この声を、君へ
雪が降りしきり、池の水が氷るほど気温が低い季節――一人の少女が、大通りでチラシを配っていた。
「どうか! 名前のない兵士、貧困の子供たちのために、協力してください! ありがとうございます! お願いします!」
彼女は必死に通りかかる人々にチラシを配っていた。時には渡した人と会話をしたりしながら。
俺は飛ばされてきたチラシを拾いあげると、何やら文字がたくさん書かれてあったが、あいにく、俺は難しい文字の読み書きができない。ただ、
『この話を、今、世界各地にて戦う、名もなき兵士たちへ捧ぐ』
こう書いてあったのだけは読み取れた。
くだらない。
そんな感情が俺を支配し、チラシを小さく折り畳み、ポケットの中に突っ込んだ。後で鼻紙にでも使ってやろう。
「あの!」
とチラシを配っていた少女に背後から肩をつかまれた。俺は、無言で懐に手を入れ、隠し持っている護身用の拳銃に手をかけた。しかし、事態は思ってもいないような展開になった。
「あなた、お名前は?」
「アレン」
嘘だ――そんな名前持っているわけない。だって俺には名前なんてないのだから。
「アレン――いい名前ですね。私はスフィアと申します。ぜひ、名もなき兵士のために、演説へ足を運んでください」
と少女は再度チラシ配りをはじめた。俺は人々に関心を待たれなくても懸命に働く彼女の背中を眺めることしかできなかった。
名もなき兵士――まるで俺のようだった。俺は生まれた時から名前がない。気付いた時から、銃を握らされ、ひたすら人殺しの知識と技術をつけていった。勿論、今まで何名もの命をこの手で葬った。その中には若い女性の姿も、幼い子供の姿もあった。
すべては明日、生き残るために。
俺は必死に問いかける彼女の言葉を背に、また新たな仕事を求め、会社へ向かった。
会社へ着くと、幹部数名が会議をしていた。この会社はおおよそ六つの部隊で組織され、それぞれの隊長、社長と副社長の計八名で毎日来る依頼をどの部隊が担当するかを決めている。俺は幹部たちが会議している横で今日の仕事のために装備を整えていた。
「ルー、今回はアーマーと拳銃だけでいい」
隊長の一声で俺は今回の任務がいつもより楽な仕事だと察することができた。ルーというのはこの会社の社長――俺の親代わりの人物がつけてくれた名前だ。
「任務内容は護衛任務だ。細かいことはブリーフィングの時に伝える」
護衛任務――その任務がこの会社に来ただけで、相手がかなりの有名人だと理解できた。基本この会社、「Nameless(名もなき) Family(家族)」通称NFは護衛任務、輸送任務、暗殺任務そして、紛争介入任務、沢山の仕事を一気に受け持つ、やや大きめの会社だ。だけど、ここの会社は会社ではない。名もない、家族もない、俺らスラム街出身の人にとっては家族のようなものだった。
四年後生存している兵士は半数未満――これがこの会社の現状だった。それでも俺たちは明日を生きるために必死に戦った。時には非人道的な行動もとる。すべては明日を生きるため。
俺は自室に戻り、首から下げられた二枚の小さな板を見つめた。そこには
『Roux 2015.08.23』
と彫られてあった。そのほかにも色々な情報が書いてあるのはわかるが、字が読めない俺には、内容がさっぱりだった。そしてこの板は俺たちが生きている唯一の証だった。
もし、戦場で殉職した場合、この板の一つは各隊の隊長に届けられる。そのあとは、大体は隊長が持っている。家族のいるものは家族に輸送されるがそんな状況はほぼあり得ない。
もし、俺が死んだら、俺のプレートは誰が持っててくれるだろうか。そう思ったのを最後に俺はふかふかのベッドという戦場で睡魔との戦いに敗れた。
*
夢を見ていた。
「お父さんやめて!」
建物を包み込むような炎の中で一人の少年が叫んでいた。その少年がはっきりと「お父さん」と呼んでいた人物は自らガソリンをかぶり、炎をまとっていた。何が彼にそこまでさせたのか、幼い少年にはわからずただただ少年は炎の中で父の名を叫び泣きじゃくっていた。すると頬の中で、たった一言だけ。彼の最後の言葉が飛んできた。
