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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私は死神見習い(自称)のシキ

作者: ヨツヤシキ

 晴れ渡った青空の下、三叉路の脇にある小さな祠の前で、私と愛犬のハチは石段に腰かけて、道行く人をぼんやりと眺めていた。

 ……まあ、石段と言っても幅1メートル位で、3段しかないけど。

 この祠がある三叉路は、それなりに大きな一級河川の堤防脇にある。

 当然、風を遮るものなんて無い。

 そのお蔭で、此処はとても風通しが良い。だからその分、色々な人の顔を見る事が出来る。

 喜怒哀楽。期待と不安。そう言ったものを胸に、懸命に生きる彼等の顔はどれも眩しい。彼等の顔は、決まって真っ直ぐ前を向いていて、石段に座ってそれを眺めていると、なんだか面映ゆい気持ちになるのだ。


 ――思わず私は仰け反る様に空を見上げた。


 後ろにある寂れた祠が逆さまに映り、その脇を通り抜けて来た風が私の頬を撫でる。

 風通しが良い事に加えて雨ざらしの所為か、私の視界の中で逆さまに映ったこの祠は、あちこち塗装が剥げていて、お世辞にも奇麗とは言い難い。

 私が奇麗にしてあげればいいのだろうけど、そうもいかない事情がある。


 なぜなら――


 私はシキ。死神見習い(自称)だ。もちろん、この世ならざる存在である。

 夢は死神になる事と、スイーツバイキングへ行く事。

 ちなみに、私はこの寂れた祠の主では無い。居候だ。

 なので、当然この祠には神として祀られている主がいる。だから、私が勝手に手を加える訳にはいかない。

 事情とは、そういことなのだ。

 ……多分、ダメとは言わないだろうけど。

 なんにせよ、そんな私が、石段に座って目の前を歩いて行く人たちを眺めているのには理由がある。


 「私」と言う存在に気付く人を待っているのだ。


 もちろん、幸せに今を生きる人間が、私に気付くことは無い。

 見習い(自称)とは言え、死神なのだから当然だ。

 艶やかな黒髪。すらりとした体型に、長く伸びた手足。

 そんな私が、黒いセーラー服を着て祠の前に座っているのだ。自分で言うのもなんだが、普通だったら周囲の目を引くはずである。

 だけど、私に気付く――と言うより、見えてしまうのは、死に囚われてしまった人達。

 私の仕事はそんな彼等の手助けをすることだ。


 ――いつか本当の死神になる為に。


 まあ、なりたいと言って簡単になれるものではないけど、私はこの世ならざる存在だ。お蔭で時間はたっぷりとある。

 ……それはもう、たっぷりと。

 それに、私一人で死神見習い(自称)として仕事をしている、と言う訳では無い。頼りになる相棒がいるのだ。

 彼の名前はハチ。白い毛にスラッと均整の取れた、中型犬である。日本原産の北海道犬の様に見えなくも無いが、きっと雑種犬だろう。

 ……もちろん、本人(犬?)に確認したことなんて無いけど。

 ちなみに、ハチは私が付けた愛称だ。犬と言ったらこの名前だと思う。本人も気に入っているようだし、私もその方が気楽でいい。なにせ、ハチの本名は長くて言い難いから。

 現在、ハチは私の隣で(うずく)まって、退屈そうに大欠伸をしている。


「ねえ、ハチ。そろそろ誰か気付いてくれないと、地球が滅亡するまでに私、死神になれないと思う」


 溜め息まじりにそうボヤいた私に、ハチが低く唸り声を上げる。

 怒られた……ハチだって退屈そうにしてたくせに……

 時間はたっぷりあると言っても、誰も私に気付いてくれないのでは、開店休業もいいところだ。

 ちょっとくらいボヤいたって、バチは当たらないだろう。

