17話
「なに!?アルカ殿ひとりに買い物に行かせたのか?」
少しキツめの言葉に、侍女長は急いで頭を下げた。
買い出しはアルカが言い出したことであって、侍女長が命じたわけではない。それでも言い訳をせずに、ただ素直に謝罪した。
ロイもすぐに自分の口調が強かったことを謝罪する。
彼も侍女長が無理やり仕事を押し付ける人ではないと知っているので、感情的になったことを悔いた。
それでも感情的にならざるを得ない。
ロイにとっては、10年ぶりにようやくめぐり逢えた思い人なのだ。
ここ数日、何度神に感謝の祈りをしたか覚えていないほど繰り返している。それほど喜びに満たされた日々を送っていた。
アルカの神秘的な魔力を見るたび、より一層彼女への想いが強くなる。
美味しそうに夕食を食べるアルカの顔をまじまじと見ていることを、他の侍従は全員気づいている。ロイの気持ちがバレていないのは、今やアルカだけとなっている。
アルカが気に入った食べ物は、次の日にも作るようにと命じる気遣いまでしている。月に数回ある程度の夕食会が、今や毎晩皆で食べるようになっていた。それもこれもアルカの顔を見るために。
彼女の喜ぶ顔が見られるだけで、ロイは心が満たされてしまうのだ。
心満たされると言えば、朝風呂から出た際にアルカのほとんど裸同然、タオルが一枚巻かれただけの姿を見たのも幸運だった。
急いで謝罪したが、あれは良かったと未だにしみじみと思っている。
眼福、眼福と心の中で何回唱えたことか。
それほどまでに強く想いを寄せている人が、一人で買い出しだなんて、ロイには到底落ち着いて待っていられる状況ではなかった。
大人がまだ明るいうちの買い出しなんて、万に一つも危ないことなどないのだが、過保護なロイは気が気ではない。
「レンカ殿、アルカの帰りが遅くないか?」
「うざい」
やたらと距離が近くて、そわそわしっぱなしのロイをレンカが一蹴する。
しかし、それで気分が治るはずもなく、数分後にまたレンカに詰め寄った。
「レンカ殿、やはりアルカの帰りが遅くないか?」
「しつこい」
ロイと違って、レンカは凄く平静な様子だった。
白い魔力が出た時に説明があったが、レンカはやはりアルカの魔力の影響を受けていた。
指摘されるまでレンカも気づいていなかったが、意識してみるとやはりその通りだと思う。
自分がここまで回復魔法が上達したのは間違いなくアルカと身近に接していたからだ。
幼い頃は義姉のイザベルに才能の面でかなり負けていた。しかし、気づけば肩を並べ、アルカの覚醒と共に自分の成長も目覚ましく、イザベルを大きく引き離していると感じている。
全てはアルカと一緒にいたから。
そして、二人仲良くいたことで、魔力が通じ合い、今や遠くにいるアルカの気持ちも僅かながらにわかってしまう。
勘違いだと思ったこともあるが、今日の治療の段階でそれは勘違いでないことがわかった。
遠くにいても、アルカが素敵な気分でいる限り、レンカにも気持ちが共有されている。だから安心し切っていた。
ここ1、2週間もずっとそうだった。
侯爵家へと行ってしまったアルカを心配していたけれど、不思議と素敵な気持ちが毎日のように伝わってきていた。きっと上手くやっているんだろうなと安心できたのはそのためだ。
「何かあったら言うから、離れて。きもい」
「くっ。やむなし」
きもいと言われても心に響くものは特にない。
それよりもアルカのことが心配で他ならない。
これ以上ここにいても醜態を晒すだけと悟り、仕事もまだたまっていたことを思い出して執務室へと戻ろうとした。
諦めのついた瞬間だった。レンカに手を引かれた。
「詳しいことはわからないけど、ルカねえの魔力が乱れてる」
「なっ!?場所はわかるか?」
「もちろん」
二人は魔力で繋がっている。どれだけ遠くに居ようともアルカとレンカの気持ちが通じ合っている限り、二人は強い魔力の絆で結ばれ続けるのだ。
◇◇
寒さを感じた。
今夜は冷えるらしい。侯爵家の暖かい寝床を思い出す。
暖房設備がしっかりしているのもあるけど、何よりあそこは人の温もりがある。
優しい同僚たちと、芸術品のように美しく笑う侯爵様。
ああ、なんで今夜はこんなに冷えるのよ。
誘拐された日の夜に限って寒すぎない?
「……いや、めちゃくちゃ寒い!」
指がかじかんできた!明らかに寒すぎる。季節が一気に真冬になったみたいだ。
それも真冬の吹雪の中みたいで、凍えてしまいそうだ。
壁が、床が氷に覆われていく。
何?何が起きているの!?
倉庫の頑丈に施錠された扉が崩れ落ちた。
ゴロゴロと鉄の塊が辺りに散る。
倉庫内のランプは灯りが弱く、まだ入り口で何が起きているかわからなかった。
しかし、次の声で私は全てを察した。
「貴様ら許さんぞ、氷漬けにした後に王都の大通りに飾り付けてやろう」
怒りでぶつぶつとつぶやくこの声は、ここ最近毎日のように聞いてきた声だった。
ロイ・ブリザード侯爵!