「アレン、生きろ」
その言葉を最後に、人の原型をとどめていない炭かわからない物体は動かなくなった。
*
コンコンと誰かが自室の部屋をノックした。俺はその音に反射的に起床した。俺は拳銃を腰につけていたホルスターから抜き、ドアの前に立った。
「誰だ」
「私だ」
野太い男性の声、間違いない、社長だ。俺は銃をホルスターにしまい、ドアを引いた。
「仕事のブリーフィングをする。五分後会議室へ来い」
その一言だけ言った後、社長は隣にいた客人を連れ、どこかへ行ってしまった。俺は社長の言う通り、私服から仕事着に着替え、会議室へ向かった。
広いテーブルには隊長と社長、数名の隊員が鎮座していた。俺は隊員と隊長の間の席――副隊長の席に着いた。
「さて、ルーも来たことだし、ブリーフィングを始めよう」
社長は投影機の電源を付け、とある人物を映し出した。
「スフィア・シェイスティア、活動家だ。今は貧困からの子供兵士の撤廃に向けて活動しているらしい。今回の警護任務対象者だ。彼女は数日前にここに降り立ち、演説を行うそうだ。彼女の身辺はルー、お前だ。ほかの隊員は中距離、長距離での戦闘準備を整えて待機。当日は会場へ護送だ。当日の護衛は軍が取り仕切るらしい。さすがに当日に傭兵がいるのはまずいんだと。彼女はいい意味でも悪い意味でもかなりの有名人だ。スポンサーもかなりいる。勿論、彼女のことを目障りに思っている奴もいる」
スフィア・シェイスティア――名前の記憶に自信がなかったが、写真を見た瞬間、俺が以前あったことのある人物だと分かった。街中でビラ配りをしていた、あの女性だ。話によると、活動家のようだ。俺は左手を挙げ、今回の任務に関し最重要なことを質問した。
「銃の発砲は」
その瞬間空気が氷った水のような冷たさを感じた。銃の発砲――最悪、銃撃戦になる可能性もある。だからこそ、警護任務ではむやみに発砲してはいけない。
「今回は許可する。相手が相手だ。武装集団の襲撃の可能性も捨てきれない」
凍り付いた空気がさらに冷たくなった瞬間だった。
「ルー、お前には一番危険な任務になる。本当に申し訳ない。隊長から聞いているだろうが、装備を許可できるのは拳銃のみだ。お前はあくまでも一般人を装う必要がある」
「なぜ」
「護衛が重武装して、犯人を射殺でもしたら、護衛ではなくなる。最悪過剰防衛としてここがなくなるかもしれない。いいか、みんなも、疑わしい存在があっても脅威にならない限り発砲は避けてくれ。以上だ。後、ルーは残っててくれ」
先ほどまでいた会議室には先ほどの喧騒とは違い、静寂に包まれ、俺と社長だけ残っていた。
「悪いね、依頼主が来るんだ。一応顔合わせはしたほうがいいと思ってね」
社長は親指の太さはあるだろう葉巻を口にくわえ、葉巻を吸い始めた。
「ところでルー、記憶は戻ったか」
「まだ、何も思い出せない……ただ……」
「ただ?」
「さっき知らない人が燃えてゆく夢を見た。そこには少年とその父親らしき人物がいた。その父親らしき人は自分に火をつけ、死んだ。確か、最後に『アレン、生きろ』とか言ってた」
アレン――偶然にもスフィア・シェイスティについた嘘、偽名と同じだった。俺は再び首から下げた板を見た。俺はルーだ。今もこれからもルーだ。だが、アレン――
お前はいったい誰なんだ。
なぜか分からないが、俺はアレンとは関係がないとは思えない。俺は記憶喪失だ。数年前から以前の記憶が全くない。勿論、両親の顔すら思い出せない。はっきりと覚えているのはスラム街で一人、苔むしたパンにかじりついているところに社長が、
「明日から、お前は俺の家族だ。ルー」
手を差し伸べてくれたことだけだった。
俺の記憶、アレンの正体について考えている時だった。コンコンと会議室のドアが叩かれた。俺はいつもの癖で銃を抜こうとしたが社長に静止させられた。
「失礼します」
