01.プロローグ
平民街の一角、ランタンが入口にかけられた薄暗い古書店が私の職場だ。
古書ばかりが陳列されているこの店は、1日に1人か2人お客がくればいい方。
よくまぁ営業を続けていられるものだと思うが、古書好きな貴族の道楽らしい。
店の奥に置いている足がギコギコとなる椅子に座り、今朝買った新聞を開く。
新聞には大きな字で『第一王子オリバー殿下婚約破棄!希代の悪女ミリアムのすべて!』と見出しがかかれ、読んでいるだけで眉を顰めてしまうような悪行の数々が書かれている。
「私こんなことやってたんだ……」
思わずつぶやき、呆れを通り越して感心してしまうほどに、私は楽しんでいたようだ。
目を疑うほどの散財。そして婚約者のいる男でも構わない勢いの男遊び。危ない薬にも手を出そうとしていたが寸でのところで止められたとか。
下級貴族の令嬢をいじめ倒していたとかで『告発!』まで書かれている。
婚約者だったオリバー殿下の気苦労は相当なものだっただろう。
「殿下も可哀そうに」
素直な良い子だった殿下のことだ、胃に穴が開いているかもしれない。
今はもう会うこともなく、密かに心配するだけとなってしまったことが少しばかり寂しい。
新聞を読み進めていると、どうやら私は辺境の修道院に送られたそうだ。
ゲームのENDにそんなものがあったなと思い出す。
オリバー殿下の婚約者はあの子になるのだろうか、と亜麻色のふんわりとしたヒロインのアナスタシアのお転婆を思い出して思わず口元が緩む。
元気だといいなぁと願う気持ちは近所のおばちゃんみたいで笑えてしまった。
――カラン。
扉についているランタンが音をたてて、来客を知らせてきた。
開店直後に人が来るのは珍しい。というか、人が来るのことが珍しい。
ギコギコと音を立てる椅子から立ち上がり、どんな人が来たのかを本棚から顔を出して確認する。
見覚えのある金色の髪が目に入ったが、こんなところに来るはずがないと二度見した上で、顔を確認する。
しかし、整った柳眉に、うっとりと見惚れてしまう深い藍色の瞳のその人は、こんなところに来るはずのない人物だ。
「……殿下?どうしてここに?」
そこに居たのは新聞で婚約破棄が発表されたばかりの、オリバー殿下だった。
「ミリアム!ミリアムなんだね!」
パッと目が合えば、殿下が一目散に私の元へと走ってきた。
遅れて店に入ってきたのか、先ほど私の思い出の中でお転婆の限りを尽くしていたアナスタシアも見えた。
アナスタシアは感極まったのか、ピンク色の瞳を涙で濡らし、口元に手を当てて言葉を無くしている。
「あー、えぇと、はい」
確信めいた物言いに言い訳も出来ないと判断して私は頷いた。
咄嗟のことで公爵令嬢として教育を受けていたはずの、カーテシーやら言葉遣いやらを忘れてしまったが、殿下は気にせずにかけて来て勢いのまま私を抱きしめる。
広げていた新聞がくしゃりと形を変えてしまった。
「会いたかった」
「お元気そうで何よりです」
殿下がお気に入りのラベンダーの香水の香りが鼻をくすぐる。
苦しいほどの抱擁は殿下の今の気持ちを表していて、離してなんて言うことは出来なかった。
胸板の広さに、1年みないうちに成長したのだと感じて、殿下の背中を撫でた。
私、ミリアム・ノシュトは新聞に書かれているミリアムに1年前、体を入れ替えられているのだった。