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 雨粒が窓に落ちる。

 次第にその数は増え、街全体が雨に包まれた。


 エレノアは食器を洗いながら、窓から外の様子を見上げる。

 このところ晴れた日が続いていたので雨は久しぶりだ。

 もし、明日も雨が降り続けば、裏庭で休憩時間を過ごすことは出来ないかもしれないと、ぼんやりとそんなことを思った。


「お姉ちゃん」


 その時、一番下の妹の呼ぶ声が聞こえて、エレノアは驚いて手から食器を滑り落としそうになった。

 慌てて持ち直して割らずに済んだことに安堵する。


「ご、ごめんね。どうしたの?」


 エレノアは急いで食器を洗い終えると妹の方を振り返った。

 幼い妹はエレノアを見上げると、持っていたものを差し出した。


「私の大好きな絵本、貸してあげる」

「ありがとう。でも、どうして?」

「これ読んだら元気出るよ」

「え……?」


 エレノアの妹は姉の手に絵本を渡すと、母親に呼ばれて二階の部屋へと上がっていった。

 いつも眠る前に読んでいるお気に入りの絵本だった。

 幼い妹が好きな絵本は、王子様が出てくる絵本だ。

 格好良く、優しい王子様。

 エレノアは可愛らしい表紙の絵本を見つめた。

 子どもの頃にエレノアも読んだことがある。

 少女たちが一度は夢見るような、そんな話だ。


「懐かしい……」


 絵本をめくりながらエレノアは呟いた。

 実際に城で王子殿下を見たとき、素敵な方だと思った。

 他のメイドや幼い妹がはしゃぐように、エレノアも遠くから目が離せずにいた。

 けれど、それ以上の感情は湧かなかった。

 王子殿下だ。

 平民であるエレノアにとっては、縁遠い方でしかない。

 この絵本の中と同じように、別の世界を生きる方だ。


 そう思っていたはずだった。


 あの日、エレノアが男達に攫われたとき、走る馬車を追ってきてくれた。

 男達に立ち向かい。

 頬にケガをしてまで。

 エレノアを助けてくれた。

 そこまで考えて、エレノアは自分が猫と王子を混同していることに気づいた。


「私ったら何を考えているの……」


 めくった絵本を閉じる。


「殿下と猫を一緒にするなんて、そんなことありえないわ……」


 困惑が口を滑り出る。

 けれど頭の中では、青い目をした猫と、夢で見た王子の姿が離れなかった。

 姿が重なってしまうのは、同じ頬にできた傷のせいだろうか。

 青い目をした猫と王子。

 どうしてもその姿が重なって、頭から離れなかった。


「ツイーディア……。あなたに会いたいわ……」


 久しぶりに会えたと思ったのに、すぐに去ってしまった猫。

 最後に触れた意味は何だったのだろうか。

 猫の唇が触れた頬をエレノアは指先で撫でた。

 頬が熱くなる。

 会いたいと思い浮かべた姿がどちらのものなのか、エレノア自身にも分からなかった。

 ただ、会いたいと、心からそう思った。





***





 雨の日が続いて厚い雲に覆われる。

 白く霞む空を見上げてため息を吐く息子の姿を、国王夫妻は少し離れた場所から心配そうに見つめていた。


 夜になっても雨は降り続き、城の奥にある部屋は灯りもつけず薄暗く静まり返っていた。

 アーサーはその部屋に入ると、窓際の椅子に座っている姿を見つけて、壁にかかっていた服を取って近づいた。


「……猫の目は、こんな暗がりでも見えるのですか?」


 椅子の上に座っている猫に向かって尋ね、手に持っていた服を上から被せる。

 服の中が動き、猫から人の姿に戻ったウィリアムは、それでも窓の外から視線を反らすことがなかった。

 アーサーは薄暗い部屋の中で、どこかに心を置いてきたような兄の様子を見つめた。


「一体、いつまでそうしているのですか?」


 雨の音をアーサーの言葉が切り裂く。

 しかし、ウィリアムはアーサーの言葉に微動さえせず、唇を閉じたまま服を着直した。


「最近は部屋から全く出ていないと聞きます。……会いに行かないのですか?」


 その言葉に、ウィリアムは窓の側に近づき、雨の降り続く外を見つめた。


「私には彼女に会う資格などない……」


 外を見つめる目を細める。

 それでも、あの後に一度だけどうしても会いたくなって、ウィリアムは再び猫の姿でいつもの裏庭へ行った。

 エレノアを攫った男達が捕まったという報告が来た日だ。

 彼女の様子が気になって、猫の姿でいつも会っていた裏庭へ向かった。

 けれど、会いに行くのではなかったと後悔した。

 久しぶりに会って、ウィリアムは自分の想いが止めきれなかった。

 口づけてしまった頬の感触を今でも覚えている。


「本物の猫だと思っていただろうに、これ以上彼女を騙したくはない」


 ウィリアムは最後に会った時のエレノアのことを思い出した。

 あの時のエレノアの口ぶりは、猫の正体を疑問視しているように感じられた。

 戸惑ったようにエレノアが浮かべたぎこちない表情が今でも瞼に焼き付いていて、思わず眉を寄せる。


「兄上は、彼女に本当の姿で気持ちを伝えたのですか?」

「何を言えるんだ? 濡れると猫になるなど、そんな話を信じられるはずがない」


 アーサーの言葉に、ウィリアムはいつもより強い口調で返した。

 そんな兄をアーサーはまっすぐに見つめる。


「本当のことを伝えずに決めつけるのは、逃げているだけです」


 その言葉にウィリアムは思わず息を止めた。

 ウィリアムが一番恐れていたことは、猫に姿が変わることを知ったエレノアに怖がられることだった。

 最後に会った時の表情の次を恐れて、先に背を向けたのはウィリアムの方だ。


「確かに水に濡れると猫になりますが、どんな姿であっても兄上であることに変わりはありません」


 アーサーの言葉がウィリアムの耳に響く。

 外はいつの間にか雨音が小さくなっていた。

 雲の隙間から零れた月明かりが夜空を照らす。


「信じることができていないのは、兄上の方ではないのですか――?」





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