と先ほどビラを配っていた時とは全く違う。スーツ姿でスフィア・シェイスティアが現れた。数歩遅れて彼女の秘書らしき人物も一礼して、入ってきた。社長は俺の向かいの席に二人を座らせ、俺の隣に鎮座した。そこからは難しい話をしていて、何やらホウシュウとかケイヤクとかの単語が出てきたが、全く俺には理解ができなかった。どうやらこの話は長くなりそうだ。その間、少し仮眠をとらせてもらおう。
*
また、俺は夢の中に紛れ込んだ。前回とは違い、広く大きな草原に俺は寝ころんでいた。吹き抜ける風に乗った、草の香り。ところどころに咲く蒲公英――今の油と血にまみれる生活とは大違いだ。
「アレン」
焼死したはずの見知らぬ男がアレンを――いや、俺を呼んでいる。
「アレン――」
呼び声はフェードアウトしていった。
*
「ルー!」
瞬間に頭部に軽い痛みが走った。目を開くと、社長が書類の束を丸めて筒状にしていた。俺はこの鈍器に殴られたようだ。
「契約は終わった。お客さんを案内してこい」
そのケイヤクとやらが何か分からなかったが、俺は無言で立ち上がり、寝ぼけている頭を思いっきり振り、意識を無理やり現実世界に引き戻した。お客さん――スフィア・シェイスティアは右手を差し出し、
「ルーさんですね、私スフィア・シェイスティアと申します。今後、よろしくお願いします」
と自己紹介をしてきた。俺は自分の右手を上げかけた、しかしその瞬間だった。俺の右手から血が滴れるような錯覚に襲われた。ほんの一瞬の出来事で、すぐにいつもの右手に戻った。俺は右手を差し出す彼女を無視し、再度自室へ向かった。どうやら彼女は俺のことを憶えていないようだった。後ろでは社長が必死に謝っているのが聞こえた。
自室に戻ると、隊長が俺のベッドで煙草を吸っていた。
「居残りは終わったか」
隊長は煙草を灰皿に押し付け、火を消した後、懐から布に包まれたものを取り出し、俺に放り投げた。布の中には、大きな銀色の拳銃があった。
「BE.50AE-10インチバレル、大口径拳銃だ。護身用の九ミリじゃあ心配だろう弾数はそれより少ないが、ないよりかはましだろ。もっとけ」
俺は大口径拳銃を一通りいじくり、予備のホルスターに収納した。感触を確かめるために、抜き差ししてみたが、重く長い銃身の心地よい感覚が俺の腕を支配した。ギラと光り輝く銃身は鏡のように俺を映した。これはある意味興奮する。銃把と遊底部には馬のマークと隊長の名である
「gray」
と記されていた。俺は銃を再度ホルスターにしまった。
「隊長、アレンという人物に心当たりはありませんか」
俺を拾った時、記憶が正しければ隣にいたのは隊長だ。夢に出てくるアレンという人物、そしてスフィア・シェイスティアに自然といったアレンという名――すべてが偶然とは思えなかった。なぜ記憶はないのに、アレンという名だけは前々から知っていたような気もしなくもない。
「アレン……やっぱり」
無精ひげをいじりながら、隊長は俺のことをじっと見つめ口を開きかけた。だが、語りだしたのは隊長ではなかった。俺と隊長の背後にはいつの間にか社長がいた。正直、いつものことだったからあまり驚きもしなかった。彼はテーブルに腰掛け、アレンに関することを語り始めた。勿論、社長が愛してやまない葉巻を吸いながら。
「アレン・伊藤――先代NF代表取締役社長のクリトフ・伊藤の息子だ。スフラギダ地区出身の日系人。数年前にアレンとスフラギダは自宅にて襲撃にあった。父親であるクリトフは被弾。自らにガソリンをかけ火を放ちアレンと妻を逃がした。だが、アレンとクリトフの妻は途中で拉致され、当時幼かったアレンは路地裏に捨てられた。クリトフの妻のほうは一二年たった今でも行方不明。アレンが捨てられて数日、アレンを見かけたという匿名の報告が入り、その近くにいた私とグレイ君が保護した。アレンは殺意に満ちていて、いつも『あいつらを殺す』といって銃を握っていた。どんな日があってもアレンは銃の点検と練習を怠らなかった。アレンが来て、二年ぐらいたった頃か、アレンは交通事故に巻き込まれ、それ以前の記憶をなくしていた。アレンに残ったのは、射撃のスキルと我々に拾われたという記憶だけだった。だから、私はアレンに新しい人生を送ってほしいという意味合いを付け、新しい名前を与えた。それがアレンに関する事実だよ。そしてアレン・伊藤、いまは――」
