3話
今日は例の侯爵様を迎え入れる日だ。
朝から屋敷内が慌ただしい。
なんでも侯爵様きっての頼みで、伯爵家の全員を交えての立食パーティーをしたいとのことだ。
全員というのは本当に全員。
我々侍女や、庭師なんかも含まれる。
なぜ?という疑問は皆感じているのだが、嫌がる人は一人もいなかった。
なにせ侯爵さまは評判の美男子らしいからね。
みんなその顔を見られるだけで光栄だろうし、なにより侯爵様の意図がわからない。なぜ使用人まで集めるのか。
本人曰く、にぎやかな方が好きだからだということらしいが、果たして本当にそうなのだろうか?
まあ、私としては美味しい食事にありつければいいのだけれど。
なにせイザベル様の意地悪によって数日まともにご飯が食べれていない。
立食パーティーともなれば、侯爵様に注目が集まっている間に好きなだけお腹に食べ物を入れることが出来るわけだ。
しかし、現実はそう甘くない。いつも彼女が私の前に立ちはだかる。
「おばさん、あなたは立食パーティーに出ないで頂戴」
「えっ、なぜです?」
衝撃の発言。
侯爵様が来る当日の朝に、イザベル様から衝撃の一言を告げられてしまった。
「しっしかし、侯爵様は全員の出席を希望しているはずじゃ」
「でもあなたは出ないで。どうせばれやしないわよ」
立食パーティー……。
食べ放題……。
お腹いっぱい……。
ああっ、夢は儚い。
「では、私はなにを?」
「食材の買い出しに行ってきなさい。立食パーティーでもしも足りないものがあったら伯爵家の沽券に関わります。もちろんストックはありますが、それでも更に追加で買ってきなさい」
それをなぜ当日の朝に言うのか。
やはり個人的な恨み意外に他ならない気がするが、しかし私は喜ばずにはいられない。
これは嫌がらせだが、私にとっては嫌がらせにあらず。
ひゃっほーって感じだ。
なんたって、伯爵家の買い出しともなると馬車に詰め込む程の量となる。
買う時に鮮度も確かめないといけないから試食もするし、大量に買うとなるとおまけもしてくれる。
つまり、試食とおまけ分で私はお腹がいっぱいになる!
なんという幸運でしょう。
私はやはり幸運の女神に愛されているようです。
◇◇
侯爵がハーパー伯爵家に到着したのは夕方前だった。
既に屋敷内ではパーティーの準備が完了しており、皆がその到着を待っていた。
会場に現れた侯爵は、噂通りの見目麗しい青年だった。
高い身長にすらりとした体系、目鼻立ちはしっかりとしており、その切れ長の目はとても賢い印象を与えてくれる。
会場が一瞬、うっとりとした空気に包まれるほどのインパクトがあった。
その姿を見つけて、イザベルが駆け寄る。
貴族の令嬢に相応しいカーテシーを披露し、侯爵に挨拶する。
「ようこそおいでなさいました、ロイ・ブリザード侯爵様。私はイザベル・ハーパー。あなたのご来場を皆心より待ちわびておりましたのよ」
目をキラキラと輝かせて、上目遣いに侯爵を見つめる。
その視線には気づいているものの、侯爵はあからさまに視線をはずした。
「……なにか気になることでも?」
「いや、お招き感謝する。素敵な会場だと思ってな。今日は楽しませて貰うとしよう」
「はい!ロイ様に楽しんでもらうためにいろいろと準備したのですよ」
張り切るイザベルは、侯爵にべったりとくっつく。
侯爵が若干嫌がっていることなど、彼女には気づけないだろう。
美しさでは誰にも負けないと自負しているイザベルである。
まさかその美しさが、侯爵の興味を一切ひいていないだなんて、想像すらついていないだろう。
ハーパー伯爵からも簡単なあいさつがあり、それが終るとすぐにパーティーが始まった。
有名な演奏楽団も呼び寄せており、彼らが奏でる音楽が会場を楽し気な雰囲気で包み込む。
ロイ・ブリザードは一人一人とあいさつを交わしていった。
今日のパーティーを開いてくれたお礼と共に、彼もあることを観察していた。
侍女たちは声かけられるたびにうっとりとした表情を浮かべ、中には腰を抜かす者までいる。
「ところで、ハーパー伯爵家にはもう一人ご令嬢がいると聞いたが」
