1章~彼女からの贈り物~【前編】
おまたせしました。1話の前編をお送りします。
まだ全体を書き終えていないので、前後か前中後になるかは未定です。
「はぁ………」
帰宅するなり、千里は玄関のドアにもたれかかり、そのまま座り込んだ。
あの状況で芽未に不審がられることもなく、帰宅できたことへの安心感からだ。
銀髪の少女と目が合った瞬間、強烈な 目眩 が千里を襲った。
この感覚は初めてではない。これまでに何度も味わったことだ。
だが、今日感じた目眩はいつものそれよりも明らかに度合いが違った。
芽未が同席していなかったら、まるで風邪でも引いたような表情をして何事かと周囲の人間に疑われただろう。
首元に手を突っ込み、服の中に隠していたネックレスを引っ張り出す。
それは何の変哲のないジュエリのついたもののように見えるが、宝石の中では灰色の渦が生き物のように蠢いている。
それをじっと見つめながら、千里は独りごちる。
「彼女も、同じ………」
同じ
なのは今までもあった。
最初はこの気持ち悪い目眩に慣れず、吐き気を催したこともあった。
あの時は公道で起きたので、通行人に心配されるほどの状態だったことをふと思い出す。
それも一度や二度でもなく、何度も何度も噦いたおかげで、いつ目眩に襲われようが平静を保てる程度には慣れた。
あの少女に会うまでは。
「大丈夫よ………」
千里は自分に言い聞かせながら、ネックレスを再び服の中にしまう。
硬く冷たい感触が素肌を滑り、少しだけ身体が震える。
弱気になっている自分を叱咤するように首を振り、両の手を目の前にかざす。
それをしっかりと力強く握る。手の肉を裂かんばかりん、とても強く、彼女自身を奮い立たせるように。
そして、その拳を自らの額に打ち据えた。
しばしの痛みと脳の揺れを味わい、呻くように声を絞り出す。
「大丈夫……今までだって大丈夫だった………」
しかし、そう自分に言い聞かせるほど、彼女の震えは大きくなっていった。
しきりに震えだす肩、噛み締めているのに、カチカチと音が止まない口元。
小走りしたような、疲労にも似た息苦しさ。
それれあの理由がわからないまま、千里は自らの肩を抱きながら、泣きだしそうになりながら、身を縮こませていた。
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「……さん!」
「…ぶさん! ……はぶさん!!」
「羽生さん!!」
「は、はい!!」
「どうしたの? 具合でも悪いのかしら?」
ポニーテールを揺らしながら、女教師が千里に歩み寄る。
「この数式を説明してほしいのだけど、できる?」
「あ、はい。えっと………」
「あのねぇ…今は数学の時間なのだけど」
「あわわ! ごめんなさい…」
物理の教科書を出していた千里は、慌ててそれを閉まって謝罪した。
周囲からクスクスと微かな笑い声がする。
「……放課後」
女教師の声が、千里にだけ聴こえるような大きさで、
「職員室に来なさい」
鋭い声となって千里の耳朶に染み込んだ。
「……は、はいっ」
何かを理解したように、千里は応えた。
「ねぇ、大丈夫? 千里ちゃん」
「うん、ぼーっとしてただけだから……」
芽未と食事をしながら、千里は「やはりその話題か」と思いながら返事をした。
サンドイッチを頬張りながら、芽未はチラチラと千里を盗み見る。
「な、なに?」
「千里ちゃん、疲れてるんじゃないの?」
「そ、そっかな?」
やはり、芽未はよく見ている。
恐らくは、あのファミレスのときからだろう。
千里の微妙な感じをを読み取っていたのかもしれない。
あの授業での醜態が、芽未の疑問を確実なものにしたのは想像に難くない。
「悩みとかあるの? あたしでよければいつだって相談に乗るのに」
「あはは……ありがとね、芽未ちゃん」
テンプレートなセリフだったが、自分を想う言葉を聞き、安堵の気持ちが胸に染み渡る。
「………」
「…そうだね。ねえ芽未ちゃん?」
「うん?」
ジュースを飲み干した千里は、ずいと机に身を乗り出して芽未の目を見つめながら問う。
「芽未ちゃんはさ、いつか自分に降りかかるかもしれない『恐怖』を知ったら、どうする?」
「え…なにそれ?」
「どうする? 教えて」
曖昧で、抽象的で、いい加減な言葉だと、自覚した。
それでも、信頼している芽未を思うと、そう訊かずにはいられなかった。
救われたいのではない、安心したいのだ。
それが今出来るのは、目の前の親友だけ。
なんだって良かった。
芽未の言葉なら、なんだって。