社長は短くなった葉巻を灰皿に押し付け、火を消した。
「ルーと呼ばれている」
簡単には信じられないが、これが事実なら全ては俺の記憶違いだったということになる。その場合、俺は生まれた時から名前がないわけではない。きちんとアレンという名前があった。隊長はポケットから二枚の板を取り出し、俺に渡した。そこには俺の本来の名前である、
『Allen 2015.08.23』
と刻印されていた。俺はその二枚のプレートを首から下げているプレートのボールチェーンに通した。記憶は戻っていないが、アレンという人物の事実を知れた。それで十分だ。
一か月程経った頃からスフィア・シェイスティアの警護が始まった。大体午前中は客への呼び込みと会議で、午後は演説に向けての練習だった。彼女の秘書は彼女の期待に応えるべく、ずっと会場設営につきっきりだった。
行き交う人々も前とは違い、かなりの速度でチラシがなくなっていった。人によっては涙を浮かべながら握手をしてくるものもいた。この光景を見ると、彼女はかなりの知名度を誇ることが分かった。今のところ脅威どころか、彼女は大衆に愛されているかのように思えた。
大体一二時を回ったころだった。大衆には目もくれず、ひたすら彼女に向かって来る黒ずくめの男がいた。全身をローブで覆い、その男の手に何があるかわからなかったが、太陽の光に反射し、ほんの一瞬だったがキラリと閃光が走った。俺はスフィア・シェイスティアと男の距離が数メートルのところで無言で男を拘束し、最寄りの路地裏へ連れ込んだ。スフィア・シェイスティア本人やほかの大衆は一瞬の出来事だったからか、誰も気付いていない様子だった。俺は男のローブをはがした。
「……っ」
そこには想像を絶するものがあった。男はまだ成人もしていないような少年で、体中に爆弾を括り付けていた。先ほど光ったのはどうやら起爆装置のようだった。全身を覆うほどの爆弾の量。今、起爆すれば俺も彼女も爆殺できるだろう。しかし、少年は肝心の起爆装置を落とし、携帯のバイブレーションのように震えている。恐らく誰かに命令されたのだろうが、これに時間を割くわけにはいかない。俺は拳銃に消音機を取り付け、少年の頭に向け、発砲した。少年は最後まで震えたままで、死に顔は恐怖に満ち溢れていた。
「ごめんな」
俺は聞こえるはずもない謝罪の言葉を少年の遺体に向け、彼女のもとに戻った。
その日は、襲撃があったこともあり、俺は彼女の宿泊先に泊まり込みになった。彼女は抵抗していたが、襲撃された件を話すとあっさり許諾してくれた。
「ルー君でしたよね、今日はありがとうございます。そのあと犯人はどうなりましたか、彼とも話をしてみたいのです」
「殺した」
俺があまりにもあっさりというものだからか、彼女は時が止まったように固まってしまった。やはり、彼女は俺たちとは違う、そして俺たちの現状が全く分かっていない。
「そう……ですか……でも……殺さなくてもよいのでは……?」
その瞬間俺の中で何かが崩れる音が聞こえた気がした。俺は仕事のために彼女を守った。だけど、何かが違う。今までの護衛任務とは違う心のざわつき。なぜか、本能的に危機を感じてしまう。確かに、あの状態では時間を取られるわけにはいかなかったが、殺さずに対処もできたはず。気絶させて、仲間に回収させることも少し考えれば思いつくことができた。
そして、あの爆薬……一人で準備できる量じゃなかった。恐らく裏に何かある。そう思うと、体が震え始めた。一時的とはいえ、感情的に行動し、行動を見誤った。これが戦場なら死に直結する。そう思うと体が震え始めた。
俺はホテルの壁を思いっきり殴りつけた。ダァンという音と共に彼女の体がビクッと震え上がった。瞬間的に走る右手の痛み、すぐ治まったが代わりに生暖かく赤い液体がこぶしから流れ始めた。
「すまない。取り乱した。仕事は最後まできっちりとこなすよ。」
