06.顧客が増えました
後半でプロローグに戻ります
要約すると、最近のアルトさんは解読に時間をかけていない分、研究がとても捗っていたのだとか。
そのことを訝しんだネレイネさんが問い詰めると、私が解読を代行していることを知った。
私が解読したノートを見せられて、それならば自分の分もお願いしたいとネレイネさんが言い出したそう。
「キミの解読は中々優秀で、かなり整っていてメモも便利だ。正直憎らしいほどに羨ましいね」
「はぁ。ありがとうございます。ただ、私も家でやっているので、2人分となると1冊に日数をいただきますけど……」
「えっ、ミリアムさんもしかしてここの仕事のあとやっていたの?」
アルトさんは私が家で解読していたことを知らなかったようだ、というか気にしたことがないのだろう。
私も任された日に「持って帰って良いですか?」としか聞いていなかったことを思い出す。
「アルト。キミのそういう無関心なところはどうかと思うよ」
「悔しいけど今回は何も言い返せないなぁ。ミリアムさんごめん」
私の手を握りアルトさんが謝ってきて、慌てて首を振った。
瓶底眼鏡で見えないはずなのに眉毛がしょんぼりと下がっているのがわかる。
「い、いえ、私もきちんと話せばよかったですし」
「これからは解読をここの仕事中にやってくれて構わないよ。来る人も少ないし。どうせ見られたところで普通はわかんないものだから」
古書店でやっていることといえば、ただ古書を読んでいるだけだったので、解読をここでの仕事時間に使っていいというのはありがたい話だった。
古書店の給料は変わらず、また解読の分の報酬も今までと同じで出来高でくれるという。
アルトさん曰く、そもそも魔導士自体が少なく、解読まで自前でできる人間はそのまま魔導士になっていることがほとんどだそうだ。
料理の下ごしらえが解読で、調理が研究だと思えば、確かに下ごしらえだけを専門にやっている人はいない。
私は解読をしているが、これは特殊な経験によりもたらされたものだ。
「ミリアムの体質のことはアルトから聞いている。もし手がかりになりそうなものが見つかったら、私も手伝うことを約束しよう」
「とても助かります。私は解読しかできないので」
「なんだったらこんな無神経で無関心なもじゃもじゃ頭を断って私のを受けてくれてもいいんだよ」
「性別不詳の男女なんて怪しいだけだから断ってくれてもいいからね?」
遠慮のない物言いのアルトさんは新鮮だ。
「大体図々しいとは思わないのかな」「逸材を独占したいというのは狭量というものだよ」と睨みあっている。
普段は物腰の柔らかいアルトさんの一面が面白くて、思わずくすくすと笑ってしまった。
「ここの時間でやっても大丈夫ならおふたり分できると思います。よろしくお願いします」
「こちらこそ期待しているよ。ミリアム」
握手を求めるように手を差し出されて、私はそっと手を握った。
その手はほっそりとしていて、これまた男の人か女の人かわからないくらい、中性的だった。
ネレイネさんは一体どっちなのだろうか。
私は古書店の時間を使って、2人の魔導書の解読を初めた。
初めに1冊やってみせれば、ネレイネさんは大満足したようで、ほっと胸を撫でおろした。
ネレイネ様と呼ぼうとしたが「アルトはさんなのに、私には様なのかい?寂しいな」と言われてしまえば従うしかなかった。
ネレイネさんはアルトさんと違って何代も続く伯爵家の人間だそうだが、公認魔導士を両親は快く思っていないそうで、ネレイネさんは反抗したいらしい。
■□■□
そして2か月が過ぎた。
私は来る途中に買った新聞を開いてギコギコと音がなる椅子に腰かける。
魔導書の解読作業を始める前に、新聞を読むのは変わらない日課だ。
新聞には大きな字で『第一王子オリバー殿下婚約破棄!希代の悪女ミリアムのすべて!』と見出しがかかれ、読んでいるだけで眉を顰めてしまうような悪行の数々が書かれている。
「私こんなことやってたんだ……」
呆れを通り越して感心してしまうほどに、私は楽しんでいたようだ。
目を疑うほどの散財。そして婚約者のいる男でも構わない勢いの男遊び。危ない薬にも手を出そうとしていたが寸でのところで止められたとか。
下級貴族の令嬢をいじめ倒していたとかで『告発!』まで書かれている。
婚約者だったオリバー殿下の気苦労は相当なものだっただろう。
「殿下も可哀そうに」
素直な良い子だった殿下のことだ、胃に穴が開いているかもしれない。
今はもう会うこともなく、密かに心配するだけとなってしまったことが少しばかり寂しい。
新聞を読み進めていると、どうやら私は辺境の修道院に送られたそうだ。
『らすぷら』のゲームのENDにそんなものがあったなと思い出す。
私がへし折った破滅フラグは、どうやら懇切丁寧に建て直されたのかもしれない。
殿下の新しい婚約者はヒロインであるアナスタシアになるのだろうか。
殿下とアナスタシアならどんな困難でも乗り得られるだろう。
アナスタシアのお転婆を思い出して思わず口元が緩む。
元気だといいなぁと願う気持ちは近所のおばちゃんみたいで笑えてしまった。
――カラン。
扉についているランタンが音をたてて、来客を知らせてきた。
ギコギコと音を立てる椅子から立ち上がり、どんな人が来たのかを本棚から顔を出して確認する。
見覚えのある金色の髪が目に入ったが、こんなところに来るはずがないと二度見した上で、顔を確認する。
しかし、整った柳眉に、うっとりと見惚れてしまう深い藍色の瞳のその人は、こんなところに来るはずのない人物だ。
「……殿下?どうしてここに?」
そこに居たのは新聞で婚約破棄が発表されたばかりの、オリバー殿下だった。
「ミリアム!ミリアムなんだね!」
パッと目が合えば、殿下が一目散に私の元へと走ってきた。
遅れて店に入ってきたのか、先ほど私の思い出の中でお転婆の限りを尽くしていたアナスタシアも見えた。
アナスタシアは感極まったのか、ピンク色の瞳を涙で濡らし、口元に手を当てて言葉を無くしている。
「あー、えぇと、はい」
確信めいた物言いに言い訳も出来ないと判断して私は頷いた。
咄嗟のことで公爵令嬢として教育を受けていたはずの、カーテシーやら言葉遣いやらを忘れてしまったが、殿下は気にせずにかけて来て勢いのまま私を抱きしめる。
広げていた新聞がくしゃりと形を変えてしまった。
「会いたかった」
「お元気そうで何よりです」
殿下がお気に入りのラベンダーの香水の香りが鼻をくすぐる。
苦しいほどの抱擁は殿下の今の気持ちを表していて、離してなんて言うことは出来なかった。
胸板の広さに、1年みないうちに成長したのだと感じて、殿下の背中を撫でた。