帰途②
いりません
遅い、遅すぎる。
時間が過ぎる度に私の不安は増していく。
「アルフさん、遅いですね」
アーサーも不安そうだ。
何度目か分からない、木窓の外を見る。
「あ」
魔道灯の下、背の高いアルフさんの姿が見えた。足早に向かってる。
安堵感が沸き上がる。
「帰って来た、ご飯の準備しよ」
「はい」
私はマジックバックからブラッディグリズリーのワイン煮込みを出す。
お皿とカップも出す。アーサーはお茶の準備だ。今日買った、バケットもちょうどいい厚さに切って、よし。
「お腹、空きましたね」
「そうね。でも、これで直ぐに食べれる」
アーサーも安心した様子だ。
いつでも食べれる準備できた。後は、アルフさんが部屋に戻ってくるだけ。
…………………
え、帰ってこないけど。
確かあれはアルフさんだ。見間違えるわけない。
「どうしたんでしょう?」
しばらく待ったが、アルフさんは部屋に戻って来ない。
私は立ち上がる。
「ちょっと下に行ってくる」
「あ、自分も行きます」
私とアーサーは不安に駆られ、ロビーに降りる。
そして聞こえてきたアルフさんの声。
「いい加減にしてくれ。連れが待っとるんだ」
「いいじゃないの。奴隷でしょ。待たせればいいのよ。それより、私達がお相手しようっていうのよ。悪い話じゃないでしょう」
アルフさんの嫌悪の滲んだ声、初めて聞いた。絡みつくような声の主、まずまず上等なドレスを着た女三人。まあ、顔は美人に部類かな。三人とも素晴らしいボディだ。
あ、夜のお姉さんね。多分高級一歩手前の娼婦かも。
「だから、儂は女は買わん。何度言えば分かる」
「あら? あなたそっち系、奴隷の子、かわいいのかしら?」
クスクス笑う女三人。
イラッ
私の血管が、ぶちっといきそうになる。
一瞬で、アルフさんから凍りつくような空気が流れ出す。
「儂は惚れた女以外に興味はない。その実際の分からない化粧した顔を潰されたくなければ帰れ」
「ひぃっ」
女三人は怯えた表情を浮かべる。
近くにいた中年男性従業員まで、真っ青だ。あ、こいつが手引きしたな。
その四人に対して、アルフさんが、激怒してる。静かに激怒してる。
ふん、と体をこちらに向けるアルフさんの顔は、見たことがないくらい、きつい顔をしていた。
「ルナ、アーサー」
アルフさんは私達を見て、顔を緩める。
「あ、お帰りなさい。アルフさん」
アーサーが反射的に言葉を出す。
「すまん。遅くなったな」
「いいえ」
アーサーが答える。私は、返事が出来ない。
『惚れた女』その言葉に、私は凍りついていた。
誰か、いるんだ、そんな人。
いや、いて、おかしくないか、だってアルフさんは成人男性だしね。いたっておかしくない。そう、いたっておかしくない。アルフさん、格好いいし、真面目だし、いろんなことができるし。そんな人に誰かいても、おかしくない。そうだ、おかしくないんだ。
胸が、苦しい。ギリギリと締め付けられる。
視界がぐらぐらしそうになる。
なんで?
「ルナ、どうした?」
アルフさんが、心配そうに見てくる。
いかん、何だか、今の私のおかしな状況を知られたくない。
私は表情作る。なんでもないって、顔をしないと。
「お帰りなさい、アルフさん」
「ああ、ただいまルナ」
いつもの優しい、穏やかな顔。
優しい赤い目。
「さ、部屋に戻ろうか」
「「はい」」
アルフさんが私の肩を押す。
その手の感触に、なんだろう、いろんな感情が吹き出しそうだ。
「ねえ、奴隷の坊や」
三人のうち一人が、アーサーに声をかける。
「あんた報償金もらっただろう? 遊ばない? 滅多にない機会よ」
「いりません」
アーサーはバッサリ断る。
「なんですってッ」
声をかけた女が金切り声を上げる。
「自分には好きな人いますから、その人以外興味はありません」
アーサーの問いに、聞いていた人達はぽかんと見ている。普通、奴隷が女を買うなんてない、女が言うように、滅多どころではない機会なのだ。しかし、アーサーは迷いなく、断った。
「何が不満なんだいッ、奴隷の分際でッ」
金切り声を上げる女に、アーサーの目は冷たくなる。
「私のどこが不満なんだいッ」
「あの人は、美しいからです」
興奮した女と対照的に、アーサーは落ち着いた声だ。
「あの人は美しい。そんな化粧しなくても、そんな服着なくても、優しく美しい人だからです。誰よりも美しい人だからです」
アーサーは続ける。
私も呆気に取られる。おとなしいアーサーが、こんな反論すると思わなかったからだ。
リツさんのことだろうが、まさかここまで、想っていたとは。アーサーの気持ちは、リツさんに対する感謝と、きれいなお姉さんへの憧れくらいにしか思っていなかったからだ。
「あなたとは、比べ物にならないくらいに。だから、いりません」
女の顔が醜く歪む。
「アーサー、行くぞ」
アルフさんが誇らしい顔で呼ぶ。
私も誇らしい気分だ。
多分、この女達は自分に自信があるんだろうな。アルフさんに言い寄っていた時も、なんだか自信満々な顔をしていたし。
「はい、では、失礼します」
アルフさんの声にアーサーは振り返る。
呆然としたロビーを後にして、部屋に戻った。
金切り声を上げる女の声は、無視して。
「なんだ、まだ夕飯食べてなかったのか? 先に食ってても、良かったんだぞ」
「私達が待ちたかったからですよ、ね、アーサー」
振り返るといない。
床に踞っている。
「ど、どうしたアーサーッ」
「アーサーッ、どこか苦しいのッ」
慌てて駆け寄るアルフさんと私。
え、どうしたんだろう? 毒の攻撃でも受けたのかな? え、いつ? あ、解毒ポーションが、マジックバックにあったはず。
アーサーはぶるぶる震えている。
苦しいのか、私はマジックバックから解毒ポーションを慌てて引っ張り出す。
「アーサー、さ、ポーションよ、飲んで」
私が差し出すと、アーサーは首を横に振る。
なんとか上げた顔は、真っ赤に染まっていた。
「なんか、すごく恥ずかしいこと、言った気がして」
がくり、と肩を落とすアルフさんと私。
なんだ、そうなのね、恥ずかしくて崩れ落ちたのね。
確かにおとなしい性格のアーサーが、あそこまで言うとは思わなかったし。
私はポーションをマジックバックに入れる。
「まあ、立派だったぞ、アーサー」
アルフさんはポンポン、アーサーの肩を叩く。
「そうね、格好良かったよ」
私もポンポン。
うわあああぁぁぁぁぁ、と、唸るアーサー。
「ほら、飯にするぞ」
「ご飯にするよ、アーサー」
うわあああぁぁぁぁぁ。
私はブラッディグリズリーのワイン煮込みを皿によそった。
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