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04.知らない誰かと私

 引っ越すにあたり、お風呂だけはユニットバスのあるものにした。

 シャワーだけの部屋の方が家賃は安いのだけど、これだけは譲れなかった。

 おかげで立地は悪いのだけど、この際仕方ないと目を瞑る。

 お湯に足の先からゆっくりと差し入れ、全身を湯に浸した。


「あぁぁ~~」

 

 硬くなった筋肉がぬるいお湯でほぐされていく気持ちよさに思わず声が出た。

 公爵令嬢だった時には許されなかった、だらしなさが極まった声である。

 ずるずると体を滑らせて肩を超えて首近くまで湯に沈む。

 

「ミリアム様。お着換えを忘れてますよ。ここに置いておきますね」

「ありがとう」


 湯舟に映る自分と目を合わせる。

 老婆のような白髪に、暖炉の灰のような濁った灰色の瞳。

 体は今でこそふっくらとしているが、入れ替わり直後は骨と皮だけの細い体だった。

 

 この体の主は一体どんな人だったのだろうか。

 何もないあの部屋は空虚だった。

 そこに人が暮らしていたという痕跡すらもなかったのだ。

 もしかしたら入れ替わるために用意した部屋なのかもしれないが、この体の有様を思うとその余裕はなかっただろう。

 あの部屋がこの体の主のすべてだったのだ。

 それはとても悲しくて、寂しく、虚ろなことのように思う。


 考えても、思っても、詮無きことだけど、ぼんやりと考えてしまった。

 

 

 お風呂からあがった私は、ほかほかの体のまま腕まくりをして机へと向かう。

 魔導書と資料が置かれている机でノートを開き、お気に入りの硝子ペンを握る。


 魔導書とは、昔の魔導士たちが残した本である。

 魔法が存在するが、解明されておらず、こうして昔の魔導士たちが残した魔導書を元に魔法を作り上げているのが現代の魔導士だ。

 魔導書は研究書に近いもので、書き終わった後に上から魔法をかけられて隠されている。

 一見旅行記であったり、児童書であったり、演劇の台本だったりしたこともあった。

 しかし、総じて魔導書には残滓が残っており、魔眼を持った人が見つけてくる。

 先祖代々伝えてきた児童書が魔導書だったこともあった。

 魔法を解かれた魔導書はほわほわとした文字が躍るだけのページになっていて、解読できる人は限られている。

 

 アルトさんが持ち帰ってきた魔導書をみせてもらったとき、私は魔導書の解読ができることに気が付いた。

 ほわほわと浮かんでいる文字がどのように繋がっているのかが見えるのだ。

 せっかく能力があるのならば、とアルトさんの手伝いがてら魔導書の解読をしている。

 体から魂が分離する体質を治す方法を探しているのも兼ねている。


 アルトさんは私の体質を知っていた。

 アルトさんも魔眼を持っているらしく、一目見て私の魂があまりにも不安定なことに気づいていたそうだ。

 解読ができるのは「魂が魔導に触れたからではないか」とアルトさんは仮説を立てている。

 この能力は転生したからついたのか、体を入れ替えたかついたのかは定かではない。

 この不安定さを治すためにも、解読をすることを勧めてくれたのだ。

 アルトさんは解読に時間をかけずに、研究に専念することができる。

 古書店の給料とは別に報酬をいただいていて、引っ越しができたのもそのおかげだ。

 

「ん、んー。この記述確かこっちの本にもあったよね」


 見覚えのある記述に、資料の一冊を手に取ってパラパラとめくる。

 気が付いたこともメモとしてノートへと書き連ねていく。

 繋がった文字をパズルのように組み建てていく感覚に近くて、私は解読作業がかなり気に入っていた。

 集中しているとぶつぶつと独り言を漏らしてしまうのだが、シリンの寝室は隣の部屋なので気にしなくてもいいだろう。

 残り数十ページなのだが、昨日は途中で魂が抜けてしまい、肉体に戻れた時には明け方近かったので諦めたのだった。

 また抜ける前に何とか終わらせたいと気合を入れる。



 

 

 「ミリアム様。ミリアム様」


 肩をゆすられる感覚に、うっすらと目を開ける。

 シリンが顔を覗きこんでいて、窓から見える光に朝を迎えたのだと察した。

 寝ぼけ眼をこすりながら、腕を伸ばすと肩からバキッという音が聞こえた。

 解読が終わったあと、机に突っ伏して寝ていたようだ。


「また抜けていたのですか?」


 私の体質を知っているシリンの瞳には私を案じる思いが込められている。

 魂が抜ける状態は正常とは言えず、シリンはいつも心配そうにしていた。

 私は安心させようと努めて笑顔で、首を振る。


「ううん、ただ寝てただけ。終わったら安心してそのまま寝ちゃった」

 

 私の魂が抜けるのはかなり不定期で1週間抜けなかったと思うと2日続けて抜けることがある。

 そのため、ただ寝ているだけでもシリンはいつもはらはらと心配していた。

 

 魔導書とノートによだれを垂らしていないかを確認して、綺麗な状態に安堵した。

 ノートはまた書き直せばいいが、魔導書によだれを垂らしていたら一大事だ。

 一年ただ働きしても弁償できるかわからない。


「見つかりそうですか?体質を治す方法」

「うーん、今回もそれっぽいのはなかったかな」


 今回の内容も魂と肉体のことについて触れたものはなかった。

 アルトさんの研究次第ではあるが、難しいだろう。

 簡単に見つかるとは思っておらず、内容が内容だけに、やはりアルトさんから預けられるようなものでは足りないのかもしれない。

 国に認められた魔導士は公認魔導士としての地位を得て、国で保管している魔導書も読めるが、公認魔導士になり立てのアルトさんが持ってこれる魔導書は限られていた。

 パラパラとノートの中を確認し、ぱたりと閉じる。


 いつか魂が肉体に戻れなくなるかもしれない。

 そんな不安はいつも私の胸にあるけれど、今は手段を探す以外に方法がない私は、見ないふりをするしかない。


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