間違いなく彼だ。
もう一度会いたいと願ったことが一瞬にして叶ってしまった。
世の中、願いは叶うものらしい。
侯爵様が現れて、私は歓喜して涙を流しそうになったけど、最初に出たのは鼻水だった。
「さ、寒いっ」
だって、本気で怒っている侯爵様の魔力は異次元なのだ。
思いの力で魔力が高まるのは、どうやら自分だけではないらしい。
侯爵様もその特殊な力を持つ人だった。
辺りの気候を変えてしまうほど、彼は怒りに満ちていた。
影響力が強すぎて味方も凍えてます!
「俺の愛しの人を傷つけようとする者は、何人たりとも許さん」
一歩一歩前へと進み出る侯爵様へ、二人の輩が立ち向かった。
二人は貴族のイザベルに雇われただけあって、魔法を使えるし、戦闘面でも腕自慢だったらしい。
躊躇なく立ち向かったのは勇ましかったけど、相手が悪すぎた。
勢いよく走り出した次の瞬間、彼らの魔力が鳴りを潜め、生命の活動も静まった。
二人は何をされたのかもわからないまま、体の動きが急に止まり、そのまま氷漬けになった。瞬きすらしないその有り様は、もはや氷の像のようだった。
これが先の大戦を勝利に導き、国の英雄となった侯爵様の実力。
氷魔法を使ったどころか、ほとんど魔力だけで彼らを凍らせてしまったみたいだ。
圧倒的すぎて、言葉を失いそうだ。
「首謀者はお前か」
侯爵様の視線が倉庫の端にいたイザベルに向いた。
「ち、違うんですのよ。私はたまたまここに居合わせただけで、本当に違うんですの!」
そんな見え透いた嘘に騙される人ではないが、それでも彼女は身分のある身だ。
侯爵様は先にこちらへと歩み寄り、私を縛っていた縄を解き、一度強く抱きしめてくれた。
ちょっとだけ鼓動がはやくなる。あと、あったかいからそのままでいて欲しい。
その後に質問をしてきた。
「あの女の言うことは本当か?」
私としてはもうどうでもいいんだけどね。自分の気持ちに気づいてしまい、またこうして侯爵様に会えて、抱きしめて貰えた。それだけで十分すぎる。
というか、他は全て余計だ。
もう一回、抱きしめて!気持ちも満たされるし、暖かい。そればかりを考えていた。
「本当な訳もないか。すぐに楽にしてやる、そこを動くな」
あっ、私がときめいている間にイザベルが殺されてしまいそうだ。
流石に見逃せなかったので、私は急いで侯爵様の腕にしがみついた。
「あっ、あの。彼女の罪は消えませんが、侯爵様が手を出す必要はありません。それに、彼女にはまだ希望が」
そう、彼女のやったことは許されない。それは当然だ。私を殺そうとしたなんて、思い返すだけで腹立たしくて、怖くて、むかついて、イライラして、ちょっと一発ぶん殴ってやっていいかしら!?
ふーふー、息を整える。
怒りの気持ちは一旦収めておいて、私は冷静になる。
そう、あの日みたゴレさん一家の笑顔を思い出すことにしたのだ。
私が回復魔法でゴレさんと息子さんを癒してあげた時の、家族の喜んだ顔。苦しみから解き放たれて、安堵した表情を未だに鮮明に覚えている。
聖女というのは、そういう奇跡を起こせる存在なのだ。
そして、イザベルにはその才能がある。天才的とまで言える才能が。
レンちゃんと同じように磨けば、彼女にも多くの人を救える。ゴレさんのように苦しんでいる人を、周りの人たちも一緒に救うことができるのだ。
「……イザベル、私と一緒に学びなさい。一緒に聖女になり、一緒働くの。あなたの力を必要としてくれる人々のために使うと約束してくれるなら、今日のことは許してあげる」
私は手を差し出す。彼女がこの手を握って、私とレンちゃんと共に歩むことを願って。
しかし、差し出した手は強く拒絶されて、払われた。
「バカを言わないで頂戴。聖女になるのは身分の高い方と結婚するためですわ。侯爵様がダメなら、まだ幼い王太子を狙うまで。くだらない聖女の生活なんてしてられない。私の見ている世界はもっと上ですのよ」
……残念だ。この人はダメだと悟った。
私から歩み寄ることはもうしない。
けれど、侯爵様にも手を出させなかった。
やがて通報で駆け付けた国の憲兵に、彼女は連れて行かれた。彼女の処分は国の法に則って行われるだろう。
侯爵様は気に入らないようだったけど、私は気が済んだからいいや。彼女の未来がどうなろうと、もう私は一切興味がない。
これからは自分の人生をしっかり歩まなくちゃ。
夢もできたし、実現のルートも見えている。
何より、私には大事な人ができた。あとは彼の思いを確かめるだけだけれど、そこがまた難しくて、怖い。