 他にやることも無いので、私は膝に頬杖をついて口を尖らせながら、ハチの背中を撫でた。

 雑種犬のハチは毛がふさふさして気持ちがいい。

 最近はもふもふが流行りだと世間では言ってるらしいが、ふさふさも、これはこれで中々いい。その所為か、つい無心でハチの背中を撫でてしまった。


 ……本当の事言うと、私の力が必要な人なんて少ない方がいい。

 なぜなら、彼等が向き合う死は、安らかなものではないからだ。大抵が苦しみに満ちている。

 私に気付いてしまうのは、そんな可哀想な誰かさんだけ。

 退屈なくらいがちょうどいいのだ。

 そんなことを考えながら、視線をハチから三叉路へと戻した。



 ――そして、私はその可哀想な誰かさんと目が合った。



 翌日、再びその可哀想な誰かさんと目が合う。

 ブレザーとスラックス姿の少年だ。

 彼はこの先の高校に通っているのだろう。気付いてますよ。そうアピールするために、ニコッと私は微笑んだ。

 その途端、ぷいっと彼は横を向いてしまった。きっとシャイなんだろう。彼はそそくさと立ち去ってしまったが、その後ろ姿に向かってハチが数度吠える。

 ……勘の鋭い子だ、きっと何かを察したのだろう。


「私の出番かな?」


 問いかける私に、ハチは一声鋭く吠えた。


 翌々日。いつもの時間にその少年が三叉路を歩いて行く。

 だけど、今日はいつもと違う。それは、祠に私の姿が無い事だ。

 少年は何度か視線を動かして私を探し、どこにもいないと解ると再び前を向いて歩き始めた。


「はい。どーん!」


「え! わ! ぶっ!」


 少年が前を向いた瞬間、私はハチを彼の顔面に向かって投げつけた。

 突然の飛来物? に避ける事はおろか、受け止める事も儘ならず、頭部にハチがしがみ付いたまま少年は仰向けに倒れ込んだ。


「何するんだよ!」


 起き上がりざま、少年が怒りの声を上げた。

 そんな少年の前で、私とハチは仁王立ちになって彼を見下ろし、ゆっくりと視線を合わせた。もちろん、少年は怒りの形相である。

 ……どうやら、私のユーモアは理解されなかったらしい。

 その事に内心でちょっとがっかりしながらも、私は不敵な笑みを浮かべて、その少年を見下ろした。

 すると少年はゆっくりと立ち上がり、ブレザーに付いた汚れを払った。立ってみるとかなり背が高い。180センチはあるだろうか。

 あっという間に立場は逆転し、今度は私が少年を見上げる形となった。

 しかし、ここで怯む訳にはいかない。

 例え、現実では私が少年を見上げる形になっていたとしても、心の中では私が少年を見下ろしているのだ。


「毎日私の事見てた癖に、急に話しかけられたからって、怒らなくてもいいじゃない」


「どこが話しかけてるんだよ! 思いっきりその犬投げつけて来ただろ!」


 そう言って少年がハチを指差す。その途端、ハチがクゥーンとすまなさそうに声を上げた。

 ……役者だな、ハチ。

 だけど、少年の怒りはハチの鳴き声だけでは収まりそうにない。

 まったく、冗談の通じないヤツだ。


「私は死神見習い(自称)のシキ。死に囚われた人間にしか、私は見えない。あなたからは、とても濃い死の臭いがするね」


 不敵な笑みを浮かべた私が仁王立ちのままそう言うと、少年は一瞬ハッとなった。しかし、すぐに元の表情へと戻り、私から目を逸らした。


「しらねぇよ。関係ないだろ」


「思いっきり心当たりがありますって顔しといて、何言ってるのよ」


「しるか! 俺は学校あるから構わないでくれよ。じゃあな!」


 そう言って少年は肩を怒らせながら、ずんずんと三叉路の向こうへ歩いて行ってしまった。


「素直じゃないなあ……」


