庭で、備え付けられたテーブルにはイザベル様と侯爵様らしき人の姿が見受けられた。
「あら、レンカ。あなたが急に席を外すものだから、私が侯爵様を退屈させないように話し相手になっていましたのよ?」
侯爵は無言だ。肯定も否定もしない。内心は嫌がってるんだろうなーとなんとなく想像できた。
「ほら、席はまだあるわ。レンカ、こちらへどうぞ」
いつの間にか場の主役になろうとするイザベル様だが、侯爵様が追い払おうとしないのでレンちゃんも何も言おうとせず席に座る。
なんだかピリピリした空気になってきた。
元々侯爵に興味のないレンちゃんだ。きっと嫌な気分で座っているんだろうなというのを察することができた。
「おばさん、私にも紅茶と茶菓子を持って来てちょうだい。それと侯爵様の紅茶も冷めていますので、取り替えてちょうだい」
レンちゃんが公爵と会わせたいからと連れてこられたのだが、気づけば使用人ポジションに戻っていた。
不満も特にないのに、素直に返事をする。
「かしこまりました。前を失礼いたします」
公爵様のティーカップに手を伸ばす。
この時、私の心に邪な気持ちが過ぎった。
少し俯きがちで、顔のよく見えなかった侯爵様の顔を少し覗き込んでしまった。
イケメン、眼福、眼福。レンちゃん、この人普通にイケメンじゃない!
とか思って、より近くで覗こうとしたんだよね。
そしたら、その瞬間、侯爵の視線と私の視線が合わさった。
その切長で大きな目が見開かれる。
ガシッと勢いよく腕を掴まれた。
空気が、侯爵から漏れ出た魔力によって冷やされた。
一瞬にして冬の朝が訪れたような錯覚に襲われる。
これが戦場を蹂躙した氷魔法の天才、ロイ・ブリザードの魔力らしい。
「た、大変失礼を働いしてしまい、申し訳ございません!」
私のようなただの侍女が、侯爵様を間近で見ちゃった。それに激怒したのだろう。
やってしまった!もうすぐ借金返済を終えて、自由になれるという時期になんてことを!
「やってくれたわね、おばさん!今すぐ侯爵様に平伏して謝罪しなさい!」
イザベル様の怒りの篭った声が庭に響いた。
直後、レンちゃんも立ち上がる。
「必要ない。ルカねえをここに呼んだのは私。侯爵が私との面会を望み、私がルカねえをこの場に呼んだ。部外者は黙って」
レンちゃんとイザベル様が睨みあう。
この家は奥様が実権を握っている。
レンちゃんとて、イザベル様と直接揉めればただでは済まない。
私の眼福欲求でとんでもない事態になってしまった。
侯爵様の謎の怒りを鎮めるためにも、やはり私が地面に平伏して謝罪するのがいい気がした。
そう決意した時、今度は侯爵が立ち上がった。
私の腕を掴んでいることを忘れていたみたいで、掴んだ手を2度見した後、パッと手を離してくれた。
なぜだか急に顔が真っ赤になっている。
辺りは侯爵の魔力で凍りつきそうなほど寒いのに、彼だけが熱々だった。なぜ。
「しゃっ謝罪などいらぬぅ!」
声が上ずった。クールなイメージが台無しだ。
真っ赤になった顔もやはりかっこいい。
こんな事態でも顔のかっこよさに注目できる私は、案外大物なのかもしれない。
「おっ俺は別に怒っていない。むしろ上機嫌なくらいだ」
上機嫌というより、飲み慣れない酒に酔っているみたいな感じだ。
「ではなぜ急にお怒りに?この恐ろしい魔力はどうなされたのですか?」
「寒い」
イザベル様が疑問を口にし、レンちゃんは相変わらずのマイペースだ。
「急用を思い出して、慌てただけだ」
侯爵が視線を下げる。なんとかこちらを見ようとしないように努めているようだ。
なんだ、どうした侯爵。
さっきのクールさはどこへやら。可愛らしくはあるけど、なんだか頼りない男に見える。
ちょっと侯爵の評価が下がった。