彼女は無言で俺の右手を取り、包帯を巻き始めた。久しぶりに巻かれる、新品の包帯だった。この世界では布製品はかなり高価で、NFのように小さな事務所だと満足には買えない。いつも巻いているのは使った後に汚れを落とした再利用品だった。俺はただひたすら彼女が巻く包帯を見つめていた。包帯を巻き終えたあたり、彼女の頬に一筋の液体が流れた。
「ごめんなさい。私こういう活動を続けているのに、あなたたちのことが何もわかっていなかった」
だんだんと彼女の頬を流れる涙の量は増え始めた。
「でも、この世界にいる、子供兵士をどうにかしたい。その気持ちは本当です」
俺を見つめる彼女の目は真剣そのもので、何か、覚悟を決めたような表情だった。
「勝手にしろ」
正直、たかが一人の発言でどうにかなるものではないと思っている。だからこそ、彼女がどうやろうと勝手だ。俺はただひたすらに仕事をこなすのみ。
それからというもの、毎日のように襲撃者が現れた。俺はそれらをすべて摘発し、排除した。彼女も毎日襲撃されてもなお、あきらめず、言葉という武器で戦い続けた。その姿は何世紀も前の革命を呼び掛ける革命家のようだった。だが、日が経つにつれ、襲撃の回数が増えていった。最悪の時には三回立て続けに襲撃された。不審なのは、襲撃犯全員同じ入れ墨が入っているということ。
そして公演当日――彼女は最後の日まで人々への呼びかけをしながら会場まで向かっていた。さすがのNFも人員を増やし、十人で彼女を会場まで護衛している。装備もいつもとは違い、小銃の所持も命じられた。
会場が目視できた。会場の中では軍が待機している。あともう少し――あともう少しで仕事が終わる。
誰もがそう思っていた。その矢先だった。
音もない襲撃に仲間が一人倒れた。また一人、また一人と次々に仲間が倒れていく。致命傷にはなってないが、時間の問題だ。
「すまない。みんな」
俺はスフィア・シェイスティアと唯一被弾を免れた隊員の手を掴み、全力で走り始めた。恐らく今回は狙撃手――今の装備では勝ち目はない。とりあえず今はスフィア・シェイスティアをなるべく建物と建物の間に隠さないと。
「ちょっと! あの子たちは!?」
「長くはもたない。今は逃げることだけを考えろ。あいつらのためにも」
俺たちは家と家の間の駐車場に逃げ込んだ。建物に囲まれ、死角となっているはず。しかし、狙撃は収まる様子はなかった。試しに近くにあった瓶を放り投げると音もなくそれは砕け散った。このままでは別動隊が来ることも予想される。そして、大きくなる民衆の騒ぎ。町中がパニックになりかけている。恐らく敵はこれが目的か。スフィア・シェイスティアの暗殺じゃなく、騒ぎを起こし講演そのものの中止――そしてあとで始末って計画だろう。軍は市民の混乱を鎮めるべく、散らばっている。だが、軍が撃たれていないことを見ると、あくまで殺すのは俺たちだけってことになる。
少し顔を出し、仲間の位置を確認するとすでにほかの仲間は息絶えていた。八名の隊員を一瞬で始末することはそれ相応の相手だ。俺は通信機器を取り、隊長にコールした。しかし、ズルッズルッと妙な雑音のみで、何も聞こえなかった。だが、この音、聞き覚えがあった。流血している遺体を引きずる音にそっくりだ。そしてほんのかすかだが、
「ルー、逃げろ、逃げてくれ……逃げ……」
と隊長の声が聞こえた。しかしその声も、スピーカー越しに聞こえた銃声によってかき消されてしまった。
本部も襲撃された。事態は最悪だった。
どこか三人が隠れられる場所は――周辺を見回しても、特に何もない。ただ民間の車両が一台あるだけだった。そして、駐車場の中央にあるマンホール。この車両で相手の注意を引けば、マンホールを通って、逃げられるかもしれない。三人マンホールに入るには時間が足りない。
「ルーさん、俺にあの車両に乗る許可をください。僕が囮になります」
考えていることは同じだった。囮が必要だった。だが、この隊員は自ら囮になることを望んだ。囮になる――これがどのような結末を生むかは俺も彼も分かっていた。彼の名前はエル・ブラウン。今回の配置で一番若い隊員だった。年齢は確か一二歳だった記憶がある。
