エピローグ
「――おや、久しぶりだねえ!」
変わらず威勢のいい声に、エレノアは懐かしさと嬉しさを感じた。
「女将さん、お久しぶりです。あのときは本当にお世話になりました。おかげで無事に戻ることができました」
「ちゃんと家に帰れたか気になっていたんだよ。元気なようで安心したよ」
エレノアが攫われたときに泊めてくれた宿の女将は、突然訪ねてきたにも関わらず、エレノアを笑顔で出迎えてくれた。
「女将さんのおかげです。今日はあのときのお礼を渡したくて来ました」
「そんな気を使わなくても良いってのに! おや、ずいぶん上等なスカーフだねえ。これを私にかい?」
泊めて貰った際に、食事をごちそうしてくれた上に、代金を受け取ろうとしなかった女将に、感謝を伝えたくてエレノアが差し出したのは、花柄のスカーフだった。
手触りが良く艶のあるスカーフは一目で質が良いと分かる。
「はい。ぜひお礼をしたいと仰っていて……」
「仰って?」
「あ、いえ……っ。私から女将さんへのお礼です」
「じゃあ、せっかくだから頂こうかねえ。こんな可愛い花柄のスカーフを貰ったのは初めてだよ」
エレノアが慌てて言いかえる様子を不思議そうにしながらも、女将はスカーフを首に巻いて気に入ってくれた様子だった。
花柄のスカーフは、可愛いものが好きだと言っていた女将の好みにぴったりだったらしく、喜んでもらえてエレノアも嬉しい気持ちになった。
「おや、お供の猫も一緒なのかい?」
女将はエレノアの後ろに気づいて視線を向けた。
エレノアの足元から、みゃあという鳴き声と共に猫が姿を現す。
『あの日のことを心から感謝申し上げる』
「相変わらず可愛い猫だねえ。こっちにおいで」
ウィリアムが猫の鳴き声でお礼を言った瞬間、女将の手が素早く猫の身を抱き上げた。
力強く毛並みを撫でられて、ウィリアムはされるがままになっていたが、側にいたエレノアが慌てて助け船を出した。
「あ、あの……っ、良ければこれもどうそ!」
「おや、それはお菓子かい? やっぱり王都はお菓子も華やかなんだねえ」
エレノアが菓子を差し出すと、女将はようやく猫を撫でる手を止めた。
女将の腕から解放された猫の表情が、どこかほっとしているようだと、エレノアは感じた。
青い目と視線が合って、それを肯定するかのようにみゃあと鳴き声が上がる。
最近、猫の姿のときでも何だか言いたいことが分かる気がすると、エレノアは思わず笑みを零した。
帰りの馬車に揺られながらエレノアは微笑んだ。
「女将さん、殿下が選ばれたスカーフをとても気に入ってくださっていましたね」
「ああ、やっとお礼を伝えることができて本当に良かった」
エレノアがそう言うと、向かいに座っているウィリアムも頷いて微笑んだ。
今は猫の姿ではなく、元の姿に戻っている。
あの後、王都まで送ってくれた農夫もやってきて三人と一匹でお茶をした。
帰るときに、女将がまた遊びにおいでと言ってくれたことが、エレノアは嬉しかった。
その気持ちはウィリアムも同じのようだ。
王子の姿で来ることはさすがに難しかったが、贈り物もウィリアムが自ら真剣に選んでいたほどで、スカーフが王子から贈られたものだと知ると女将は腰を抜かして驚くかもしれない。
今日はお忍びで来ていることもあり、ウィリアムの服装は城で身に着けているようなものではなく、少し簡素な装いをしているが、それでも平民には見えなかった。
「こんなに長時間お城を離れても大丈夫だったのですか……?」
「心配いらないよ。仕事は終えてきたし、ここに来ることは弟にも伝えている」
「第二王子殿下ですか?」
「今があるのは弟のおかげだ。今度君にもぜひ会ってもらいたい」
「私がですか? 勿体ないお言葉です……っ」