 立ち去る少年の後姿を見ながら、私は掌大の手帳をパラリと捲る。そこには、先ほどの少年の名前が書かれており、ブレザー姿の写真も貼り付けられていた。

 ……生徒手帳である。

 ハチを(けしか)けがてら、こっそり拝借しておいたのだ。

 なんとなく、ハチの私を見る目が冷たいような気もするが、目的の為にはこれくらい許してほしい。それに、こういった小物は何かと便利に使う事が出来る。

 もちろん、これは作戦の一環だ。

 気を取り直して、私は生徒手帳の中身を確認した。

 それによると、少年の名前は本山壮太もとやまそうた。高校2年生のようだ。やはり、この先にある高校に通っていたらしい。


「さーて、立派な死神になるためにも、お仕事しないとね。行こう、ハチ」


 にっこりと微笑む私に、ハチが呆れた様な鳴き声を返した。

 予想通りの反応に、私は知らない振りを決め込む。

 そして、生徒手帳をスカートのポケットに突っこんで、祠の前の三叉路を後にしたのだった。



 その日の夕方、私とハチは本山壮太の家の前に居た。だが現在、彼は不在だ。

 なので、私達は本山君の帰宅を、ぼんやり空を眺めて待つことにした。

 毎日、誰か気付いてくれないかと、あてどもなく待つ事に比べれば、夕方に必ず帰って来るであろう本山君を待つ事など、全然その内にも入らない。

 幾分上機嫌の私が西の空へ視線を向けると、線香花火の最後に残った火玉みたいな太陽が、薄青色の稜線上に浮かんでいた。あの火の玉が、稜線の向こうにぽとりと落ちたら、そこから先は死者の時間――逢魔が時だ。

 しばらくして、空と稜線の境界に太陽の上辺がわずかばかり残る頃になると、群青色の空に綺麗な夕焼けが出現した。

 ……この時間が一番好きだ。不思議と心が落ち着く。

 昼と夜が混ざり合うこの時間は、自称死神見習いなんていう、中途半端な私の為にあるような気がして――


「あ! 朝の黒セーラー服の女。なんで俺の家の前にいるんだよ!」


 ハチと一緒にぼんやりと夕焼け空を眺めていた私を見て、警戒心丸出しで本山君が悲鳴の様な声を上げた。

 ……せっかくの綺麗な夕焼けが台無しだ。なんて趣の無い事を言うのだろうか。

 だけど、私はその言葉をぐっと飲み込んで、本山君に笑顔で答えた。なにせ、私はこれからお仕事をしなければならないのである。少しばかり、こめかみに青筋が浮いていたかもしれないが、それも一瞬の事。

 ちょっと物思いに耽っていたところを邪魔されたからといって、すぐに怒っていては死神見習い失格である。


「生徒手帳、返しに来てあげたの。あと、もう一つ……死んで彷徨う魂を導くのが私の仕事だから」


「ふざけるなっ! ……そんなこと誰も頼んでないだろ。だいたい、何の権限があって俺の事情に踏み込んでくるんだよ!」


「殺された本山君のお姉さんが、怨みに囚われて悪霊になろうとしてる。彼女が罪も無い魂を餌食にする前に、彼岸へ送ってあげなきゃいけないの。……朝、死神見習いだって言ったでしょ?」


 暗い表情の本山くんが、何かを反論しようとして言葉を詰まらせた。

 私は、動きの止まった本山君に微笑みかけてから、彼の家の玄関を指差す。

 よくある建売住宅と言った家の玄関は、そこだけ強風でも直撃したかのように激しく揺れた。

 ガタガタガタと音を立てて揺れた後、まるで私と本山君を出迎えるかのように、玄関扉が独りでに開いた。


「さあ、いこ。おいでハチ。あと、本山君も」


「ワン!」


「俺の家だぞ! 何勝手に仕切ってるんだよ!」


 本山君の叫びをしれっと無視して、生徒手帳をスカートのポケットに突っ込み、開け放たれた玄関から屋内に入ると、そこには和室とリビングへ繋がる扉が二つあった。……良くある造りだ。