「すまない。エル、俺も後で行く」
「期待しないで待ってます」
エルはニコリと満面の笑みを浮かべると車両の窓を割り、鍵を内側から開錠し、乗り込んだ。エルはそのままエンジンをかけ、そのまま大通りに向かって走り始めた。遠くに見えるエルの目には、涙が浮かんでいるように見えた。予想通り、大通りのほうから銃声が鳴り始めた。銃声からして、敵は遠くない。そして、狙撃手だけでなく、別動隊もいる。俺はマンホールを開けると、茫然と大通りの方を見つめるスフィア・シェイスティアの手を引き、マンホールの梯子に手をかけた。梯子で降りている最中、遠くの方で爆発音が聞こえた気がした。
マンホールの中は狙撃されないとは言え、若干の武装した兵士がいた。俺は敵が使っている懐中電灯を頼りに一人ずつ始末した。ここはよく訓練で使っていたからある程度の道は覚えている。この道をまっすぐ行けば、会場のすぐそばだ。そこまでいけば軍がいるから安心だ。
その時だった。
バシャバシャと数名が走ってきている音が聞こえた。それと同時に
「ルー! どこにいる!」
と社長の声が地下水道中に響き渡った。遠くでは懐中電灯の明かりがちらほら見える。俺は声を出そうとしているスフィア・シェイスティアの口をふさぎ、小さな道に隠れた。遠くからだんだんと足音が大きくなる。すぐに足音は消えていったが、俺たちのいる道のすぐそばで休息をとっている。社長はあまり現場にでない。だから人並みにすら歩くことができない。数は全員で十人。俺一人では相手はできない。だけど、スフィア・シェイスティア一人ぐらいは逃がすことはできるかもしれない。
ここまでの襲撃などを含めると、いくつか引っかかる点があった。毎日のように現れる襲撃者、それらは個人では揃えられないような装備をしていた。そして、今回の的確な位置での狙撃と本部への襲撃、内部に協力者がいるのは確かだ。そして最もありえない状況が目の前で起きている。
社長が明らかに仲間ではない人たちと共に俺を探している。しかも、的確に地下水道を狙って。そして社長の近くにいる兵士たちは俺が今まで始末した襲撃者と同じ入れ墨をしていた。
この事実だけで十分だった。今まで父親のように慕っていた人物はこの時点で敵となった。この際、俺はルーでもアレンでも何でもない。それこそ、スフィア・シェイスティアが救いたいと願う『名もなき兵士』となった。
「あの道をまっすぐ行けば、会場へ着く。行け」
「ルー、君は……?」
「ここで休憩していくよ。疲れた」
「嘘ですよね」
「……俺は裏切り者を始末してくる。後で合流するよ」
なぜ男の嘘はばれやすいのか、そしてなぜ男は嘘をつくのか今ならわかる気がする。俺は最後まで自分の仕事を成し遂げたい。裏切り者である社長を始末することで、この仕事は終わる。なら俺のやることは決まっている。死んでいったあいつらのためにも、隊長のためにも、俺は社長を、いや、裏切り者を殺す。命に代えても。
「これを持っていけ。役には立つよ」
懐から彼女に渡した、拳銃――俺がこの世に存在したことを示す品物だった。そして、俺の負の歴史の証拠でもあった。
スフィア・シェイスティア――彼女なら本当にこの世界を変えられるかもしれない。少し前までは全く思っていなかった感情だった。だけど、彼女は人のために戦い、人のために泣ける強い人だ。
俺は首から下げたプレートを思い切り引いた。汗で錆びていたのだろう、ボールチェーンは甲高い音と共に砕け散った。本来なら家族や隊長に渡す二枚あるうちの一枚のプレート。今となってはこのプレートすら存在する理由がなくなった。俺は無言で彼女の手を取り、ルーとアレンのプレートをそれぞれ握らせた。
「なぜかわからないが、これはお前に持っててほしい。先に行っててくれ。後で追いつく」
彼女は無言でそれを受け取り、会場の方向へ走り始めた。
俺は突撃銃――AKS174uの槓桿を引き、空の薬室内に初弾を詰めた。
さあ、始めよう。裏切り者の始末を。
