1話
「はい、これ全部綺麗に洗いなさい。シミ一つ残ってたら許さないから。一つでも見つけたら2日ご飯を抜きにするわ。忘れないでちょうだい」
「はい、お嬢様」
使用人に運ばせた大量の洗濯物が私の前に聳え立った。
わたしが侍女として働いているハーパー伯爵家のご令嬢、イザベラ様はとてもきついお方だ。
今年18歳で、長く伸ばしたブロンドの髪が美しい女性だ。容姿だけを切り取れば、他に並ぶものがないほどの美しさで、いつも大量に身につけている宝石もやはり彼女の輝きには負けてしまう。
この上、彼女は優秀な回復魔法使いでもある。
将来は国公認の聖女となり、格上の家の男性と結婚するという明確な夢をお持ちだ。
なんとも上昇意欲が強く、逞しく思えるのだが、私はとても応援する気になれない。
だって、私に当たりが強いから!
いや、もはや当たりが強いというレベルじゃない。ご飯を2日抜かされた直後に、先ほどの洗濯の要求である。
信じられない程の冷遇だ。
伯爵家の方々の洗濯物に加え、使用人のものも何故か全て私に押し付けられる。
その数30名を超えてしまう。
この寒い時期の洗濯は手肌にとても辛い。それをわかっての要求だろう。
もういっそのこと、死ねと言いたいのかもしれない。
私に幸運と魔法の才能がなければ、この伯爵家で朽ち果ていた自信がある。
こんな過酷な環境なら辞めたらいいじゃない、と周りからも言われるのだが、あいにくと逃げられる身分にない。
義母の作った莫大な借金を肩代わりしてくれているのがイザベラ様のお父上だ。
パーパー伯爵からは特別嫌われている訳ではない。だからやはりイザベラ様にだけ特別嫌われているみたいだ。
なぜ私なんかを。ただの一侍女ではないか。
謎だ。逃げられない身分として痛ぶるにはちょうど良かったのかもしれない。
大量の洗濯物を纏めていき、洗濯物籠へとしまっていく。
他の使用人は手伝えないので自分達の仕事へと戻っていく。
以前手伝ってくれた心優しきおばちゃんがいたけど、彼女はクビになってしまった。
ううっ、いつか謝罪と恩返しをしないといけないと思っている。
「ルカねえ」
可愛らしい少女の声が天上方面から聞こえてきた。
来たわね、私の幸運の女神。いや、天使様と呼んだ方がふさわしいかもしれない。上から来たみたいだし。
おそらく彼女がいなければ私はとうに朽ち果てていた。具体的に言うと餓死だ。
天井の梁部分を身軽に移動してきたのは、ハーパー伯爵の一人娘のレンカ・ハーパーお嬢様だ。
何故一人娘なのかというと、レンカ様とイザベラ様に血のつながりはない。
レンカ様の母上が亡くなって、後に嫁いで来たのがイザベラ様の母上で、イザベラ様はその人の連れ子とうわけだ。
レンカ様とイザベラ様は同じ18歳で、二人とも美しく、回復魔法の才能に恵まれた者同士である。
ハーパー伯爵としては二人に仲良くして欲しかったらしいが、残念ながら二人は馬が合わなかったようだ。
私にはイザベラ様という巨大な障害に頭を悩ませているのだが、実は心強い味方もいる。
それがレンカ様である。
「お嬢様、またそんな危ないところを」
ひっそりとした声量でレンカ様を嗜めた。
「うむ。パン」
レンカ様はとても口数の少ない方だ。
いつも『うむ』と一言だけ返事することが多い。あのおじさんっぽい返事が私は大好きだ。
かわいい。ひたすらかわいい。
レンカ様はイザベラ様とは違った美しさを持つ。あちらが宝石のような眩い美しさだとするなら、レンカ様は花畑や小動物のようなふわふわした癒しの美しさだ。
二人きりでいるときは、ついつい頭を撫でてしまいたくなる可愛さ。
ハーパー伯爵家の正統後継者であるにも関わらず、なぜこうして隠れながら私に会いにくるのか。それは、この家の実権がイザベラ様の母上に握られているからである。
レンカ様でさえ、勝手な行動が許されない状況がこの家では作られていた。
思えば、レンカ様と私は似た者同士だ。
お互い似たものを感じて仲良くなったのかもしれない。というのは私の推測であって、具体的に仲良くなったエピソードが一つある。
庭師が大木から落ちて大怪我をしたときに、回復魔法で治してあげた時のことがあった。
それまで私に興味を示していなかった二人のお嬢様がたまたまその場に居合わせていた。