ウィリアムの言葉にエレノアは恐縮しきった。
こうしてウィリアムを前にすることもまだ慣れておらず緊張するのに、第二王子まで並んだらきっと卒倒してしまうのではないかと、エレノアは不安になってしまう。
今乗っている馬車も、王族が乗るものにしては簡素な方だろうが、エレノアにとっては座り心地が良すぎて落ち着かないくらいなのだ。
緊張している様子のエレノアに、ウィリアムは苦笑を零した。
「猫のときのように話してくれて構わないのだが……」
「あ、あれはただの猫だと思っていたので……。さすがに殿下にあんな言葉遣いはできません」
「なら、せめて二人の時は名前で呼んで欲しい」
「名前……ですか?」
エレノアは目を瞬かせて少し躊躇した。
もちろん名前を知らないわけではないが、口にするのは恐れ多さもあり戸惑ってしまう。
けれど、ウィリアムが期待するような視線を向けるため、躊躇しながらもエレノアは口を開いた。
「……ウィリアム様……」
「君にそう呼ばれるととても嬉しいよ。もちろん、ツイーディアという名前も気に入っているけどね」
名前で呼んだ瞬間、嬉しそうに破顔するウィリアムを見て、エレノアは自分の頬に熱が上がるのを感じた。
そんなエレノアを、ウィリアムは微笑みながら見つめている。
しばらく微笑んでいたウィリアムだったが、ややあって安堵するようにため息をついたので、エレノアは不思議そうに首を傾げた。
「けれど、信じて貰えて良かった。君を疑っているわけではないけれど、水に濡れると猫になるなんて不可思議な話、すぐには無理だと思っていたんだ」
「確かに驚きましたけど……ツイーディアが人だったら納得のいくことも多かったので……。それに、青い目が同じだったので初めて会った気がしなくて、ツイーディアだと確信したんです」
エレノアはウィリアムの青い目を見上げた。
姿かたちは変わっても、この青い目は全く同じだと思えた。
吸い込まれそうなほど透き通った、綺麗な青い目は猫のときも人のときでも変わらない。
エレノアはウィリアムを見上げながら、頬についている傷跡に視線を移した。
「……頬のお怪我は大丈夫ですか? 跡が残らなければ良いのですが……」
「ああ、これくらい心配いらないよ。あの時、君が怪我をすることがなくて本当に良かった」
ウィリアムが指先で頬の傷跡をそっと撫でるのを、エレノアは目で追った。
最初よりは少しずつ傷跡も薄くなっているように感じられる。
そう思って、最初に見たのはいつだっただろうかと、エレノアはふと考えた。
猫のツイーディアの姿ではなく。
元の姿の時に見た気がする。
裏庭で再会したときよりも前に。
「そういえば……」
エレノアの脳裏に、月明かりに照らされた横顔が蘇る。
宿に泊まったときにすぐ側で眠っていたけれど、こんなところに王子がいるはずがないからきっと夢だと、エレノアはずっとそう思っていた。
猫のツイーディアとウィリアム。
その存在が同じということは。
あれは夢ではなく。
本当は。
「……もしかして、あの夜一緒に眠っていたのは……」
その事実が結びついた瞬間、エレノアの顔が真っ赤に染まったのとは対照的に、ウィリアムの顔色が青くなった。
「違うんだ……! 決して君に無礼な真似はしていない!」
そんな慌てた声が馬車の中に響き渡った――。
それからしばらくして、城の庭園では、猫を膝に抱いて休む女性の姿が見られるようになった。
その姿は、まるで会話をするように楽しそうな様子だったという――。
途中で第二王子のアーサーの方が格好良くなってきて焦りましたが、ウィリアムは今まで書いてきた中で一番甘い王子様という感じで新鮮でした。
読んでいただきありがとうございました。