 私は迷わずリビングへ繋がる扉を開けて室内へと入る。

 15畳ほどのリビングには、テレビの前に2人掛けのソファーと、キッチンの横にダイニングテーブルが置かれていた。




 ……そして、私はすべてが遅かったことに気が付いた。




 テレビボード横のファックス台の上には、小さな祭壇が設けられていた。

 そこには、笑顔で映る本山君のお姉さんらしき女性の写真と、高さ15センチくらいの巾着袋が位牌と共に置かれていた。

 だが、問題はそこでは無い。

 その祭壇の前には中年の男性が一人、(うずくま)る様に倒れていたのだ。


「親父! おい! しっかりしろよ! なんでこんなことになってるんだよ」


「――もう、手遅れだよ本山君。……なにもかも。ここからは、あなたが覚悟を決める番」


「お前! 何全部解ってるみたいなこと言ってんだよ! こんなの、おかしいだろ……」


「それでも、あなたは――


 感情のままに叫ぶ本山君に言葉を掛けようとした瞬間、横合いからぶつかってきた何かに私の身体は激しく吹き飛ばされた。そのまま、ダイニングテーブルと椅子に私の身体は激突し、それらを盛大にひっくり返した後、すぐ近くにあった窓ガラスが割れて、破片が私の上へと降り注いだ。


「な……」


 突然の事態に本山君が言葉を失う。

 ……それはそうだろう。

 横合いから不意打ちで私を吹き飛ばして、しかも低く唸り声をあげているのは、彼の母親なのだから。

 しかも、彼女の首は在り得ない方向へと曲がり、私に体当たりをかましたであろう右肩も、脱臼したかのように力無くだらりと垂れ下がっていた。


「母さん⁉︎ 何してんだよ……。なんだよ、その姿……。勘弁してくれよ! 頼むから……」


 変わり果てた両親を前に、本山君の心は折れる寸前だ。……無理も無い。彼は両膝を折り、消え入りそうな声で母親を眺めている。

 そして、彼の母親だったモノは低く呻き声を上げながら、呆然とする本山君に向かって両手を前に出し、ゆっくりと近寄って行った。

 ――母の手で、実の息子を絞め殺させようとしているのだ。

 悪霊となったお姉さんは、実の母を呪い殺し、さらにその亡骸を操っている。しかも、母の魂をその亡骸の内に残したまま。

 今頃、本山君のお母さんは、亡骸の中ですべてを見ているはずだ。

 悲しみ、絶望、母子の情。悪霊となった彼の姉は、そのすべてを糧とするべく、無残極まりない行動に至った。最早、彼女に記憶は無い。あるのはただ、深く昏い負の感情のみだ。

 こうなってしまったら、本山君のお姉さんは、もう戻れない。


「あまり、のんびりもしていられないか」


 正直、母が我が子に手を掛ける姿など、目の前で見たくは無い。

 なにより、その事で増幅されたお母さんの負の感情が、お姉さんをより一層強力な悪霊に育ててしまう。

 私は倒れていたダイニングテーブルの隙間から起き上がり、本山君の母親の背後へ向かって無造作に歩いて行く。もちろん、私に怪我は無い。

 だが、そんな私の姿を見て、ハチが「ワンワン!」と2度吠えた。

 ――どうやら怒っているらしい。

 たしかに、不意打ちを食らったのは事実だ。でも、そんなに怒らなくてもいいと思う。いまからまじめにやるし。

 そう思いながら私はスカートのポケットに手を入れて、1辺5センチほどの黒い箱を掴んだ。

 もう一つ、硬い物が私の指に触れる。生徒手帳だ。

 すっかり忘れてたけど、本山君に返さなければ。

 だけど、今はそれどころじゃない。本山君に身の危険が迫っているのだ。それに、こんな辛い目に遭っている本山君のお母さんを、一刻も早く解放してあげるのも私の大事な仕事だ。

