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 エレノアは城のメイドとして働いている。

 他の平民と同じように家族が多いので働きに出始めたのは早く、若い女性から人気である城のメイドに採用された時は周囲に羨ましがられた。

 特に幼い弟妹達は、城にとても憧れているらしく、エレノアはよく城の話をせがまれた。


「ねぇ、お城で働いていたら、王子様に会えるの?」


 食器を拭いていたエレノアに、年の離れた妹が目を輝かせて尋ねる。

 まだ幼い妹は、王子様が出てくる絵本がお気に入りで、いつも夢を見ていた。


「そうねぇ、王子様達はもっと身分の高い人しか近づけないから、そう簡単には会えないわ」

「そうなの? 私もお城で働いたら会えると思ったのに」


 残念そうにしながらも、お気に入りの絵本に視線を移して夢中になる妹を、エレノアは微笑んで見つめる。

 その側から幼い弟も話に混ざってきた。


「じゃあお姫様は?」

「今のお城にはお姫様はいないのよ」

「えー。ぼくお姫様を見てみたかったのに」


 妹と同じように残念がる弟に、エレノアは苦笑いを浮かべた。

 今の国王夫妻には、王子が二人いる。

 勇ましい国王と美しい王妃から生まれた二人の王子達も、端正な顔立ちが巷では大人気だ。

 平民がその姿を見られるのは、記念式典などの際に遠くから眺めるくらいだ。

 それでも豆のように小さなお姿しか見られない。

 城で働いていても平民のメイドには近くで働く機会もないが、エレノアはこっそりと弟妹達に教えてあげた。


「でも、一度だけお姿を見たことがあるわ」

「本当っ? 王子様、格好良かった?」


 その言葉に、エレノアの妹は声を上げて興味を示した。


「とても素敵で、お優しそうな方だったわ」

「良いなぁ! 私も会ってみたい!」

「ぼくも! お姫様に会いたい!」


 エレノアの感想に、妹はうっとりと憧れ、弟は王子様と会えたのならいつかお姫様にも会えるのだと勘違いをしているようだった。

 平民からしてみれば、城に住む王族たちは雲の上の存在なので、別世界の人という感覚なのだ。

 幼い弟妹達の様子が可愛くてエレノアは笑った。


「エレノア、そろそろお城に行く時間じゃない?」

「本当だわ。じゃあ、行ってくるわね」

「行ってらっしゃい!」


 庭で洗濯をしていた母親に声をかけられ、エレノアは食器を拭いていた手を急がせて片づけた。

 弟妹達の元気な声で見送られて、仕事へ行く準備をする。

 玄関で空の洗濯籠を抱えた母親とすれ違った。


「そういえば、最近お城の近くで人攫いがいるって噂よ。気をつけるのよ」

「私より、あの子たちの方が心配だわ。王子様に会えるって言われたらついていきそうだもの」

「本当ね。そんな夢を見るよりも、早く片づけをして貰わなきゃ」


 エレノアと母親は、まだ遊んでいる幼い子供達を見て笑った。

 他の兄弟達はエレノアと同じように働いていたり、学校に通っているので、昼間幼い二人の面倒を見ている母親は大変だ。

 きっとそろそろ雷が落ちるだろうと思いながら、エレノアはかけていた上着を取って羽織った。

 行ってきます、と告げて丘の上の城へと向かう。

 エレノアは通いで働いており、城まではそれほど遠い距離ではなく、下町の市場や城に続く大通りを抜けながら歩いていく。

 城に着くと支給されているお仕着せに着替えて、同僚たちと持ち場へ向かった。

 仕事は城の中の掃除が主な役目だ。

 城はとても広いので、毎日掃除しても次々と掃除をする場所が巡ってきて忙しい。


「エレノアは今年入ったばかりよね。仕事には慣れた?」

「ええ。最初は大変だったけど、やっと慣れてきたわ」


 廊下に並ぶ高級な花瓶を拭きながら、同僚とあまり大きくない声で話をする。

 エレノアは働き始めてまだ短い。

 慣れるまでは城の決まりなども多くあり大変だったが、友人もできて楽しく働いている。


「そういえば、休憩の時は食堂にはいないわよね。どこで休んでいるの?」

「食堂は混んでいて座れない時があるから、裏庭で休んでいるのよ」

「裏庭なんてあったかしら?」


 エレノアの言葉に同僚は首を傾げた。

 休憩は時間を分けて取るのだが、エレノアの休憩時間は他の部署と重なっているらしく、働き始めたばかりの頃に、休憩を取りに向かった食堂のあまりの人の多さに居づらかったことがあり、静かな休憩場所を探し回った。