侯爵といっても、戦場で氷の魔神と評される実力を持ってしても、こんなにおどおどしてたら社交界で通用しないわよ!とギリギリお姉さんと呼べる範囲の私が心の中でそっとアドバイスをしておく。
「俺は、ハーパー家が気に入った。ここはいいところだ。なんだかとても落ち着く。最高だ。うむ、空気が美味しい。なんだここは、味わったことのない快適空間」
なんか、今度は媚を売り始めた。
どうした侯爵。あなたが段々とわからなくなってきた。
しかし、冷静に侯爵を観察できているのは私だけみたいで、イザベル様はかわいそうなことに言葉をそのままの意味で捉えているらしい。絶対なんか裏あるでしょ!とか気づかないほど、侯爵にメロメロみたい。
レンちゃんは、侯爵の言葉の半分も聞いていないみたいで、寒そうにしている。
ブランケットを取ってこよう。
私がペコリと一礼して、席を離れてブランケットを取りに行こうとした時、侯爵がまた慌てたように口を開く。
「なぜ行こうとする!俺は紅茶のおかわりなど必要としていない!」
私に話しかけていた。なぜか侍女の私に。
「レンカお嬢様が寒そうにしているので、ブランケットをお持ちしようと思いました。紅茶は必要ないのですね?了解致しました」
「ブランケットもいらない」
お前にじゃねー!レンちゃんに!
話を聞いちゃいない。
そもそも自分の魔力が原因だとようやく気づいたみたいで、溢れ出ている魔力を制御してくれた。
暖かい木漏れ日が中庭の気温を徐々に戻していく。これならブランケットは必要なさそうだ。
「俺は大勢がいる方が好きなんだ。それよりレンカ殿、彼女を連れてきた理由を知りたい。紹介もしてくれると助かる」
そうだった。レンちゃんに連れてこられた理由を、私も知りたい。
イザベル様の視線もレンちゃんに向いた。
「侯爵と同じ天才魔法使い。話が合うと思っただけ。ルカねえのお眼鏡にはかなわなかったみたい」
あらら、さすがレンちゃん。
私が侯爵様にあまり興味を抱いていないことに気づいていたか。
顔はいいんだけどね。2時間くらい眺めていても飽きないような芸術的に美しい顔だ。
けれど、若すぎるのよね。
私とは年が離れており、恋したり夢中になる相手ではないかな。
なんだか妙に親近感も湧くし、前世は私の弟だったのかもしれない。私の前世は多分ハムスターなので、彼もハムスターということになる。勝手な決めつけだ!
レンちゃんの言葉になぜが激しく落ち込んだ侯爵は、それから無理に話題を膨らませようとしなかった。
いや、何度か話出そうとしていたが、すぐに話題に困り、黙ってしまう。
あまり口達者じゃないみたい。ちょっと可愛い。
終始イザベル様が上機嫌に侯爵様に話しかけ、今日の茶会は解散となった。
なんの時間だったんだろう、というのが私の感想だ。
侯爵はもう2度とハーパー家にはこないだろうなー。そんな気がした。
しかし、すぐに私の予想が外れたと知ることとなる。
「また来てもいいか?」
この言葉には驚いた。
「レンカ殿、またここに来てお茶でも共にしたい」
「んー、無理」
レンちゃん!
よっぽど男らしいレンちゃんの返答に私は笑いそうになり、侯爵は泣きそうになっていた。
「あら、ハーパー家が気に入ったなら私に会いに来たらよろしくてよ?」
イザベル様の言葉で、侯爵様が目の輝きを取り戻す。
両手でイザベル様の手を包み込み、顔を近づけて伝える。
「感謝する!何か欲しいものはあるか?必要なものを言うがいい。後日手紙でもよし。なんでも買ってやる」
ハーパー家に来られるならなんだっていいらしい。
イザベル様がうっとりしているが、いいのかそれで!とか思うが、助言はしない。
私に意地悪する人を助ける義理もないからね。
こうして侯爵の本性が垣間見える茶会はお開きとなった。次回の予約をきっちりと取り付けて。