「うーん、その恐怖がなんなのかにもよるけど……あたしだったら、全力で立ち向かうかな!」
「全力で……」
「うん! 避けられないなら、本気の本気で恐怖をぶっ飛ばしちゃうよ! それで恐怖が吹っ飛ぶかはわかんないけどさ、やられっぱなしは嫌じゃん? 本気でやれば、結果はともかく悔いは残らないかな」
「………」
「そう、だね」
ただ千里は、笑った。
ありきたりではあった。
高尚な言葉でもなければ、現実的な助言でもない。
だが、それだけで良かったんだ。
千里は芽未の言葉を胸に刻み込んだ。
恐怖という、どうしようもない闇に立ち向かうために。
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「失礼します」
職員室に入ると、その中で一人でいた女教師が手招きする。
「本庄先生、ご用件ですが」
「ああ、もう私しかいないからいいわよ、『生徒ぶらなくても』」
授業中とは打って変わってフランクな口調に、千里はふうと息をついた。
「それでV、何の用かしら?」
「なぁに? さっきとは人が変わったみたいじゃない」
Vと呼ばれた本庄は、千里の貌を見て嬉しそうに言う。
「なんだか憑き物が取れたというか…吹っ切れたというか…、そんな感じに見えるけど何かあった?」
「何かあったのは事実だけど、大したことじゃないわ。願掛けみたいなものよ」
苦笑して、千里は言う。
Vもそれ以上の詮索は止めた。
「その様子じゃあ、心配はいらなかったかしらね」
「V、早速本題をくれるかしら。『何の用なの』?」
千里は有無を言わせない剣幕で顔を寄せた。
やれやれと肩を竦めたVは、千里に向き直った。
「正式に、先方からLRが届いたわ。もちろん、受けるわね?」
「相手は、あの銀髪の?」
「そ、名前非公表、とっってもぶっきらぼう、目が怖い、と強キャラ感丸出しよ」
「ふうん」
Vは内ポケットから一枚の用紙を机に載せた。
いや、それは用紙ではなく写真だった。
「間違いないわね?」
「ええ。前に顔を合わせたわ」
透き通るような、流麗な銀の長髪。
無機質で感情というものが読み取れない双眸。
日本人離れした白い肌。
少し押したら倒れてしまいそうな華奢な肢体。
だがなによりも、その相手から受け取った凄まじいまでのプレッシャー。
あの時感じた強烈な目眩が、何よりの証拠だ。
「V、この子について何か知ってるの?」
「私は必要以上にVGには介入しないからね。担当は別として」
そう言いながらチラリと千里を見た。
千里は意に介さず、続ける。
「知らないのなら、何故私を呼んだの? 世間話なら休み時間でもできるでしょう?」
「私、知らないのよ」
「何…が?」
聞き取れなかった、いや、聞き間違いかと思って、もう一度訊いた。
「知らないって……?」
「さっきこの子のこと知ってる? って訊いたけど、私、その子のこと『何も知らない』の」
「貴女が知らないって……じゃあ彼女は何者なの?」
「貴女、この地域の全てのVGを把握してるんでしょう?」
「貴女が全員スカウトしたわけじゃないのは知ってるけど、それでも数百人のVGの情報を掴んでるって最初に言ったわよね?」
「それなのにこの娘のこと何も知らないとか、職務怠慢もいいところだと思わないの?」
「落ち着きなさい」
思わず立ち上がっていた千里を、Vは冷静に制止させた。
「……ごめんなさい」
「嘘はついてないわ。私…ううん、私を含めた全ての委員は、必ずVGの情報を共有している。逆に言えば、知らないなんてこと許されないのよ。LRは『しっかりと管理されたイベント』なのだから」
「イベントといえば聞こえはいいわね。……それで、貴女以外の人もこの娘のことは?」
「ええ。彼氏も知らないって。むしろ勘違いじゃないかってぼやいてたわ」
「彼氏じゃないでしょ、まだ」
「いいじゃない、願望くらい」
コホン、とVが咳払い、
「とにかく、情報がまるでないの。ただ、その子は既に何人かに勝ってるみたい」
勝っている
その事実を聞いて、千里は少しだけ心臓の震えが喧しく感じた。
「勝っているってことは…つまり」
「そういうことよ」
強い、ということだろう。
聞き返すことでもない。
「だけどね、千里、私はわかってるから」
「貴女だって……強いことは」
千里の両腕を見て、Vは強く言う。
お世辞でもおべっかでもない。千里は強い。一番長く深く接している中では、そのことはVが一番理解している。
「………」
「元より、この娘の情報を事前に知っていたとしても、戦局が大きく変わるわけじゃないわ」