俺は水道から飛び出し、標準を相手の眉間に合わせ、引き金を引いた。まずは一人――護衛を一人始末した。そのままの勢いで別の路地へ滑り込んだ。
どれくらいの時間が経っただろう。何発の銃弾を発砲しただろう。もう突撃銃には弾は残っていない。隊長からもらった銃も弾は数発しか残っていない。目的の裏切り者はとっくに絶命していた。
もう十分だった。
だからこそ、こんな最悪の状況で増援が来たとしても、自然と笑みがこぼれる。これで最後にしよう。もうすでに俺の体力は限界に近かった。さらに全身に銃弾を受け、もう肌の色は血で染まっていた。右手を見ると、いつしか見た血だらけの右手の幻覚が現実になっていた。
俺は全身を支える力を失い、壁にもたれかかった。だんだんと近くなる足音――最後の力を振り絞り、あるだけの手榴弾の安全装置を抜き、自分の足元に落とした。キィンと甲高い音と共に手榴弾のピンが外れる音がした。起爆までもって数秒。それは同時に俺の命の残り時間と等しかった。俺は届くはずのない希望に対し最後の祈りをささげた。
「スフィア、生きろよ」
その瞬間、視界は真っ白になり同時に激しい炸裂音と火炎が広がった。
*
とあるところに、一人の少女がいた。彼女は生まれた現実の問題から目を背けず、必死にあらがった。彼女は語った。客の少ない演説会場でひたすら、人々の心を動かそうと。しかし、人々は彼女にあまりにも無関心だった。
それでも彼女はあらがった。少しでも多くの人に興味を持ってもらうために、自ら足を運んで、人々に語り掛けた。そして、活動を始めてしばらくたった頃、彼女の周囲に一人、また一人と、人が増えていった。彼女がとある地域で演説会を開くときには彼女はかなりの有名人になっていた。彼女は傭兵の企業に護衛の依頼を出した。
彼女は知りたかった。現実を。
だけど現実はそう甘くなかった。
彼女の活動と共に現れる襲撃者――次々に死んでいく仲間たち。そして、裏切り。彼女は最後の護衛、ルーとの約束を果たすべく、会場へ向けて、歩を進めていた。この日のために整えた服装は血と汚水、煤にまみれて真っ黒になっていた。もう体力も精神もボロボロになり、限界が近かった。そんな時だった。
何かが高速で横切り、彼女の頬をかすめた。これが敵だと理解するには時間はかからなかった。彼女は声にならない叫び声を上げながら、闇に向かい拳銃を発砲し始めた。だが訓練を受けていない一般人が放つ銃弾は当たれば奇跡だろう。興奮状態なら尚更だ。彼女の放った銃弾は闇の中に消え、ただひたすらに壁に穴をあけるだけだった。
一方、闇から放たれる銃弾は彼女の眉間を貫き、絶命させた。
「ごめん……なさい……」
それ以降彼女の声を聴く者はいなかった。
*
〈戦死者報告〉
グレイ・アルベルト 死亡
エル・ブラウン以下八名 死亡
ルー(アレン・伊藤) 死亡
スフィア・シェイスティア 死亡
NFの戦死数――六八名
NF現社長クラウン・レリア 死亡
NF副社長加藤令 生死不明
以上
*
スフィア・シェイスティアが死亡して数週間――社長と副社長のいないNFは解散。残っていた兵士や非戦闘員は軍によって保護された。
国会はスフィアの遺体から回収した講演会の原稿をもとに彼女の追悼会を開催。彼女の原稿を発表したのは他でもない。彼女の秘書だった。彼女の原稿は血に濡れ赤黒くなっていた。それでも彼女の字はそれに負けないほどはっきりと読み取れた。それはまるで彼女自身の強さを表しているようだった。
国会は今回の事件を踏まえ、子供兵士の撤廃条約を周辺国と締結。子供兵士を雇う会社は瞬く間に倒産していき、事実上、世の中から子供兵士は消えた。
さらに国会は軍の人員増加と装備の更新を約束。奴隷のように扱われてきた子供兵士たちの再就職先として、軍を成長させていった。
今回、締結された条約の名は――
『スフィア・シェイスティアと名もなき兵士たち条約』
*
この度は数ある作品の中からこの作品を読んでいただきありがとうございます。今回、初めての作品となりました。また機会があればよろしくお願いします。