16話
まさか、ただの一侍女の自分が誘拐される日がくるなんて思ってもみなかった。
私の美貌も捨てたものじゃない、とふざけている場合でもない。
目隠しをされ、両手を縛られてたどり着いた先は少しかび臭い倉庫の中だった。
なぜ私がターゲットなのだろうか?
もしや私を人質にとって侯爵家を揺する気だろうか。
そんな価値、私にはありません!
侯爵様には何故か気に入られているが、それはほんの気まぐれだろう。
大金を要求された侯爵様が「うーん、高すぎる。あの侍女は諦めよう」となる未来が容易に見えてしまう。
ひぃー、そう思うと途端に恐怖が増してきた。
どうなってしまうのよ。
私に自己防衛の魔法があればなんとかなる可能性はあるものの、出来ることは最近復活しつつある回復魔法の腕前と、日々の生活に役立つ便利な魔法ばかりである。
これから何をされるのかと怖がって待っていると、強引に目隠しを取られた。
静かに誰かが歩んでくる音がし、暗がりの倉庫内から美しい女性が出てきた。
完全に知っている人で、忘れたくても忘れられない人物。
「イザベル様……」
「黙りなさい、おばさん。聞きたいことがあって、こちらまでご足労頂きましたわ」
ご足労って。まるで私が自主的に来たみたいじゃない。
無理やり連れてきておいて、なんて言い分なのかしら。
「あまりギャーギャー騒がれるとこちらもやり辛いので、静かに聞かれたことだけを答えなさい?いいわね?」
あまりの高圧的な態度に、恐怖心よりも反発心の方が上回ってきた。
ギャーギャー騒いでやろうかしらと思ったけれど、後ろに控えるガラの悪い男性二人のことを思うと、大人しくしている方が良さそうね。暴力は勘弁願いたいわ。痛いのは嫌ですもの。
黙って頷いておいた。
「従順でよろしくてよ。あなた、どうやって侯爵様に取り行ったのかしら?なにか秘密があるんでしょう?包み隠さず全て言いなさい」
包み隠さずと言われましても。
当の私が分かっていないのだから、説明しようがない。
しかし、その美しい顔に浮かんだ醜い嫉妬は、納得のいかない返事を許してはくれそうになさそうだ。
困りました。
ので、レンちゃんから聞いた話をそのまま口にしてみた。
「侯爵様は私の生き別れの弟です。再開の喜びを分かち合っていただけです。だ、大事な姉がこんなことになっていると知ったら、あなたもただでは済まされませんよ。イザベル・ハーパー」
もう敬称をつけて呼ぶつもりはない。
こんな卑劣な手を使ってくる人相手に、私が敬意を払うこともないでしょう。
「聞かれたことだけを答えなさいと言ったはずよ?」
鋭い平手打ちが私の頬を打った。
ジンジンと熱を持った痛みが顔を伝う。
「やはり姉だったのね。ならいいわ」
勝ち誇った表情で私のことを見下ろす。
「あなた、ここから出られると思って?どうせ侯爵様にはバレないわよ。あなたには聞きたいことを全部聞いたら、消えて貰うつもりなのだから」
「消えるって言うのは……」
「もちろん死んで貰うって意味よ」
ニコリと笑顔でそう告げられた。本性が分かっていても美しい顔だ。
この笑顔に騙された男性は星の数ほどいるんでしょうね。
過激な性格に、侯爵への歪んだ愛があわさり、劇薬と変じたのか。
一体どういう精神構造でこのような事態を引き起こしたのかはわからないが、彼女は見た目の美しさとは違って、中身は醜い人のようだ。
そんなことずっと知っていたけど、ここまでとは……。
「初めてあなたの回復魔法を見たときから気に入らなかったのよ。いつか殺してやりたいと思っていたわ。今回はいい機会だったっていうだけ」
そういえば、イザベルとの因縁はそこから始まる。
私が初めて回復魔法を使った日、レンちゃんは私に憧れ、イザベルは私の敵となった。
彼女に嫌われた理由を不思議に思っていた時期もあったけど、やはりあれがきっかけだったらしい。
「なによ、私より有能な回復魔法師なんて……いずれ私はこの国一番の聖女となる人物よ。あんたになんか私の栄光の道を邪魔させない」
そいうことだったのか。
私はどうやら才能があるらしいことが最近判明した。
それを宿敵のイザベルからも聞かされるとは思ってもみなかった。
彼女も私の才能を見抜いていたわけね。数年絶望していたんだから、教えてくれたっていいじゃない。嫉妬しているなら嫉妬しているで。
……私は、気づくと笑っていた。
