閑話②
サーシャ、続きます
自分は生まれてきて、良かったのか。
あの奴隷狩りの後、サーシャはそう思うようになった。
自分が生まれなければ、母さんはあの村に行かなかった。そうなれば、奴隷狩りの被害に遭わずに済んで。もしかしたら、奴隷狩り自体なかったんじゃないかと。
そんな考えながら、必死に生きた。アーシャとミーシャにひもじい思いをさせたくない。実の子供でもないのに、育ててくれた父さんと母さんが託してくれた大事なアーシャとミーシャ。
だけど。
「お前は余所者だ。ナットさんも、内心うざかったんだよ」
この一言は、サーシャの中の、踏み込まれたくない部分を踏みにじった。
何故か、あの奴隷狩りの時に助けてくれてアーサーが止めなければ、ナイフを抜いていた。
どうして、やっぱり、俺のせいなのか? 俺が生まれてきてしまったからなのか? 俺がいなければ良かったのか?
時期は真冬。
こんな中で、ボロくても寒さをしのげる家がなければ、あの2人は耐えられない。
父さんと母さんが、託してくれたのに、何にもできない。
「因果応報。私の国に伝わる言葉よ。己の犯した業はいずれ自身に戻ってくる。覚えておきなさい」
そういい放ったのは、銀髪の女性だった。鮮やかな青い目の女性。自分より年がしただろうが、妙に落ち着き冷静で、優しそうな女の子。いや、女性と表現するような人。
話を聞いて、ああ、アーサーのご主人だ。
咄嗟に出たのは、自分を買って貰えないか、という事だ。もう手元にあるのは、自分の体だけだった。水と光の魔法が使えても、大したことはない。上はごまんといる。なら、何がある? 自分の体だけだ。だけど、上手くいかない。
「私は君に恩がある」
そう女性は言ったの言葉を理解できなかった。恩があるのはこっちなのに。
「私は、私の奴隷アーサーを助けてくれた恩に報いなくてはならない。いらっしゃい、妹さん達と一緒に。そうね、半年家賃なし、食事も付けるわ。半年後家賃を払ってうちにいてもいいし」
この人は、なんて懐が深いのだろう。
手を差し出す仕草が、綺麗で、まるで神様が遣わせたように見えた。
それから、女性、リツさんの家に移り、いろんな事があった。
父さんの思いも、アーシャから聞いた。
俺は物覚えいい、どうしてやったらいいかと悩んでいたと。俺には、あの村は狭いから、いつか大きな町に出して、試させた方がいいかとか。俺の物覚えは父さんが、きちんと教えてくれただけだ。俺はそこまで出来がいいとは思ってない。
ただ、自分は生まれなければ良かったのか、と呟いたら、アーシャとミーシャが泣いた。
「お兄ちゃん、そんな事言わないで」
「兄さんがいなかったら、私もミーシャも生まれなかったのよ。だから、私達の存在まで、否定しないで」
そう、言われて、考えを変えた。
自分は、この2人のために生まれたのだと。
新しい生活は、温かく、穏やかに過ぎていく。
温かい部屋、清潔な服、風呂も毎日入れる。そして何より飯が旨い。
優しい屋敷の人。
家主でパーティーリーダーのリツさんは、穏やかで優しくて、料理が上手。
アルフさんは強い上に鍛治師や付与師として、重宝されていた。
アーサーは驚くほど頭がいい。そして、それを鼻にかけない。丁寧に魔法の指導をしてくれる。一度、アーサーの机の上の本を見せてもらったが、すぐに閉めた。自分は何年かけても理解できないやつだ。アーサーはこれを面白くて読み込んでいると。それに魔法に関して、足元にも及ばない。
マリさんも優しい、お菓子が旨い。ローズさんもちょっと取っ付きにくが根本的に優しい。ホリィさんも親切。ただ、アンナ達には俺はあまり好まれない。後で聞いたら、父親のせいで、大人の男は苦手のようだ。アルフさんも出来るだけ接触しないようにしていた。なら、俺もなるだけそうしよう。まあ、アルフさんはほとんど、アンナ達が起きてる内に帰って来ないが。鍛治師ギルドが忙しいようだ。
カラーシープはすぐに慣れたが、グリフォンには時間がかかった。
で、あの黒髪、ルミナス。初めはアーサーの姉かなと思ったが、他人と。しかも会った時はまだ未成年。
なにあれ、なんでこんなに強いの? おかしくない?
模擬のナイフを掬い上げるように、弾かれて呆然とした。しかも、訓練中は人が変わる。まるで歴然の戦士だ。
魔法が上手く発動しない頃に、ウェルカム脳筋と言われて、ちょっとやだった。
でも、これ、別の生き物だ。
獣人特有の表現。年下で手の届かない格上相手をそう呼ぶ。
斥候として、役に立てているか不安。
オークの巣やダンジョンや空に登って、なんだか、濃厚で楽しい日々の中で、ルミナスの帰国が決まった。
話を聞いたら、世話になってるんだ、何かしたい。それにアルフさんにはあのハルバートの男を倒してくれた恩がある。
ただ、バインヘルツと言う言葉に不安になった。
俺は母さん、育ててくれたレイシャ母さんに、実の母親と父親の話は聞かされていた。
実の母親は、バインヘルツのある子爵でメイドで、そこの主人に手を出されて妊娠。それが自分だ。変な習慣があり、三男以降は生まれたらすぐに絞め殺し、女児は他の家にやる道具とする。話を聞いて身の毛がよだった。
メイド長が妊娠した産みの母親を、そっと逃がしてくれた。産みの母親は妹でもあるレイシャ母さんと、叔母を頼ってあの村を目指したが、無理がたたった。産みの母親は、自分を生んで間もなく帰らぬ人に。レイシャ母さんは赤ん坊の自分を抱えて村に。
「姉さんは、子爵の家から逃げる時に、実は見つかってしまったの」
それは産みの母親がお世話をしていた、子爵家の次男。
希少な黒狼の少年は、いつもの寝る前の挨拶に来ないのに不安になり探しに来たそうだ。
メイド長はどうか見逃してくれと懇願した。
黒狼の少年は、黙ったまま、頷いて、産みの母親を見送ったらくれた。
片耳がカットされた、黒狼の少年。
「あんたが、見逃してくれたのか?」
まさか、本当に会うことがあるとは思わなかった。髪の毛の色が違うだけで、そっくりな男。
救出作戦の後、思いきって聞いてみた。
「何の事か、分からないが、そんな昔の事は覚えてないよ」
そう、優しい口調で答える男。
「君の居場所はあそこ」
そう言って、わいわいと話しているパーティーを指す。
心配そうに見ているアーシャ。
「いいね? あそこが君の居場所だ」
自分の居場所。
ああ、俺には、待っていてくれる人がいる。
大事に育ててくれたナット父さんとレイシャ母さんがいる。
アーシャがいる、ミーシャがいる。
受け入れてくれるパーティーメンバーがいる。
そうだ、それで十分なんだ。
胸に、小さく引っ掛かったなにかが、溶けてなくなった。
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