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 翌朝、宿の一室でみゃあという鳴き声が上がった。

 枕元で行儀よく座って、目を覚ましたエレノアを見つめている。


『おはよう、エレノア嬢。よく休めたかい?』


 ウィリアムは猫の姿で挨拶をすると、エレノアが不思議そうな表情をしたまま目を瞬かせた。


「……あなたを見間違えたのかしら?」

『ん? 何か言ったかい?』


 起き抜けのエレノアの声は小さくて、ウィリアムには届かなかった。

 白い尻尾が揺れ、それを見たエレノアは微笑む。


「ふふ。おはよう、ツイーディア。怪我は大丈夫?」

『ああ。もう平気だよ』


 エレノアは起き上がると頬に残る傷跡を覗き込んだ。

 猫の身を抱き上げて、触れた毛先が少し湿っていることに気づく。


「あら。ツイーディア、あなたまた濡れているわ」

『さすがに朝は冷えるね』

「水遊びが好きなのね」


 早朝からこっそりと水を被りに行ったなんて言えず、ウィリアムは苦笑いを浮かべた。


「おや、もう行くのかい?」


 部屋を出て一階へ降りると、朝早くから元気な女将の声が響いた。


「はい。早く戻らないといけないので、そろそろ出発します。ありがとうございました」

「そうかい。気をつけて帰るんだよ」


 エレノアが宿代を払おうとすると、攫われてきて大変だったのだからと言って、女将は宿代を受け取ろうとしなかった。

 その代わりと言って、猫を触りたいと手を広げてきたので、エレノアもウィリアムもそろって驚いた。


「可愛いねえ。私はこんななりだけど、可愛いものが大好きなんだよ」


 威勢のいい女将は猫を腕に抱くと、笑いながら力強く毛並みを撫でて堪能した。

 揉みくちゃにされたウィリアムは、複雑な心境ながらも大人しくされるがままになるしかなかった。

 女将は親切に王都へ行く馬車に声をかけてくれ、それに乗って行くことができた。

 小さな町なので豪華な馬車はなく、王都まで野菜を運ぶという農夫の荷馬車だったが、知らない馬車に乗って行くよりは、女将と同じように親切な農夫と一緒の方が安心だ。

 野菜を積んだ馬車の後ろにエレノアは座り、膝の上に猫を乗せると、女将に見送られて出発した。


「親切な方達で本当に助かったわね」

『ああ。必ずこのお礼をしよう』


 馬車に揺られながら、エレノアの手が白い毛並みを撫でる。

 ウィリアムはその手の心地良さに、白い尻尾を揺らした。

 青い空の下、馬車はどこまでも続く田園風景の中を静かに走っていく。

 暖かな日差しが降り注ぎ、人の声と猫の鳴き声がお喋りをするように楽しげに交わされた。

 馬の休息のために時おり休憩を挟み、そのたびにウィリアムは姿を消して水に濡れて戻ってくることを繰り返したが、エレノアの中では水遊びが好きな猫ということになってしまったらしく笑って迎えた。


「お嬢さん、もうすぐ王都に着くよ」


 馬を操っていた農夫の声に、エレノアは馬車の進行方向に視線を向けた。

 王都の街並みと丘の上に立つ城が視界に映る。


「ツイーディア、お城よ!」

『ああ。無事に戻れて良かった』


 声を上げるエレノアに、ウィリアムもようやく戻れたことに安堵する。

 エレノアを無事に帰すことができて本当に良かったと、そう思えた。

 馬車は丘へと続く大通りを走っていく。

 城に着く手前まで来たとき、エレノアが突然猫の身を抱き上げた。


「ツイーディア。あなたがいてくれて良かったわ」

『エレノア嬢?』

「攫われた時も、あなたのおかげで助かったわ。本当にありがとう」


 そう言ったエレノアを、ウィリアムは目を見開いて見つめた。

 猫の青い目に、微笑むエレノアの姿が映る。

 エレノアがもう一度、ありがとうと繰り返した。

 けれど、みゃあという鳴き声は返ってこなかった。


「ツイーディア?」


 いつも話しかければ鳴き声を返すのに、抱き上げられたまま微動さえしない様子を、エレノアが不思議そうに首を傾げたその時。


「エレノア!」


 城門の近くにたどり着いた馬車に、エレノアの名を呼ぶ声が届いた。

 馬車の上から声の方向を振り向けば、一緒に城で働く同僚たちの心配そうな姿があった。

 エレノアは乗せてくれた農夫にお礼を言って馬車を下り、急いで同僚たちの元へと駆け寄ると、お使いに行ったまま帰ってこなかったエレノアを心配して探していたところだったらしい。