二人の反応は真っ二つに割れた。
それ以来、イザベラ様からは嫌悪され、レンカ様とは仲良くなり、『ルカねえ」とまで呼ばれて慕われるようになった。
私が何かをする度に、レンカ様は目を輝かさせて私のことを見る。
尊敬しているみたいだが、私はそんなに大した人物じゃない。レンカ様もいつかわかることだろう。
梁から身軽に飛び降りたレンカ様が、私にパンと水筒を手渡してくれた。
食糧の管理者はイザベラ様にキツく言われているので、私に横流しなどしない。私は借金の返済で余計なお金など一切持っていなかった。
だからレンカ様がいなければ、今頃餓死していたことだろう。
このパンもレンカ様の朝食分を取っておいてくれたやつだ。
「レンちゃん、いつもありがとうー」
二人のときはいつも『レンちゃん』『ルカねえ』でお互い呼び合っている。
軽く涙を流しながら、私はパンをちぎって口に入れる。なんてことはないパンが甘く、芳醇な香りを感じられる。うまい、うますぎる。空腹の時に食べるものはなんてうまいのかしら。ずっと噛んでいられる。飲み込むのがもったいない。ううっ、ありがたいです。
「あいつ、いつか、コロス」
「しぃー!」
私は慌ててレンちゃんの口を塞いだ。
この場には私たち二人しかいないけれど、こんなことを聞かれたらレンちゃんでさえただでは済まないはずだ。
本人は聞かれても問題ないという顔をしているが、レンちゃんが罰せられると私が辛い気持ちになってしまうので勘弁だ。
「女には女のやり方ってのがあるのよ」
「うむ」
おじさん返事がかわいい。
こちとら今年で30歳になる。
家の没落も経験し、借金を背負って働いている伯爵家では生意気なご令嬢に苛められる日々。ご飯を抜かれてひもじい夜を何度越したことだろう。
そんな日々を過ごしていれば逞しくもなる。
レンちゃん、あいつをコロスのは私よ!なんてことはひっそりと心の奥にしまっている。
レンちゃんには教えることが多い。
冷遇されているレンちゃんは家庭教師をつけて貰っていない。
イザベラ様は全ての教育を一流の家庭教師から受けており、回復魔法も聖女試験に受かりかけた人から指導を受けていた。
一方でレンちゃんは教育のほとんどを自習で賄っていた。
それを見かねた私がハーパー伯爵にお願いして、家庭教師代わりのようなことをさせて貰っている。
奥様の美しさに心底惚れて骨抜きになっている伯爵だが、流石に実の娘への教育をしたいという厚意を無碍にはしなかった。
奥様もたかが侍女の教育ならばと許可をくれている。
一日に3時間ほど私はレンちゃんと公に会うこと許されているわけだ。
今はその時間ではないので、二人してひっそりとしている。
これでも元々貴族で、聖女を目指していた身だ。
レンちゃんには一通り貴族の作法を叩き込み、彼女には回復魔法の才能もあったので聖女になるための教育もしている。
回復魔法の才能か。
そういえば、私にもそんなものがあった。10年前なんて本気で聖女になれるものだと思っていた。けれど、才能っていつか枯れるらしい。今の私には昔ほど上手に回復魔法は扱えない。
でも教えられることはたくさんあるわけだ。私の知っていることは全て託すつもりだ。
ついでに悪い知恵も授けているのよね、クククッ。
余計なことを考えていると、レンちゃんが既に洗濯物を籠に入れ始めていた。
どうやら手伝ってくれるみたいだ。
巨大な洗濯物籠に洗濯物を詰め込み、背負う。
小さな体と大きな洗濯物籠のアンバランスさが可愛らしい。
なでなでしたい。
「レンちゃん、ちょっと多めに持ってくれてありがとう」
「うむ」
半分背負ってくれているようだが、実はあっちの方が多い。どこまでも優しいレンちゃん。
「今日は私がどうやって洗濯地獄を乗り切ったか、そして女の正しい復讐のやり方をレンちゃんに見せてあげる」
「楽しみ」
私とレンちゃんは洗濯に使う広い外庭へと向かった。
日当たりがいい屋敷の南側の庭だ。
レンちゃんは小柄で歩幅が短い。おっとりとした性格同様、歩くペースも遅かったりする。
私も意識してゆっくり歩く。歩幅も小さくして、二人並んでゆっくりと、肩がぶつかり合うくらいの距離で。
「ルカねえ、ゆっくり歩いてくれてありがと」
「ふむ」
バレていたか。