ロイ自身もさほど興味はないので、どうでもよかったことだが、一応聞いておいた。
つなぎの会話で言ったのだが、あきらかにイザベルの機嫌を悪くしたのを感じた。
(この家もいろいろと面倒そうだ。適当に理由をつけてそろそろ帰るとしよう)
最低限の時間は過ごした。全員ともあいさつを交わしている。
今回の席は伯爵家きっての頼みだから来たものの、本来は忙しくて断るつもりだった。
これだけ居たら責務は果たしたことになるだろう。
ロイはそろそろ帰りたいという気分になっていた。
会話が途切れたタイミングを見計らって、切り出す。
「イザベル殿、今日はこのくらいで。まだ職務が残っていますので、これにて失礼させていただきます」
「そんな!まだまだ用意したものはございますのに」
「まことに申し訳ございません。しかし、どうしても外せない職務なのです。見送りは結構。私はこのまま静かに去るとします。皆さまはもう少しお楽しみになってください」
そう言い残し、ハーパー伯爵とも挨拶を終えたロイは会場を後にした。
自分もとある目的があってここにきたが、やはり貴族の宴会というのはいつまでたっても馴染めない。
なんだか息が詰まるような思いがするのだ。
今さらながらに自分は貴族社会に向いていないと感じる。
しかし、全ては欲しいものを、欲しい人を手に入れるためだと自分を鼓舞するのだった。
「侯爵様」
帰りの馬車に乗ろうとしたところで、ロイは声を掛けられる。
会場にはいなかった女性だ。質素なドレスを身に纏い、こちらも綺麗なカーテシーを披露した。
「挨拶が後れてしまって申し訳ございません。私はレンカ・ハーパーと申します」
いつもは口数少ないレンカだが、ちゃんとやろうとすればできる子である。
「会場にはいなかったみたいだが、なぜこんな場所で?」
ロイは警戒した。
どうせ彼女も自分を狙う一人だろうと。一人になったところで接近する腹積もりだったのだろう。今まで何度も経験してきたパターンだ。
しかし、彼女の意識が自分に向いていないのがすぐに分かった。彼女は遠くをみつめ、他の人を待っているようだった。
「ロイ様に興味ない。嫌いな姉もいる」
だから会場にはいなかったと言いたいらしい。いつも通りの口数が少ないレンカに戻りつつある。
「……?ここにいる説明になっていないな」
様子の変わりようが気になったが、スルーしておいた。
興味がないと言われたのは久々で、そこはなんだか新鮮だった。
「大好きな人を待ってる。侯爵も探し人いるみたい」
「なっ!?」
目的を見破られて侯爵は一瞬ぎくりとした。
あまり表には出さないようにしていたが、会場にいなかった少女に見破られると思ってもみなかった。
そう、ロイは探し人を求めてここに来たのである。
頻繁に夜会に参加するようになり、嫁を探しているなんて言われ始めたのも、それが理由だった。
「なぜわかった?」
「意識が他を向いていたから。視線の動きでもなんとなく」
「なるほど。以降、気をつけるとしよう」
ロイは反省した。相手にこちらの意図がばれてしまえば、失礼極まりないことだ。
あなたに会いに来たわけではありません、と言っているようなものだからな。
「その人は素敵な人?」
「ああ、きっとな。俺の記憶が間違っていなければ、世界一素敵な人だ」
「私の待ち人もそう。見ていく?」
ロイはちょっとだけ興味をそそられた。
しかし、職務が貯まっているのも事実だった。
慣れない侯爵の仕事に日々頭を悩ませている。早く慣れるには、より一層仕事と向き合う必要があった。
「いいや、やめておこう」
「どうして?極上の美女。ボンキュッボン!」
レンカは自分の好きなもの、人を誇張して言いがちである。事実と違う姿が彼女には見えてしまっているようだ。
「その気持ちには感謝する。しかし、どうやら私の探し人ではないらしい。ボンキュッボンとはかけ離れた人だ。記憶が正しければ、むしろ控えめな方というか……」
「そう、残念。帰り道気をつけて」
「君も夜風で冷えないようにな」
二人は軽く挨拶を交わして、ロイの馬車が屋敷を発った。
その数分後、アルカの乗った馬車が屋敷に戻る。
レンカが笑って、馬車に駆け寄った。