 エレノアが見知らぬ男達に攫われたことを話せば、すぐに騎士団へと報告がされて犯人たちの捜査がされることとなった。

 その慌ただしさを感じながら、エレノアはようやく戻ってこられたことを実感した。

 もう心配はいらないと、そう思いながら丸一日近く共にいた猫を振り返った。


「……ツイーディア?」


 しかし、エレノアの側に猫の姿はなかった。

 辺りを見回しても見当たらず、同僚たちに尋ねると、猫などいたのかと誰もが首を傾げた。

 エレノアがつけた名前で何度も呼ぶが、鳴き声は返ってこなかった。







「兄上!」


 庭に面した扉が揺れて、滑るように入ってきた猫の姿を見て、アーサーは思わず立ち上がった。


「一体どちらに行っていたのですか!? 父上たちは無理に縁談を勧めたせいで兄上が姿を消したと思い、とても心配していたのですよ!」


 アーサーが声を上げるが、白い毛並みは後ろ姿を向けたまま真っ直ぐに壁際へと向かった。

 丸い足が絨毯の敷かれた床を蹴って跳び上がり、壁にかかっていた服を前足で落とす。

 落ちた服の中にしっぽまで潜り込むと、中が動き盛り上がった。

 その中から人影が現れる。


「――心配をかけてすまなかった。父上たちに謝罪に行く」


 猫の鳴き声でなはなく、ウィリアムは人の声で呟いた。

 その兄の声音にアーサーは訝しげにした。


「兄上……?」

「すまないが、顔中に猫の爪痕がある男達を探して欲しい。城のメイドを攫った犯人だ」


 上着を羽織りながら言う兄の横顔を見て、アーサーは目を細めた。


「兄上、頬に傷が……。顔色も良くないですが、大丈夫ですか……?」


 白金の髪がかかる横顔に残る傷跡。

 ウィリアムはそれを手で触れた。

 側にあった鏡を覗き込めば、林道で男達と格闘していたときにひっかけた傷が残っていた。


「……猫の身など……」


 ウィリアムはその傷跡を見ながら、絞り出すような声で呟いた。

 その様子をアーサーは後ろから静かに見つめていた。


「こんな体質でなければ、彼女をもっと早く守ることができたはずだ……」

「兄上……? 誰のことですか……?」


 傷跡を触れる手が震える。

 エレノアが攫われた時、もしも猫の姿ではなく人の姿であれば、すぐに彼女を助け出せただろうと、ウィリアムは悔やんだ。

 門番にも猫だとあしらわれることなく、助けを求めきれたかもしれない。

 けれど、実際は猫の身ではどうしようもなかった。

 男達に追いかけられて、エレノアは怖い思いをしただろう。

 猫の身では好きな女性を守り抜くことさえできないのだと、ウィリアムは唇を噛みしめた。


「礼を言われる立場などではないのに……」


 城に着く前に、エレノアがいてくれて良かったと言ったのは、猫だと思っているからだ。

 これが一人の男ならば頼りないだけだ。

 猫になる体質では誰も好きになれないと思っていたはずなのに、猫の姿で自分を偽って会いに行くことしかできない、情けない男でしかなかった。


「彼女に会う資格などない……」


 好きになった女性を守ることも、本当の姿で会いに行くことさえもできず、エレノアを騙していたのも同然だ。

 ウィリアムは最後に見たエレノアの笑顔を思い出した。

 あの笑顔が向けられていたのは、自分ではない。

 猫に向けていたものだ。

 静かに青い目を閉じた――。





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