「いいのよ、そんなフォローしなくたって。無能な委員でごめんなさいね」
「下らないこと言わないで」
千里の調子を見て、Vはクスリと笑った。
「……なんだか、心配した私がバカみたいね」
「あの時はちょっと沈んでたわ。だけど、友達のおかげよ」
照れ臭そうに、千里は頬をかいた。
「甘ちゃんだと思う?」
「いいえ、今更よ」
「意地の悪い返事だこと」
「歳取ると、多少はそうなるわよ、貴女も」
軽口を交わしながらも、いつもの調子になった、とVは安心した。
軽口を交わしながらも、いつもの彼女だ、と千里は安心した。
夕焼けが、そんな二人を静かにたたえていた。
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学校の最後のチャイムが鳴り終わる。と同時に、千里の心がぎゅうっと強く締め付けられた。
「千里ちゃん、帰ろう?」
「あ、芽未ちゃん」
いつもと変わらない、あどけない様子で芽未が千里の席に走り寄る。
千里は少しだけ罪悪感を覚えながらも、鞄に教材を詰めながら答える。
「ごめんなさい、今日はちょっと人と会う約束をしているの」
「人と…そ、そうなんだ」
「うん。だから私、先に帰るね?」
「あ……だったら私も一緒に」
芽未が鞄を取りに自席へ戻ろうとしたときだった。
「煌月さん、何か忘れてない?」
「あ……奥津さん」
その道を遮ったのは、生徒会会長の奥津だった。
特に笑みも凄みもない無表情だったが、芽未にとってはこれ以上ない畏怖さを醸し出してるように見えた。
「この前言い忘れたけど、進路相談の用紙、まだ出してなかったわよね?」
「え、えっとぉ~~~」
「今日が期限なんだから、絶対に出しなさい?」
「あ、千里ちゃあ~~~~ん」
「ごめんなさい芽未ちゃん、私行かなきゃ」
芽未の悲痛な呼び声も空しく、千里は鞄をたすきがけにしてすぐに教室を出ていってしまった。
ロッカーで靴を履き替えているとき、真上にあった芽未の名札を見て、千里は少しだけ動きを止めた。
「芽未ちゃんと下校したかったけど、こればっかりは無理だよね」
奥津があの場にいたのはありがたいハプニングだったが、食い下がった場合の対処も考えてあった。
しなくて済んだので、結果オーライではあったが。
「だけど、征く前に芽未ちゃんの顔を、見ておきたかったな」
そこまで言って、首を振る。芽未に甘えている自分の弱さを払うように。
ここから先は、一片の迷いも許されない。
学校で見せていた温和で柔和な印象から一転、何物も見逃さない獣のような眼光を放つ、もう一人の己へと変貌する。
(待ち合わせは、裏の山の頂上……)
千里が通う学校は、周囲が小高い山で覆われている。山道がないので、誰も裏山に登ろうとするものはいない。
あくまで学校の景観のためだけに在る、標高数十メートル程度の丘のようなものだ。
千里は相手との待ち合わせにはここをよく使う。何故なら、まず誰も来ず、来れない僻地であるからだ。
それと、登りきればわかるのだが、
「………ここは、やっぱり視界が開けていいわね」
頂上は半径50メートルほどの広さの自然の広場となっている。
見晴らしはいいが、肝心の学校はすぐ下にあるので、ちょうど死角になっており生徒からはこちらは見えない。
一気に山を登りきった千里は、隅にある岩に腰掛ける。
「…………」
待ち合わせの場所としても条件はいいが、個人的にもここは千里のお気に入りスポットだ。
生い茂る草木の土臭い匂いが、高ぶる感情を程よく抑えて、落ち着いた行動と思考を齎してくれる。
「……あ、小鳥」
そんな自然は動物も引き寄せるのか、すずめ等の小鳥もよく飛来する。
警戒心がないのか、千里の肩や指に留まり、可愛らしい鳴き声を耳元で囁いてくれる。
「………ふふ」
そうして小鳥と戯れていたが、千里の表情はすぐに険しくなる。
遅い。
相手が来ない。
待ち合わせの時間は既に過ぎている。
「ここに待ち合わせるように連絡をつけたのに」
岩から立ち上がろうとしたときだった。千里の肩に留まっていた小鳥が、突如吹き飛んだ。
「!!」
そのまま小鳥は木の幹に激突し、絶命して落下した。
「これは……熱っ!!」
屍体になった小鳥を拾い上げようとしたが、激しい痛みですぐに手を引っ込めた。
小鳥は黒焦げに焼けていたのだった。
「まさか………」
千里はすぐに下山するために、生徒がいないことを確認してから一気に丘を飛び降りた。
「来たか、羽生千里」
銀髪の少女が、目の前に立っていた。
次回から戦闘が始まると思います。
土曜日か日曜日には掲載する予定です。