だから、ちょっとだけ女の武器を使ってみることにした。
「……侯爵様、私怖かったです」
消え入りそうな声で喋った。
「すまない。駆けつけるのが遅れた」
「もう一度抱きしめて欲しいです」
別にもう怖くなかったけど、私は精一杯頑張って目に涙を浮かべた。
つーと頬を流れる一粒の涙。ごめんなさい、これが限界です。
狙い通り、侯爵様が私を抱きしめてくれた。
よっしゃー!と心の中で叫んだけど、表向きは切なげに泣く女性だ。
「侯爵様は、私のことどう思っているんでしょうか?私のことを……」
「アルカ、あなたが好きだ。ずっと好きだった。これからも気持ちは変わらない。約束する、あなたを守り続ける」
ちょっとずるい手法だったけど、こうして私は彼の気持ちを確かめることができた。
本当に私のことが好きだったなんて、言葉を聞いた直後でも驚いている。
人生何があるかわかったものじゃないね。
抱きしめられるのがとても気持ち良くて、私も強く彼を抱きしめ返した。とても満たされた気持ちだ。
そして、この日の夜、私たちは愛し合った。詳しいことは割愛だ。
恥ずかしいからね。
3回も愛し合った。おっと、ついついお口が。
◇◇
2ヶ月はあっという間に過ぎ去った。
私とレンちゃんは聖女の試験が近づくにつれて猛勉強に励んだ。
その甲斐あって、ペーパーテストも実技テストも突破した。レンちゃんももちろん合格だ。
安定して白い魔力が出せるようになった私は、歴代最高の評価を得て聖女となった。
初代聖女のようだ!と周りが囃し立ててくれるのがとても気持ちよかった。
もう一度魔力を披露してあの反応を見てみたいものだ。
聖女として合格したので、私は侯爵家を出ることにした。
私の夢の始まりである。
荷物をまとめて屋敷を出る時、侯爵様が私を呼び止めた。
いいえ、今では隠れてロイと呼んでいたりする。
「合格おめでとう」
「ありがとう」
「あの、あれだ。実は俺の王都での仕事があと1週間で終わる。アルカの侍女としての契約も終わっただろう?だから、これからは、正式に俺の交際相手として一緒に侯爵領に来てくれないか?」
遠回しのプロポーズかしら。
私は心の底から喜んだ。
今すぐ飛び跳ねてしまいそうなほどに。
でも、返事はずっと決めていたものがある。
「ごめんなさい」
えええええええ、と周りから声が響いた。
元同僚たちが見守っていたようで、全員が私の返事に驚愕したみたいだ。
少しおかしくて、笑ってしまう。
「ロイ、あなたは随分と先に行っちゃったんだもの。このままあなたに嫁いだら、私自慢の奥さんになれないわ」
「なにをするつもりだ?」
「侯爵家での治療で結構お金が貯まったから、レンちゃんと小さな治療院を開くわ。そこでは必要な経費以外は取らなくて、どんな身分の人も平等に聖女の回復魔法を受けられる場所を提供するの。そうして、みんなを癒してあげて、国一番の聖女と呼ばれるようになった頃、あなたに会いに行くわ。今よりもう少しだけおばさんになっちゃうけど、それでも私のことをお嫁さんに貰ってくれますか?」
今度は私なりの精一杯のプロポーズだ。
彼の気持ちはわかっているつもりだが、それでも少しだけ怖かった。
けれど、やはり彼は私の期待に応えてくれた。
「はい、俺はずっと待ってる。10年待ったんだ。今更、焦ることもないさ」
私は微笑んだ。ロイも微笑んだ。
ここから、私たちの新しい道が始まった。
◇
半年後、治療院で忙しく働くアルカとレンカは王都の有名人となっていた。
ハーパー家は借金が膨らみすぎて、没落した。
レンカは「あっそ」とだけ言い、家名を捨ててアルカと幸せに暮らしている。
今や聖女として立派に腕を上げているので、貴族の身分にしがみつくようなことはない。
治療院の外はいつも患者の行列ができており、その側には侯爵と若き王太子がヒソヒソと隠れ潜んでいた。
「ロイ、お主領地を放っておいてなぜこんな場所にいる」
「愛する人を見守るためですよ。殿下も同じでしょう」
「……うむ」
若き王太子の熱い視線が、治療院の中で忙しそうに働くレンカの姿を捉えていた。
「年上の女性は最高です。とても頼りになります」
「うむ、そうか。ロイ、お主とは趣味が合うのう。今後ともよろしく頼むぞ」
「はい、殿下」
アルカの経営する小さな治療院は人々に愛され、権力者に守られ、彼女が結婚してこの地を離れるまでずっと栄え続けたのだった。
ふぃー、なんとか駆け抜けました。最後まで読んでくれて感謝です!面白いと思って貰えたなら幸いです。良ければブクマと下の★で評価してくれると嬉しいっピ!!