 ――彼女はまだ間にあう。

 私は流れるような動作で黒い箱を取り出し、尚も本山君を絞め殺そうと近寄る彼の母親の後頭部に、それをそっと押し当てた。


魂魄(こんぱく)転送。渡し守よ、彼の者を恙無(つつがな)く彼岸へと(いざな)い給え」


 私が静かにそう言うと、黒い箱は電球のように暖かくジワリと光った。その途端、本山君の母親の全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。

 ――この黒い箱の名前は黒柩(こくきゅう)

 死神と言えど、私は見習い。自身の力で死者の魂を彼岸へ送れない私にとって、それを可能にする黒柩は、無くてはならない大事な物だ。

 それに、黒柩には思い描いた武器や道具になる機能も備わっている。しかも、危ない時には巨大化して防壁にもなる優れモノなのだ。

 私は黒柩をスカートのポケットに入れてから、床に倒れた本山君のお母さんの手を組んで床に寝かせた。そして、彼女の目を閉じる。もちろん、蹲った状態で絶命した本山君のお父さんも同じ様に床に寝かせた。

 最後に、私は本山君の両親に手を合わせる。

 ――どうか安らかであります様に。心からそう願って。


「何をしたんだ……なあ。母さんは……死んだのか? ……母さんは……うっ、うああぁあ!」


「心配ないよ。彼女は彼岸へと旅立っただけ。だから、本山君はお母さんの最後を、しっかりと見送ってあげて」


 横たわる両親の脇で、両膝をついて嗚咽する本山君を、私は両手で抱きかかえた。いつの間にかハチが本山君の横に寄って来て、クゥーンと一声鳴いて首をこすり付ける。

 ……優しい子だ。

 しばらくして、本山君は落ち着きを取り戻した。


「わりぃ。落ち着いた」


「よしよし。やっと、まともに話が出来るね。本山君」


「あのな…………いや、いい。なぁ、手遅れってどういうことだよ。それに姉ちゃんが悪霊って……二人がこうなった事に関係あるのか?」


 言ってから、本山君は唇を噛み、両手をぐっと握りしめた。

 ……これから私は絶望的な事しか言わない。

 心の底では、本山君もそれを感じ取っているのだろう。だからこそ身を堅くして、その衝撃に耐えようとしている。

 そうであるなら、私も真実を伝えなければならない。下手な嘘や慰めは、自らの足で立ち上がろうとする者にとって、邪魔にしかならないのだから。

 私は本山君の目をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「本山君。あなたのご両親を殺したのは、お姉さんだよ。ただ、知っての通り、あなたのお姉さんはすでに他界してる。……なぜって思うよね」


 ゆっくりとうなずく本山君を見てから、私は先ほど床に寝かせた本山君のお父さんへ視線を落とした。


「それは――あなたのお姉さんが、怨みを持って現世に仇なす悪霊になったから。可哀想だけど、お父さんの魂はお姉さんに喰われたと思う。もう、成仏もかなわない。多分、お姉さんの死の原因に関係すると思うけど、彼女はひどく男性を恨んでる。……それが家族かどうかも分らないほどにね」


