02.ミリアム・ノシュトの災難
私の人生に大きな転機が2度あった。
1度目はもうすぐ30歳になるだろうと言う頃。
絵に書いたようなブラック企業で働いていた私は、過労の末にうまく動かない思考のまま赤信号に飛び出し、息を引き取った。
目覚めた時、乙女ゲーム『Last Platina』の悪役令嬢ミリアム・ノシュトへと転生していた。
ブラックな仕事の合間に唯一の楽しみとしてやり込んでいた私は、全てを先回りし、ヒロインであるアナスタシアとの仲を深めて転生後を楽しんだ。
しかし、それも2年の秋に訪れた2度目の転機で終わりを告げた。
街に出かけた時、誘拐されて眠らされた私は、気がつけばものが何も無い質素な部屋で目を覚ました。
部屋に備え付けの鏡を見たら、全然違う人間になっていたのだ。
混乱して街に飛び出した私は『行方不明だったミリアム公爵令嬢発見!』と書かれた新聞をみて、体を奪われたのだと気づいた。
受け入れ難いことだが、現実私の体は知らない人のものになっている。
ノシュト家に走り、私が本物のミリアムだと訴えたが、門番に気狂いだと思われ追い返された。
私が門番でもそう思うだろうから責めることなどできない。
何もない質素な部屋で、宙を眺めていた私は、さらにとんでもないことに気づいた。
宙を眺めている知らない誰かを、私は眺めていたのだ。
肉体から抜け出した腕や足を見ると、半透明になっていてまるで幽霊のようだ。
もしかして私は死んでしまったのではないかと思った。
小一時間宙を眺めていただけのつもりが、数日飲まず食わずで眺めていて死んでしまったとでもいうのだろうか。
なんという人生だったのだろうか。自殺し、転生し、体を奪われた挙句に孤独死なんて私が何をしたというのだ。
絶望のあまり、宙を眺めている私を眺め続けていると、幽霊の体がすぅっと薄くなり、気が付くと目の前の知らない誰かに戻っていた。
夢でも見ていたのだろうと不思議体験を受け入れられずにいたが、数日おきに同じことが起き、さすがの私も夢だなんだと自分に誤魔化せなくなった。
とはいえ、こんなこと誰に相談ができるというのだろうか。
医者にいったところで笑い飛ばされるだけだし、知らない誰かは平民の1人だったようで、部屋にはお金もない。
そんな、知らない誰かとなった私は、魂が抜けてしまう不自由な体で生きていくことを、余儀なくされたのだ。
■□■□
生きるためには食べ物が必要で、食べ物を手に入れるには職を手に入れるしかない。
ひとまず私は平民街で職探しを始めた。
幸いなことに、読み書きや算術、アラサーまで働いていた処世術を駆使し、私は古書店の店員として働くことができた。
「住めば都というかなんというか」
本棚から一冊古書を抜き取り、ギコギコとなる椅子に腰かける。
ここの古書は読んでもいいと許可をもらっている。
体を奪われてから半年が過ぎた。
2回も体が変わってしまえば、肉体への愛着なんてものはなくなってしまった。
さらに、ブラック企業で使い潰された前世を思えば、こうしてのんびりと古書店で働いて過ごせている現実は天国だ。
公爵令嬢としての不自由さもないのだから、現状に居心地の良さを感じてしまう。
自分の適応力の高さに関心してしまう。
「いやぁ、ミリアムさんが来てくれてほんと助かったよ」
店の奥から古書の山を抱えて店主のアルトさんが出てきた。
わかめのようにくしゃくしゃな黒髪は目にかかるほど長く、重ねて瓶の底のような丸くてでかい眼鏡をかけているため、私はアルトさんの素顔を見たことがない。
皺だらけのシャツを着ている姿からはまったく想像がつかないが、一応は下級貴族らしい。
「私こそアルトさんに拾ってもらえてほんとありがたいです。今日は研究会ですか?」
「うん。研究会っていってもお偉い人達の研究を褒めたてるだけのつまんない集まりさ。あーあ、脱退したい」
「まぁまぁ、それもお仕事ですから」
「公認魔導士になればもっと研究に専念できるっていうからなったのにさぁ。こんなことやりたくてボクはなったわけじゃないんだけどなぁ」
店主のアルトは公認魔導士の1人らしく、王城の研究会へ参加している、というか参加させられている。
平民だったが優秀なアルトさんは、ある貴族に公認魔導士への推薦を条件にこの店を押し付けられたらしい。
お貴族様の道楽で成り立っているお店だから、窃盗しそうな変な人は雇えるわけもなく。
かといって古書ばかりに包まれた華やかさの欠片もない店で働きたいという人も少ない。
身元不明とはいえ、受け答えから教養までしっかりしている私を選んでくれて助かった。
当初こそ様を付けていたものの、元は平民だからとさん付けで良いとも言ってくれたいい人だ。
公認魔導士になるにあたり、一代限りの爵位を与えられたことを「いらないものを渡してきた」と、不本意に思っているそうだ。
「また新しい古書が送ってこられたから、管理よろしくね」
「はい。いってらっしゃいませ」
本の山をカウンターの上において、アルトさんはまた店の奥へと引っ込んでいった。
研究会に出かけるため、身支度を整えるのだろう。
私はカウンターの下から管理簿を取り出し、古書の題名と作者、そして今日の日付を記載していく。
書き終えたあたりで、体から意識が抜けていくのを感じた。
『はぁ、書き終えたところで良かった』
抜けた魂でギコギコとなる椅子で眠りこける私の姿を見つめる。
魂が抜けてしまっても、訪れる人の少ないこのお店では今のところ問題は起きていない。
アルトさんに巡り合えてなければ今頃は不条理に心が死んでいたかもしれない。