07.僕とミリアム(オリバー12歳)
ちょっと過去が続きます。
僕には優秀な弟のリベルタがいる。
勉強、剣術、ひょっとしたら魔導の才能だってあるのではないかと言われている弟だ。
第一王子としての肩書はあれど、あまりのリベルタとの出来の違いに、次期王はリベルタではないかと言われている。
それも仕方ないことだろう。
初めは第一王子なのだからとがむしゃらに頑張ってみたが、どれもリベルタには敵わなかった。
リベルタのように覚えが良いわけでもなく、リベルタのように強いわけでもない。
それが僕。オリバー・アジェットだ。
12歳の時、僕はやたらと令嬢と会わせられてうんざりとした毎日を過ごしていた。
「今日会う子も良い子なんじゃないかしら」
耳打ちをするお母さまに助言に従って、色んな女の子と話をする毎日。
話す内容はどんな内容も面白くない上に、弟のことばかり聞いてくる。
弟に接触するための足掛かりにされているのは明らかだった。
ある日、僕はひっそりと抜け出して、庭にある背の高い木の下に座り、体を丸めて身を隠した。
茶会が用意されていたが、その時の僕は誰とも会話をしたくなかった。
「ねぇ、そんなところで何をしているの?」
僕の願いはむなしくも叶えられず、小さな女の子が目の前に立っていた。
ふんわりと広がるドレスが影を作り、僕にかかる。
その子は水色の髪を靡かせて、青い瞳で僕をのぞき込んできた。
「何も。何もしたくないからここにいるんだ」
「ふぅん?」
僕が誰だか気づいていないのだろうか。
女の子は僕の隣に座り込んで、小さな足をつまらなさそうにぷらぷらと振っていた。
「わたしも退屈なことばかりなの。楽しくないお話ばっかり」
「そんなこといっていいの?」
そんなことを大人に言ったら怒られてしまうというのに、女の子はゆるりと首を振った。
「子供はもっと素直でいいのよ」
「素直?」
「そう。やりたいこともやりたくないことも、イヤだっていっていいの」
僕にとってそれは夢物語の理想論だ。
みんな僕を通じて弟と知り合いたがっている。
「でも君だって、リベルタ殿下に近づけって言われているだろう?」
この女の子に僕がオリバーだと知られたくなくて、そしてこの女の子だって、打算があるのだと思いたくて意地悪なことを言ってみた。
女の子はそのことを聞いて、目をぱちくりとさせたあと、不愉快そうに眉を寄せた。
「わたしはあんまりそういうの好きじゃないわね」
「う、うそだよ。だってみんなそうじゃないか」
だってみんなそうなんだから。
「みんながどうとか、どうでもいいことじゃないの?わたしはちがうわ」
「……君だって、リベルタの方がいいっていうにきまってる。リベルタのようになれない僕に興味なんかないだろう」
綺麗ごとを言う女の子は僕には眩しくて、卑屈な僕はさらにみじめな気持ちになる。
「僕……?あ、もしかして」
つい出てしまった言葉に気づいたのだろう。
女の子の顔に『やってしまった』という感情が現れた。
そうしてすぐに僕にすり寄り始めるのだろうか、折を見てリベルタの話を始めるのだろうか。
そんな姿を見たくなくて、聞きたくなくて、僕はうつむいて顔を逸らした。
「ねぇ。1つ聞きたいのだけど……オリバー殿下はリベルタ殿下になりたいの?」
その問いかけは僕の予想とは大きく離れていた。
予想していない問いに回答なんて持ち合わせていなくて、黙り込む。
女の子はまん丸とした青い瞳で、うつむいた僕をのぞき込んできた。
釣りあがった意思の強い瞳は目を逸らすことを許してくれない。
「オリバー殿下はオリバー殿下よ。自分と他人を比べてはいけないわ」
「そん、なの……」
父と母は同じなのにどうしてこんなにリベルタ殿下とは出来が違うのか。
そんなことばかり言われてきた。
比べることばかりを言われてきたのだ。
女の子の瞳は強く、縫い留められたように見つめてしまう。
「……だって、僕よりもリベルタの方ができるから……」
とんだ負け犬の台詞に、女の子は肩をすくめた。
その姿は女の子らしくない、どこか駄々をこねている子供を見ている大人のようで、僕はまたみじめな気持ちになる。
「ねぇ、殿下。これ、見てくださる?わたしのひみつなんですの」
そういって女の子は、地面に木の枝で何かを書き始めた。
ガリガリと音をたてているそれを見つめていると、そこにはひどく不格好な、動物とも何とも言えないものが描かれた。
「これだけはどうしてもできませんの。でも、殿下でしたらもっとうまく描けるでしょう?」
「……ふ、ふふ」
「笑うなら隠さずに笑ってほしいわ」
むっすりとした女の子は、僕の番だと言いたげに木の枝を押し付けてきた。
描けというのだろうか。
この不格好ななにかわからないものの隣に。
「わたしは殿下よりもうまくできません。でもそれは恥ずかしいと思わないわ」
ぐいぐいとあまりにも押し付けてくるので、僕は仕方なく木の枝を手にする。
あまりの強引さに、ちょっと頬に刺さっていた。
「ちなみに、わたしは猫をかきましたわ!」
腕を組んで笑うその姿に、笑いを抑えることはできなかった。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちるほどに、僕は数年ぶりに泣いて笑った。
「あ、……その、き、みの名前は?」
「まぁ、失礼しました。わたしはミリアム・ノシュトですの」
女の子に名前を聞くのがこんなに恥ずかしいとは思わなかった。
不格好な猫と女の子を僕は絶対に忘れない。
あの後、庭で遊んでいた僕らを見ていた両親によって、僕とミリアムは婚約した。
知らせを受けた時は天にも昇るほどの高揚感だった。
リベルタのことで卑屈の塊になっていた僕を、少なからず両親は心配していたそう。
あの庭でミリアムと笑いあっていた姿は心を打ったのだと、お節介な執事がこっそりと教えてくれた。
両親の思いにむず痒い気持ちで胸がいっぱいになる。
文通をしていると、ミリアムは時折あの不格好な猫を描いてくれる。
ちっとも上手くならない猫さえ可愛く見えたものだ。
「わからない」と言えば「リベルタ殿下はわかるのに」と返されるのが苦痛で、何とか自分で考えてどうにかしようとしていた僕の悪癖を見抜いたミリアムは「わからないことはわからないって良いの」と諭し続けてくれた。
「殿下はえらいですわね。殿下を見ていると私も頑張れますのよ」
ミリアムの背中が時折大きく、輝いて見えてその背中に追いつきたくて、わからないことはすぐに聞き、何度も反復した。
勉強で詰まることも減り、前向きになったおかげで苦手だったはずの剣術も楽しくなり、僕はめきめきと伸びていった。
それでもミリアムの背中は遠くて、いつか背中に届いた時には、殿下ではなく名前を呼んでほしいとお願いするつもりだった。
ちっちゃい頃は舌がうまく回らず「わたし」です。