 (たが)が外れて、見境をなくしてしまったとは言え、本山君のお姉さんだって被害者なのだ。彼女に落ち度なんて、これっぽっちも無い。

 だけど、彼女は一線を越えてしまった。

 悪霊と化し、人の命を糧とした時点で、私は彼女を浄化しなくてはならない。


 ――それが死神見習いである、私の仕事だ。


「お姉さんは、2階にある自分の部屋にいるはず。すべての始まりは、そこだから」


 私が話し終わると、本山君はあらんかぎりの力を振り絞って、ソファーに両手の拳を打ち付けた。

 怒り、なのだろう。でも、その矛先は姉では無く、姉を死に追いやった男達と、何もできなかった自分。その両方。

 死に囚われた彼と三叉路で目が合った時、彼に何が起きたのかは大体理解出来た。見習いとは言え私は死神なのだ。対象の人生を見通す力がある。

 しばらく前、彼の家に強盗が入った。その時運悪く姉は在宅だったのだ。散々に嬲り者にされた挙句、彼女は殺された。それがすべての始まりなのだ。


「どう、したらいいんだ……」


「そうだね。あなたが何をすると言うことは無いよ。私とハチに付いて来て。そして、全てを受け止めて」


「……わかった」


 本山君に、本当の意味で覚悟を決める準備が出来たかどうかは分らない。でも、彼にそれをさせる事も、大事な私の仕事なのだ。だからこそ、彼には全てを受け止めて欲しい。簡単な事では無いけれど……

 そして、私たちは2階へと上がり、お姉さんの部屋の扉を開けた。

 夕方ということもあり、レースのカーテンが閉められた部屋は薄暗く、電気の付いていない状態では家具の輪郭もおぼろげだ。


 ――そこには、すでに人ならざる者となった彼の姉が居た。


 6畳ほどの部屋の一番奥、白く短かいロープがカーテンレールに結び付けてあり、ぴんと張ったその先に、彼女は首を掛けてぶら下がっていた。

 室内は薄暗いはずなのに、ロープの白さと彼女の輪郭が嫌にはっきり見える。

 彼女――本山君のお姉さんは、押し入った強盗達に乱暴された挙句、たまたま彼等が持っていたロープで絞殺された。しかも、強盗達は質の悪い事に、お姉さんをカーテンレールに吊るして逃走したのだ。

 ……これでは、悪霊になるなと言うほうが無理というものだろう。

 彼女が、とても辛くて、悲しくて、そして悔しい思いをしたことは想像に難くない。

 本山君とハチを廊下に残して、私だけで室内に一歩踏み込むと、彼女はカッと眼を見開いた。ぬらりと光る眼が憎悪に歪み、見る物全てを射殺す様に私を睨む。

 そして、低い声で何か呻いた後、私に向けておもむろに手を翳す。

 景色が歪み、呪言が衝撃波となって私を襲った。

 でも、大丈夫。今度は油断していない。

 私は黒柩(こくきゅう)を展開して1本の刀を取り出し、衝撃波を斬って、ハチに得意気な笑みを見せる。

 だけど、ハチは警戒の色を露にして、2度吠えた。

 ……怒られた。まじめにやってるのなあ。

 でも、ハチが怒るのも無理はない。こんな狭い部屋で刀を振り回すなど、自殺行為も甚だしい。

 ――本気を出せ。

 ハチはそう言っているのだ。

 死者を操り、呪いの言葉を吐き出す彼女は、既に立派な悪霊である。黒柩(こくきゅう)の能力を持ってしても、彼女を成仏させる事は不可能だろう。

 だからこそ、これ以上彼女に罪を重ねさせるわけにはいかない。

 私が刀を握ったまま、ちらりとハチを見たその隙を突いて、彼女は低い声で呻き声を上げた。

 ――来る。

 私は直感的に衝撃波が来ることを察知し、黒柩(こくきゅう)を前方に展開して防壁を作り出した。さながら、黒い棺のように見える黒柩(こくきゅう)が、衝撃波を防いで派手な音を立てる。