 同僚の休憩時間は空いている頃らしく、大変ねと呟いていた。

 この日も休憩時間になると、エレノアはいつもの裏庭へと向かう。

 城にはいくつもの庭園があり、特に正面の庭は大きな噴水もあってとても美しい。

 その他には異国風の趣向を凝らした庭園などもあり、そこは人気のようで人の姿も多い。

 けれど、エレノアが休憩する裏庭は、裏門に近い庭のためか簡素で訪れる人もあまりいなかった。

 その分、静かで独り占め出来て過ごしやすい。

 初めて見つけたとき、四阿に座りながら橙の屋根瓦が並ぶ城下の街並みを眺めることができて、エレノアは嬉しくなった。


 最近、そこに休憩を共にする存在ができた。

 今日も同じ時間帯に聞こえてきた草の揺れる音に、先に到着していたエレノアは振り返った。


「こんにちは、ツイーディア」


 現れた青い目の猫に、エレノアは自分がつけた名前で呼んだ。

 するとみゃあという鳴き声が返ってきた。


「まるで人の言葉を分かっているみたいね」

『君の言葉は分かるよ』


 話しかければ鳴き声を返す猫を、エレノアは感心したように見つめる。

 その猫がまさか、本当は人で――それも王子が姿を変えているとは、夢にも思っていない。

 ウィリアムはエレノアの側に近寄った。


「今日も暖かくて良い天気ね」

『そうだね。外で過ごすことが気持ち良いことを、初めて知ったよ』

「でも私は冬も好きなの。あなたは?」

『私も冬は好きだよ』

「あ、けど猫は寒いのが苦手よね」

『猫はそうかもしれないね』


 人の声と猫の声が、噛み合わない会話を交わす。

 けれど、ウィリアムはエレノアの話を聞いているだけで楽しかった。

 毛並みを撫でる手に、みゃあと鳴きながら頬を擦り寄らせる。


「おいで、ツイーディア」

『いや、それは……』


 エレノアは名前を呼びながら腕を広げた。

 いつもより低く困ったようにみゃあと鳴いたが、エレノアはそれに気づくことなく、軽々と猫の身を抱き上げる。

 抱き上げたまま椅子に腰を下ろすと、膝の上に乗せて毛並みを撫でた。


「いい子ね」

『……君は、もう少し慎重になるべきだ』


 楽しそうに笑顔で白い毛並みを撫でるエレノアとは対照的に、ウィリアムは女性の膝に乗せられていることに恥ずかしさと戸惑いを隠しきれなかった。

 しかし、撫でる手は心地良くて、次第にエレノアの膝の上で力を抜いて丸くなった。

 猫の姿の時にこんな風にされることは今までなかった。

 秘密を知っているごく一部の人々は、猫に変わることを不憫に思っているからか、あまり触れないように気を使ってきた。

 そのため、撫でられることが心地良いことを初めて知った。


「それにしても、上品な猫ね」


 エレノアは猫の毛並みを撫でながら呟いた。

 撫でた毛は柔らかく、佇まいもどこか気品を感じる。


「王族のどなたかが飼っているのかしら」

『……』


 エレノアの言葉に、三角の耳がぴくっと動く。

 その王族の一人である王子だなんて言えない。

 もっとも、口を開いたところで出るのは猫の鳴き声だけだ。

 言ったところで言葉は届かない。

 そう思っているウィリアムに、続けてエレノアの言葉が届いた。


「もしかしたら、第一王子殿下の飼い猫だったりして」


 ウィリアムは思わず固まった。

 そうとは知らないエレノアは、抱いていた猫の身を持ち上げると、顔を合わせて見つめた。


「殿下と同じ青い瞳ね」

『!』


 ウィリアムは青い目を見開いた。


「一度だけお姿を見たことがあるのよ。お城で働き始めたばかりの頃に、馬車に乗るところを偶然見たの」


 朝に弟妹達と王子の話をしたためか、エレノアはその時のことを思い出した。

 エレノアが見かけたのは、本当に偶然で一瞬のことだった。

 周囲にいた同僚たちが第一王子殿下だと教えてくれなければ、きっと気づかずにいたほど、一瞬見かけただけのことだ。


「噂通りのお方だったわ。とても綺麗な青色の瞳で、みんな素敵と噂しているのよ」

『君は……?』


 懐かしそうに語るエレノアに、ウィリアムは無意識にそんなことを尋ねていた。

 けれど、口から出るのはやはり猫の鳴き声だけ。


「あら、ごめんなさい、ツイーディア。あなたの青い目の方が綺麗よ」


 猫の鳴き声を抗議だと思ったのか、エレノアは笑いながらそう言った。

 彼女の瞳に映る今の自分の姿に、ウィリアムは現実を実感する。

 エレノアが話しかけているのは猫だ。

 腕の中に抱きかかえられて、その温もりに複雑な感情を抱く。

 まるで自分に嫉妬するようだと思った。





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