なんだか、彼女が凄く小さな存在に思えて、笑わずにはいられなかったのだ。
「な、なにを笑っているの!?おばさん、状況を理解しているのかしら!?」
「いえ、ちょっとだけ可笑しくて」
だって、そんな気持ちだったなんて一度も想像すらしてなかったから。
まさかその美しさで社交界の中心人物となり、天才的な回復魔法を使うイザベルが私を嫌っていた理由が嫉妬だったなんて。こんなの痛快じゃない。
「私ってもう30歳なの。あなたの言う通り、おばさんかもね。この歳になると自分に絶望することはあっても、なかなか他人に嫉妬することもなくなってね。それがまさか、こんなにも嫉妬して貰えていただなんて。こんな状況、笑わずにいられないでしょ?」
返事はなかった。
その代わり、またも平手打ちが返ってきた。
少し、挑発しすぎたかな。
「あんたなんか、あんたなんかいなくなればいいのよ!私の目の前から永遠に消してあげる。侯爵様も、国一番の聖女の座も、全て私のものよ」
彼女の美しい顔が徐々に歪んでいく。次第に帯びてきた本物の狂気に、私もようやく本気で恐怖し始めた。
ここから逃げる手はない。
彼女はここまでやったからには本気なのだろう。
私はそっと目を閉じた。
レンちゃんとの楽しい記憶が蘇ってくる。
そして、不思議と瞼の裏にあの人の顔が浮かんだ。
ロイ・ブリザード侯爵様の顔が……。
なんて美しい顔なのでしょう。
思い出の中でも、こんなに美しいだなんて。
出来れば、もう少し近くで見つめてみたかったかもしれない。
ずっと、ずっと、傍で。
私は、どうやらあの人が嫌いではないらしい。
「――あっ」
私は突如思い出した。
侯爵様がなぜ私のことを気にかけているのか。
先ほどイザベルに聞かれて分からず、ごまかした答えが分かったのだ。
そうだった。あれだ。最近夢でも見た記憶が蘇る。
全ては、10年前から始まっていた。
実家が没落し、ハーパー伯爵家へと身売り同然で行く途中だった。
街道で馬車に轢かれて、脚の骨を折った少年がいた。
その当時も顔立ちの整った少年だったが、思い返すとあれはロイ・ブリザード侯爵の少年期だったのではないか。顔を思い出せば、その面影があるのが分かる。
「ああ、あれか。あれだ!」
そうだった。
骨を折って泣きじゃくるロイ少年を、私は自信満々に治療してやったんだった。
笑顔で彼をリラックスさせ、変顔で痛みをごまかし、才能にあふれた回復魔法で綺麗に治してあげた。
そうだ、そんなことがあった!
そして、彼にお礼をするように伝えたのだ。
適当に侯爵様にでもなって、私に恩返しに来なさいとか言った気がする。
本当に適当に言ったのだが、まさかこうして侯爵にまでなるとは……。
私はまたも笑い出してしまった。
先ほどは痛快な気持ちで笑い、今度はとても素敵な気持ちで笑った。
こんなに絶望的で、怖くて仕方ない状況なのに。笑いを堪えられない。
だって、侯爵にでもなって恩返ししなって言った相手が、本当に侯爵になって恩返しに来る?
そんな健気な人いる?
「あー、おかしい」
「なんですの!?気が狂ったんですの!?」
私が笑い出すのが不気味だったのだろう。イザベルが後退る。
彼女のことなど意識の外に追いやってしまいたい。
だって、侯爵様の健気さが可愛くて、愛しくて……また会いたくて。素敵な思い出をこんなところで思い出すなんて、なんて勿体ないことをしてしまったのでしょう。
もう一度でいいな。会いたいと思う。
彼と私のスタート地点が分かった今、無性に会いたくて仕方がなかった。
面と向かって、二人で、ゆっくりと語らってみたい。
思い出話でもいいし、今何を思っているのかでもいい。
とにかく会いたくて仕方がないのだ。
けれど、流石にあの侯爵様でも、こんな訳の分からない倉庫街から倉庫の一つを見つけてやってくることはできないだろう。
助ける義理もない。
私程、彼は私のことを思ってくれてはいないだろうから。
既に、恩もきっちり返して貰っている。
あのハーパー伯爵家から連れ出してくれただけで、10年前の恩は返して貰ったに等しい。
レンちゃんにも会いたかったし、できれば侯爵様にも……。
それが叶わないと分かっているので、私は目を閉じたまま、静かに俯いた。
せめて、苦しまずに死んでしまいたい。
倉庫内が徐々に寒くなっていくような感じがした。日が沈んで冷えてきたのだろうか。