 その後も、彼女は黒柩(こくきゅう)を破壊するべく衝撃波を2度3度と放つ。

 ”準備”をするなら今をおいて他に無い。


「ハチ。おいで」


 私はハチに手を伸ばして抱き上げ、力を制御する為に集中した。すると、白い雑種犬のハチはその場から消え、替わってそこには髑髏の仮面と漆黒の外套が現れた。


「……この姿、キライなんだよね」


 私は一言愚痴をこぼしてから、髑髏の仮面を被った。仮面は私の顔にぴったりと吸い付き、本当の私を露にしていく。

 ものの数秒で、私の白く奇麗で長い手足は、ゾンビの様に所々白骨が見え、仮面の奥の眼窩も漆黒の空洞と化した。

 そして、私は黒柩(こくきゅう)を元に戻して、漆黒の外套を羽織った。


 ――その全てを覆い隠す様に。


「本山君。これから、私はあなたのお姉さんを浄化――つまり、消滅させる。もう成仏はかなわない。可哀想だけど、彼女は理を外れてしまった」


「……たのむ。姉ちゃんを楽にしてやってくれ」


 付いて来るだけでいいよ、と私は彼に言った。

 返事を期待してなかった私に、彼は気丈にも言葉を返す。

 ……ただ、声が震えているのは、私の本体を見たからでは無いと思いたい。私も女性なのだ。正直それはキツイ。

 だからこの姿はキライなのだ。



 ――私は屍食鬼のシキ。つまりグールだ。



 悪霊にもなれず、屍食鬼(グール)に堕ちて、ただ消滅させられるだけだった私を救ってくれた死神。

 あの(ひと)みたいになりたくて、私は死神になる事を夢見た。

 それは、中途半端な私に差し込んだ、たった一つの希望。

 ……まあ、いつの事だったかも憶えてないけど。


 それに――








 私は、もう――










 本当の名前さえ忘れてしまった。






「アァアアァアァァァ!」


 束の間の静寂を破って、悪霊となった本山君のお姉さんが甲高い咆哮を上げた。

 カーテンレールに繋がっていたはずのロープごと彼女は床へと降り立ち、ぬらりと光る悪意の塊のような目で私を見据える。

 一歩、二歩と彼女が前進する度、ヒタリ、ヒタリと足音が室内に響く。

 そして、彼女は再び両手を私に向けて低く呻いた。再び、さっきの衝撃波をやる気なんだろう。

 だけど、それを何度も受けてやるほど私も馬鹿じゃない。そっちがやる前に今度はこっちの番なのだ。

 私は右手をスッと持ち上げて、本山君のお姉さんだったモノへと向けた。

 

「ハチ、能力解放。浄化対象はお姉さん――本山美那。……火之迦具土(ヒノカグツチノ)大神(オオミカミ)よ、悪霊を祓い清めたまえ!」


 刹那、熱を持たない青い焔が彼女の足もとに発生し、音も無く一気にその体を飲みこんだ。そのまま、しばらく青い焔は燃え盛り、焔が消えた時には彼女の姿は跡形もなくなっていた。

 それにしても、屍食鬼(グール)の姿であんな事を言うなんて、ひどく滑稽なことだと自分でも思う。

 だけど、そんな私にハチは力を貸してくれている。

 ハチの本当の名前は、火之迦具土(ヒノカグツチノ)大神(オオミカミ)と言う有名な火防の神様――つまり、ハチはあの祠の主なのだ。


 本山君のお姉さん、本山美那は浄化された。二人の父親は、悪霊となったお姉さんに取り込まれ、彼女の一部と化したのだろう。魂の残滓すら、何処にも感じることは出来なかった。

 素直に可哀想だなと思うけど、手遅れだ。

 だけど、まだ最後に本題が残っている。


 ――そう、本山君自身だ。


 ふうっと軽く溜め息をついてから、私は髑髏の仮面と漆黒の外套を外すと、元の奇麗な姿に戻っていく。

 ……やっぱりこの方がいい。黒セーラー服だが、そこはご愛嬌だ。

 私は体が元に戻るのを待ってから、後ろへ振り返り、呆然と成り行きを見守っていた本山君と視線を合わせた。


「最後は、あなただよ。本山君の部屋へ行こう」


「え? なんで……」


 私の言った意味を理解出来ず、怪訝な表情の本山君の手を引いて、私達は彼の部屋へ向かった。

 と言っても、彼の部屋は今いた部屋の隣だ。ものの数歩である。 


「最後の真実だよ。自分に呑まれないで」


 私は彼の言葉も待たずに扉を開けた。

 そして、そこにはベッドの上に横たわる本山君自身がいた。


「嘘……だろ? 俺!? ……俺も死んでるのか?」


 呆然自失といったふうに本山君は自分自身の死体に縋り付く。

 ベッドに横たわる彼の枕元には、社会人だった姉から送られた腕時計が置かれていた。

 きっと、そこに残った想いが、悪霊となったお姉さんに、弟である本山君の魂まで喰べてしまうことを思いとどまらせたのだろう。


 見習いとは言え、私は死神だ。対象が死者ならば、私はその人生を見通す事が出来る。

 だけど、それらはすべて過去形だ。

 もう、取り返す事も、変更することも出来ない。そこには、既に決まった事実があるのみ。



 ――本山壮太は既に死んでいるのだ。




「本山君。あなたは――


「俺。死んでたんだな」


 私が真実を告げようとすると、彼は立ち上がって静かに呟いた。

 私は無言でそれに頷く。もし、この事実を受け入れる事が出来なければ、次に悪霊となるのは、本山君だ。

 そして、それは珍しい事じゃない。今までだって、そういう事は何度かあった。

 でも、それは仕方のない事だと思う。それほどまでに、彼等の心の闇は深い。

 「死」は人から色々な(たが)を外す。

 だからこそ、本山君のお姉さんは悪霊になったし、本山君本人も現世を彷徨った。もちろん、私だってそうだ。

 お願いだから本山君。あなたまで悪霊にならないで欲しい。

 だって、生徒手帳まだ返してないんだよ?

 祈りを奉げる相手を持たない私は、せめて願うことしか出来ない。


 ――結局、私に出来る事なんて、高が知れている。


 ややあってから、本山君は1つ大きなため息をついた。

 ……本山君が覚悟を決めたのだ。

 本当に、本当の最後。これでお別れ。


「俺を成仏させるために、こんなにいろいろ付き合ってくれてのか?」


「そうだよ。それが仕事だから。まあ……自称だけど」


「仕事か。それでも、俺は……俺達家族は、お前に救われたんだと思う。ありがとな」


 私は返事の代わりに、スカートのポケットから黒柩(こくきゅう)を取り出した。

 すると、本山君が黒柩に上から手を被せて、私達はお互いの手でそれを上下に挟んだ。

 本当は……お礼を言いたいのは、私だ。

 悪霊にならないでくれて、ありがとう。

 私に本山君まで消滅させないでくれて、ありがとう。

 ……こんな時、彼等を送り出す為の、気の利いた言葉を私は持っていない。

 だから、何も言えない私は、決まっていつもにっこりと微笑むのだ。せめて、彼岸へ旅立つ彼等の心が、少しでも軽くなるようにと。


 だから、本当は旅立つ彼等の顔なんて見たくない。


 だから、本山君の微笑みにハッと息を呑む。


 だから、本山君の顔に伝う一筋の涙に――


「バイバイ。本山君」


「ああ」


魂魄(こんぱく)転送。渡し守よ、彼の者を恙無(つつがな)く彼岸へと(いざな)い給え」



 ――そして、彼は旅立った。私のポケットに、生徒手帳を残したまま。








 今日もまた、晴れ渡った青空の下、三叉路の脇にある小さな祠の前で、私と相棒のハチは石段に腰かけて、道行く人をぼんやりと眺めていた。


 私に気が付く可哀想な誰かさんを待ちながら。



 ……返しそびれた生徒手帳は、いつの間にか私のポケットから無くなっていた。



 私はシキ。死神見習い(自称)だ。


 もちろん、この世ならざる存在である。夢は死神になる事と、スイーツバイキングへ行く事。


 寂れた祠の横を一陣の風が吹き抜けた。




 ――また、可哀想な誰かさんが来るのだろう。

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